天井裏に誰か居るのか

そうざ

Who is in the Attic ?

 その老婦は認知症の疑いがあると聞いていたが、第一印象は矍鑠かくしゃくたるものだった。

「居るんですか? 天井裏に」

「居りますとも。つい昨日もお金を盗まれました」

 収納棚に仕舞っておいた金がなくなったと言う。『物盗られ妄想』は認知症患者によく見られる症状で、殊に女性に多い。

 老婦には身寄りがなく、繁く訪ねる人間は居ない。泥棒ですらやって来ない孤独な暮らしだ。その受け入れ難い事実が、彼女なりの合理的解釈・・・・・に帰結したという訳だ。

「最初は私が疑われましたよ。そもそもお金なんて最初からないのに」

 民生委員が耳打ちで苦笑する。

しかるべき施設への転入を視野に入れた方が良いでしょう」

「そうなんですが、ずっと順番待ちの状態で」

 人は必ず老いる。自律が難しくなる。皆その事を知っているのに、決定的な打開策を講じられない。人手不足、資材不足、用地不足――色んな理由いいわけが先んじて用意され、擦り減って行く未来を予期しながら見て見ぬ振りに拘泥する。

「近頃、こういう人が増えてる気がするんですよねぇ……」

 民生委員が首を傾けたまま呟く。

 嘗て精神病理学を学んでいた私の許には、日々この手の相談が舞い込む。以前は老人にだけ見られた虚言が、若年に影響を与え始めているような印象さえ受ける。全く以て由々しき問題だ。

 本当に、もし万が一、天井裏に何者かが存在しているとしたら――慌ててかぶりを振った。こちらまでおかしく成りそうだ。

「私をね、天井裏に引き込む気なのよ」

「あらそう、それは大変ねぇ」

「私を何処かへ連れ出す魂胆なの」

「嫌ねぇ、迷惑な話だわねぇ」

 老婦と民生委員との不条理極まりない会話が続く。どうせ私に出来る事は何もない。こんな所に長居は無用だ。

 黙って退出しようとすると、民生委員の声が背中で響いた。

「次の代表選挙も貴方に投票します。人類を救えるのは貴方だけです」

 私は飛び切りの表情を作って振り返った。

「ありがとう。きっとこの地下世界を王道楽土に――」

 そこにはもう誰も居ない。空気清浄機の重い作動音が響くだけだ。

「なぁに……毎度の事だ」

 気を取り直し、仄暗く狭苦しい廊下を進む。

 こんな閉鎖空間で千人強の人間をいつまでも養える筈もないが、もう暫くは御山の大将をやらせて貰おうか。仮令たとえ井の中の蛙でも、大海が存在しなければ立派な権力者なのだ。


 ――ドタドタッ……バタバタッ――


 天井から微かな物音がする。

 よくよく耳をそばだてれば、生存者がどうだの、救出がどうだの、と喚く声が未だに聞こえるだろう。全く以て御節介でしつこい連中だ。 

 天井裏ちじょうなど存在しない。

 人類ひと地下ここでしか生きられない。

 そうでなければ私の天下は続かない。

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