第9話 晴れ舞台に立つへの応援コメント
>いえ、この本は買います。
たとえ小額であったとしても、制作者が設定したお代を払うのは敬意と感謝の証です
拍手喝采です!
作者からの返信
実はこの買うという行動、私自身のポリシーでもありまして。
無料配布とあらかじめ決めているものと献本以外はなるべく買うようにしています。
理由は海老名先生と同じです。
第8話 図書館とその先への応援コメント
>失敗することを責める人は、そもそも失敗しないようになにもしない人です。そんな人の言うことに耳を貸す必要はありません
全くその通りです!
作者からの返信
なにもしない人ほどえらそうなの、なんなんでしょうね。
第7話 学びへの一歩への応援コメント
海老名先生は非常勤講師とか、再任用の先生なのかな、とか思っちゃいました。どの先生も素敵な先生方のようです。本当は、こうであってほしいと思う。学校。どうでもいい用事が多すぎるんです。学校。実際。
>数学で学ぶべきことは計算ではなく論理的思考
全くその通りです。拍手喝采です。
作者からの返信
海老名先生の仕事が少なめなのは、私の教師に対する解像度の低さゆえですね。お恥ずかしいです。
でも、教員の方々も無理せず働ける環境がいいんですよねぇ。
第1話 不思議な先生への応援コメント
公式レビューからお邪魔いたしました。メッセージ失礼いたします。m(_ _)mもうかなり昔の話になってしまうのですが、教員をしておりました。こういう先生になりたかった。でも実際、現場に入っちゃうと難しいんです。でも、本当はこのような存在でありたかった。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
教育現場、年々教員の方々の立場も厳しくなっていると聞いています。
その中でも理想を持っていたことは、誇れることではないかと私は思います。
創作の中でくらい、理想を描きたいのです。
編集済
第10話 ひとつぶへの応援コメント
そもそも、「ひとつぶ」とは何だろうか。
書き手はそんなに小さな存在なのか。
たとえば、アマチュアで無名なら、文筆業界では「ひとつぶ」といえる。
確かに、自分が書いた作品や自分自身を誰かに否定されれば、自分の力や才能を小さく見積もってしまう人もいるかもしれない。
でも、自分が書いた作品と自分自身は、同じなのか?
書き手同士の関係は、親切と共感と奉仕と配慮と支援と善意、それらにこたえる前向きな精神だけだろうか?
不快でしたら削除してもらって構いません。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「ひとつぶ」という単語から感じる「小さい」というイメージ及び表現はあくまでも比喩的なものであり、ここの絶対的な存在の大きさは関係が無いものとしています。
なにから見て「ちいさなひとつぶ」となるのかというと、文筆業界という比較的ちいさなものではなく、自分が住んでいる国だけでなく、世界にある「文化」という大きなものと比較です。
どれだけの文豪であろうと、世界規模の「文化」の前では相対的にちいさな存在になると私は考えています。
「文化」の前では文学の書き手だけでなく、あらゆる表現者は文化を構成する欠かすことのできない一部分なのでこのような表現となりました。
書き手同士の関係ですが、この話で書かれているのは書き手同士の関係というよりも「見捨てられた子供」と「生徒と対等の立場に立とうとする教師」の関係なので、書き手同士の関係を主題として書いたものではないというのが正直なところです。
個人的には、書き手同士の関係というのは良くも悪くもどのようなものであっても構わないと思います。
ただ、書き手の姿勢としてひとつだけ忘れてはいけないのは、自分と向き合うのをやめないことだけです。
そこに他者の介在は関係ありません。