第14話 自分の気持ち

 途中の駅で真梨愛まりあが降り、誠也せいやはようやく一人になった。


(何なんだ、あいつは……)


 誠也の理解を超える真梨愛の言動から解放され、窓の外を流れる夜の車窓に大きくため息をつく。そして、気持ちを切り替えることにした。今日は週末の入り口、金曜日。そして、萌瑚もこの誕生日会だ。今夜は楽しもう!


 潮騒駅で降りた誠也は、先週と同じルートをたどり、「Osteriaオステリア La Gemmaジェンマ」に着いた。店に入ると、店内は今日も多くの客ですでに賑わっていた。カウンター越しに陽毬ひまり従兄いとこである店長がすぐに誠也に気付いて、笑顔で右手を上げる。店内の賑わいで声は届かなかったが、右奥の方を指さし、案内してくれた。


「お待たせ~」

 誠也が陽毬たちの座るテーブルを見つけ、そちらへ向かう。

「お疲れ様!」

 陽毬が少し席詰めてくれたので、陽毬の横の空いたスペースに誠也は座る。


 若い女性の店員さんが、すぐにおしぼりをもってオーダーを取りに来る。誠也は烏龍茶を頼み、やっと一息つく。


「真梨愛ちゃんに告白された?」

 えり子がいたずらっぽい笑顔で、誠也に聞いてくる。

「お前なぁ。デリカシーなさすぎるだろ~」


 そんな会話をしていると、すぐに誠也の烏龍茶が運ばれてきた。


 陽毬が乾杯の音頭をとる。

「では、改めまして、萌瑚ちゃんのお誕生日を祝って、かんぱ~い!」

「乾杯!」

 5人がグラスを合わせた。

「ありがと~」

 萌瑚も満面の笑みで応える。


「では、ここで、私たちから萌瑚ちゃんに、お誕生プレゼントです!」

 陽毬がカバンの中から、きれいにラッピングされたプレゼントを取り出す。

「え? 嬉しい!」

 プレゼントは誠也、えり子、陽毬、奏夏かなの4人が500円ずつ出し合い、陽毬が代表して買ってきてくれたものだ。


「開けてもいい?」

 目を輝かせてプレゼントを受け取った萌瑚に、陽毬が答える。

「どうぞ!」

 

 萌瑚が包みを開けると、プレゼントの中身はかわいらしいコンパクトミラーだった。

「わぁ~、嬉しい! これで、練習の時にアンブシュア確認するね!」

 アンブシュアとは、楽器を吹くときの口の形状の事である。そう言って喜ぶ萌瑚に、陽毬が突っ込みを入れる。

「せっかくだから、もっとおしゃれに使って!」

 これには一同、大笑いだった。


 萌瑚のバースデーセレモニーが一段落した時、唐突に陽毬が言う。

「で、誠也くん。真梨愛に告られたの?」

 ようやく食事にありつけていた誠也は、思わずムセた。


「陽毬ちゃんまで、デリカシーのないこと言うなよ~」

 そう言ってあきれる誠也に、奏夏が言う。

「どうやら、真梨愛ちゃんの誠也好きは、木管の方では結構有名な話らしいよ」


 村上光陽高校吹奏楽部は、90名を超える大所帯だ。入部してまだ2か月弱の誠也たち1年生は当然として、日常的に会話を交わす部員の範囲はそう広くなく、ちょっとした話題や噂話の類は、部全体に広がることは意外と少ない。

 パート内や、近しいパート同士で話題が終息することも多い。特に木管楽器と金管楽器の間にはその傾向が強く表れる。


「で、木管ではどんな噂が回ってるんだって?」

 どうやらこの件は、誠也が到着する前に一度話題になったのだろうと察した誠也は仏頂面で言うと、今日のメンバーで唯一の木管楽器、フルートパートの陽毬が若干あきれ顔で答える。

 

「本人を見ていたら、嫌でもわかるわ」


 陽毬曰く、初めの頃、真梨愛はどちらかというと誠也に対して「くだらない大道具係の作業を嬉々としてやってる」とか、例のディベートの後は「彼とは全く考え方が合わない」などと、否定的な発言をしていたのだという。しかし、そのうち多希に対して「なんでそんなに誠也と親しくしているのか?」などと問うようになり、他にもしきりに、えり子との関係性を聞いてきたこともあったらしく、それを見て周囲の生徒たちは、誠也のことが好きなんだろうと判断していたらしい。


「それで先週、多希が俺との約束をキャンセルしたのか?」

 そういう誠也に陽毬が言う。

「その可能性はあるわね」


 実際、今週に入ってから、多希は真梨愛と距離を置くようになったようだ。もちろん、定期演奏会が近づいているから、練習が忙しくなったということもあるのだろうけれど。


「なるほどね……」

 誠也は表面上、気にしていない素振りを見せたが、内心は真梨愛に対し憤りを感じていた。


「それにしても、定演2週間前だというのに、なんでそんな色恋沙汰に巻き込まれなきゃいけないんだ」

 そういう誠也にえり子がたしなめる。

「片岡の気持ちもわかるけど、そこまで言ったら真梨愛ちゃんも可哀そうよ」

「だけどさ……」

「定演前だろうが、テスト前だろうが、恋をしたらそれに夢中になるのが乙女心よ! 片岡、分かってないんだから~」

 誠也の向かいに座るえり子は、誠也の言葉を遮りながら、テーブルの下で誠也の足を軽く蹴った。

 誠也がえり子を見ると、えり子は不自然にならないように気遣いながら、奏夏の方をチラ見する。


(そうか、奏夏も最近、直樹先輩に……)

 誠也はえり子の意図を理解し、反省した。


 えり子が話を続ける。

「私だって、片岡と付き合ってた頃は、周りがあまり見えてなかったからね~」

 おそらくえり子は、強制的に話題を変えるために、自分に矛先が向くように仕向けたのだろう。えり子らしいと誠也は思った。今回は自分の蒔いた種だからと、誠也はなるべく自然にえり子の話に合わせるように振舞った。


「え? ちょっと待って、リコちゃん、今……」

 案の定、萌瑚がえり子の発言に食いつく。それに陽毬も乗る。

「今まで触れてこなかったけど、なるほどそういうことだったのね。その話詳しく!」

 

「ホントはまだ、あんまり言いたくない部分もあるんだけどさ。これからこのメンバーでいろんなことに挑戦していくんだから、お話しておいてもいいかな~と思って」

 えり子は場の雰囲気を壊さないように配慮してか、奏夏に話した時とは違って笑顔で語り始めた。中学校時代に誠也と付き合っていたこと、去年の夏に別れることになったのだけど、別れた理由は聞かないでほしいこと。そして、高校入試の直前に偶然同じ高校を受験することを知ったことなどを、えり子は端的に話した。


「だからさ~。恋しちゃいけない時期なんてないし、私はいいと思うんだけどね」

 少しだけ湿っぽくなった空気をえり子は笑顔で替える。しかも、表向きは真梨愛のことを言っているように見せつつ、奏夏にも配慮を見せた。


「そうそう! 女の子は恋をして可愛さに磨きがかかるからね!」

 陽毬も笑顔で同調した。


 雰囲気が少し戻ったところで、奏夏が唐突に質問を投げかける。

「ねぇねぇ、相手の名前言わなくていいからさ、今、正直彼氏いる人~!」

 皆、一斉に期待の眼差しでお互いを見渡すが、誰からも手が上がらず、思わず皆で笑い出した。


「あれ、私、滑った?」

 奏夏の顔が赤くなる。

「もにゃ? ひまりんはアイドルだから、彼氏いない設定なの?」

 えり子が問うと、陽毬はあっけらかんと答える。

「いや。アイドルでもバレなきゃいいのよ。でも私、今はホントにいないの~」


「ひまりん、モテそうなのに」

 奏夏がそう言うと、陽毬は笑いながら答える。

「まぁ、ファンの人は好きって言ってくれるけどね~。さかなちゃんこそ、ホントに彼氏いないの~?」

 

 誠也は一瞬ドキッとしたが、奏夏は意に介さずといった様子で、明るく答える。

「私も残念ながら、いませ~ん」


「萌瑚ちゃんは?」

 えり子が今度は萌瑚に振る。

「いや、私は……」

 そう言って、ちょっと俯きながらモジモジしだす萌瑚に、俄かに皆の期待が高まる。

「はぎゃ! 本当は彼氏いるの?」

 えり子が興味津々に問いかけ、他の3人も期待してもこの答えを待つ。


「あのさ……、絶対に誰にも言わないでね?」

「もちろん! 私たちを信じて」

 えり子が答え、他の3人もうなずく。


「絶対に笑わない?」

 なおも心配する萌瑚に対し、陽毬が力強く答える。

「大丈夫。笑わないから!」


 萌瑚は意を決したように話す。

 

「私、実は将来、声優になりたくてさ……」


「うじ? うん。それで?」

 皆の期待している答えがまだ出てこないため、えり子が話の続きを促す。


「将来有名になった時、過去のスキャンダルを持ちたくないから、恋愛はしないようにしてるの」


「あぁ、そういうことか……」

 誠也はそう呟いたが、その後は何と言っていいかわからなかった。それはえり子や奏夏も同じで、二人とも何か考えるしぐさをしていた。


 しかし、陽毬だけは違った。


「もう! 萌瑚ちゃんたら~」

 そう言って、陽毬は笑いだす。


「ひどい、ひまりん! 笑わないでって言ったのに~」

 恥ずかしさのあまり顔を赤らめる萌瑚に、陽毬は笑顔のまま言い放った。


「だから、バレなきゃいいじゃん!」


「え?」

 急にきょとんとした顔をする萌瑚は、さらに続けた。

「なんだ、本気で声優目指していることを笑われたのかと思った」


「そんなの笑うわけないじゃん。私だって一応アイドルとして芸能活動してるんだからさ」

 そう言って、陽毬は萌瑚に微笑む。


「それもそうだけど、やっぱり将来のこと考えると、不安にならない?」

 そう言って怪訝そうな顔をする萌瑚に対し、陽毬は飄々と答える。

「人を選べばいいのよ」


「人を選ぶ?」

 萌瑚は首をかしげる。


「例えばさ、萌瑚ちゃんの彼氏が誠也くんだったらどう?」

 突然陽毬に名前を出され、誠也はドキッとした。陽毬が続ける。

「将来萌瑚ちゃんが有名人になったとき、たとえその時点で既に誠也くんとは別れていたとしても、誠也くんが萌瑚ちゃんの足を引っ張るようなトラブルを起こすと思う?」


 誠也はどうしていいかわからず、萌瑚の答えを待った。


「いや。誠也くんはそんなことする人じゃないわ」

 そう答えた萌瑚に、誠也は仮定の話であっても安心した。


「でしょ? だから人を選べばいいのよ」

 そう言って陽毬が笑うと、萌瑚もようやく笑顔になった。


「片岡ね、結構お勧めよ。一度付き合ったことのある私が言うんだから、間違いなしよ」

 えり子が調子に乗って、萌瑚に誠也を勧める。


「おいおい、勝手なこと言うなよ!」

 慌てる誠也に構わず、萌瑚も乗る。

「じゃ、私、誠也くんと付き合っちゃおうかな~」

 萌瑚がそう言うと、みんなで笑った。


 ♪  ♪  ♪


 帰宅後。誠也は風呂に入った。湯船に漬かり、今日一日の出来事をぼんやりと振り返る。


(長い一日だったな……)


 改めて誠也は深いため息をつく。まずは何といっても、真梨愛だ。何故あんなにも無自覚に自分の気持ちを話すことができるのだろうか。


 真梨愛が自分のことを好いてくれていることは分かったが、誠也はなぜかいい気分がしなかった。一つは誠也の気持ちを考えずに、一方的に話されたこと。そしてもう一つは、意図的でないにしろ、間接的に多希を傷つけるような言動をしていることだ。


 おそらく真梨愛の言動が、先週の多希の誕生日のキャンセルに繋がったんだろうというのは、想像に難くなかった。それに対しても誠也は憤りを感じずにはいられなかった。


 いずれにしても、誠也には今、真梨愛と付き合う気持ちはなく、これ以上誠也の周りの人を巻き込むのは本意ではない。

 しばらく真梨愛とは距離を置こう。そう誠也は考えた。


 そして、もう一つ。それ以上に今、誠也の心に引っかかっているのは、多希のことであった。

 

 多希にとって今、高校で唯一心を開ける存在が、自分なのだろうという自覚は、誠也自身にもあった。

 

 そう思う理由の一つは、陽毬からの情報だ。多希の所属するオーボエパートは3人しかおらず、多希のほかに3年生と2年生の先輩が一人ずつ。つまり、パート内に同級生がいない。そのうえ、フルートやクラリネットといった周辺のパートにも多希と親しい生徒はいない様子だった。おそらく、部活以外に教室でも同様なのだろう。

 

 そして何よりも、彼女の誕生日の日に誠也が食事に誘われたこと。これは、以前多希から聞いた家族の話も相まって、家庭内においても多希の居場所が無いということではないかと、誠也は推測していた。

 しかし、それだけの理由があっても、今もなお、誠也は迷っていることがあった。


 自分が多希の孤独の受け皿になってよいのだろうか?


 えり子も誠也の複雑な思いに気付いているようで、最近は多希のことを茶化すような言動はなくなり、寧ろ誠也に対し、多希を大切にするよう、進言してくる。


 それがまた、えり子の気持ちを考えると、誠也にとって心苦しい部分でもあった。


 真梨愛のように、自分の気持ちに正直に行動出来たら、楽なのだろうか?

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