第13話 交錯する思い

 6月3日、土曜日の昼下がり。朝からの雨はいつの間にか上がり、雲の合間から日差しが差してきた。

 ここ、村上光陽高校の音楽室は、吹奏楽部の生徒たちで活気づいていた。音楽室の黒板に設置している小さなホワイトボードには、「定期演奏会まであと21日」と書かれている。6月に入り、曜日を問わず毎日練習となっているが、やはり平日に比べまとまった時間の取れる土日の練習には気合が入る。


 本日の練習メニューは、午前中がパート練習、午後が合奏である。午後の合奏は定期演奏会の第一部の楽曲だ。誠也せいやたち1年生は出番がないので、午後も引き続きパート練習となる。


 トランペットパートでは、誠也がリーダーとなりパート練習が進められる。初心者の穂乃果ほのかも、最近は基礎練習に一緒に参加できるほど、上達していた。


 30分ほど5人で基礎練習を行った後は、個人練習となる。本来はパート練習でも楽曲の練習を行うが、今、1年生の5人は参加する楽曲がバラバラなので、パート練習にならないためである。


 誠也はまず、個人練習に入る前に、休憩を入れることにした。誠也はこの休憩時間を利用して、オーボエパートの多希たきを訪れることにした。


「ちょっと、多希のところ行ってくる」

「うにゃ。行ってらっしゃい!」

 えり子に声をかけると、事情が分かっているえり子は誠也を笑顔で見送った。

 

 多希もこの時間、どこかで個人練習をしているはずである。誠也はオーボエの音を頼りに、廊下を進んでいくと、多希が練習している教室を見つけた。

 廊下の窓から教室を覗くと、多希は廊下に背を向ける形で楽器を吹いていた。誠也はその場で暫し待ち、彼女が吹き終わるタイミングを見計らって、教室のドアを開けた。


 多希は振り返り、誠也の顔を認めた瞬間、ハッとした顔をする。


「誠也……」

「練習の邪魔して悪い」

 誠也はそう言いながら多希のもとへ進み、多希が座っている近くの椅子に座った。


「大丈夫。昨日は、ごめん」

 多希はいつものように、ほぼ無表情でうつむく。

「それは全然いいんだけど、何かあったのかなって心配で」

 誠也が優しく声をかける。

「急に家の用事が入っちゃったから」

 多希は一瞬顔を上げたが、そう言って誠也から目をそらす。そのしぐさが誠也には引っかかった。


「多希、もしかしてだけど、嘘ついてない?」

「……そんなことない」

 誠也の問いを、多希はうつむいたまま否定する。


「多希さぁ、昨日誕生日だっただろ?」

 多希は目を軽く見開いて誠也を見る。誠也は更に続ける。

「誕生日にわざわざ多希から俺を誘ってくれたのに、当日急にキャンセルするなんて、なにか理由があるんじゃないかと思って」


「だから、家の用事だって言ったじゃない」

 多希は少し苛立った様子で、鋭い眼光を誠也に向ける。


 誠也は小さくため息をつくと、優しい笑顔で言った。

「多希は俺のこと、信じてくれるんじゃなかったのか?」


 沈黙がしばらく続く。それでも誠也は多希の返答を待った。

 やがて、多希が小さな声で話始める。


「ごめん。家の事情というのは嘘」

 

 誠也は変わらず優しいトーンで尋ねる。

「何かあったのか?」


 再び多希は少し考えてから語る。

「誠也のこと信じてるけど、今は話せない」

 

「『今は』ってことは、いつか話してくれるのか?」

「まぁ、時期が来れば……」


「わかった。俺も多希のこと、ちゃんと信じてるから」

「ありがとう」

 多希はそう言って、少し微笑んだ。

 

「あと、改めて多希の誕生日祝いもさせてよ」

「それは……。バレちゃったらちょっと恥ずかしい」

 多希は困惑した表情で目線を誠也からそらす。


「俺がそうしたいんだから、付き合ってくれ」

「……勝手にすれば」

 多希は更に困惑した表情でそういい捨てた。


「練習の邪魔してごめんね」

 そう言うと、誠也は椅子から立ち上がり、教室の出口に向かっていった。


「誠也」

 誠也が教室のドアに手をかけたとき、多希に呼び止められ、誠也が振り返る。


「……ありがとう」

 誠也が短く「おう」とだけ言うと、そのまま教室を出た。


 ♪  ♪  ♪


 夕方。一日の練習が終わり、誠也はいつもと同じく、えり子、そして「さかな」こと奏夏かなの二人と電車に揺られていた。

 バスの中から引き続き、えり子が昨日の陽毬ひまりたちとの話を熱心に奏夏に説明している。


「すごく素晴らしいアイディアだと思うけど、実現するのは相当難しいんじゃない?」

 えり子の話を聞き終わった後、奏夏はそう言った。


「やっぱりね。さかななら、そう言うと思った」

 ここにきてようやく誠也が発言する。

「だから、誠也がさかなを誘いたいっていってたのよね」

 えり子も同調するが、奏夏はますます混乱する。


「うーん、ちょっとよくわからないんだけど」


「俺も陽毬ちゃんの話を聞いたときは、さかなと同じことを思ったよ。実現出来たら素晴らしいけど、相当難しいだろうなって。でも、これは頑張る価値が絶対あるって思って」

 

 奏夏は頷きながら先を促す。


 「実現するには、賛同してくれる人を徐々に増やしていく必要があるんだけど、それにはいろんな意見を聞いていかなくてはいけないし、相当なディスカッションが必要になってくるだろ?」

「おそらく、そうね」

「だからこそ、俺はさかなや萌瑚もこちゃんみたいな人材が必要だと思うんだよ」


「え? わたしが?」

 奏夏は不思議そうな顔をする。

「そう。この前のディベートみたいに、意見をまとめて進行してくれるような人や、冷静に判断してくれるような人がね」

 自信をもってそういう誠也に、奏夏は不安そうに答える。

「私にそんな大役が務まるかなぁ~」


「まぁ、とにかくやってみようよ!」

 えり子が笑顔で誘う。

「そうね。やってみますか!」

 こうして奏夏のプロジェクト参加が決まった。


 ♪  ♪  ♪


 6月5日、月曜日。日中の気温もだいぶ高くなり、誠也とえり子はこの日からいよいよ夏服デビューした。朝、二人はいつもと同じ時間の電車に今日も揺られていた。


 金曜日の放課後から土・日と3日間、どっぷり部活三昧だった誠也にとって、平日がものすごく久しぶりに感じられた。


「ねぇ、片岡~。今日、最高気温29度だよぉ~」

 スマホの天気予報アプリで今日の天気をチェックしていたえり子は、うんざりした顔で言う。

「まじか。暑くなるね~」


 そんな他愛もない話をしていると、誠也とえり子のスマホがほぼ同時に鳴った。

「はにゃ? ひまりんからだ~」


 通知は、陽毬からのLINEグループの招待だった。グループ名は「魅せる吹奏楽」。二人は意図を察し、すぐに参加した。


「いよいよ、プロジェクト始動か?」

 誠也が笑って言うと、えり子も同意する。

「もにゃ~! ワクワクするね!」

 

 あっという間に萌瑚、奏夏も参加し、招待者全員がそろったところで、陽毬からメッセージが届く。


【おはよ~! みんな早速参加してくれてありがとね! 早速なんだけど、9日、萌瑚ちゃん誕生日だよね? だからお誕生会しませんか?】


 誠也もえり子も、もちろんすぐにOKの返信をした。結局全員都合が良いとのことで、9日の夜、萌瑚のバースデーパーティーが決まった。場所は前回同様、「Osteriaオステリア La Gemmaジェンマ」になった。


♪  ♪  ♪


 6月9日金曜日。関東地方もついに梅雨入りし、今日も雨が降ったりやんだり。夏服では少し肌寒く感じる一日だった。


 18時半に部活が終わる。今日は萌瑚の誕生日会なので、メンバーは帰り支度を終えた者から音楽室前の廊下に集まっていた。あとは本日の主役、萌瑚の準備が終わるのを待つのみという段階で、廊下で待つ誠也に真梨愛が声をかけてきた。


「片岡くん、ちょっと話したいことがあるんだけど」

 いつものややぶっきらぼうな言い方で誘う真梨愛に、誠也は困惑した。

「あ、ちょっと今日はこの後、用事があって……」


 すると、陽毬が誠也と真梨愛の話に入ってきた。

「あの~、もし良かったら、私たち先に行ってるから、誠也くん後から合流してもいいよ~」

 笑顔の「ひまりんモード」でそう言うと、えり子も同調する。

「うん。真梨愛ちゃんのお話終わってからで全然OK!」


 誠也はあまり乗り気じゃなかったが、二人にそう言われて、渋々、真梨愛の誘いを受けることにした。


 話をするといっても、最終下校時刻が迫っているため、これ以上学校内に残って話を聞いている時間的余裕はない。そのため、誠也と真梨愛はとりあえず最寄り駅までバスで移動することにした。


 誠也は気が重かった。このタイミングでいったい何の話をするというのだろうか? 


 ディベートの日、多希から誘いを受けたときの記憶がよみがえる。あの時、バスの中では妙な沈黙が、余計に誠也の緊張感を高めていた。その点、真梨愛は態度はそっけなくても、それなりに日常的な会話がある分マシだったが、バスの中では本題に入る気配はなかった。


 バスが駅につくと、誠也は度々利用している駅前のファミレスに真梨愛とともに入った。

 オーダーが済むと、真梨愛は何の脈絡もなく、話し始めた。


「最近、多希と仲がいいようだけど、片岡くんって多希とどういう関係?」


「は?」

 あまりにも突飛な話で、誠也は困惑した。


「とぼけないでよ。お互い下の名前で呼び合ってるし、この間のディベートであれだけ言い争った仲なのに、今はお互いの考えを理解し合って、何もかも分かった風でいるじゃない」


(いったい誰の話だ?)

 前半部分はともかく、後半の『何もかも分かり合っている』などというのは、全く身に覚えがない。


「ちょっとよくわからないんだけど、ファーストネームで呼び合ってるのは、多希からそう呼んでほしいと言われたからで、『だったら俺も』ってそうなっただけだよ。それに、えり子とか最近だと穂乃果とかも名前で呼んでるから、何も多希に限った事じゃないよ」


「なるほどね。じゃぁ、なんで多希と以心伝心な感じなの?」

 更に突っ込んでくる真梨愛に、誠也は何を答えたら誤解が解けるのか、考えるのに必死だった。


「多希と以心伝心なんて、そんなことはないと思うんだけど。あのディベートの後、多希とは改めて話す機会があってさ。そこでお互いに冷静に話して、ある程度お互いの考えを共有することができたんじゃないかと思ってる。その程度だよ」


 苦し紛れに答えた誠也の言葉には、若干の嘘が含まれていた。ディベートの後、多希と話したときは、実はそれほどお互いの部活に対する考えを述べる機会はなかった。しかし、今、真梨愛をとりあえず納得させるのにはそう答えるのが自然かと思ったからだ。実際のところ、ホームセンターに行ったときに、なぜ多希が誠也の考えにあれほどの理解を示したのかは誠也自身にもわからないままだった。


「多希から聞いた話とおおむね一致しているから、間違いはないようね」

 真梨愛はそう言った。それを聞いた誠也は、後半の嘘が含まれている部分も違和感なく伝わったことに安堵する一方で、一度多希に聞いているならなぜ自分に聞き返したのか? それでは多希のことを信用していないのと同じではないのか? と、腹立たしかったが、いったんそれは飲み込むことにした。


「でも、なんでそんなこと聞くの?」

 誠也は改めて疑問を真梨愛にぶつける。


「だって、片岡くん、普段はリコちゃんと仲良くしているくせに、最近多希とも仲良くしているじゃない。その態度が気に食わないのよ」


 (えり子のことはさておき、俺が多希と仲良くしている?)

 誠也は全く身に覚えのない、妄想レベルの言いがかりをつけられて、だんだん憤りが抑えられなくなってきた。


「俺は別に、多希とそれほど仲良くしているつもりはないし、そもそも俺が誰と仲良くしようと勝手だろ? そんなことを言うために今日、俺を呼び出したのか?」

 

 そう言って誠也は真梨愛に強く迫る。真梨愛は怒りを隠さずにいる誠也に対し、急に弱々しい声でつぶやく。


「……なんか、ごめん」


 誠也は熱くなり過ぎたと反省したが、やはり解せないものは解せない。理由が聞きたかった。


「なんで大塚さんは、そんなに多希のことに対して、食って掛かるような言い方をするんだ?」


 誠也がそう問うと、真梨愛が再び語気を強めて言う。


「私だって、片岡くんと仲良くしたかったのよ! 片岡くんと仲良くするために大道具係の仕事も頑張ったし、コンクールの結果以外にも部活の意義を見出して、片岡くんの考えも理解しようとしたのよ! なのに片岡くんは多希ばっかりで、私とは仲良くしようとしてくれなかったじゃない! 多希のことは多希って呼ぶくせに、私のことは名字のままで変わらなかったし」


 真梨愛の思考の暴走に、誠也はめまいがしたが、まずは彼女の主張を一つずつ紐解いていこうと考えた。


「あのさ、ちょっと冷静に話そうよ。まず、なんで全部、過去形で話すんだ? 俺は大塚さんと仲良くしたくないといった覚えはなないし、『大塚さん』って呼ぶのも特段の意味があるわけじゃない。強いて言えば、初対面で大塚さんがあまりにもクールな態度をとるから、あまり親しげにしない方がいいのかと思ったくらいだよ」


 誠也は憤りを抑えながら、努めて冷静に話した。それに対し、真梨愛は相変わらずテンション高く話す。


「初めて話したときは仕方なかったの! やりたくない作業をやらされてるイライラとか、コンクールメンバーの選出方法に対するイライラとか、そんなのが重なってるときに、いきなり片岡くんと作業することになって、私、片岡くんにひとめぼれ状態だったから、恥ずかしくて、どうしたらいいかわからなかったの!」


 誠也はこめかみのあたりを抑えながら言った。


「あともう一つ。それ、ほぼ告ってるんだが……」


 真梨愛は困惑した表情で、先ほどより少し声のトーンを抑えて言う。


「片岡くんがリコちゃんや多希と仲良くしているところを見ると、すごくイライラする。そんなにイライラするんなら見なきゃいいのにって思うんだけど、ついつい片岡くんのこと目で追っちゃう自分にもイライラするし。でも、誰かを好きになるってこと、今までなかったから分からないのよ……」


「アイドルかよ、お前は!」

 誠也は聞いてて恥ずかしくなり、思わず声を張り上げた。しかし、真梨愛はなおも続ける。


「だって、これが好きっていう気持ちかどうかわからないし、もし好きだとしたらどうやって告白したらいいかもわからないし、その後、どうやって付き合ったらいいかもわからないし……」


「待て、待て、待て、待て! いったん落ち着け!」

 

 誠也はたまらず真梨愛の発言を遮った。


「とりあえずな、客観的に見て、もうそれって俺に告っちゃってるから。で、とりあえず大塚さんの気持ちは分かった。でも、俺は今、申し訳ないけど誰とも付き合うつもりはないんだ。だから、付き合ってくれっていうんだったら、答えはノーだ」


 真梨愛はきょとんとした顔をして言う。


「私って今、振られたの?」


「えっと、大塚さんが俺と付き合いたいって言うなら、って話だけど。ってゆうか、俺も恥ずかしいんだから、言わせるなよ!」


 誠也はいよいよ本当にこの場から逃げ出したくなってきた。


「友達として、だったら、仲良くなれる?」

 そういう真梨愛に誠也は心底あきれて返答する。

「小学生かよ!」

「ごめん、男友達いなくて」


 誠也は大きく深呼吸をすると、改めて冷静に真梨愛に語りかける。

「とりあえず、いったん落ち着かないか? 大塚さんも俺のことまだよくわかってないと思うし、好きかどうかもわからない。俺も大塚さんのこと、よくわからない。ってゆうか、今日の一件でますます分からなくなったよ。でも、お互いのために、今日のことはいったん無かったことにして、友達として始めたらいいんじゃないか?」


「うん……、そうかもしれないわね」


 真梨愛はとりあえず同意して、その場は収まった。

 落ち着いた後、店を出て駅に向かう。いつも、誠也と真梨愛は別の路線を利用しているが、今日はこの後、誠也は陽毬たちと合流するため、真梨愛と同じ路線の電車に乗った。


「片岡くん、私も『誠也』って呼んでいい?」

 真梨愛が少し緊張しながら聞いてくる。

「あぁ。もちろん。俺も、真梨愛って呼んでいいか?」

「うん!」

 真梨愛が笑顔になる。


「ねぇ、誠也」

「なに?」

「手、つないでもいい?」

 

 誠也は呆れて言う。

「ダメ。ってゆうか、なんでいいと思った?」


「よく、女の子同士でも仲いいと手を繋いだりするじゃん」

「男女はしないの!」


(何の罰ゲームだコレ?)

 誠也は早く真梨愛の降りる駅に到着することを願った。

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