第39話 穏やかな日々
8月27日、日曜日の夕方。
「はにゃ! 片岡、お疲れ~」
駅に着くと、既にいつものコンビニの前にえり子が立っていた。
「おぉ、お疲れ」
二人は合流すると、早速改札口の方へ向けて歩き始める。
「ねぇ、片岡。今日は何してたの~?」
ホームに上がって電車を待っていると、えり子が笑顔で誠也の顔を覗き込む。
「う~ん、何って言うほどのことはしてないかな。雑誌読みながら、音楽聴いたり」
「ほへ~! 夏休み最後の日曜日なのにもったいない!」
えり子は目を丸くして驚いた。
「そうか? 俺なりに充実した休日だったと思うんだけど……」
「音楽って、何聞いてたの?」
「あぁ、今日は、アルフレッド・リードの組曲を1番から順番に聴いてたかな」
「ほげぇ~、片岡らしいね! 相変わらず部活が無い日も吹奏楽三昧なのね」
そう言って笑うえり子に、誠也はしかめっ面をする。
「ほっといてくれ。そう言うえり子は今日、何してたんだ?」
「今日はね、ペットショップで水槽買ってきてね、セッティングしてた~」
「水槽?」
誠也が首をかしげる。
「うじ。昨日の金魚、飼うの~」
えり子は満面の笑みで答える。
「わざわざ水槽買ったのか? お祭りの金魚なんてすぐ死んじゃうだろ」
「もにゃ~! そんなかわいそうなこと言わないで! ちゃんと、育てるんだから!」
「じゃ、今頃あの2匹は優雅に新居で泳いでいるわけか」
「ううん、まだだよ。お水調整しなきゃいけないんだって。だから、まだバケツの中にいる」
「へぇ~。金魚飼うのも奥が深いんだな」
誠也は思わず感心した。恐らくえり子の事なので、ネットで色々調べて丁寧にやっているのだろう。
「うじ。まさに、
ドヤ顔で言うえり子に、誠也は冷たい一瞥をくれる。
「……おい、面白くねぇぞ」
「うにゃ~!」
18時。潮騒駅近くのスタジオ「
「そうだ、忘れてた! 先に9月9日の予約しちゃおうか!」
「ヤマさん、すみませ~ん!」
受付で陽毬が呼びかけると、奥からオーナーのヤマさんが出てきた。
「おう、どうした?」
「スタジオの予約したいんですけど」
陽毬がそう申し出ると、ヤマさんはPCを操作する。
「いつだい?」
「9月9日の夜7時から10時までです」
「土曜日だな。……あぁ、まだ空いてるよ」
それを聞いた皆は、安堵した表情で顔を見合わせた。
「いつもの部屋で良いのか?」
「はい! おいくらですか?」
陽毬が問うと、ヤマさんが暫し考え込む。
「う~ん、一応3時間だから一万二千円なんだけど……、まぁ、今回は学割ってことで、五千円にまけてあげるよ。どう?」
「お~!」
ヤマさんの提案に、一同感嘆の声を上げる。半額以下の大サービスだ。
「五千円ってことは、一人当たり……」
陽毬がスマホを取り出し計算を始めると、ヤマさんが渋い顔をしながら言う。
「わかったよ、四千九百円にしてやるよ。7人で割れるだろ?」
「ありがと~、ヤマさん!」
笑顔で礼を言う陽毬に、他の6人も続いた。
またしてもヤマさんのご厚意により格安で無事スタジオを予約した7人は、部屋に戻り練習の準備を始める。
「ひまりん、今日は何からやる?」
「そうね、今日は『夏祭り』からまずやるかな」
「おっけ~」
誠也と奏夏以外の5人は早速ウォーミングアップを始める。
「そんじゃいくね~」
30分後、柚季のカウントで曲が始まる。始まった途端、えり子はまるで何かに取り憑りつかれたかのように、切ない表情でこの曲の主人公を演じる。そして頭サビが終わって曲がテンポアップすると、今度はスタジオの黒い壁に向かって、手を振り、レスを送る。相変わらずえり子には当日のステージの観客が見えているのだ。
そんなえり子のパフォーマンスを、前回欠席した奏夏は目を白黒させて魅入っていた。誠也も二回目ではあるが、観る者を魅了するえり子のステージに引き込まれたが、どこか今日のパフォーマンスには妙な既視感を覚える。
(そうか! この曲、昨日のえり子、そのまんまだ!)
誠也はそれに気づき、急に笑いがこらえられくなった。
「おっけ~! リコ、今日も絶好調だね~」
曲が終わるなり、陽毬が笑顔でえり子のパフォーマンスを称えた。
「誠也、なんで笑ってたの?」
奏夏が不思議そうな顔をする。
「いや、昨日さぁ……」
誠也が答えようとすると、えり子が察して遮る。
「ちょっと、片岡~!」
「いいじゃん! 昨日さ、えり子と中学校の時の友達と4人で地元の夏祭りに行ったんだけどさ、その時のえり子がこの曲のまんまなのさ」
「え? どうゆうこと?」
陽毬が興味津々に続きを促す。
「初めは綿あめとか買ってご満悦だったんだんだけど、金魚すくいやりたいって言いだしてさ。それでやったら案の定、浴衣びしょびしょにしてさ」
「リアルに想像つく~!」
そう言って笑う
「その後、中学校時代からあまり仲の良くなかった友達が見えたら、えり子逃げちゃってさ」
「うける~!」
奏夏が腹を抱えて笑っている。更に誠也は調子に乗って話を続ける。
「しかも、その友達に名前が、一人はひかりって言うんだけど、もう一人が
「リコが璃子を避けたんだ~」
陽毬がそう言うと、一同は爆笑した。しかし、えり子も負けてはいなかった。
「ねぇ、片岡。この曲の通りってことは、やっぱり昨日、私の事好きだって言い出せなかったってこと?」
えり子はいつものいたずらっぽい笑顔で完全に態勢を立て直していた。
「え? おい、それは違うぞ!」
えり子の不意打ちで一気に形勢を逆転された誠也は、不覚にも動揺してしまった。それをまた皆が爆笑する。
「さすがリコ、誠也一本取られたね」
そう言って奏夏が誠也を慰めつつも、笑いをこらえ切れてはいなかった。
昨夜の夏祭りの話題が落ち着くと、いつも通り先ほどの演奏を撮ったビデオをチェックする。センターでヴォーカルを担うえり子のパフォーマンスに隠れてしまっていたが、現役アイドルの陽毬はもちろんのこと、萌瑚、
本番まであと2週間。そのうち何回練習ができるか分からないが、このまま伸びていければ、文化祭当日はかなり高いパフォーマンスが期待できるのではないかと誠也は感じていた。
♪ ♪ ♪
夏休みの最後の週は、とても穏やかに過ぎて行った。そして、8月31日、ついに夏休み最後の日を迎えた。この日もいつも通り練習を終えて、いつも通り、帰りのミーティングが始まった。もちろんいつも通り、部長の友梨先輩が前に立つ。
「今日で長かった夏休みも終わりです。明日から2学期が始まりますが、明日は始業式で授業はないので、音楽室はこのままで構いません。ですが、各パートでこの夏休み中、パート練習などで使った教室は、帰る前に机や椅子が乱れていないか、また忘れ物が無いかを必ずチェックしてください」
「はい!」
友梨先輩の凛とした声に続き、部員たちの返事がいつものように音楽室に響き渡る。
4月に誠也たちが入部してきてから、ほぼ毎日のように繰り返されてきたこの光景も、もう少しで見納めとなる。明日には2年生の中から新しい部長が選出され、10日後には3年生の先輩方が引退。翌11日からは1・2年生のみとなる。いつも通りの見慣れた光景が、たったの11日後には見られなくなるとは、頭ではわかっていても全く実感の湧かない誠也だった。
「パート練の教室、俺たちで見てきますね」
トランペットパートの1年生を代表して、
「そうか、悪いね。じゃ、せっかくだから任せるわ~」
直樹先輩の笑顔で見送られ、誠也たちトランペットパート1年生の5人は、この約1ヶ月半お世話になった教室を確認しに出かけた。
「あれ? なんか集まってるけど、どうしたんだろう?」
先頭で廊下を歩いていた
「どうしたの、リナ?」
後ろを歩いていたえり子が恵梨奈の視線を追うと、フルートパートが使っていた教室で陽毬たち1年生が何やら盛り上がっている。
「ひまりん、どうしたの~?」
廊下からえり子が声をかけると、陽毬がパッと振り返る。声の主を認めると、手招きをした。
「ちょうど良かった~、ちょっと見てみて~」
誠也たちは陽毬に招かれるままに、教室に入った。
「これ、何だと思う?」
フルートパートの
「何かの暗号?」
首をかしげる颯真の横で、えり子は目を輝かせる。
「ふぉ~! ハルチカ♪」
「誠也くん、こういうの解くの得意そうじゃない?」
果穂が誠也に半ば無茶ぶりをするが、誠也はそのノリを受けて、わざとらしく真面目ぶってホワイトボードに書かれた音符を見る。
【♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪】
ホワイトボードには八分音符が7つと3つに分けて書かれている。
「これは……」
誠也が考察を言いかけると、皆が誠也の発言に注目する。
「……多分、適当だな」
誠也がそう言うと、皆期待の反動でズッコケそうになった。
「ちょっと~、期待させといて~」
「まぁ、真面目に答えると、きっとこれを書いた人は音楽にあまり詳しくない人だと思うんだよ」
「なんで~?」
誠也の考察に果穂が問う。誠也が続ける。
「うん。例えば、8分音符が7つと3つに分かれて書いてあるけど、何拍子かわからないし、それに普通は八分音符を複数書くなら一つずつ旗を付けないで、棒で括るよな」
「確かに」
誠也の真面目な解説に、一同納得した。
「結論。きっとこれはいたずら書きだよ」
そう言う誠也にただ一人、えり子だけ納得のいかない表情をしている。
「うにゃ~、なんか夢が無くてつまんないな~」
「じゃ、えり子は何か思い浮かぶか?」
誠也に問われ、えり子は必死に考える。
「タタタタタタタン、タタタンでしょ? う~ん……」
「なんか『お値段以上、ニトリ』みたいだね」
穂乃香が笑いながら歌う。
「あ、きっとそれかも!」
誠也も笑いだす。
「よし! 解決したところで解散!」
颯真の合図で、謎解きは終了となった。
帰りのスクールバスの中。いつものメンバーで他愛もない話をしていると、えり子が不意に思い出したように声を上げた。
「あっ、わかったよ、ひまりん!」
突然名前を出された陽毬は驚く。
「え? 分かったって何が?」
「さっきの暗号。あれ、とーま先輩だよ」
目を輝かせているえり子に、誠也は怪訝そうに問う。
「誰だ、それ?」
「この前、ひまりんが堕とした先輩!」
えり子が嬉々としてそう言うと、陽毬も笑顔で答える。
「あぁ、確かにその可能性はあるかもね。メッセージは解読できなかったけど」
どうやら誠也以外のメンバーはそれで腑に落ちたらしい。誠也にとっては若干後味の悪い感じだったが、あまり気にすることもなかった。
かくして、色々あった誠也たちの高校生活初めての夏休みも、終盤は穏やかに幕を閉じた。
そして、また明日から、新学期が始まるのであった。
※このお話は、著者の拙作「開け! 異世界への扉 第17話 8月29日(火) 熱暴走」とリンクしております。そちらも合わせてご笑覧賜れば幸いです。
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