第51話 呪われた傷跡

※この物語には、性的描写および暴力、DVに関する描写が含まれます。


 二人は階下の空き教室に入った。相変わらず大きな雨粒が窓を叩き、時折風が不気味な唸り声をあげる。

「とりあえず着替えないと、ホントに風邪ひいちゃう」

 誠也せいやは手に持っていた多希たきのカバンを差し出す。

「そう、だね……」

 多希は相変わらず抑揚のない声でそう言いながら、誠也からカバンを受け取る。その後多希は一旦教室を出て、近くのトイレへ着替えに行った。誠也はその間に教室で着替えを済ませる。


 数分後、多希はジャージ姿で教室に戻って来た。

「誠也に色々話したいことあるけど、時間無いよね」

 誠也が時計を見ると11時50分だった。

「12時の最終バスには乗るようにって言われてるからなぁ……。とりあえず駅までは移動しないとだな」

 二人はとりあえず教室を出て、最後のバスに乗れるよう急いだ。最終バスは混雑すると予想していたが、皆、電車が止まるのを懸念して早く帰ったらしい。二人がギリギリのタイミングで乗り込んだ最終バスには、数えるほどの生徒しかいなかった。

 誠也と多希は二人掛けの座席に並んだ。バスが走り出してからも、多希は窓の外をぼんやりと眺めたまま、何も話そうとはしない。誠也もそんな多希の横顔越しに外の様子を眺める。相変わらず激しい雨が窓ガラスを叩いていた。

 バスが駅に着くと、二人は土砂降りの雨を避けるように、最寄りのハンバーガーショップに入った。


 

「私、誠也にいっぱい謝らなきゃいけないことがあるね」

 トレーを持って席に着くと、早速多希が話し始める。

「まず初めに、リコちゃんにホントなんといって謝ったらいいのか……」

「まぁ、その話はいいよ」

 誠也は半ば諦めていた。実際、えり子にはなんて話をしたらよいか、見当すらついていない状況だった。

「他には?」

 誠也が続きを促す。

「今日、誠也のカバンに入ってた私の体操服。あれね、私がいれたの」

「え?」

 予想だにしない発言に誠也は驚いた。そんな誠也の様子に構わず、多希は話を続ける。

「それにね、真梨愛まりあのリードケースをトイレのゴミ箱に捨てたのも私」

「多希が? なぜ?」

 真犯人による衝撃的な告白に誠也は目を白黒させる目の前で、多希は淡々と事の経緯を話し始める。

「月曜日、私が誠也にLINEしたの覚えてる?」

「あぁ。その後話聞けなくてごめん」

「いや、それはいいんだけど、その時話そうとしていた話」

 多希はおもむろに月曜日の出来事を話し始めた。

 

「私がトイレにいたとき、ちょうどフルートの金澤芽唯めい先輩とファゴットの土屋由奈ゆな先輩が入ってきてさ。私が個室にいるのに気が付かなかったみたいで、洗面所のところで二人が話し始めたのよ」

 芽唯先輩と由奈先輩と言えば、陽毬の言うところの「トリマキ」の2年生である。

「何の話を?」

 誠也が続きを促す。

美羽みう先輩と涼乃すずの先輩の話」

「つまりは、今回の一連の騒動の『首謀者』だな?」

「そう。それでね、芽唯先輩たちの話では、その『首謀者』の二人が実際のところ、何を考えているのかわからないって言うのよ。でも、とりあえず不機嫌そうに1年生とかを無視してるから、自分たちもとりあえず真似ようって」

 これには誠也も驚いた。

「『首謀者』の指示じゃなかったってこと?」

 多希はアイスティーを一口すすると、話を続ける。

「そういうことみたいね。それでね、部長選挙の後、1年生だけでミーティングしたじゃない?」

「あぁ」

「あの時、私、スマホで録音してたんだけどさ」

 誠也は更に驚いた。

「え? 何のために?」

「私が冷静さを失って話の流れを覚えられなくなったら困るから、後から確認できるように」

「はぁ……」

 驚きと関心の入り混じった表情をする誠也の前で、多希は表情を変えず話を続ける。

「あの時の内容をもう一度聞き返してみたらさ、2年生にそそのかされてまりん先輩に投票した1年生はみんな、複数の先輩に時間差で勧誘されているのよ」

「時間差で……」

「そう。例えば関根君は涼乃先輩に言われた後、芽唯先輩にも言われたって言ってた。だからもしかしたら、誰がどの1年生に勧誘したかをきちんと共有していなかったのかなって」

「なるほど。つまりは組織立って動いていないんじゃないかと……」

 誠也は腕を組んで唸った。しかし、一方で疑問も湧いてくる。

「でもさ、それだけじゃ断定できなくない? 何度も繰り返し勧誘する作戦だったかもしれないし」

「そう。だからそれを確かめるために、試しに真梨愛のリードケースを隠してみたのよ」

 誠也は軽く目を見開きながら、話の続きを待つ。

「そしたら案の定、『トリマキ』たちも混乱したみたいでね。挙句に依織いおり先輩がリードケースを見つけちゃったって訳」

 依織先輩とは、「トリマキ」メンバーで、かつ「首謀者」の美羽先輩と同じクラリネットパートであることから、比較的「首謀者」に近い存在である。

「なるほどね」

 多希の口から紡がれる話はどれも誠也にとって驚きの連続だったが、一方でこれまで誠也の中で違和感を覚えていたいくつかの事象が、点と点を結ぶがごとく繋がっていった。

 

「更に、ちょっと不思議なことがあってね」

 誠也はこれまででも十分な情報量だと感じていたが、まだ何かあるらしい。誠也は黙って多希に続きを促した。

「そのあとくらいから、由奈先輩の態度が少し変わったのよね」

 ファゴットの由奈先輩は、オーボエの多希と同じダブルリードパートとして接点がある。

「態度が変わったとは?」

「うーん、なんて言うか、少し優しくなったのよ。それで、ちょっと注意深く観察してたら、どうも私がでっち上げた『リードケース事件』について、首謀者はトリマキの誰かが犯人だと思っているっていうことと、それをあまりよく思っていないっていうことが見えてきたのよ」

「なるほど。だから、美羽先輩に比較的近い由奈先輩は、これ以上はやり過ぎだと察知して、態度を軟化させたって訳か」

 誠也は合点がいった。

「だから、更にその予想を確信に変えたくて、今度は『体操服事件』をでっち上げたのよ」

 さらりとそう語る多希に、誠也は思わず目を見開いた。

「そこまでする必要あるか? 危険すぎるだろ」

「でも、私の呪われた血が暴走するのを止められなかった」

 そう言って多希は両手で左胸のあたりを抑える。その様子を見た誠也は、先ほど直接触れた多希の胸の傷を思い出し、思わず眉間にしわを寄せた。そんな誠也の様子を気にせず、多希は続ける。

「さっき、廊下で優奈ゆうな先輩と亜純あすみ先輩に声を掛けられて、思わず怖くなって逃げだしたけど、これでよくわかったわ。優奈先輩と亜純先輩は、きっとリードケースの件も今日の体操服の件も、『トリマキ』の誰かがやったと思い込んでる。そして、美羽先輩たちがそのことをよく思っていないことも知らない」

「つまりは、『トリマキ』の中で統制がとれていないことが確信できたと」

「そういうことね」

 そう言うと、多希は再びアイスティーを一口すすった。


「ちなみに何で体操服を隠したの、俺のカバンだったんだ?」

「だって、誠也も私と真梨愛と同じく、連中に目を付けられるだけの十分な理由があるでしょ?」

 誠也は思わず苦笑しながらも、改めて多希の分析と行動に舌を巻いた。

 

「しかしさ、多希が身をていしてまで事の真相を明らかにしようとするその気持ちには感服するけど、やっぱりそれって危険なことだよね。下手したら多希が標的にされる可能性も高いわけだし」

 誠也がそう諭すと、多希は先ほどまでとは打って変わって、伏し目がちに言う。

「私は元々嫌われ者だからいいけど……、今日は誠也とリコちゃんを傷付けてしまった……」

 誠也はため息をつきながら答える。

「まぁ、それは結果論だから良いけど、多希自身の事も大切にしなくちゃ」

「わかってはいるけど、私の中に巣くう悪魔の呪いが疼くの」

 多希はそう言って、ジャージの左胸の辺りをギュッと握りしめた。


 誠也は返す言葉に困り黙っていると、多希が再び話し始める。

「私ね、ここにも傷があるの、誠也気付いてた?」

 そう言って、多希は左腕を差し出した。誠也が言われた通り多希の腕を見ると、左腕の内側に、縦方向の傷があった。誠也はふと、えり子の左腕にも多希と同じ個所に傷跡があることを思い出したが、それは彼女の不注意によるやけどの跡だ。多希のは明らかに違う。

「これは?」

 誠也が問うと、多希ははにかみながら答える。

「まぁ、俗にいう、リストカット?」

 それを聞いた誠也は、思わず素朴な疑問をそのまま口にする。

「俺、無知で申し訳ないんだけど、リスカって手首を横に切るイメージがあるんだけど……」

 多希は左腕を縦方向に伸びる傷跡を、右手の人差し指でなぞりながら答える。

「そうね。でもその時は、私の中に父親由来の呪いの血が廻っているのが本当に嫌で。だから、その血を抜きたくて、血管に沿って……」

 

 誠也の顔が青ざめていくのを認め、多希が話すのを止める。

「あ、ごめんなさい」

「いや、俺の方こそごめん。なんかリアルに想像しちゃって。えっと、ちなみにそれはいつの話?」

「ちょうど去年の今頃かな。東日本ダメ金で結局全国行けなくて。部活引退して、することもなくて。将来の不安もあってさ……」

「そうか……」

 誠也はそれ以上の言葉を紡ぐことができなった。

 

「ありがとう」

 少しの間をおいて多希が突然微笑みながら礼を言う。

「え?」

 何に対して礼を言われたのか分からない誠也は戸惑った。

「誠也はいつもそう。真剣に話を聞いてくれて、だからこそ無理して適当な言葉を言わない。だから安心して話せる」

 (ただ単に言うべき言葉が見つからないだけだよ)

 誠也はそう心の中で呟くと、恥ずかしさを隠すため話題を変える。

「月曜日に多希からLINEもらった時点で、俺が話を聞いていればこんなことにならなかったのにな」

 誠也は視線を落としながら呟く。

「私はあの日、話が出来なくて良かったと思う」

「なんで?」

「だって話をしたら、誠也絶対止めてたでしょ?」

「そりゃそうだよ。こんな危険な事」

 多希は飄々と続ける。

「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』よ」

「『君子危うきに近寄らず』とも言うんだよ」

「私は聖人君子ではないわ」

 そう言ってしかめっ面をする多希の顔を見て、誠也は思わず笑った。きっと月曜日に誠也が何を言ったとしても、多希は計画を実行していたであろう。それを見た多希もつられて笑顔を見せる。

「今日多希から聞いた件、まりん先輩に話しても良いか?」

「構わないわ。私もとりあえず確かめたい事は分かったし、まりん先輩が戻ってきて風向きがどう変わるか、暫くは静観するつもりだから」

 

 

 その後、食事を済ませた誠也と多希は、店を出て駅に入った。ホームに降りると既に電車が到着しており、折り返しの出発時刻を待っている。大雨のせいか、人影もまばらだ。二人が乗り込んだ車両には他に誰も乗っていなかった。

 座席に並んで座ると、多希は大きなため息をついた。

「あぁ、疲れた」

 そう言って多希は誠也の左肩に体を預けた。

(充電か。久しぶりだな)

 誠也はふと、みかんの言葉を思い出した。

 

(いつ、えり子に見られても良い範囲にしたおきなさい)

 

 思わず誠也は周囲を見回すが、同じ車両に人の気配はない。しかし先ほどの、学校の階段での場面を思い出す。えり子は一見、いつも通り飄々としていたが、穂乃香の絶句した表情が事態の深刻さを物語っていた。

 

(俺から離れるべきか?)

 そう誠也が考えていると、不意に多希から身体を離した。

「ん?」

 誠也の心中を察したのか? わからぬまま誠也が怪訝そうな顔をして多希を見ると、多希は言った。

「ごめん、なんか油断するとつい、生きる希望を見出しちゃう」

 誠也は驚いていった。

「生きる希望なんて持って当然じゃないか」

 多希は少し笑って言う。

「言ったでしょ? 私には邪悪で穢れた血が流れているの。こんな血は早く絶たれなければならないのよ」

 そう言って、右手で左腕の傷跡をなぞった。

 

「それでも、多希には生きる希望を持つ権利があるでしょ?」

 誠也は諭すように言う。

「じゃぁ、誠也がこの私の呪いを解放してくれるというの?」

「解放? まぁ、俺にできる事なら……」

 それを聞いた多希は、おもむろにジャージのファスナーを下ろした。そして先ほどと同じように、誠也の右手を掴むと、ジャージの中に着ている体操服の上から、誠也の右手を自身の左胸に当てた。すると誠也はその柔らかい感触にたじろいだ。

 

「多希、下着は?」

「ずぶ濡れで気持ち悪いから外した」

 

 誠也は思わず右手を引っ込めた。多希はそんな誠也を睨みつけながら言う。

 

「私の全てを受け入れてくれる覚悟がないのに、中途半端に優しくしないでよ!」

 

 誠也はハッとした。これはまさに以前、みかんに忠告された言葉そのものだった。

「ごめん」

 誠也が力なく謝ると、多希は何も言わず、ジャージのファスナーを上げ、左胸のあたりをぎゅっと握りしめたまま、目を逸らした。やがて電車が走り始めても二人に会話はなく、気まずい時間だけが流れる。誠也は何を言っていいかわからず、ただ俯いていた。

 

 多希の降りる駅が近づいてきたころ、多希が口を開く。

「私の身勝手だってわかってる。でも、ごめん、もうこれ以上誠也の事傷つけたくないから、私に関わらないで」

 そう言って多希は席を立った。

 

「俺の方こそ、上手くできなくてごめん」

 多希はそれには答えずに、電車の扉が開くと降りて行った。誠也はその背中を目で追っていると、電車の扉が閉まった。誠也にはその閉まる扉が、あたかも誠也を拒絶する多希の心理を表しているかのように感じられた。

 

 再び電車は走り出す。その車内で誠也は一人、どうすればよかったのかを考えたが、答えは見いだせなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る