第21話 真夜中の思考

 深夜1時。誠也せいやはベッドの上で、何度目かの寝返りを打った。

 

「寝れねぇ~」

 

 明日も朝から部活なので、早く寝たいのだが、なかなか寝付けない。


 期末テスト前から、誠也はいくつかの気がかりなことを抱えていた。えり子のことはもちろん、多希たきのこと、夏鈴かりんのこと、そして最近話題に浮上してきたけいのこと――。

 テスト前の時点では、とりあえずテスト明けに一つずつ、改めて考えていこうと思っていた。しかし、今日――正確に言えば昨日、いざテストが終わってみると、それらの課題が一気に誠也に襲い掛かってきた。誠也はその現実に思考が追い付かず、今こうしてこの一日にあった出来事を改めて整理しているうちに、すっかり眼が冴えてしまったのであった。


 誠也はとりあえず、今一度、気がかりなことを一つずつ整理しようと考えた。

 

 まずは慶のこと。これは今は静観していて良さそうだ。どうやら当初、陽毬ひまりが想像していた「慶がリーダーシップを執って、部の現状を改めることを企てている」という構図ではなく、多希が言うように、一部の生徒がトリマキのように慶を慕っているだけのようだ。彼女らが暴走しなければそれでいい。誠也はそう考えていた。


 

 夏鈴の件も結論から言えば、誠也にはどうすることもできない案件だ。退部も恐らく決定事項であり、覆ることはないだろう。そう考えながらも、誠也は頭のなかでこれまでの夏鈴に関する断片的な情報を整理する。

 

 5月当初、コンクールメンバーの選出方法に不満を抱いていた夏鈴だったが、いつの頃からか突然、その件に関して口にしなくなったようだ。その理由を奏夏かなは「私たちに何を言っても無駄だと思うようになったのよ」と言っていた。確かにその考えはあり得る。

 その後も、定期演奏会の当日に誠也が耳にした「ポロネーズとアリア」に関しても、奏夏は「当てつけ」だと言った。それも矛盾は無いように思われる。


 しかし、どうも誠也の中で引っかかっているものがある。誠也はここ最近、夏鈴のことが気になり、時折彼女のことを見ていた。定期演奏会の本番直前の表情や、翌日の後片付けの日の表情は、どこか悲しげにも見えた。その表情だけが、誠也の中で奏夏の考えと矛盾する点だった。


 夏鈴はこのまま、奏夏やホルンパートの先輩たちと会わずに部を去っていくつもりだろうか? そうだとしても、奏夏は恐らく「もう私たちに言うことなんて無いのよ」と言うだろう。だとしたらそれも、奏夏の中で矛盾の無い解だ。

 

 ならば、なぜ真梨愛には退部することを知らせたのだろうか?

 

 そもそも、真梨愛はいつから、何を知っていたのだろう。

 

 今日に限って、真梨愛と話が出来なかったことが悔やまれる。どうも誠也と真梨愛は馬が合わない。多希の件が無かったら話が出来たのに。この件に関しては、真梨愛と早く話がしたい。



 そして、多希の件。

 多希には常に、孤独の影を感じる。オーボエを吹いている多希は本当に美しい。気高く、孤高のオーボイストと言った印象だ。

 実際、彼女は他の生徒たちと戯れることを嫌い、これまで血反吐が出るほどストイックに練習してきたそうだ。その成果であろうことは、他の生徒の追随を許さぬほどの演奏技量を見れば、一目瞭然である。

 しかし彼女の孤独は、彼女が自ら望んだものかと問われると、それは違うと誠也は思う。彼女の生い立ちを聞く限り、彼女には「居場所」というものが無いのだろうと思う。もちろん、家が無いわけではない。物理的な空間があっても、精神的に安らげる場所が、自宅に存在しないのではないだろうか。


 多希は先月の自分の誕生日に、誠也を誘った。しかし、真梨愛の一件であっさりと身を引いてしまった。それは、多希の思いが単純な恋愛感情ではないことを意味するのだろうと誠也は考えていた。もし仮に多希が誠也に恋心を抱いていたとするならば、寧ろ真梨愛に譲るようなことはしないだろう。

 

 多希と初めて食事に行った帰り、多希は誠也に体を密着してきた。彼女の接触は何を意味するのか。今日誠也が、冗談半分で「今日は寄りかかってこないの?」と聞いたとき、彼女は初め「今日は心が満たされているから大丈夫」と言った。やはり彼女は誠也に対し、心の安寧を求めているのかもしれない。だとしたら、誠也はそれをどこまで許容してよいのか、非常に悩む。自分にその器があるのか、責任が取れるのか。そして、最終的に多希を傷つけやしないだろうか。


 そこまで考えて、誠也は再び寝返りを打って、体の向きを変える。


 

 やはり誠也が一番気がかりなのが、えり子である。

 

 誠也にとってえり子は、良きバディでもある。今日も夏鈴の退部という予期せぬ出来事に対し、誠也とえり子は必要最小限のやり取りしかしなかったが、お互いの意思は十分に伝わった。えり子は誠也の予想した通り、奏夏たちを「Osteriaオステリア La Gemmaジェンマ」に導き、奏夏をフォローした。

 

 誠也は、えり子ならこう考えて動くだろうという予想ができ、実際にその通り動いてくれる。恐らくえり子から見て、誠也もそうなのだろう。だから部活などではいつも、誠也はえり子と阿吽の呼吸で作業ができ、互いに絶対的な信頼を寄せている。


 しかしそれは、あくまでも部活や友人関係においての話だ。プライベートになると、途端に誠也はえり子の考えが分からなくなる。

 先日、美香みかに指摘されて、「ボール」は自分側にあるのだと自覚した誠也は、それ以来、えり子の出す「サイン」にも細心の注意を払ってきたつもりだ。


 誠也は改めて、今日のえり子との会話を思い出す。その時のやり取りを要約すると「誠也と付き合いたいけど、もう少し待ってほしい」と言うことだろう。

 

 やはり「ボール」は、えり子が持っているのだろうか?


 「もう少し」とは、どのくらいの期間を指すのだろうか。根っからの理系頭の誠也は、えり子の言った「もう少し」という言葉の分析を始める。それは単に時間的な意味合いなのか、それとも、何らかの「条件」が整うまでという意味合いなのか?

 

 恐らく後者だろうなと誠也は考える。もちろん、時間が解決する問題もあるので、時間的な意味合いが全く無いわけではないだろう。しかし、この場合はえり子が、誠也ともう一度付き合えると思える「条件」を満たすことが必須だろう。


 では、何が「必要条件」なのか。そこが誠也にはよくわかっていなかった。


 去年の7月、誠也はえり子に対し、一度別れを切り出した。その後、今年の1月、高校入試の直前に中学校の図書室で偶然再会するまで、誠也はえり子と一言も会話を交わしていなかった。もちろん友人を通して、えり子の様子は断片的に伺うことはできた。特に9月頃はえり子がひどく落ち込んでいたという話も聞いた。

 誠也はえり子と共通の友達である美香とも、もちろん何度か話をした。美香は誠也の話を親身に聞いてくれたが、えり子の様子に関しては沈黙を貫いた。


 1月に図書室で偶然再会した時、えり子はかつてのえり子のままだった。真冬に咲くひまわりの様な笑顔が衝撃的だったのを今でも覚えている。

 入試が終わって、村上光陽高校への入学が決まった後、二人は改めて今後のことについて話をする機会を設けた。そして、お互いの気持ちも確認した。しかし、その時えり子が出した結論は、「友達からやり直したい」ということだった。


 この時、既に「いつか再び付き合う」と言うことが前提にあった。しかし、その「いつか」はいつなのか?

 誠也とえり子が再び付き合う「条件」のヒントは、やはり去年の7月から今年の1月までの間の出来事にありそうだ。しかし、その期間は誠也にとって、全くのブラックボックスだ。


 美香は当時から一貫して、その期間のえり子に関しては、何も語ってくれなかった。それは恐らくえり子に対して配慮してのことだろうから、今後も美香は口を開かないだろう。

 かといって、えり子に直接聞くことも難しい。それはえり子にとって、誠也との交際を躊躇している根拠となる出来事なのだと推測されるため、もしそれをえり子が語る日が来るとするならば、恐らくそれは誠也と再び交際を始めた後になるだろう。


 パラドックスだ。


 しかも、その「ブラックボックス」の中身は、誠也がえり子と再び交際を始める際に必要になるだけでなく、それ以降も再び同じ過ちを犯してえり子を傷つけないようにするためにも、有益な示唆を得るものだろう。そのためにも、誠也は「ブラックボックス」の中身を知る必要があった。


 しかし同時に、誠也はもう一つの矛盾を考えていた。それはその「ブラックボックス」が、「パンドラの箱」である可能性だ。

 

 えり子が未だに誠也との交際を躊躇する根拠と考えられ、美香も口を閉ざす「ブラックボックス」は、開けてはいけないものかもしれない。不用意に誠也が開けてしまって、えり子を再び傷つけるだけで終わってしまう可能性だって否定できない。


 誠也がこのパラドックスの沼に思考を巡らせているうちに、辺りはすっかり明るくなってしまった。


 

 ♪  ♪  ♪


 翌朝。土曜日の朝の下り電車は、いつも以上に乗客もおらずガラガラだった。


「ねぇ、片岡。今日は元気ないね。寝不足?」

 えり子が心配そうに誠也の顔を覗き込む。

「あぁ、ちょっとね」

 誠也はえり子の何かを見透かすような大きな瞳から目をそらした。


「はにゃ~? もしかして、一晩中私のこと考えてた?」

 えり子のいつものいたずらっぽい笑顔に、寝不足の誠也は一瞬怯んだ。

「え? いや、そんなわけ、ないだろ……」


 誠也の動揺を、えり子が見逃すはずもない。しかし、えり子は何食わぬ顔でカバンを漁りだす。

「そうだ、キャラメルあげるね」

 そう言って、えり子はカバンの中からキャラメルの箱を取り出す。


「この前のキャラメル、まだ持ってたのか?」

 誠也はえり子のその行動に意味があるのかないのかわからないまま、そう返答した。

「うにゃ、この前食べて気に入ったっから、あの後また何度か買ってる~」

 そう言いながら、えり子は箱からキャラメルを一粒取り出す。


「ほい! 一晩中私のこと考えてくれたご褒美♪」

 えり子は満面の笑みで一粒のキャラメルを誠也に差し出す。


「ご褒美安いな~」

 誠也は気まずさをうまく昇華してくれたえり子に感謝しつつ、素直に手を出すと、えり子は差し出したキャラメルを引っ込める。


「なんだ? くれないのか?」

 誠也がそう言うと、えり子はキャラメルの包み紙を剥くと、中のキャラメルを唇で咥えた。


「じゃぁ、特別に口移しであげる~」


「アホか!」

 そう言って呆れる誠也に、えり子はキャラメルを咥えたまま、いたずら顔を続ける。

「ほい、どーぞ!」

「まったく……」

 

 誠也がため息をつきながら、えり子の咥えているキャラメルを指でつまんで取ろうとするが、えり子は放そうとしない。

「取れない!」

 しかめっ面する誠也に、えり子はドヤ顔で言う。

「最近、アンブシュアのトレーニングしてるからね!」

 それを聞いて、誠也はがっくりと力が抜けた。えり子はどこまでもえり子だ。


 ようやくえり子が唇の力を緩め、キャラメルが解放される。指先でキャラメルをつまんだままの誠也に、えり子は相変わらずのいたずら顔で言う。

 

「ねぇ、片岡。そのキャラメル、食べるの? 私と間接キスだよ? 食べるの?」


 しかし、誠也はえり子に一瞥をくれた後、気にすることなくキャラメルを自分の口の中へ放り込んだ。


「あ~、片岡、私と間接キスだ~」

「小学生かよ! それに今、俺の唇に触れないように食ったから、ノーカンな!」

 誠也がドヤ顔で言うと、えり子もいたずら顔を変えずに、今度は誠也の耳元で小さく呟く。


「じゃぁ、ディープキスだね!」


 誠也は思いっきりムセた。


(何なんだ、コイツは~!)


「あ~、片岡、赤くなってる~」

「ムセたせいだよ!」

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