第21話『選定戦最終試合』
選定戦における初手は強力な術同士が衝突する。
開幕の合図まで魔力の"溜め"があるため、これは自然なことだ。
ただし、心理的な駆け引きの下で裏をかく場合も多い。
魔術の発動が遅れた相手を先んじて近接戦で倒すのも有効な手段だ。
だが、最終戦に高揚した俺たちにそんな考えは無かった。
「「"
赤い二つの炎がぶつかり、巨大な爆発が生じる。
ただ想像して力を集わせるだけで炎が空を走る。
夢が具象化する。これが俺の憧れた最初の魔法。
ああ、なんて美しいのだろうか。
想像力が全身に満ち満ちていくのが分かる。
「"
「"
風を纏ってホノンに近づこうとする時、目の前に炎の壁が現れた。
突っ切ろうとしたが駄目だ。熱量が凄まじい。
壁から離れた位置で体勢を整えると、炎の壁から攻撃が飛んでくる。
炎の壁を貫通して飛んでくる攻撃。氷雪系じゃない。
2種の同系統魔術は"混じり"やすい。炎熱系でもない。
勘で防御魔術をやめて後退すると、足元に岩槍が突き刺さった。
冴えている。食らいつけている。
だが、このままじゃ後手は必至。炎壁をどうにかする!
「"
発動済みの"
こういった小細工ばかり考えてきた。
俺の数少ない取り柄だ。
風魔術で炎壁を突き破り、ホノンを視野に収める。
血のような赤い魔法陣が展開されている。
"
「ッ!?」
「"
ホノンが閃光に目を覆い、魔法陣が消滅する。
やはり、"
それにしてもホノン......
「前々から言おうと思ってたが、最初から突っ走る奴だな!
焦ってるんじゃないか!?」
「そっちこそ、冷静気どりすぎて後手に回っていないかい!?」
数合を重ねていがみ合い、再び距離を取る。
有利状況ではないが、少なくとも不利ではなくなった。
渡り合えている。初戦よりも遥かに。
まだ足りない。同じ土俵にしがみついているだけだ。
ディモルブ戦を踏襲して心理的な揺さぶりを......
そう思った瞬間。俺の意図は瓦解した。
「ボクは勝利まで突き進み続ける。
だから、最初っからずっと本気なんだ」
銀髪が風に
ホノンが杯を持ち上げるかのように右手の指を曲げて構える。
左手を右手に添え、フィールドが冷気で満たされる。
「"
白薔薇が咲き誇り、吹雪を生む純白の木々が生まれる。
もう切り札を切ってきた。温存するつもりは無いらしい。
魔法。その発動に必要なのは5つの要素。
魔力・親和・術式・想像・具現。
術式。過去に発動した魔術の
それが意味することは即ち......
「"
魔術の習得に術式は必要ない。
必要なのはその他の要素。
そして最も重要なのは"想像"。実現のイメージ。
「さっき見たばっかで精度はカスだが、その場しのぎにはなりそうか?」
俺の生み出した炎壁が
今にも崩れそうな状態だが、何とか冷気を遮断できている。
吹雪と火炎と蒸気で視界が最悪だ。
「押し通す!」
「できるもんならやってみろ! シン!」
体から滲み出る汗が凍るようなむちゃくちゃなフィールド。
寒暖差に悲鳴を上げる体に鞭打ち、俺は前に進む。
この魔術を越えて、ホノンを直接殴ってやる。
★★★
"さっき見たばっか"。嘘だろう?
ボクが二手目で使った炎壁をこの数分で真似たと言うのか!
常軌を逸する魔術の才能、異常な習得スピードだ。
だが、所詮は猿真似だ。
形を保つのが精一杯だろう。
"
「忘れたかい? シン。
初戦でキミはどう負けたんだっけ?」
"
血のように赤い、対となった2つの魔法陣。
大規模な魔法を同時に使い、魔力消費の激しさに軽く眩暈がする。
だが、これでいい。シンは今、動けない。
ボクは炎壁の維持で必死なシンを叩き潰すだけだ。
「"
2つの魔法陣が無数の光を吐き出すと同時に、炎壁が崩壊する。
防御を失った哀れなシンに向かって迫る吹雪。
それを追うようにして放たれた光が宙を踊り......
すべて右に曲がった。
「は?」
炎壁と吹雪がぶつかって生じた濃い水蒸気の中からシンが飛び出す。
ボクから見て右のフィールドの壁面を抜けてきたのだ。
なんで吹雪にやられていない? なんで動けるんだ?
「お前の悪癖だ、ホノン!!」
右手を動かしてしまった時、すべてを悟った。
フィールドの右端から左端まで埋め尽くす"
シンは同じ幅の炎壁を作り出し、吹雪をせき止めていた。
だが炎壁は不安定で、吹雪に押し負けて形が変形していた。
水蒸気に紛れて気がつかなかったが、シンは右端の炎壁を強く維持していた。
押し込まれても消えなかった炎壁は"
生じた隙間に無理やり突っ込み、シンは吹雪を突破したのだ。
そして今になって、旅の時に言われた言葉が響く。
『ゾフラ戦の時に思ったが、ホノンは集中の波が激しい。
情報の取捨選択をするとき、"捨"が多すぎるのは良くない』
炎壁の先にいるであろうシンに集中しすぎて、火力が中央に寄っていた。
そしてシンが右から現れた時、咄嗟に右手を動かしてしまった。
『あと、左右の役割が分離しすぎている。
右から来た攻撃は左手で対処する方がいい場合もある。
無意識的な行動の雑さがお前の悪癖だ』
畜生。あの時馬鹿にしていた言葉が今になって響くなんて!
"
軸を動かしてしまった今、白薔薇は崩れて純白の木々も瓦解する。
取り逃したシンを追うように向かってきた吹雪が掻き消える。
ボクを守る存在がすべて無くなってしまった。
焦り。首筋を伝った一筋の汗。
その少しのほつれが判断を鈍らせた。
「ッ、"
「"
生み出した小さな吹雪を払うような閃光が目を焼く。
ディモルブ戦で見せたシンの2重の搦め手。
近接攻撃を恐れて対術防御を展開しなかったのが仇となった。
吹雪を突破され、目を潰された。
前も見えない状態のボクの拳は避けられる。
そして、シンの渾身の右拳が炸裂する。
「ぐはッ!!」
魔力を込めたパンチが腹を捉える。
あまりの衝撃に目玉がひっくり返り、胃液が口から溢れる。
数メートルほど殴り飛ばされ、地面に倒れた。
痛い。震えで体が思うように動かない。
シンの魔術が飛んでくる。どうにかしなくちゃ。
でも、どうしようもない。これで終わりだ。
負ける? ボクが、シンに?
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! ボクが勝つんだ!
畜生。体、動けよ! なんでだ!
「ヅゥ......ボクば、ま゛だッ!!」
体が負けを認めたがっている。もう疲れた。
大規模な魔術を連発しすぎたのだ。
心はまだ、負けを嫌がっているというのに!
「ッ......!!」
シンが覚悟を決めたように魔術を放つ瞬間。
ボクが顎を使ってでも起き上がろうとした瞬間。
闘技場の空気が、一声で一変した。
「馬鹿ホノン!! さっさと立て!!!」
聞き覚えのある声が、初めて聞く怒声が耳を貫く。
慌てて観客席に目を向けると、そこにいた。
ボクたちの親友がいた。
「2人とも半端な気持ちで戦うな!
腑抜けるな! 死ぬ気でぶつかれ!!!」
顔を真っ赤にして叫ぶリタが、松葉杖を掲げて怒っていた。
あんな感情的なリタは見たことが無い。
そんな根性論的な言葉を発するリタも見たことが無い......
「最後の最後まで、足掻き続けろ!!!」
震えは止まり、ボクは立ち上がる。
さっきまでの弱気な心が嘘だったかのように。
「ありがとう、リタ......」
掠れた声でそう呟き、酸っぱい唾液を吐き捨てる。
湧き上がる魔力を身に纏い、拳を強く握った。
「さあ、第2ラウンドだ!!」
互いの全身を風が覆い、拳が交錯する。
熾烈な近接戦が始まった。
★★★
ホノンが地面に倒れこんだ時、迷いがあった。
俺は本当にホノンを負かしていいのだろうか?
何千何万という命をホノンが今後救うのかもしれないのに、と。
一度立ち止ってしまうと、前進するために人はより多くの労力を要する。
納めた刀を抜くように、手放した杖を握るように。
迷いを噛み潰して勝負を無理に終わらせようとした。
「馬鹿ホノン!! さっさと立て!!!」
リタの怒声を耳にして思い出した。
半年前の選定戦。俺が初めて勝った試合。
そして、初めてホノンに怒られた時の言葉。
『ッ、ありがとう......ございました』
対戦相手は同じ下宿所の仲間。俺より弱かった。
彼は悔しさに涙を堪え、唇を白くなるまで噛んでいた。
彼は選定戦で指名されることに憧れていた。
今まで何度か参加してきたが、一度も戦えずにいた。
選定者に見どころ無しという烙印を押されるようなものだ。
『最後、勝つ寸前に手を抜いていたろ』
観客席に戻って胸倉を掴まれ、そう言われたのを覚えている。
ホノンが俺に怒っているのを見たのはそれが初めてだ。
最初はなぜ怒っているのかが分からずに戸惑っていた。
『二度とそんな真似をしないと誓え。
勝者の情けは敗者にとっての屈辱だ。
彼の戦う意志を踏みにじるな』
涙の理由が、負けた悔しさなのか手加減を受けた屈辱なのかは、ついぞ分からなかった。
だが、少なくとも俺は既にホノンに教わっていた。
この
「さあ、第2ラウンドだ!!」
リタとホノンの声が目を覚ましてくれた。
俺は全力で挑むしかない。それしか許されていない。
そして、その先にある未来に淀みの無い結果が待っている。
リタ直伝の魔術を使う時が来た。
「"
リタの登場と過去の行動が、俺とホノンの戦いに新たな火花を生じさせた。
===
隻脚の元塔主候補生リタ=ケレブルム。
能力"
因果の波を捉えることで"日常"と"奇跡"の境界を狂わす能力だ。
未来予知とは、
そんな絵空事はしかし、局所的ならば可能だ。
リタの登場が、水面に波紋を、木の葉につむじ風を与える。
1つ1つの小さなきっかけが対局の大きな結果を生む。
奇跡を生み出すその力が、最終試合の戦況を捉えた。
幾度となく負け続け、魔術を習得して半年のシン。
今まさに拳を受けて敗北を覚悟したホノン。
どちらが勝利すれば、それを"奇跡"と呼べるだろうか。
【Does the Flap of a Butterfly's Wings in Brazil Set Off a Tornado in Texas?】
ブラジルの蝶は答えを知らない。
テキサスの白星のみが知ることを許される。
===
音響魔術"
また、
目の前にホノンがいるこの状況ならば、有用なのは当然後者。
体感と視認情報を摺り合わせることで対象の重心を特定する。
魔術の仕組みは以下の通り。
『超音波発信→反響→超音波受信→構造・密度分布把握→重心の特定』
一度特定した重心はマークされ続け、魔力を込める限り常に分かる。
前傾姿勢を取るホノンの重心を捉え、俺は近接戦に挑む。
壮大な魔術戦から唐突な近接格闘戦へ。
一呼吸を置く暇もなく、俺とホノンは拳や足を交錯させる。
「うぉおおおお!!!」
リタの言葉で復活し、ホノンがノってきた。
普段よりさらに柔軟な動きで積極的に攻めてくる。
これだけの体格差があるというのに劣勢だ。
だが、俺にはまだ手札が残っている。
半年前とは違い、ただやられるだけで終わりはしない。
「"
ディモルブの猿真似。火炎を拳に纏う。
右手を覆う炎の熱気に汗が伝う。
「安、直ッ!」
「......ッ!」
ホノンの拳が俺の頬を捉え、汗が宙に舞う。
直撃と同時に氷魔術が走り、半顔が氷に包まれる。
完全にゾーンに入っている時のホノンだ。
後方に跳躍して炎で氷を溶かすが、同時に蹴りを食らう。
テンポが速すぎて体がついていけていない。
魔力で身体強化をして受けたが、腹に重い衝撃が伝う。
やられっぱなしは癪に障る。
俺は目を見開き、拳を強く握る。
「ぐはァッ!」
重心。トルクにおける r=0 の位置。
即ち、ここにいくら強い力を与えても回転は生じえない。
逆説的に言えば、人体の中で最も安定した場所だ。
安定した場所を叩く。一見すると無謀な攻撃だ。
だが、その無謀な行為は"重心をズラした時"に意味を成す。
最も安定した箇所を揺るがすことで全身を不安定な状態にさせることができる。
俺の浅はかな推測は的中した。
ホノンの身がビクリと震え、動きが鈍くなる。
追撃を狙って近接した瞬間、ホノンの口元が歪む。
「"
俺は吹雪の直撃を受け、その威力に歯を食いしばる。
今まで散々警戒してきたのに、モロに食らってしまった!
初戦で"
ホノンの放つ吹雪を受けると体が内から鈍重になる。
病原体が体を侵食するかのように、冷気が身を蝕むのだ。
「ゾフラが言ってたろ!
"生物は何かに集中してる時が一番弱い"!!」
マズい、体が上手く動かせない。
誘いに乗って致命傷を負った。詰みだ。
ホノンが拳を握り、俺の腹に目掛けて肉薄する。
その瞬間、脳裏に言葉が響いた。
【鏡面の大海を渡る船】
「ッ、ガぁあああ!!!」
鈍った手が震えながら動き、ホノンの拳を掴む。
腹と拳の間に入り込んだ手がクッションとなり、何とか失神を免れる。
ホノンの腕に食らいつきながら頭突きをかます。
「痛ぁッ!!」
互いの額が割れるように痛み、目の端に涙が溜まる。
全身の状態がおかしい。鼓動が狂い、焦点が定まらない。
体温が異常に上下し、魔力が上手く循環させられない。
ホノンも俺もボロボロな状態だ。いつ倒れてもおかしくない。
フラフラとする足を無理やり立たせる。
そして互いに、最後の一手を構える。
この一手に理由はない。ただ自然に思いついた魔術が口を衝く。
魔力が波のように不安定な中、無理やり魔術を形作る。
互いの全身全霊を込めた技が闘技場のすべてを呑み込む。
「"
「"
圧倒的な冷気が、熱気が全身を揺るがす。
吹雪を讃える白薔薇が芽吹き、炎の刃が花弁を切り裂く。
暴風の中で見えたのは、ホノンの歪んだ口元だけ。
「"
人差し指と親指が直角を成す時、指の主の額に魔術が直撃する。
その白い肌が赤く傷つき、後頭部からフィールドに倒れた。
爆発に巻き込まれた俺が立ち上がると、目の前には想像しがたい光景が広がっていた。
フィールドは滅茶苦茶にえぐれ、黒い煙を上げていた。
もうもうと立ち上がる熱い水蒸気の間から倒れた体が覗かれる。
ホノンは意識を失い、立ち上がる気配を見せなかった。
「全主・雪原の塔主選定戦、第2日程最終試合。
その勝者、及び次期全主の塔主......」
胡蝶が奇跡を引き寄せた。
「勝者、シン=ルザース!!!」
惨敗を喫した選定戦から半年。
俺はホノンに勝利し、次期全主の塔主となった。
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―― 第一章 竜生始動編・終 ――
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