第2話 変わらぬ景色
入学式の翌日から2日間、
「毎日一緒だね!」と宣言したえり子とも、さすがに週末の間、直接会うことはなかったが、「この授業の教科書って何だっけ?」、「月曜日の朝は何時集合にする?」などと、何度もLINEが送られてきた。
誠也はそのたびに律儀に返信はしつつも、その他の時間は好きなラジオを聴いたり、趣味の鉄道模型をいじったりと、自由な時間を楽しんだ。
先日までの春休みと同じような時間を過ごしていると、金曜日の入学式が嘘のように思えてくる。
日曜日の夜。湯船につかり、天井の水滴をぼんやりと眺めながら、誠也は入学式で聴いた吹奏楽部の演奏を思い出していた。
入学式当日、誠也の位置からは死角となり、演奏している吹奏楽部員の姿を直接見ることはできなかったが、音を聴いただけでわかる確かな演奏技術。
そして何よりも、聴衆を魅了する、躍動感と共に温かみのある演奏が心に響いた。
(早く、一緒に吹きたいな。そして、中学時代の苦い経験。今度こそは……)
誠也は早くも入部の日を待ち遠しく感じていた。
♪ ♪ ♪
月曜日。春の朝はまだ肌寒く、朝日の暖かさが心地よかった。誠也はえり子とともに、再び朝のラッシュに揉まれて登校した。
今日からは早速、授業が開始となる。各授業とも中学時代と比べるとグッと専門性が高まり、自然と気が引き締まった。
昼休み。誠也は教室で、えり子と
「ねぇ、穂乃香ちゃんは部活、何か入る?」
えり子が唐突に部活の話題に触れた。
「うーん、まだ考えてないかな」
えり子の表情がパッと明るくなる。
「じゃ、一緒に吹奏楽やろう!」
誠也は予想通りの展開を穏やかに見守ることにした。
穂乃香はあまり音楽に対して知識が無いらしく、
「私もギターとかベースって、結構憧れてるんだよね!」
と、的外れな答えを返す。
「あー、それは、軽音だね」
「え? ごめん、あんまりわかってなくて……」
誠也が優しくフォローしたが、穂乃香は耳まで赤くしてうつむいた。
「全然OKだよ!」
えり子も全力でフォローする。
結局えり子の持ち前の笑顔と明るさに押される形で、穂乃香もまずは部活見学に参加することとなった。
この日の放課後から、各部の部活見学が開始となった。誠也ら3人は早速吹奏楽部を見学するため、音楽室に向かった。
音楽室に着くと、先輩が明るい笑顔で「吹奏楽部の見学はこちらです!」と案内してくれた。
「ほわ~! ここが音楽室~」
えり子は満面の笑みで音楽室を見渡していた。
音楽室は既に合奏の隊形にセッティングされており、1年生は音楽室の後ろに用意された椅子へと案内された。既に20人ほどの1年生が座っていた。
「お! 新入生、たくさん集まってる~!」
そんな会話と共に2、3年生の先輩方も続々と集合してきた。一通り人の流れがおさまると、一人の女子生徒が指揮台に立った。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます! そして、ようこそ村上光陽高校吹奏楽部へ。私はこの部の部長を務める3年、クラリネットパートの宮原
一同から拍手が起こる。
「もにゃ~、かっこいい~!」
誠也の横でえり子が目をハートにさせながら呟いた。
友梨先輩の凛とした立ち姿、迷いのない視線や口調は、まさに「かっこいい」という形容がぴったりだった。友梨先輩が挨拶を続ける。
「私たち、村上光陽高校吹奏楽部の奏でる音色は『光陽サウンド』と呼ばれ、先輩方から代々受け継がれてきました。この歴史ある村上光陽高校吹奏楽部の音楽に誇りを持ち、是非一緒に歴史を紡いでいきましょう!」
再び一同から拍手が起こった。決してハッタリではない、確かな技術と自信に裏付けられた部長の挨拶に誠也は感動し、不覚にも涙が出そうになった。が、ふと横を見ると、えり子が早速ボロボロと大粒の涙を流していた。
(おいおい……、気持ちは分かるけどさ。ホント正直なヤツ……)
部長の挨拶の後、まずは30分程度、全体での基礎練習の見学。その後は各楽器ごとのパート練習となり、1年生も希望する楽器に分かれることとなった。
「穂乃香ちゃん、どうする?」
面倒見のよいえり子は、初心者の穂乃香を気遣う。
「うーん、わかんないからえりちゃんに付いていっていい?」
「もちろん! そしたら一緒にトランペットパート行こうか!」
こうして、再び誠也たち3人はセットで行動することとなった。
吹奏楽部では、全員で行う「合奏」のほか、各楽器ごとに練習を行う「パート練習」、曲中で同じ動きをする複数の楽器が共に練習を行う「セクション練習」など、いくつかの練習形態がある。
このうち基本となるのが、パート練習であり、各パートごとに「パートリーダー」を主として運営がなされている。
パート練習はそれぞれの音が重ならないよう、パートごとに部屋を分けて行う。トランペットパートの練習場は、奇しくも誠也たちの教室、1年6組だった。
誠也たちが音楽室から1年6組の教室に戻ると、黒板には「ようこそトランペットパートへ」と書かれていた。
「いらっしゃい! どうぞ~」
誠也たちが教室の入り口に入ると、男性の先輩が笑顔で迎え入れてくれた。
この日、トランペットパートへ見学に来た1年生は誠也たちを含め5名だった。案内に従って椅子に座る。
「では、簡単に自己紹介しますか。名前と出身中学校を順に言って行こうかな」
先ほどの男性の先輩がそう切り出すと、早速自身の自己紹介から始めた。
「まずは俺から。3年トランペットパート、パートリーダの清水
全員から拍手が起こる。ちなみに松田七中は吹奏楽コンクールの全国大会の常連校である。
(やっぱり、初っ端から大物が来たな)
誠也は納得の眼差しで先輩を見ていた。
「次、さいか!」
直樹先輩がとなりの女子生徒を指名する。
「同じくトランペットパート3年生の西村
一同、再び拍手。東海中は全国大会の1つ手前、東関東大会の出場校である。
「続いて、同じく3年生の石橋
拍手の後、2年生の自己紹介が続く。
一人目の男子生徒が岡崎
「では、続いて1年生! 端のキミから。楽器経験も含めて自己紹介よろしく!」
直樹先輩に指名された男子生徒から自己紹介を始める。
「伊東
「颯真君ってかっこいい名前ね!」
咲良先輩が笑顔で話しかける。
「あ、ありがとうございます」
颯真は少し照れながら答えた。
「櫻井
「恵梨奈は附属中だったから、何度か一緒に吹いてるもんな」
そう、直樹先輩が説明する。
「はい!」
先の2人に続いて、誠也たちも自己紹介をした。
「小寺えり子です。潮騒市立若葉中学校出身です。トランペットは中1から始めました、よろしくお願いします!」
「えり子ちゃん、さっき泣いてなかった? 大丈夫?」
彩夏先輩が心配そうに聞いてきた。
「部長さんの挨拶に感動しちゃって」
そう言って、えり子はペロッと舌を出した。
「え? まじ? それ聞いたら友梨、絶対喜ぶわ~」
えり子のまさかの涙の原因と彩夏先輩のツッコミに一同爆笑した。
そして次が誠也の番。
「片岡誠也です。同じく潮騒市立若葉中学校出身で、トランペットは小4からやってます。よろしくお願いします!」
2年の拓也先輩がすかさず反応した。
「小4からって言うと、俺より先輩じゃん! すげ~!」
拓也先輩のリアクションにまた一同大笑い。和やかな雰囲気で自己紹介が進む。
「佐々木穂乃香です。楽器経験は無いんですけど、えりちゃんに誘われて見学に来ちゃいました。よろしくお願いします!」
「初心者でも全然ウェルカムだよ~!」
先輩たちが口をそろえてそう言ってくれたおかげで、これまで緊張しっぱなしだった穂乃香も安心した様子だった。それから暫く、和やかに歓談が続いた。
途中、彩夏先輩から素朴な疑問があがった。
「えり子ちゃんと恵梨奈ちゃんてどっちも『えり』から始まるから、二人とも『えりちゃん』だと、ちょっとややこしいね」
するとえり子が、すかさず提案をする。
「じゃぁ、私が『リコ』、恵梨奈ちゃんが『リナ』って言うのはどうですか?」
この提案に恵梨奈も快諾し、少なくともトランペットパートではそのように区別することになった。
和気あいあいと談笑をしているうちに、あっという間に17時近くとなり、本日の練習時間が終了。全員一旦音楽室に戻った。
再び部長の友梨先輩が前に立った。
「以上で本日の練習は終了です。1年生の皆さんはいかがだったでしょうか? 楽器を持っている人は明日から楽器を持ってきて構いません。早速一緒に練習していきましょう。そして、もう既にアナウンスされていると思いますが、明後日、水曜日の放課後は生徒会主催の新入生歓迎会があります。私たち吹奏楽部も演奏するので、是非『光陽サウンド』を聴きに来てください」
「はい!」
1年生の元気な返事が響いた。
この日も誠也はえり子と一緒に帰った。帰りの電車の中。二人はいつも通り他愛もない話をしていた。
「ねぇ、片岡」
「何? リコ」
誠也が先ほどのパート練習で決まったばかりの、えり子の新しいニックネームで呼ぶと、えり子は思わず噴き出した。
「自分が言い出したんだけど、片岡に言われると何か……」
「何か?」
えり子は急に眉間にしわを寄せて言った。
「気持ち悪い」
えり子はいつものように、いたずらっぽく笑った。
「は? まったく失礼な!」
誠也は憮然とする。するとえり子は視線を電車の車窓に移して呟いた。
「片岡は…… 今まで通り、名前で呼んで」
誠也は一瞬戸惑ったが、
「おう」
とだけ呟いた。
♪ ♪ ♪
12日水曜日。今日は放課後に生徒会主催の新入生歓迎会が開催される。誠也は入学式の日に聴いた先輩たちの演奏で体験した感動を再び味わえることを楽しみにしていた。
そしていよいよ放課後。誠也はえり子、穂乃香の2人と会場となる体育館へ向かって歩いていた。
「今日の歓迎会、何の曲やるんだろうね?」
えり子も先輩たちの演奏に多大なる期待を寄せているようだ。
「どの先輩に聞いても『それはお楽しみ』って言って、教えてくれなかったしね!」
穂乃香も初心者ではあるものの、えり子や誠也につられる形ですっかり気分が高揚している様子だった。
会場につくと、3人は前の方のステージが見やすい席を選んで座った。
「ねぇ、片岡!」
突然えり子が何かを思いついたように言った。
「先輩たちが何演奏するか、賭けない?」
「はぁ? さすがにそれは難しくないか?」
演奏する可能性のある曲なんて、膨大にある。それを当てるのは至難の業だ。しかし、えり子は面白そうに提案を続ける。
「もし片岡が当たったら、私が片岡にジュース1本おごってあげる!」
「じゃ、もしえり子が当たったら?」
「その時は片岡が、私と穂乃香ちゃんにジュース1本ずつおごる!」
穂乃香が「やった~」と喜ぶ。
「なんで俺がおごる方が1本多いんだよ!」
こういう時のえり子の発想は本当に天才的である。
「どーする? やる? やらない?」
えり子はニヤニヤしながら誠也に迫った。
「わかったよ。で、えり子は何やると思う?」
えり子は大袈裟に腕組みをしながら考えはじめたかと思ったら、すぐに自信ありげな顔で言った。
「やっぱ、宝島!」
「王道で来ましたねぇ」
誠也もわざとらしく渋い顔をしながら答える。そんな二人を穂乃香は面白そうに交互に見ている。
「さぁ、片岡の答えは?」
「じぁ、俺はオーメンズ・オブ・ラブ」
「もにゃ~、それもアリだよね!」
そんなスケールの小さい二人の戦いのコマが出揃ったタイミングで、新入生歓迎会がスタートした。合唱部、新体操部などの発表が続くが、どこの部もそれなりにレベルの高い発表が続く。
「続きまして、吹奏楽部の紹介です。それではどうぞ~!」
生徒会の進行役の生徒がアナウンスする。
「いよいよだね!」
「おう!」
「ジュースもらえるかな?」
若干の打算が混じった3人の期待の眼差しが向けられる中、吹奏楽部部長の友梨先輩がステージの前に出た。
「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます! 今日は皆さんに歓迎の意を込めて、部員一同一生懸命演奏したいと思います。それでは早速聴いてください!」
誠也とえり子が息をのむ中、演奏が始まった。冒頭からピッコロのソロが鳴り響く。
「あ、なんだっけ! この曲!」
えり子が目を見開いて誠也を見る。
「あれだよ、ディスコ・キッド!」
「かっこい~!」
えり子が目を輝かす。この曲は前半で「ディスコ!」とシャウトを入れるのが定番となっている。
「えり子、叫ぶなよ!」
「フリ?」
「バカ、フリじゃねぇ!」
「う~ん、我慢できない!」
えり子がこうなったら、誠也にはもう止められない。先輩方の演奏に合わせて客席のえり子が叫んだ!
「ディスコ!」
(あれ?)
隣でえり子が叫んだ瞬間、誠也は驚いた。客席からのシャウトが明らかに一人じゃないことに。
「はにゃ! 今、私の他にもシャウトした人、絶対いたよね!」
えり子も気づいたらしく、興奮気味に話す。
(吹奏楽フリークの踏み絵か、この曲は)
思わず誠也はそう思った。それにしてもかっこいい。入学式の時と違い、今日は演奏する先輩方の姿がよく見える。安心して音楽に没入できる確かな演奏技術、そして何よりも先輩たちが心から音楽を楽しみながら演奏している様子が伝わり、誠也とえり子の予想のはるか斜め上を行く音楽に、身震いし、頭に
あっという間に演奏が終わったが、暫く誠也もえり子も放心状態だった。
「二人とも、大丈夫?」
そういって怪訝そうに見つめる穂乃香は、ただただ困惑するばかりだった。
新入生歓迎会が終了しても、誠也はまだ演奏の余韻に浸っていたが、不意にえり子に「先輩の楽器運び、手伝いに行こう!」と誘われ、穂乃香と共に先輩たちが楽器を片付けているステージサイドに向かった。
「お疲れ様です!」
誠也たちが先輩方に声をかける。
「あら、1年生ね。どうだった?私たちの演奏、楽しんでくれた?」
部長の友梨先輩が感想を聞いてくれた。
「俺、痺れました!」
誠也が興奮してそう伝えると、友梨先輩が微笑みながら言った。
「これがね、私たちの光陽サウンドよ。まぁ、まだまだ歴代の先輩には及ばないけどね」
友梨先輩はいつ見てもカッコイイ。
「楽器運搬、手伝いますね」
えり子が先輩方に声をかける。
「新入生の歓迎会なのになんだか悪い気もするけど、せっかくだからお願いしますかね」
「はい!」
気づけば、誠也たち3人以外にも何人かの1年生が集まってきて、音楽室まで楽器運搬を一緒に行った。
片付けが終わると、今日は自主練習となった。
「片岡、ちょっと吹いていかない?」
誠也とえり子は昨日から自分の楽器を持て来ていた。
「いいね!」
誠也も同意する。
「天気良いから、屋上で吹こうか!」
二人は楽器を持って屋上に出た。よく晴れた夕方の空は、青から茜色のグラデーションを成していた。
「うにゃ~、空がきれい!」
そう言って、えり子はスマホで空の写真を撮っていた。
その横で誠也は楽器ケースからトランペットを出す。
「はにゃ? あの樹何かな? リンゴの樹?」
えり子が眼下に広がる畑を指さす。
「あぁ、あれは梨の樹だね。」
「梨かぁ。白い花が咲いてるね! 小さくて可愛い!」
そう言いながら、えり子も楽器ケースを開けて楽器を取り出した。
「中学の時も屋上で、よくこうやって片岡と楽器吹いたよね」
「当時は梨畑じゃなくて、海が見えてたけどね」
誠也は去年の夏のコンクール前を思い出した。海に向かってがむしゃらにコンクールの曲を吹いていた夏。それから半年以上が経った。
誠也は中学生から高校生になり、制服も変わり、眼下に見える景色も海から梨畑に変わった。一方で当時と変わらず、誠也の左側にはえり子がいる。
そう考えるとなんだか不思議な気持ちだ。
そこまで考えて、誠也は大きく首を振った。自分でも驚くほど感傷的なのは、今日の先輩方の演奏に感化されたからだろうか?
らしくもないことは考えるのをよそう。気持ちを切り替えるために楽器を吹こうとした瞬間、えり子に話しかけられた。
「ねぇ、片岡」
「何?」
「私たちさ、中学生から高校生になって、制服も変わってさ。屋上からこうして見る景色も、海から梨畑に変わったけどさ。相変わらず私の右側に片岡がいるのって、なんだかすっごい不思議じゃない?」
そう言って、えり子がほほ笑んだ瞬間、誠也は鳥肌が立った。
「どうしたの? 片岡」
怪訝そうに誠也を見るえり子。
「お前、キモっ!」
「はぎゃ! 私なんか変なこと言った?」
赤面していくのを自覚した誠也は、えり子に背を向け、走り出した。
「ちょっと、片岡、どこ行くの~?」
「トイレ!」
逃げるように去っていく誠也の背中を、えり子はただただ怪訝そうに見つめていた。
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