第1話 

 イチカは自室のソファで目を覚ました。

 気持ちよくうたた寝をしていたはずが、昔の夢を見るなんてついていない。

 無意識か、意識してか、手には唯一の思い出のネックレスが握られていた。他の品は、全部置いてきてしまった。

「はぁ……」

 イチカは大きな溜め息を吐いて、それから気持ちを切り替えるために自分の頬をぺちぺちと二回叩く。

 イチカは「よし」と呟くと、腕を伸ばして大きく伸びをした。

 窓の外を見ると、もう日が傾いていた。今日もこれから仕事に行かなければならない。

 何でも屋『ソラリス』の店長。それが、今のイチカの肩書きだ。店長といっても、従業員はお掃除ロボットしかいない。事務所もない。

 今日の依頼は『荷物運び』。簡単そうに聞こえるけれど、郵便屋ではなくイチカにわざわざ依頼したと言うことは、荷物か依頼人のどちらかに面倒な事情があるのだろう。

途中で爆発したりしたら嫌だなー」

 そういう危険な荷物は専門の運び屋にでも頼んでほしい。

 イチカは部屋着を脱ぎ、白いYシャツと黒のスカートに着替えた。本当はもっと飾り気のある服が着たいのだけれど、ちゃんとした仕事人に見えるのは、やっぱりこういう格好なのだろうと思うが故に地味に徹することにしている。とはいえ、Yシャツの一番上のボタンは閉めないし、黒いネクタイもゆるゆるだ。決してフォーマルな着こなしとは言えないだろう。

 次は鏡の前で、髪を整える。外巻きのショートヘアをハーフツインに結び、中々言うことを聞かない前髪を指でそっと流せば完成。

 最後に、愛用のライフルに弾を詰め、替えのマガジンと共にラケットケースを模したリュックに入れて背負う。

「準備完了!さて、出発しますか」

 イチカはキートレーから社用車の鍵を取り、指にひっかけてくるっと回してからポケットにしまった。

 履き慣れたショートブーツに足を通し、靴紐をぎゅっと結ぶ。

 ドアを開けて外に出れば、赤い陽はもう半分も見えない。

 鍵がしっかり閉まったことを確認すると、イチカは階段を降りて駐車場へ向かった。カンカンカンと軽く響く足音が、リズムを奏でた。

 コインパーキングには、イチカの社用車の白いライトバン以外停まっていなかった。

 それもそのはず、ここの立地はいまいちで、イチカの住む小さな六階階建てアパート以外住宅も見当たらない。他の建物はというと、常時テナント募集中の半分壊れたビルしかなかった。

 故に、アパート専用の駐車場なんてものもなければ、コンビニさえ見当たらない。

「慣れちゃえば静かで良い場所なんだけどね」

 独り言を呟き、運転席に乗り込む。バッグを助手席に置きエンジンをかけると、車のラジオから陽気な洋楽が流れ始めた。イチカは曲のリズムに会わせ、トントンと指でハンドルをたたく。

 夕陽と洋楽をバックに、イチカの車は夜に向かって走り出した。


 三十分ほど車を走らせ、イチカは依頼人に指定された海辺のコンテナヤードに到着した。

 ほとんど明かりのないコンテナヤードは、いかにも怪しい雰囲気で依頼人の趣味が伺える。

「Cの十七ブロック……十七ブロック……ここか」

 車を降りた瞬間、黒いスーツを着た強面の男たちに取り囲まれた。

 しかしイチカは驚く様子もなく、ただ平然としている。

「あのー、柏木かしわぎさん?って人に依頼されて来た者なんですけどー……」

「柏木の兄貴に?柏木の兄貴がテメエみてえなガキに仕事任せるわけねえだろ!」

 ひとりの男が声高に言う。どうやら彼らは、イチカの依頼人の部下たちらしい。いや、部下というより舎弟と言った方が正しいだろうか。

「ほんとだってば。ほら、確認のメールもあるよ!」

 イチカがポケットからスマホを取り出そうとしたちょうど時。

「おい、何してんだテメエら」

 黒スーツたちとは比べ物にならない程ガラの悪い、屈強な男がイチカたちの間に割って入ってきた。

「か、柏木の兄貴!このガキが倉庫に入ろうとしてたんで追い返そうと……」

「この人は、俺が依頼した何でも屋の嬢ちゃんだ」

「そ、そうでしたか。大変失礼しました……」

 柏木の圧にやられたのか、己の行いが恥ずかしくなったのか、黒スーツの男たちはすごすごと下がっていった。

「すまなかったな、嬢ちゃん。俺の部下が失礼した」

「大丈夫ですよ!それで、今日の依頼って……」

「ああ、説明する。ちっと中まで来てくれや」

 柏木に案内され、イチカは倉庫の中へ踏み入れた。内部は以外にも多少は事務所らしくなっていて、ちゃんと客用の椅子などもおいてあった。

「運んでほしいのはコイツだ」

 柏木が奥から運んできたのは、少し大きめの見るからに怪しい黒のボストンバッグだった。

「コイツを明日の午後2時までに、ここに届けてほしい。できるか?」

 柏木が、住所の書かれたメモを差し出す。

「勿論、任せてくださいよ!」

 イチカは荷物とメモを受け取る。

 荷物は意外にもずっしりしていて、細身のイチカが運ぶには一苦労かかりそうだ。

「報酬は届け先で渡す手筈になっている。これはチップだ、道中で好きな飲み物でも買ってくれ」

「いいんですか?ありがとうございます!」

 思いがけない追加報酬に目を輝かせ、差し出された小振りの茶封筒を受け取る。

「それじゃあ承りました!またのご利用お待ちしてまーす」

 入ってきた時と打ってかわって、ご機嫌な様子でイチカは倉庫を後にした。

 人とは単純なものである。


 イチカは柏木から受け取った荷物を助手席の足元にそっと置く。万が一爆弾だった場合、トランクに入れるより、まだこちらに置く方が助かる確率は高い。何故かというと、もし爆発しそうになった時すぐに外にぶん投げられるから。実際、以前それで助かった。

 柏木から受け取ったメモによると、届け先はここからかなり遠くの山奥にある研究施設だ。

 某インターネットで検索してみると、ホラー映画に出てくる廃病院のような、怪しすぎる見た目をしている。

 実際黒い噂も幾つかあるらしく、有名な女優や政治家が出入りしていただとか、時々大きな爆発音が聞こえるだとか、幽霊みたいのを見たとかなんとか。情報源がネット掲示板なだけに、どれもいささか信憑性に欠ける。

 行きたくないと言うのが本音だが、報酬を投げ出すわけにもいかないし、今後のビジネスに関わるかもしれない。柏木はおそらく裏の人間だ。そんな人からの依頼を断れば、明日どころか今日すら怪しい。

 イチカは大人しく諦め、車を発進させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

太陽とスケープゴート 気海月 @s_sky

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ