第32話 ラスト一週間
「はぁ~」
夜、湯船につかった
今日は7月29日、土曜日。今週は本当に色々なことがあった。いや、「今週も」と言うべきだろうか? 高校に入って日々、良いことも悪いことも含め、本当に色々なことが起こる。そう思うと、誠也は思わず苦笑した。
月曜日は文化祭に向けて結成したバンド、「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」の初めての練習だった。そこで見た
週の中盤は、まさかの合奏中止。部員それぞれにもちろん要因はあったであろうが、メインは一部の2年生による怠慢。これにより、合奏に参加していない1年生も含め、部活内に不協和音が広まってしまった。
その後、パートリーダーやコンクールメンバーのミーティングが重ねられ、木曜日からヤマセンの合奏は再開した。それぞれのミーティングの場でどのようなディスカッションが行われたのか、誠也たち1年生は知る由も無かったが、万事が解決したとは思えず、このことは今後の部活運営に禍根を残しそうだ。
誠也が風呂から上がると、両親がリビングで晩酌を楽しんでいた。
「風呂から上がったよ」
「おかえり。お茶飲む?」
そう言って、母親が席を立つ。
「ありがと。もらうわ」
誠也は入れ違いにテーブルにつく。
「おぉ、誠也もビール飲むか?」
父親が上機嫌でビールの缶を誠也の前に掲げる。
「飲めたら苦労しねぇよ。大人っていいよな、酒飲んでリフレッシュできるからな」
誠也は酔っ払いの父親に半ば呆れながらも、羨ましくもあった。
「父さんが高校生の頃は、よくススキノで飲んでたぞ」
「いつの話だよ!」
「まぁ、昭和の話だけどな」
「いいよ、そういう昔の武勇伝は」
そう言いながら誠也はテーブルに広げられている柿の種に手を伸ばす。
「まったく、お父さんったら。その頃から飲み歩いてたのね」
母親が誠也に冷たい烏龍茶のポットとコップを出し、再びテーブルにつく。
「ありがと」
誠也は早速、コップ1杯の烏龍茶を一気飲みして、風呂上がりの喉を潤した。
「そう言う母さんだって、若いころから酒飲んでたんだろ?」
そう言う父親に一瞥をくれながら母親が言う。
「失礼ね、私は
(ダメだ、両親どっちに似ても俺は酒飲みになるな)
誠也はそう心の中で呟いた。
「ところで誠也、お盆はどうするの? もう先にチケット取っちゃったけど」
そう言えば、お盆の帰省のことを決めるよう言われていたのを誠也はすっかり忘れていた。
「あぁ、札幌?」
「ううん、今年は秋田よ」
誠也の父親は札幌出身、母親は秋田出身である。片岡家では札幌から潮騒市に引っ越してきて以来、毎年交互に帰省することにしていた。そう言えば去年は札幌だった。
「まだ、わかんないんだよね。8月5日のコンクールで本選行ければ12日までなんだけど。母さんたちはいつ行くの?」
「私たちは11日に行って、17日に帰ってくるわよ」
「わかった。じゃ、もし本選行くことになったらネットで新幹線のチケット変更するから、まだ発券しないでおいてよ」
そう言いつつ、誠也は複雑な心境だった。村上光陽高校吹奏楽部の実力からして本選は確実だと思っていたが、最近の部の状況を見ていると、正直厳しいかなとも思っていた。
誠也は暫く両親の晩酌に付き合った後、先に自室に戻った。明日も休みの両親に遅くまでは付き合っていられない。
日付が変わる直前、陽毬からLINEが届いた。
【明日、
誠也が返信を早速返信を送ろうとすると、すぐにえり子から「OK!」のスタンプが送られてきた。誠也が同じく「OK」と送ると、瞬く間に全員からの参加表明があった。明日はどんな練習になるのか? 期待しながら誠也は眠りについた。
♪ ♪ ♪
翌30日、日曜日。朝9時にいつも通り、部長である
「いよいよ、コンクール本番まで、ラスト一週間となりました。泣いても笑っても、次の土曜日が本番です。最後の一週間、1日1日を大切に、練習に励んでいきましょう」
「はい!」
約90名の部員たちの気合の入った声が、今日も音楽室に響いた。
部のクラウドに上がっている週間予定表では、本番3日前の8月2日までは、これまで通り午前中パート練、午後合奏の予定が続く。そして、本番2日前の8月3日は午前・午後共に合奏。本番前日の8月4日は午前中合奏、午後は空白となっている。状況次第で午後は練習が無くなるかもしれないとアナウンスされていた。
ラスト一週間。ここからは、本番にベストのコンディションで臨めることを第一に考えて進めていかなくてはならない。ここで過度な練習をして唇を壊しては大変だ。パフォーマンスの向上にはバランスが求められるため、練習もより慎重に進められていく。
が、しかし、それはあくまでコンクールに出場するメンバーの話。誠也たちコンクールメンバー以外の部員たちは、この時期、別の試練が待ち構える。そう、自身の集中力との戦いだ。
誠也たちにとって、当面の目標は9月の文化祭となる。が、文化祭のステージの事だけを考えるのであれば、あまりにも練習時間が長すぎる。当然、集中力が切れてしまうことも多々ある。本来、実力をつけるにはまたとないチャンスなのだが、なかなかそうもいかないのが人間の悲しい性である。
そう言った意味では、誠也たちトランペットパートの1年生は、これまで比較的真面目に練習に取り組んできたほうであろう。5人とも元々真面目な性格であったことに加え、初心者である
午前中のパート練習は、いつものように各自の音出しから始めて、5人での基礎練習。その後は個人練習。そこそこに休憩を入れつつ、充実した練習が続く。
午後もこの調子でと、考えていた誠也であったが……。
「……なんだ、その恰好は?」
午後のパート練習に現れたえり子の姿に、誠也は眉をひそめた。手には何かがパンパンに詰まったレジ袋を持ち、この暑い最中、腰にひざ掛けの様なブランケットを巻き付けている。
「これには深い訳がありまして……」
そう言って、えり子はブランケットを巻いたまま、椅子に座る。
「深い訳?」
恵梨奈が不審そうに聞くと、えり子は事の顛末を話し始めた。
コンクールが間近になり、最近部内ではコンクールには出場しない部員が、コンクールに出場する先輩の楽譜に、応援メッセージを書くことが流行っていた。
誠也たちトランペットパートの1年生も、今日の昼休みに、直樹先輩ら6人の先輩の楽譜に、「頑張ってください!」などと言った応援メッセージを書いたばかりだった。えり子も一緒に書いていたのだが、まりん先輩の楽譜にはいたずら書きをしたらしい。
「いたずら書きって、何書いたのさ?」
誠也の問いに、えり子は目をそらしながら続きを話す。
楽譜には所々、A、B、C……といった練習番号が振られている。えり子はまりん先輩の楽譜の練習番号に、Aのところには「今ココ」、Bには「この夏の目標」、Cには「ここまで行ったら最高!」、などと明らかにまりん先輩の胸の大きさを
「そしたら、まりん先輩、めっちゃ怒ってさ」
「当たり前だろ! で?」
誠也は呆れながら、話の先を促す。
「まりん先輩に追いかけられて、屋上まで逃げたんだけど、捕まってさ。羽交い絞めにされたあと、めっちゃ
「で?」
「……お漏らししちゃった」
「はぁ?」
開いた口が塞がらない誠也をよそに、恵梨奈と颯真は腹を抱えて爆笑していた。穂乃香は一応心配そうにはしていたものの、あまりにも馬鹿げた話に失笑は禁じ得ない様子だった。
「じゃ、お前、今その下、何も履いてないのか?」
誠也が思わずそう聞くと、えり子はあっけらかんと答える。
「まりん先輩が履いてたスパッツ奪って履いてきた」
「ごめん、もう話についていけない」
ここまで辛うじて真面目に話を聞いてきた誠也は、ついに
「私がお漏らししちゃった後、まりん先輩、めっちゃ慌てて、すんごい謝ってくれてさ」
「それで?」
誠也の代わりに恵梨奈が興味津々に先を促す。
「その様子があまりもおかしかったら、私もついつい大笑いしちゃって。それでも先輩がめっちゃ謝って、どうしようって慌ててるから、『じゃ、先輩の今履いてるスパッツ貸してください』って」
「なんで、リコ、先輩がスパッツ履いてるって知ってたの?」
今度は穂乃香が聞く。
「あ、それは『まりん先輩、黒のスパッツ履いてる』って、片岡から聞いてたから」
「ふざけんな! 頼むから俺を巻き込まないでくれ!」
たまらず声を荒げる誠也に、穂乃香が目を丸くする。
「えー? 誠也、まりん先輩のスカートの中、覗いたことあるの?」
「この前、まりん先輩が廊下に座り込んでたから、たまたま見えちゃっただけだよ!」
誠也はふくれっ面で答える。
「まぁ、そんな感じで、その後先輩とトイレ行って、スパッツ借りて帰って来たってわけ」
相変わらず、あっけらかんと話すえり子に、穂乃香は感心する。
「リコ、すごいな。私だったらその場で泣いちゃって、暫く立ち直れないかも」
「穂乃香の方が普通の感覚だよ」
たまらず誠也がツッコミを入れる。
「というわけで、ちょっとスカートとパンツ、洗ってきま~す」
そう言って、えり子はレジ袋を持って、教室を出て行った。どうやらその袋に洗濯物が入っていたらしい。
「誠也、リコのこと、ちゃんとフォローしてあげてね~」
えり子が教室から出て行くと、先ほどまで腹を抱えて笑い転げていた恵梨奈が、少しだけまじめな顔をしてそう言った。
「フォロー?」
「うん。多分リコ、まりん先輩を気遣って、わざと明るく振舞ってるんじゃないかな。普通だったら穂乃香が言ったとおり、その場で泣き出しちゃうよ」
それを聞いて誠也はハッとした。確かにえり子ならそう考えかねないと思った。
「まぁ、今回の場合は、えり子が自分で蒔いた種だけどな」
そう言いながら、自分にできるフォローとは何かを考え始める誠也だった。
誠也たち4人が音出しを始めていると、えり子がパート練習の教室に戻って来た。えり子は椅子を窓際の日の当たる場所におくと、背もたれの部分に濡れた制服のスカートをひっかけた。そしてその横に譜面台を立てると、今度はパンツとスパッツをひっかけて干し始めた。
「あの、えり子さん? ここには男子生徒もいる事をお忘れでは?」
見かねて誠也がたしなめるが、えり子はいつものひまわりのような笑顔で答える。
「非常事態だから許して~。帰りまでに乾かないと、私ノーパンで帰ることになっちゃうから~」
「……もはや、俺たちへのセクハラだよ」
何度目かのため息をつく誠也を横目に、颯真が呆れて呟く。結局、男子2名はえり子の洗濯物を背にして座ることで妥協した。
幸い、えり子の干した洗濯物は真夏の太陽に照らされて、パート練習の終わる4時半までには概ね乾いたようだ。えり子もトイレで着替えを済ませ、音楽室に戻った。
誠也とえり子が音楽室の隣の教室にいったん荷物を降ろして、後片付けをしていると、まりん先輩が改めてえり子に謝罪にやってきた。
「リコ、今日はホント、ごめん。私がやり過ぎた」
えり子の為にも苦言の一つや二つ、呈そうと思っていた誠也だったが、こんなに心底申し訳なさそうしにているまりん先輩を見るのは初めてで戸惑った。
「まりん先輩ったら、もう大丈夫ですって! あ、片岡! まりん先輩のスカートめくるなら、今がチャンスだよ! 今、先輩、生パンだから」
そう言って、えり子は誠也に、いつものいたずらっぽい笑顔を見せる。
「ちょ、そ、それは勘弁!」
途端にまりん先輩が慌てるのを見て、きっとえり子は笑いに昇華させたいのだと、誠也はその意図を理解した。
「あれ、まりん先輩。この前は『パンツくらい、いくらでも見せてやる』って言ってませんでしたっけ?」
誠也もえり子に負けないくらい、いじわるな笑顔を作る。
「ごめん、誠也。今日はホント、ダメ。明日、見せるからっ! 約束するから!」
「え? 何で明日?」
誠也はが思わず聞き返すと、まりん先輩は恥ずかしそうに答える。
「今日は、その……、あんまり可愛くないの履いてて……。明日はちゃんと、可愛いの履いて来るから」
予想外のまりん先輩の言い訳に誠也とえり子は顔を見合わせ、その後思わず噴き出した。
「じゃ、先輩、約束ですよ」
誠也はとりあえずそう返して、音楽室に戻った。
部活が終わり、誠也がえり子たちの帰り支度が終わるのを待っていると、再びまりん先輩が誠也に謝ってきた。
「誠也、今日はホントごめんな。えり子のこと、傷つけた」
「まぁ、正直、相手がえり子だから笑って済みましたけど、他の子だったらヤバかったかもしれませんね」
「ホント、それな。申し訳ない」
まりん先輩はそう言って、うなだれてた。
「まぁ、でも今回の発端はえり子のいたずらですからね。あいつも随分まりん先輩に失礼なことをしたわけですから、両成敗ってことで」
そう言って誠也が笑うが、まりん先輩は、力なく再び謝った。
「ホント、ごめん」
「あ、あと俺、先輩の勝負パンツには興味ないんで、さっきの約束、無しでいいですから」
誠也がいたずらっぽい顔でそう言うと、まりん先輩は少し目を見開く。
「興味ないって言われると、なんか逆にショックなんですけど~」
誠也はようやく少し戻って来たまりん先輩の笑顔を認めて、安心した。
「じゃあ、気が向いたら見せてもらうかもしれませんので」
♪ ♪ ♪
この日の夜、えり子たちは久々に潮騒駅近くのスタジオ「Galaxy」にて、文化祭に向けてバンドの練習をした。文化祭で演奏する楽曲は先日決めた3曲だが、今日はえり子の希望で「アイドル」はやらなかった。もう少し練習してからみんなと合わせたいという意向だったが、えり子なりに何か考えがあるのではないかと誠也は思った。
「ねぇ、片岡。今日はありがとね」
バンド練習も終わり、帰りの電車の中で、えり子は不意に誠也に礼を述べた。
「何が?」
「まりん先輩の件。片岡が気遣ってくれたこと、分かったよ」
「あぁ、あの件ね」
「今回はさ、完全に私の方が悪かったのに、まりん先輩めっちゃ謝ってくれて、逆に申し訳なったな~」
えり子も少しは反省しているようだ。
「まぁ、今回はお互いちょっと度が過ぎたよな。喧嘩両成敗ってことで良いんじゃない?」
「そうね。で、漁夫の利で片岡が明日、まりん先輩のパンツを見られる、と」
えり子のいつものいたずらっぽい笑顔に、誠也はため息をつく。
「お前、相変わらず、懲りないな。コンクールまで一週間切ったって言うのに、緊張感がまるで無い」
そう毒突く誠也に、えり子は笑顔で答える。
「そう? あまり気負いせずに、このくらいがちょうどいいんじゃない?」
誠也がえり子の顔を見ると、そこにはいつも通りのひまわりが咲いている。それを見て誠也は「泣いても笑っても、あと一週間」という、今朝の友梨先輩の話を思い出した。どうせなら、笑って過ごした方が良いだろう。
「まぁ、そうかもしれないな」
そう言って、誠也も微笑んだ。
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