第5話 その、一高のメイドは……3/3
紀年祭の二月一日は、幸い薄曇りの天気に恵まれた。講演会・音楽会などと同時進行という形で、各寮も解放された。
父兄をはじめとして、地域の人々、近隣の中学校や高等女学校の生徒たちが、黒山の群れをなして、一高の正門から入ってきた。
「らっしゃいらっしゃーい! 中寮では、ホールで、まるで少女と見紛うほどの異国の留学生の美少年が、メイド姿でカフェーを開いておりまーす! 紳士淑女の皆様、ぜひおいでくださーい!」
「何と、そのメイドと一緒に写真を撮るサービスもついておりまーす! お早めにどうぞー!」
畳一枚ほどの看板を前と後ろに下げたサンドイッチマンのような中寮の呼び子の生徒が、一高の正門から次々にやってくる客に向けて、メガホンで叫んでいる。
「え、メイドカフェーだって?」
「何だ何だ、本格的っぽさそうじゃないか?」
「ちょっと行ってみようかしら?」
中寮は、内も外も、古カーテンやら模造紙やらで、純洋風建築に見えるように、できる限りデコレーションされていた。
その中寮に入ると、暖かいスチーム暖房の効いたホールでは、蓄音機でクラシックが流されていて、普段は汚れ散らかされているテーブルにはテーブルクロスが引かれており、急造ながら、落ち着いた大衆カフェーの雰囲気を醸し出していた。
おおかたの予想通り、この喫茶……『カフェー・フランベルグ』には、朝の開場と同時に、大勢の客が押し寄せた。
かねてより寮生に一人二十枚ほど割り当てられていた寮祭入場券についても、中寮生はしきりにメイドカフェーのことを宣伝して配りまくったものだから、その宣伝効果や推してはかるべし、だった。
ホールに入ると、居並ぶ給仕の真ん中に、本場のメイド姿でうつむきがちにしているサシャが、客を出迎える。
「……お帰りなさいませ、ご主人様、お嬢様。こちらのお席へどうぞ……」
席に案内された客はほぼ例外なく、メニューよりも、美少年メイドに気を取られてしまっていた。
「嘘だろ……あれ、本当に一高の留学生……男なのか?」
「どう見たって少女だろ……? しかし、綺麗だ……」
「いやだわ……あのメイドの方、格好良すぎるわ……! どこかの歌劇団から来たアルバイトじゃなくって……?」
白人でありながら日本語が流ちょうで、なんといっても一高への留学生であり、美少年でもある……これでもかと言わんばかりの過剰設定に、客たちの衝撃は大きかった。
「……お待たせしました。コーヒー二つと、バウムクーヘンです」
もともとが無口で、しかも客数が多いものだから、サシャの接客も、当然のごとく素っ気ないものになる。
しかし、その受け取られ方は、ほぼ例外なく好意的なものだった。
「ツンツンしているところが、またいいじゃないか……!」
「クウル・ビュウティというやつか? くそっ、痺れるぜ!」
「ああ、わたくしのお兄様になってくれないかしら……!」
ある客が、サシャに尋ねた。
「このバウムクーヘンって、もしかして
サシャは、気恥ずかし気にどもりそうになりながら、やっと答えた。
「……はい。僕の手作りです」
ホール内に、どよめきが起こった。たちまち、バウムクーヘンの追加注文が相次いだ。
茶菓子を目新しくしたらどうか、というのは、サシャ自身が提案したことだった。ならばメイドがメイド・イン・ドイツなので、茶菓子もそれに合わせてドイツのものを、という声が上がっていた。バウムクーヘンがメニューにのぼったのは、それが理由である。
と言っても、一高の男どもには、洋菓子を作ることはかなりの困難だったので、これも仕方なくサシャが、この日朝早くから起き出して、ひとり大使館の厨房で、手作りのバウムクーヘンを量産して、佐川の運転するベンツで一高に持ってきたのだった。
「あああ、バウムクーヘン美味い! めちゃくちゃコーヒーと合うな!」
「満腹だし眼福だ……このまま時間が止まって欲しいぜ……」
「一高ってバンカラのイメージだったけど、全然違うわね!」
暖房も効いている中で、次第に増えていく客を相手に走り回るものだから、サシャの短髪からは、汗が飛ぶほどだった。
その汗すら綺麗とばかりに、客の女学生や少女たちはため息をついてうっとりとサシャを見つめ、近隣の中学生男子らも、同性とは知りながら、湧きあがってくる不思議な胸の高鳴りに酔っているほどだった。
「ねえ見て、あのメイドさん、これだけ注文が殺到しているのに、メモも取らずに仕切ってるわ。すごい!」
「一高の留学生というからには、相当優秀なんだろうな!」
「私の家庭教師に来てくれないかしら……!」
裏方で茶菓子を準備している鴨井と仁川が、ホールの様子を除き見ながらささやき合っていた。
「サシャのやつ、接客には向いていないんじゃないかと心配したが、案外うまくやってるな!」
「ああ。酒を飲ませる必要はなかったな!」
開場から少し時間がたち、喫茶を終えた客が、サシャとの写真撮影の希望に、長蛇の列をなした。
こうなるとサシャはホールを回すどころではなく、次から次へとやってくる撮影希望者のかたわらで、何とか作り笑いをしながら被写体となって座っているだけの、碧い眼をしたお人形と化していた。
父兄も中学生も女学生も、様子をのぞきに来た教授陣も、先を争ってサシャと一緒に写真に納まった。
その人気の極端な例を挙げれば、近隣から来た高等女学校の一クラスおよそ四十人が、まるまる揃ってサシャと写真を撮ったほどだった。
「いやあ、いい非日常を味わえたな!」
「俺、中学を出たら、絶対に一高に来るんだ……!」
「やだ、一高って最高じゃない……! わたくし、男に生まれたかったわ……!」
客足は止まらない。
新たな客の群れが、ホールに入ってきた。そのセーラー服の一団の中から、給仕役に回されていた祥太郎に声をかけた女学生がいた。妹の道子だった。
「兄さん!」
「よう、来たんだな。友だちと一緒か?」
「うん。父さんたちは、さすがに自分たちが行ったら、兄さんも気恥ずかしいだろうって、今日はお留守番!」
「そうかそうか、嬉しい心遣いだな」
「外で聞いたわよ。白人メイドって、サシャさんのことでしょう?」
「ご明察だ。茶をしばいたら、サシャと写真を撮ってこいよ。早くしないと、フィルムがなくなっちゃうかもしれないぜ」
「えっ、それは大変! 私、行ってくる!」
道子は、連れの女学生たちと一緒に、慌てて手近な空きテーブルに飛んでいったのだった。
しばらくして、外で呼び子をつとめている田原が、ホールの様子を見にやってきた。
「どうだ、結構呼び込んだはずだが、客は来てるか?」
祥太郎が答えた。
「来てるもなにも、多すぎてパンクしそうだぜ!」
「そうかそうか! それで、サシャはどうだ?」
「うまくやってるよ。今は写真に忙殺されてる」
「そうか……でも今思ったんだが、あんまり写真を撮りすぎると、魂を吸い取られるんじゃないか?」
「明治時代の迷信かよ」
サシャはどうしているかと見てみると、ちょうど、椅子に腰かけた道子と一緒に、写真を撮っているところだった。
弾けんばかりの道子の笑顔の隣で、サシャは、穏やかな微笑を見せていた。
「おっ、サシャのやつ、自然な笑顔ができてるじゃないか!」
「あれはたぶん、隣にいるのが俺の妹だからかもしれないぜ……」
「あれが木下の妹か?
「やめてくれ」
怒涛のような忙しさの中、『カフェー・フランベルグ』は大量の客を飲み込み、そして吐き出しながら、あっという間に夕方の営業終了を迎えたのだった。
*
そして夜、紀年祭を終えた一高。
中寮の外の広場では、焚火を中心にして、中寮生全員が集合していた。
田原の大声が、夜空に響いた。
「
学生服やふんどしの乱舞の中で、ひとり地面に力なく座り込んでいるのは、汗でぐしょぐしょになったメイド服に包まれて、ぼろ布のように疲れ切ったサシャだった。
そのサシャに、祥太郎が、自分の学生マントをそっと羽織らせた。
サシャが、思わず顔を上げた。
「祥太郎……?」
「その格好じゃ、風邪ひくぞ?」
「……ありがとう」
サシャはそっとマントに身を包み、ややあって呟くように口を開いた。
「それにしても疲れたよ……誰か、水を一杯くれないか?」
その声が聞こえたのか、どこからかコップがサシャのもとへ運ばれてきた。
「すまない……」
サシャが、喉の渇きを癒さんとばかりに、コップの中身を一息に飲み干した。そして一言つぶやいた。
「酒だ……これ……」
祥太郎は、頭を抱えた。
「こうなるんじゃないかと思っていたんだ……!」
そんな祥太郎とサシャをよそに、田原が焚火のそばに立ち、声を張り上げた。
「全員注目っ! 我々中寮のカフェー売り上げの速報値だが、明寮・北寮・南寮をぶっちぎって、俺たちがダントツのトップだ!」
わあああああ、と歓声が上がった。
「この売り上げの立役者は、言うまでもない! 我らがサシャ・ツー・フランベルグ様だ!」
この田原の言葉に、サシャが「はーい!」と陽気に手を挙げて応えた。サシャのスイッチが入った瞬間であった。
「サシャ、何か一言!」
田原からけしかけられたサシャは、素直にその場に立ち上がった。
「えっと、今日は僕、メイド姿で頑張ったけど、正直なところ、皆から見て、どうだった……?」
自信なさげに問うサシャに、寮生たちから明るい声が飛ぶ。
「最っ高だ!」
「まさに
「サシャ、俺と結婚してくれ!」
どっと笑い声が上がった。サシャも笑っている。
「ありがとー! でも、今日は僕だけじゃなくって、皆が各自の持ち場で頑張ってくれたから、いい結果が出たんだと思うよ! 皆、本当にお疲れさまー!」
また、わあああああと歓声。
「乾杯だ! 中寮に乾杯!」
あちこちで乾杯の声が湧きあがった。太鼓や尺八の音が狂ったように鳴り響き、中には輪になって寮歌を歌っているグループもある。
祥太郎はコップ片手に、このストームの様子を眺めていた。
すぐ傍らでは、空に酒瓶をかかげたサシャが、田原に肩車されてはしゃいでいる。
デコレーションに使った古カーテンや模造紙、喫茶店の看板やら何やらが、次々と焚火に放り込まれて、夜空に赤々と燃え上がった。
その炎に照らされて、サシャの瞳はキラキラと輝いていた。
「あははははっ! 楽しいね!」
日頃のサシャと、今こうしているサシャ。
いったいどっちが、本当のサシャなんだろうか、と祥太郎はふと思った。
……でも、確かなことが一つある。今回の紀年祭でメイドを演じ切ったことで、サシャは間違いなく、また一歩、一高に馴染んだ。
ご学友としては、それが嬉しくもあり、ちょっぴり寂しくもある。
……そんな感傷にひたりながら、祥太郎は、酒の溢れそうなコップを、一息にあおったのだった。
……この夜、酔ってドイツ大使館に帰ったサシャが、義父のノルベルトからこっぴどく叱られたのは、言うまでもない。
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