告白

ㅤ逃げてしまった。

ㅤ紡のルートは無い。無いはずだ。あんなものは知らない。いや、覚えていない。先程見た悪夢のような光景を振り払うように、頭を振る。振り払ってしまった小さな体を思い出し、罪悪感が過ぎる。


ㅤスマートフォンが鳴った。


ㅤ心臓が跳ねる。紡、だろうか。ゆっくりと画面をこちらに向ける。表示された名前は、灯彩ひいろだった。出ようかどうか迷っている間に、指が通話ボタンに触れてしまった。あ、と思うまもなく、『大丈夫ですか!?』と、焦ったような灯彩の声が聞こえた。スマートフォンを耳に当てる。


『先輩、大丈夫ですか! 返事してください!』

『待って、落ち着いて。大丈夫だよ。どうしたの?』

『無事だったんですね! よかった……』


ㅤ向こう側で、息を吐いた様な気配がする。


『ねぇ、先輩。今から会えませんか?』

『今から?』

『困りますよね。やっぱり』

『いや、構わないけど』


ㅤ正直な話、私も今は一人でいたくない。誰かと会って話したい。近くのファミリーレストランの名前を告げると、近くにいるのですぐ行きますとの返事があった。

ㅤしばらく待っていると、ほんの十分程で、灯彩の姿が見えた。二人でファミリーレストランの中に入る。やけに冷房がきいていた。私がココアを、灯彩がレモンティーを頼む。ウェイトレスさんが見えなくなったところで、灯彩が口を開いた。


「先輩、紡さんの家に行きましたか?」


ㅤどうして知っているのだろうと思うが、素直に頷く。


「何を、見ました?」


ㅤ硬い声で問われ、言葉に詰まった。何を見たか。まだ鮮明に焼き付いている生白い腕に、生気の無い自分の顔。何を見たのかなんて、こちらが聞きたい。


「先輩、ごめんなさい。嫌なこと聞いて。答えたくないなら、いいんです」


ㅤ灯彩が俯く。


「いつも、いつもそうなんです。あの人の家に行くと、先輩は居なくなってしまう」


ㅤ悔しそうに唇を噛む灯彩に、思わず手を伸ばす。机の上で握りしめられた手に、右手を重ねた。


「大丈夫。私はいなくなってないよ。灯彩は、何か知ってるの?」


ㅤ紡の家で見たもの。あれについて、何か知っているのだろうか。いつもとは、どういうことなのか。問えば、迷うように視線をさ迷わせた後、ひたとこちらを見据えて、灯彩は口を開いた。


「先輩、驚かないで聞いてください」

「うん」

「ここは、ゲームの中の世界なんです」


ㅤひゅ、と息が鳴る。ゲームの中の世界。そんなことは知っている。だけど、灯彩が知っているはずはない。知っていてはいけないはずのことだ。


「ごめんなさい。頭がおかしいと思われても仕方ないと思います。だけど、本当のことなんです」

「ううん。大丈夫。ちょっとびっくりしただけ、続けて」


ㅤ息を吐く。


「先輩は、自分がこのゲームの主人公だってことを知っていますよね?」

「うん」

「先輩、貴方は、無印、つまり一作目をプレイしたことがあるという設定のキャラクターなんですよ」


ㅤ今度こそ、息が止まったかと思った。私がキャラクターだなんて、一体何を言い出すのだろう。私は神様に言われて、


「先輩は神様に言われて」


ㅤこの世界に転生させられて、


「この世界にやって来て」


ㅤクリアしないと死ぬと言われて


「クリア以外のルートでは死んでしまう」


ㅤそんな、普通の、女子高生で。


「そういう設定の、このゲームの主人公なんです」


ㅤ視界に影が差した。


「お待たせいたしました。レモンティーとココアです」


ㅤ呆然とする私の前に、ウェイトレスさんがココアを置く。受け取ったレモンティーのストローを回しながら、「ごめんなさい」と、小さく呟く灯彩。この子が謝ることではない。


ㅤ私は、踊らされていたのだ。ゲームのシステムに。何が転生だ。何がクリアしないと死ぬだ。全部全部、予定調和だったなんて。ココアを口に含み、ほんの少し冷静になった頭で問いかける。


「さっき無印って言ってたけど、つまり、ここは、違うってこと?」

「はい。先輩が知っているゲームの続編に当たるのがここです。」


ㅤ霧が晴れた気がした。だからどこかいつも違和感が付きまとっていたのだ。ここは、ゲームの世界ではない。


「続編では、僕と、紡さんも攻略ができます」

「紡も……」


ㅤ次々と語られる情報に、頭が着いていかない。


「でも、どうしてそんなことを灯彩が知ってるの?」

「それは……」


ㅤ灯彩は言い淀む。言葉にしづらいことなのだろうか。それとも、言ってはいけないことなのだろうか。


「僕達は、ずっとこの世界を繰り返しています」

「うん」

「覚えてないでしょうが、先輩も」

「うん」


ㅤ繰り返している。ゲームが始まって、クリアして、ゲームオーバーになって。そしてまた始まって。そんなのはおかしくなりそうだけれど、灯彩はその全てを覚えているというのだろうか。


「僕も、初めから全てを覚えているわけではないんです」


ㅤ脳内の疑問に答えるような台詞が渡される。


「ある日、紡さんがおかしくなって」

「紡が」

耀ひかりさんと歩いている先輩を見て」

「待って」


ㅤそれ以上は言わなくていい。聞きたくなかった。私はこの目でその結末を見てきたじゃないか。紡が選んだ、私の末路を。


「私、紡と話してくる!」

「本当に行くんですか?」


ㅤ立ち上がった私を、灯彩が心配そうに見上げる。


「帰ってこられないかもしれないんですよ」

「話さないといけないから」


ㅤ紡と、話をしなければいけない。聞いてくれるかは分からないけれど。選ばなかっただなんて言わないでほしい。過去のことは思い出せないけれど、これだってただの設定かもしれないけれど、私の推しは、親友は、大好きな人は、紡なのだから。

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