第十八話(最終話)

「話を戻すけど」

「話って、何の話だっけ?」

「やっぱお前、認知症の検査を受けろ。絶対に前頭葉とか海馬がスカスカになってるぞ」

「うるせぇ!二言目にはボケてるだの認知症だのって、お前だって同じようなもんだからな」

「俺がお前と同じ?そこまで酷くはないぞ!まあ、そんなことはどうでもいい」

 店員が二人のハイボールをテーブルに載せたので、亨は言葉を飲み込んだ。

「好奇心のところで話がずれちゃったけど、俺が言いたいのは、要するに若いうちに興味があることを経験すればいいと思ってるんだ。さっきも言ったように、例えそれが異性との遊びでもいいし、嫌になるくらいにゲームをしたり、映画を観たり、死ぬほど本を読んだり、国内でも海外でも何処でも好きな場所に行って、好きなことをすればいいんだよ」

「したくても、それができないのが若いってことだろ?」

「だから言ってるだろ!国が時間と金を提供するって。大体海外で優秀なやつって、学生の頃にバックパッカーやってたとか、バンドを組んで世界各国を回ったとかっていうのがいただろ?例えばL・Aのトーランス支社のスチュアートだって、あいつ大学在学中から世界をヒッチハイクで回り、卒業してからも仕事をして金を貯め、金ができるとまた旅に出る、っていうのをしてたんだぞ。で、結局チリで知り合った十五歳も若い奥さんと子供ができてから結婚して、何社か渡り歩いてから会社うちのテキサスにあるオースティンの事業所に就職したんだ。入社後は、あれよあれよと言う間に頭角を現して、今じゃ米国支社のGMだからな」

 亨はハイボールをゴクリと飲んでから、早川に言った。

「スチュアートは確かに仕事ができるよ。発想も柔軟だし、ミドルネームはネバーギブアップって言うくらい、絶対に諦めない芯の強さもあるけどさ。だけど、やつはてめぇの金と時間でバックパッカーをしてたんだろ?だったら、日本人でも同じことはできるはずじゃん?なんで国が若いやつらの遊びに金を出すんだよ。勉強とか研究とかならまだ分かるけど」

 早川はハイボールをチビリと飲んで、届いたばかりのたこウインナーを、愛おしそうに口に入れた。

「遊び遊びってお前は言うけど、この制度の基本は元々ポテンシャルのある若い人をピックアップし、そいつの能力の向上を助けようっていうのが趣旨なんだぞ。で、選ばれた若い人が制度の活用期間を終了し、元の職場に戻るのか、その期間中に転職活動をして新しい職場に就いたり、自分で事業を始めたりするのかは分からんが、とにかく仕事で得る報酬が増えるようになれば、当然納税額は増えるし、新規の事業を始めたりすれば、新しい雇用も創出できるだろ?」

「数年間遊んだり、好きなことをすれば仕事ができるようになる保証なんてねぇだろ!逆に優秀だった若いやつが、遊びをおぼえて堕落する確率の方が高い、と俺は思う」

 早川は、そんな戯言には共感できないという表情で言った。

「だから何度も言ってんだろ!AIが個々人のデータから将来成功しそうな人材をピックアップするって。そこから更に試験や面接を経て合格すれば、金と時間が提供されるんだよ。俺が考えるに、天然資源のないこの国にとっては、人材への投資が最も重要な施策になるべきだと思うけどな。そういう意味でも現役を引退した俺達世代、つまり高齢者だな、それらへの投資を削ってでも、現役世代にもっと投資をするべきだし、恩恵のある税制改革や、支援策を実施しないと」

「それはお前が経済的に恵まれているから言えるんだよ。現実の社会では、生活保護の受給者は高齢者になるほど増えているんだぞ。そういった人達を見捨てるわけにはいかんだろ」

「それはそうだけど、じゃあ、若い現役世代に恩恵を感じさせることなく、過重な負担を強いたままで、この国は上手く行くのか?」

 亨は真剣な表情になって言う。

「それこそ資源の配分をどうするかだろ?限られた原資をどう有効に活用するかだ」

「じゃあ、この国では将来的に社会保障を更に充実させるので大増税を受け入れろ、ってなっても構わないのか?」

「何真剣に言ってんだよ!こっちは、親切でお前の戯言に付き合ってあげてるのによ」

 早川は気色ばんだ表情になって言う。

「そうだったな、すまんすまん。要するに俺が言いたいのは、この国を良くするためには、若い現役世代にもっとリターンが実感できるような施策が必要だってことだ。それも今までのような杓子定規な施策じゃなくて、柔軟性のあるものにした方がいいって言いたいだけだよ」

 亨は表情を和らげて、ゆっくりとした口調で言った。

「そうは言ったところで、人間なんて脆いからな。一度楽しいことを知っちゃったら、真面目にやることがバカバカしくなっちまうのが常だろ」

 早川はあくまでも否定的だ。

 そんな早川の態度に、亨は再びイライラしてくる。

「何でお前はそう否定的な事ばかり言うんだ!そんな堕落する輩は端っから選ばないんだよ。万が一、お前が言うようにこの制度で堕落したやつは、金と時間……時間を返してもらうのは難しいか、強制労働をさせるわけにはいかねぇだろうし。でも金の方はキッチリと返してもらうように縛りをかけておくんだよ」

 亨は一気に言って、ハイボールで喉を湿らせる。

「何だ、その縛りって?」

「だから、期待した納税額、つまり収入が増えないやつは、国が考えている成果が出ていない、あるいは出せない状況ってことだ」

「つまり、それって投資の失敗だろ?」

「そうなるな。だから、この制度を利用するに当たっては、事前に契約というか相互に確認をしておくんだよ」

「契約、確認って?」

「例えば、何歳時点で期待する納税額がいくらで、実態がマイナス何パーセントだと、支給した金額に利子をつけて返却するとか……。返す金額も納税額の達成度毎に決めておくんだ。期待以上の場合は支給された金の返金は不要となるのが最高ランクで、そこから達成度が低くなるにつれて、返金する金額と利子が増えていくようにするんだよ。あ、あと海外に移住する場合は、全額返金で利子も最大値にするとか決めておくんだ」

「ふぅん、今の給付型や貸与型の奨学金みたいだな」

「金に関してはそんな感じだ。でも、こっちは露骨にエリート育成のプログラムだから、制度利用には明確な区別ができちゃうけどな」

「区別じゃなくて差別だ!」

 早川が非難めいた口調で言う。

「うん、まあ、でもこれからはその区別は必要になると思うよ。もちろん理想的には全国民分け隔てなく機会を均等にってなるんだろうけど、これから先、そんなこと言ってたら他の国にやられちゃうって。今の発展途上国のハングリー精神というか、向上心は、経済発展を最優先させて少しでも国を豊かにして、国際的なポジションをちょっとでもいいから上げていきたいというギラギラした野心に溢れているぜ。そんな国は優秀な人材の育成に血眼にならざるを得なくなって、将来性のある人物への投資は半端なくやっていかないと、と考えてるはずだ」

「それは発展途上国だからだろ。落ちぶれたとはいえ、この国は世界第三位の経済大国なんだぞ……なんか四位に落ちるとかっていうニュースもあるけど」

「お前、本気でそう思ってんの?」

 亨は軽蔑の眼差しで言った。

「なんだ、その人を馬鹿にしたような面は!」

「いや、お目出たい爺さんだな、って」

「俺のどこがお目出たいんだよ!」

 早川はそう言って、たこウインナーの頭を割り箸でぶっ刺し、口に放り込んだ。

「あ、お前、たこを虐待した!」

 亨は早川の怒りをクールダウンさせるように、笑いを交えて言った。

「え?あ、そう、食べ物に当たっちゃいけねぇよな」

 早川はハイボールを口にし、噛み砕いていたたこウインナーを、ゆっくりと飲み込んだ。

「そうそう、ありがたく頂かないと」

「てめぇが言うな!って言うか、長々と講釈を垂れていたけど、それがお前の一番悪い癖だ」

 早川はこれから反転攻勢に出るぞ、といった表情になった。

「なんだ、俺の悪い癖っていうのは?」

「分からねぇか?」

「な、なんだ、その勿体ぶった言い方は。さっさと言え!どうせ見当はずれのことなんだろうけど」

 早川の余裕のある表情に気後れしながら、亨は虚勢を張った。

「若いやつに金と時間を与えるなんて、話の流れから思いついただけだろ?で、俺と話をしながら、俺を説得できる要素を考えて、更に話を膨らませただけだろ?違うか?」

「ん、まあ、頭に浮かんだことをしゃべっただけではないけど。執行役員の時、管掌事業に北米事業もあって、そん時に向こうの連中を見ていて感じていたことは事実だ」

「まあ、そういった話の組み立ての上手さは褒めてやるよ。だけど、お前はとにかくせっかちな性格だから、直ぐに結果が出る対処療法的なストーリーを作りがちなんだよ」

「対処療法?」

「そう、まあ同期で一番早く管理職になったっていうのもあって、即、決断をして、即、結果を残さなきゃいけない立場が長かったからな」

「それがなんだって言うんだ?」

 亨は早川が何を言いたいのかが分らず、戸惑いながらハイボールで口を湿らせた。

「何か問題が出来した時のお前って、考えるより先に直ぐに動くだろ?」

「なんでもかんでもじゃないぞ。ケースバイケースだ」

「そうか?部下からしたら直ぐに対応してくれる頼もしい上司に見えるかもしれないが、周りの同僚の立場で見てると、結構危なっかしい感じがしたけどな」

「例えば?」

「もう二十年以上前だったか……香港のベンダーが納品数量を一桁間違えて、深圳工場のプロキュア担当から、どうなってんだ、って怒りの電話が来たことがあったろ?」

「ああ、あれな……」

 亨は思い出すのも嫌だというように、顔を顰めた。

「お前は直ぐに発注書を確認し、ベンダーにはちゃんと発注をしているって、深圳のプロキュア担当に返して……」

「あれは、確かに俺が悪い。俺の早とちりでベンダーにクレームを入れちゃったけど……」

「ベンダーからは数量変更のPOが再発行されているのに、なんで文句を言うんだって逆クレームを食ったよな」

「ああ……」

「その後調べたら、お前の所のスタッフが、別のパーツの数量変更を、誤ってクレームになったパーツのPOを作成し、しかもお前の決済印まで押してあったというオチだったよな」

「そ、そんなの誰だってあるだろ?お前だって、当時俺に来る決裁って一日にどれくらいあったのか知ってるだろ?」

「それは言い訳にはならねぇ。それよりももっと……」

「分かったよ、もういいよ。俺が早とちりで、全体を俯瞰できない近視眼的な間抜けだってことは」

「いや、プロジェクトなんかで時間をかけてじっくりと取り組む案件は、そんなことはないんだが、時々、何をそんなに焦ってるんだ、って感じることはあったさ。そういう時のお前って、根本的な解決策より、対処療法的な対応が多かったよ。もちろん、その場で直ぐに火を消さなきゃいけない場面も沢山あったんだろうけど、お前って、火を消したら次の現場へ、っていう取り組み方だったよな。まあ、それ程、お前んとこに色々な案件がぶん投げられて、後ろを振り返る余裕なんてなかったんだろうけどな」

 最後の方は同情するような口調になり、早川はたこウインナーを箸で摘まんで口に入れた。

「忙しいっていうのは言い訳にならないからな。でも、お前の言うことも、今となれば、そうだったんだなって思うよ。根本的に解決するには時間がかかる案件ばっかりだったっていうのもあるけど、なんて言うか、ありきたりな言い方になっちまうけど、構造改革が必要だっていうのは分かっているけど……」

「そんなのにかかずらっていたら、単年度の事業計画の達成は覚束ないし、中期計画に盛り込んだところで、そこにヒト・モノ・カネを投資する余裕もなかったしな。お前の悪い癖だなんて言ったけど、その何十倍もチームや事業部、会社には貢献したのは事実だから、そう意味では尊敬してるさ」

 早川は最後の方は早口になり、ハイボールの入ったジョッキに口をつけた。

「何を照れ臭くなるようなこと言ってんだよ。でも、お前が言う俺の思い付きは置いといて、今の調子だと、これからこの国はどんどん駄目になっていくぞ」

「少子高齢化だしな」

「それもあるけど、それだけじゃないって。抽象的な言い方で悪いけど、社会全体があるいはの在り方を議論する機会が少なすぎると思う。国会中継なんか観ているとマジでこの国はヤバいと思うよ。大局的な議論はせず、与党のスキャンダル追及や揚げ足取り……まあ、これは与党に問題があるのは確かだから、駄目議員には速攻で退場してもらうしかないけどな。それより、この国は、この方向に進みます。何故なら地球規模での課題がこれこれこうで、この国はこう対処しながら、あるべき姿に向けた投資を行いますとか、こんなの見たり聞いたりしたことあるか?」

「そもそも国会中継なんて観たことねぇし」

「俺も偉そうに言ってるけど、実は国会中継なんてまともに観たことない」

「はあ?観たことねぇのに、偉そうに言ったのか」

「そう……ですかね。まあ、国会中継なんかどうでもいいんだよ!要はお前が言うように、この国も抜本的な構造改革を行なうのか、それとも、このままのらりくらりと先細りの道を進むのか……。だけど、落ち始めると加速度的に悪化して、にっちもさっちもブルドックだぞ」

「なんだ?ブルドックって……あ、フォーリーブスか。今時、そんなの分るのは、化石みたいな俺達世代以上だって」

「この場はお前が分ればいいんだよ。とにかく、国力が落ちていくのは確実な状況なのは明らかなんだから」

「国力って、経済力か?」

「もちろん、それは重要だけど、他にも色々とあるだろ」

「例えば?」

「例えばって……民度だな。うん、民度。マナーの悪い輩が増えてるだろ?自分さえ良ければいいって輩が」 

「それは分かる」

 早川は短く応え、たこウインナーに添えられているキャベツを口に入れ、むしゃむしゃと食べる。

「誰かが言ってたけど、法治国家と言ったって、全ての事象が法律で定められているわけじゃなく、昔から連綿と続く仕来しきたりというか慣習や暗黙のルールが、社会生活の安定に寄与していることが多いって」

「シキタリ?どういうこと?」

「昔からなんとなく守られている社会的な慣習っていうか、別に法令違反じゃないから罰せられることはないけど、非難の眼で見られたり、後ろ指を指されるようなことだな。例えば冠婚葬祭、人によってはめんどくせぇってなるけど、でも、年齢を重ねるといつの間にか身についてたりするよな。それと長幼の序。これが一番分かりやすいかも。子供の頃からお年寄りを大切にしましょう、ご両親に感謝しましょう。お兄さん、お姉さんの言うことは聞きましょう。とにかく、自分より一歳でも上だったら敬わなくちゃならないような教育を受けてきたよな。英語圏では先輩後輩のような概念がないみたいだから、これは日本的な解釈だ」

「韓国は日本より年上が尊重されてるけどな」

「確かに儒教の影響があって、年齢は重視される傾向はあるな」

「で、先輩後輩がどうしたって。っていうか、なんの話をしてたんだ?」

「またボケが始まった!日本の仕来りの話をしてたんだろ!」

「なんで日本の仕来りの話しになったんだよ!」

「国力の話になって、お前が経済力以外に何かあるのかって訊くから、今説明をしてるんだろ」

「だから、お前の話しはまどろっこしいって言うんだよ!本質からどんどん離れていって、なんの話か分からなくなるんだ!それを人がボケてるとか言って誤魔化すんじゃねぇ!」

 そう言って、早川はたこウインナーを箸でぶっ刺し、口に放り込んだ。

「あ、また虐待だ!たこの人権、じゃなかった、たこ権をどう考えてるんだお前は!」

 亨はここが形勢逆転のチャンスとばかりに、早川に詰め寄る。

「うるせぇ!お前につべこべ言われる筋合いはねぇんだよ」

 早川は気色ばんで言い、ハイボールをゴクリと飲んだ。

「あ、いや、そんなに真剣に怒るな。俺も少ししつこかったな……お代わり頼むか?」

 怒った表情でハイボールのジョッキを空にした早川に、亨は機嫌を取るように猫なで声で訊く。

「お前の奢りなら飲んでやる」

 早川は硬い表情のまま言った。

「今日は俺が持つよ。確かにお前が言うように、若いやつ等に時間と金を与えるなんてまどろっこしい小細工をしなくても、もっと転職がし易い社会にする方が健全だな。終身雇用や、新卒一括採用なんてほとんどこの国だけだ。だから結果的に新卒時にいい会社に入るのが目的になって、その会社でのキャリアアップを目指すことになっちゃんだよ。海外は通年採用が主流だし、企業側は即戦力を望んでいるのに対し、日本は学歴などのポテンシャル重視で、採用してから会社に貢献できるように教育をするスタイルだから、どうしても雇用の流動性が低くなってしまう。まあ、偉そうに言ってる俺が、転職したことないっていうのも変な話なんだけど」

「それは仕方ないさ。だったんだから、俺達の時代は。アホみたいな受験戦争を経て大学に入り、でも大学に入ったらバイトと遊びばかりで、碌に勉強もせず、四年になったら就職活動などといって、学校にも行かずに企業回りだったし。アメリカみたいに在学中から起業を目指して準備しているやつなんて、少なくとも俺の周辺にはいなかたよ」

「確かに、お前の言うように、俺達の時代は、学校にしろ、会社にしろ、入ることが目的で、あとは野となれ山となれ、ってな感じで、周りに流されていく感じだ。もちろん、少数だけど、大学で勉強三昧、会社では出世だけを目指して、馬車馬のように働くやつもいたけどさ」

「でも、うちの会社もかなり変わってきたぞ。最近の新入社員なんか見てると、飄々としてるっていうか、淡々としてるっていうか、まあ、かなりマイペースなのが多くなったよ」

「俺達とは相当な世代間のギャップがあるから、彼らの本音を知るのは難しいって。飄々としているようで、粘り強く頑張ってる新人もいたから、軽々に判断はできないよ。こればかりはある程度時間を要するんじゃねぇのかな」

 早川の言葉に追従するように言い、亨はハイボールを飲んだ。

「確かに、俺達の入社時もそんな風に見られてたのかもよ。だって、上司や先輩社員には戦争を体験している人もいたから、入社して直ぐに髪の毛を伸ばし始めるやつとか、カラーシャツを着て漫画を片手に出社したりとか、結構好き勝手にしてたもん。諸先輩方からしたら、とんでもねぇやつ等が入ってきたな、と思ったんじゃねぇのか」

「それは言える。いつだって、時代の変化はあって、世代間のギャップはつきものだ。同世代が全て同じ価値観だなんてことはないにしても、ある程度、世代ごとに共通の価値観、あるいはさっき言った仕来りや慣習っていうのは必ずあるからな」

「そうだな、そういう意味でも、これからは会社も口先だけではなく、マジで成果主義に変わらざるを得なくなってくると思うし、そうなれば、お前が言う雇用の流動化も当たり前になってくるんじゃねぇのか」

「そうだな。でも雇用の流動化が当たり前になるってことは、終身雇用が当たり前じゃなくなるってことだから、どっちにしろ、会社に入れたから安泰、なんてことは、これからはなくなるんだけどな」

「使えないと判断されると、はい、ご苦労さんでした、と肩を叩かれ、会社を放り出されちまうからな」

「まさにトレードオフだ。雇用の流動化が進んで転職がし易くなると、実力のあるやつはより良い条件の会社に転職できるけど、成果を上げられないやつは、常にクビに怯えながら働かなきゃならなくなるんだからな。終身雇用と雇用の流動化なんて、両立しないんだから」

 亨は苦いものを飲むように、テーブルに届いたハイボールを舐めるように飲んだ。

「どっちがいいか悪いの話じゃなく、ビジネスがグローバル化している今、ガラパゴスのように、この国だけで経済は完結できないのは常識だ」

「まあ、この国は自分の意志で変革をすることが不得手、というよりできないんだから、グローバル化でもなんでも、外圧で変革せざるを得ない状況になった方がいいのかもよ」

「黒船が来てからの明治維新か?」

「あと、終戦後もそうだ。とにかく現状のままでは国の発展なんて絶望的なのは明らかで、外圧だろうがなんだろうが、国の形を見直すきっかけが欲しいところだ。いつまでもチマチマした議論をしててもしょうがねぇだろ」

「チマチマしたって?」

「例えば少子化対策ひとつとっても、金の話ばかりだ。給付金だ、教育の無償化だ、子供の医療費の免除だとか……。他には夫の育休取得の促進なんていうのもあって、どれも必要かもしれないけど、そんなんで、子供をどんどん生んで育てよう、ってなるか?そんなのは、って言っちゃいけないのかもしれんが、お前が言う少子化対策の根本的な解決にならないのは分るだろ?考えてもみろよ、経済的に苦しいから子供を産めないなんて言うんなら、じゃあ金持ちは子沢山か?そんなことねぇだろ。もちろん、経済的に厳しいから躊躇をしている夫婦もいるだろうけど、それだけじゃないよな」

「そうだな。なんか、違うよな」

「さっき言った、教育の無償化や子供の医療費の免除だとかは、しっかりと実施すればいいと思うよ。だけど、これらは子育て支援で、少子化対策の根本的な解決策じゃねぇって。そもそも結婚に対する考え方が変っちまって、子供を産む前の段階から問題があるんだから」

「会社にも四十、五十で独身って、結構いたもんな。他人と生活するのが煩わしいとか、好きなことができなくなるから嫌だとか、自分の時間がなくなるのは、恐怖以外の何物でもないっていうやつもいたし」

 早川は亨の言葉に同調した。

「そう、俺も独身生活が長くなったけど、この生活に慣れちゃって、今じゃ不自由を感じることなんかないぜ。だから、お前が言う再婚なんて論外だ」

「まあ、そう言われると何も言えなくなっちゃうけど」

 早川はハイボールを一口飲み、腕時計を一瞥しながら言う。

「前に話したことがあるけど、この国の人口の減少は、既定路線なんだよ。だから少子化対策と並行して、いや、むしろもっと本腰を入れて議論しなきゃいけないのは、人口減少を見据えての国の在り方なんだ」

「今世紀も終わりころには、この国の人口は半分程度になっちまうんだろ?」

「まあ、大雑把に言えばそんなところだ。……締めに焼きうどんかお茶漬けを頼むか?」

 亨は一息入れるように、早川に訊いた。

「まだ食うのか!俺はいらねぇ。食いたければ、お前の好きな物を勝手に頼め」

 早川は呆れたように返した。

「そうか。じゃあ、焼きおにぎりで我慢するか」

 そう言って、亨は近くを通った店員に焼きおにぎりを注文した。

「また、味の濃い物を……。そのうち血管が破裂しても知らねぇからな!」

「そん時は、そん時だ。で、話を元に戻すと……」

「まだ御託を並べるのか?」

「御託?ご託宣だ、だから有難く聞け」

「早く焼きおにぎり食って帰れ!」

「まだ、焼きおにぎりはきてねぇ。まあ、俺も眠くなってきたから、もう止めるよ」

 亨はジョッキに残っているハイボールを飲み干した。

「焼きおにぎり食ったら帰るぞ」

 早川は露骨に腕時計を見ながら言った。

「分かったよ。でもな、マジで国力が落ちると碌な事にならないっていうのは確かなんだ。だから、政治家どもは、もっと真剣に議論して欲しいし、メディアも偏りなく、議論の内容を報道してもらいたいもんだ」

 亨は氷だけになったハイボールのジョッキを弄びながら、未練がましく言う。

「それはそうだな。大手メディアのほとんどが国、あるいは国家の在り方に対して理想論が過ぎるんだよ。で、その理想論の実現に関する具体的な方策がほとんどないって言うのが、何とも……」

 早川も、もうすぐ帰れるので、少しだけお付き合い程度に話を合わせた。

「確かに、減税しろ、だけど社会保障は手厚くしろ!防衛費は最低限にして、外交努力で国の安全保障を担保しろ!そんな絵空事を平気で主張しちゃうんだからまいっちゃうよ。もっとも、使えねぇ政治家の人数や歳費の減額は、焼け石に水だけど、是非とも実行して欲しいけどさ。まあ、そういう俺達も具体的なアイデアや方策なんて全く持ってないから偉そうなことは言えないけど」

 届いたばかりの焼きおにぎりを一気に半分程かぶりつき、亨は言った。

「確かにノーアイディア、ってところだ。うちのわがまま娘はまだ結婚してないけど、この先、孫ができたとしても、その子が生きていくこの国の環境は大丈夫なのかね?」

「孫よりも結婚が先だろうよ。うちの娘みたいに、日本人以外の男と結婚して海外に移住すれば、まだ救われるかもよ」

「外国人の婿さんかぁ、なんかピンとこないな。本人が良ければ、別にどこの国の男と一緒になろうが構わないけど、正月なんかは何となく婿さんと炬燵に入って酒を飲んでみたいとか、漠然と想っていたから……。お前んところはどうなの?ドイツ人の婿さんと飲んだことあるのか?」

「そんなのねぇよ!結婚する前に一度だけ家に挨拶をしに来たけど、式も挙げずに速攻でドイツに帰っちゃって、娘も向こうに住むための手続きが済んだら、じゃあねぇ、って行っちまったからな」

「じゃあ婿さんとは、それからは一度も……」

「会ってねぇよ!ま、別にいいんだけど。俺も女房の親父さんと二人きりで、飯を食ったり飲んだりしたことなんか一度もなかったし」

「俺もない、というより、そんなの絶対に遠慮する!」

「俺達世代は、女房の親父さんっていうのは畏怖すべき存在だったからな」

「そうそう。結婚の挨拶をしに行く時なんて、マジで逃げようかと思ったもん」

「ホントにそう。怖い親父さんに結婚を認めないとか、娘に手を出しやがって、って怒られるんじゃないかと心配したくらいだ」

 そう言って、二人は手を叩いて笑った。

「うちのわがまま娘は、どんな男を連れてくるのかね?」

「さあ、こればっかりは本人次第だよ。でも、どんな男を連れてこようと、認めるしかないのが今のご時世だしな」

「そうだよな。なんか損してないか?俺達世代って」

「損?なんで」

「だって、俺がカミさんを貰いに行くときは超ビビって緊張しまくりだったのに、逆に娘をやる立場になったら、時代の流れで、結婚に反対できない雰囲気になってるじゃねぇか」

「別に変な男だったら反対すればいいだろ。無職だったり、女癖が悪くて何回も離婚してバツが何個もついてるとか。それこそ、俺達より年上の爺さんを連れてきて、この人と一緒になりたいとか言われたら、さすがに反対するだろ?」

「うーん、どうなんだろう。でも、あのわがまま娘は、絶対に俺の言うことなんか聞かないのは目に見えているけどな」

 早川は苦笑しながら言って、ハイボールを飲み干した。

「俺んところはまさにそんな感じだったよ。娘は俺に紹介する前に、死んだ女房と結託していて、俺は形式的にご対面をするしかなかったというのが本当のところだ……。じゃ、帰るか」

 亨も自嘲気味に言って、残りの焼きおにぎりを口の中に放り込んだ。

「ごちそうさまでした」

 早川はおどけたように言い、テーブルに手を突き、「よっこらしょ」と言いながら立ち上がった。

「何がよっこらしょ、だ。爺臭い!」

「うるせぇ!爺いが爺いらしくしてどこが悪い!お前だって時々爺臭い仕草をしてるんだからな」

「はいはい、俺も爺いだよ。よいしょっと」

 亨はわざとらしく言いながら立ち上がり、尻ポケットから財布を取り出し、伝票を持ってレジに向かった。


「じゃあな、電車、寝過ごすなよ」

「大丈夫だ、スマホのタイマーをセットするからよ。お前こそ、この後飲みに行ったりしないで、真っ直ぐ帰れよ」

「ああ、今日は帰るよ。また連絡する」

 亨はそう言いながら、駅を背にして自宅方面に足を向けた。

「うん、じゃあな。酒と塩分控えて長生きしろよ!」

「なんだ、それ!そっちこそボケずに長生きしろ!まあ、お前に遺体の検分というか、確認をしてもらうのは申し訳ないから、少なくともお前よりは長生きするさ」

「そう願いたいもんだ」

 早川の言葉を背に受けながら、亨は西陽で描かれた長い自分の影を踏むように、ゆっくりとふらつく身体で歩き始めた。


〈了〉

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