第十話 私の主は

「本日はありがとうございました」


「ノエルさん」


 一礼をした後に教会から去ろうとしたノエルに伝えたいことがあったエルシアは彼女に話しかける。


 ちなみに授業を終わった影響からか、現在の彼女は眼鏡を外しており、女性教師エルシアからシスターエルシアへと戻っていた。


「今回の授業でノエルさんは吸血鬼について知ると同時に、吸血鬼と人間の違いについても知ることが出来たと思います。ですので、これはお願いですが———どうか、ベルさんを吸血鬼としてではなく。ベルさんとして、ひとりの女の子として見て欲しいです」


 そんなお願いに対して、どのように返したらいいのか分からずに混乱してしまうが、ノエルはふと主であるベルの事を思い出した瞬間、ふと言葉が浮かぶ。


「はい、任せてください」


 ノエルはあくまでもそう言ってから、天空教会を後にした。


「それにしても。いいのですか? 吸血鬼を見逃すなんて、大司教からなんて言われるか……」


「だってわたしたちの戦う相手は吸血鬼じゃないもの。戦わないならそれに越したことはないよ」


「それは……確かにそうなのですが……」


 エルシアの言う通り、アリア教の者たちにとって、吸血鬼は確かに敵ではない。


 だからといって、あの吸血鬼を見逃してもいいのだろうかと不安にも思う。あの吸血鬼の力は底を知れない。下手をしたら、この世界そのものをひっくり返すことが出来てしまう。


 それ程までの力をあの吸血姫は持っているのだから。


「大丈夫だよ」


 ライブラの身の内にある不安をかき消すようにエルシアは言う。


「ベルさんはそのようなことをする人じゃないよ」


 満面の笑みで彼女はただ一言そう言う。


 吸血姫ベルの力がどれほどのモノなのかは彼女もきちんと把握しているはずだ。それなのに彼女がこのような笑みを浮かべることが出来るのはひとえにベルの事を信じているのだろう。


 事実、あの屋敷をベルに貸しているのもエルシアがベルの事を信じているという表れだろう。


 彼女がここまで信じているのなら自分も信じようと、改めて思ったのか、ライブラの口角が秘かに上がる。


「そうですね」


「うん、そうだよ」


「それじゃあ、シスターエルシア。我々はリビングで食事にしましょうか」


「そうだね。今日の夜ご飯はなに?」


「たしか、シスターメールが送って来たマグロがまだあったので、それとうどんにでもしましょうか」


 それを聞いて、同僚のシスターが突然マグロを送り付けてきたことを思い出したのか、エルシアの顔は一転して苦い顔になる


「メールさん……あの元気のよさはわたしも好きなんだけど……急にマグロを送り付けてくるのはやめてほしいよね……」


「ええ、あのシスターが送るマグロは確かにおいしいのですが……その、処理もいろいろ大変ですので……」


 表情は平時とは変わらないものではありはしたが、内心は相当厄介だと思ってるからか、少しため息をついていた。


                   ---


「おかえり。遅かったじゃない」


 偶然にも玄関の近くを通ったベルはカツン。カツンと優雅な音をヒールで奏でながら、屋敷に帰って来たノエルの元へと駆け寄る。


「はい、ただいま戻りました」


「今日の夜ご飯はなんなの?」


「今日はハンバーグにでもしようかと考えております。あっ。庶民過ぎて、ベル様が嫌だと思われますのなら、もう一度買い物に行ってきますが……よろしいでしょうか?」


 買い物をしている時は朝ご飯はホットケーキを問題なく食べていたことから、なんとなくハンバーグにしようと思ったのだが。王族と高位の方なのに、ハンバーグでもよかったのだろうか? と不安に駆られてしまう。


「いいわよ、ハンバーグで。いいじゃない、ハンバーグ。おいしくて」


 にひひと笑いながら、見せるベルの笑顔。その笑顔からは彼女が人ではなく、永遠の時を生きる吸血鬼であるとは想像することが出来ない。


 その笑顔を見て、教会から帰る時にエルシアが言っていた『どうか、ベルさんを吸血鬼としてではなく。ベルさんとして、ひとりの女の子として見て欲しいです』という言葉をノエルは思い出す。


「(そっか、そうだよね。分かっていたことだけど、このヒトは吸血鬼だけどベル・アステルという女の子なんだ)」


 吸血鬼というこれまで出会ったことのない。未知の存在を知り、ノエルはきっと無意識に恐怖をしていた。


 だけども、エルシアの言葉を思い出したノエルは改めて思った。ただの吸血鬼としてベルを見るのではなく、ひとりの女の子としてベルとして見なければならないと。


「ベル様。急いでハンバーグを作りますので、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」


「ええ、まだお腹は空いてないから。そんなに急がなくていいわよ。それじゃあ、あたしは部屋に戻ってクロノス・ストーリーの続きをしているから。出来たら呼んで頂戴」


 ふああと、少しあくびをした後にベルは自室へと戻っていく。


 彼女の後姿を見て、ノエルは「よしっ」と呟くように言いながら静かに気合を入れる。


「最高においしいハンバーグを作るぞー!!」


 主に影響をされたのか、ベルのようににひひと笑いながら、ノエルはキッチンへと向かうのであった。

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