第十話

「どうする?」

「どうしようもないな。仮に再び大塚を眠らせてをしようにも、ターゲットの家に行く前に警備員と揉めるだろうし」

「万一、それをクリアしてターゲットから頂くものを頂いたとしても、今度はこのコミュニティから出ることなんて不可能だ。当初の計画ではここから出る時にゲートでの警備が厳しかったら、強行突破をしようと言ってたけど、今、この状況だと警備の方は準備をして待ち構えているから、それは無理だ」

 相沢は声を潜めて話していたが、後半は消え入るような声になっていた。

「じゃあ、今回は引き上げ……」

 梅本が力なく言葉を発した時、バーカウンターの奥から警報音が鳴った。

 先程梅本がチェックしたパネルの横にあるオレンジ色のランプが、点滅を繰り返している。

 梅本が椅子から立ち上がり、パネルに向かい、相沢はテーブルの上の銃を手に取った。

「玄関だ!誰かが玄関を開けようとしている」

 梅本の抑えた声に反応し、相沢は銃を持ったままダイニングルームを飛び出した。

「梅本、もう止めろ!無駄な事をしていないで俺に任せろ」

 大塚が落ち着いた声で梅本に語り掛けた時、玄関の方から乾いた『パン』という音が、反響しながら大音量で聞こえてきた。

 驚いた大塚と梅本が顔を見合わせていると、今度は『ドン、ドン』という轟音が二度、玄関だけではなく、ダイニングルームの空気までを振動させた。

 その後、静寂は戻ったが、残響が不安と共に二人の耳の奥を麻痺させている。

 

 気持ちをざわつかせる静寂が永遠に続くのかと思い始めた時、相沢がダイニングルームに入ってきた。だが、その顔は陶磁器のように白い。

「ど、どうした……やったのか?」

 梅本も言葉が上手く出ず、喘ぐような口調で相沢に訊いた。

「大塚さん、すみません。玄関を汚してしまいました」

 相沢は梅本の問いを無視して、ダイニングテーブルに座っている大塚に頭を下げた。

「玄関を汚したとか、そんなのはどうでもいいんだよ!ってことは、やっちゃったのか?」

 梅本は、苦悶の表情で大塚に頭を下げている相沢に向かって抗議するように言ったが、最後の方は独り言のような呟きになっている。

「撃ったんですか?」

「ええ、向こうがいきなり撃ってきたんで、反射的に二発。一発が相手の顔面に当たって……。すみません、かなり汚してしまいました」

「汚す、とかはいいんですが、じゃあ、相手の方は……」

「即死……だと思います」

 相沢は言い、ダイニングテーブルの上にあったミネラルウオーターを、銃を握っていない左手で掴んだ。

 右手で握っていた銃から手を放そうとするが上手くいかず、ミネラルウオーターを置いてから左手を使って右手の指を引き剥がすようにして、相沢はようやく銃をテーブルの上に置いた。

 ミネラルウオーターの栓を開け、ラッパ飲みするが、ほとんどの水が口の両端からこぼれている。

「梅本、大塚さんの結束バンドを外してくれ」

 相沢は、空になったミネラルウオーターのボトルを握りつぶしながら言った。

「あ、ああ分かった」

 梅本は大塚に近寄り、ウエストポーチから取り出したナイフで、結束バンドを切った。

「相沢さん、自首しましょう。このまま逃げ切ることなんか不可能です」

「この場合は自首じゃなく、出頭です。事は分かってしまっていますから」

「そんな言葉遊びはどうでもいいんだよ。だけど、今度パクられたら刑務所ムショでご臨終だぞ」

「分かってるよ。俺らしくていいかもな」

「何だ?ご臨終って?」

 大塚は自由になった両手を振って、血の巡りを良くしながら、梅本の言葉に反応した。

「ご臨終はそのままの意味です。つまり、刑務所の中で死ぬってことですよ」

「殺人は懲役十年以上ですが、相沢さん……」

「いや、殺人は初めてです、って胸を張って言うことじゃありませんが。まあ、傷害はそれなりに、ですけど」

 大塚の心配そうな問いに、相沢は自嘲しながら応えたが、覇気を全く感じない声で、ほんの数分で一気に老けた印象だ。

「じゃあ、自首、じゃなかった、出頭して罪を償えば、まだ……」

「そんなんじゃないんだよ」

「そんなんじゃないって?」

 話を遮った梅本に、大塚は怪訝そうな表情で訊いた。

「言いたくないけど、だいたいお前は刑務所の辛さを分かってないんだよ。しかもこんな爺さんになって、更に十年近くもあんな所で過ごすなんて……。ある意味死んだ方がましだって思うのが普通だ」

「そりゃそうだろうけど、この状況では逃げるなんて絶対に不可能だぞ。相沢さんには申し訳ないけど」

 大塚は力なく椅子に座っている相沢を一瞥した。

「気にしないでください。それより、少し酒を飲んでもいいですか?この先、もう二度と飲めなくなるでしょうから」

 そう言いながら、相沢はバーカウンターの方にゆっくりと向かう。

「ええ、構いません。好きなだけ飲んでください……私も付き合いますよ。梅本、お前は?」

 大塚は、相沢と同様に悄然としている梅本に声をかけた。

「そうだな、俺も付き合うよ」

 梅本は立ち上がりながら言い、相沢と大塚の後を追うようにバーカウンターの方に足を運ぶ。

 大塚は相沢を追い越し、バーカウンターの内側に入り、相沢にスツールに座るように促した。

「何を飲みます?梅本も今日は車に乗ることはないだろうから、好きなものを言ってくれ」

 大塚は相沢と、スツールに腰を下ろしたばかりの梅本を、交互に見ながら訊いた。

「では、またバーボンを」

「あ、俺も同じやつをくれ。さっき二人が美味そうに飲んでいるのが羨ましかったからな」

「じゃあ、俺もお付き合いするか」

 大塚は相沢と梅本に背を向け、ボトルが並んでいる棚から一本のバーボンを手に取り、カウンターの上に置いた。

「どうします?」

「ロックで」

「俺は水割りで」

 バーのマスターのように訊く大塚に、相沢と梅本は応える。

 大塚は冷蔵庫から氷を取り出し、ロックを一つと水割りを二つ作り、相沢と梅本の前に厚紙のコースターに載せたバーボンを置いた。

「乾杯するのはなんか変だから……まあ、飲みましょう」

 大塚は自分の水割りを右手で持ち、相沢と梅本に笑顔を向けてから、琥珀色の液体を喉に流し込んだ。

 それからパネルを壁から外し、タブレットとして持ってきて、何やら操作をした。

 梅本と相沢は、大塚の操作に一瞬眉を顰めたが、タブレットから『施錠を完了しました。センサーは正常に作動しています』という音声が聞こえてきたので、顔を見合わせて安堵した。

「とりあえずはこれで時間稼ぎはできます」

 大塚は『この後、どうします?』という言葉を飲み込んで、梅本と相沢を見た。

「武装警官相手に抵抗のしようもないので、どっちにしろ、出頭せざるを得ませんから……」

「少し落ち着いてから出頭しよう」

 梅本は相沢の言葉を継いで言った。

「そうするしかないな……でも梅本まで出頭する必要はないぞ」

 相沢はバーボンのグラスを両手で包むようにしながら言う。

「馬鹿野郎。お前一人で被る必要はねぇんだよ。どのみち、所持品を調べられたら俺の武器もバレるだろうから、隠すことなんかできねぇって」

 梅本も水割のグラスで喉を湿らせながら言った。

「まあ、梅本の言うのも分かるけど、まだもしてないからな。武器は隠そうと思えばどうにかなると思うが……」

 大塚が呟くように言う。

「そうだぞ、お前まで臭いメシを食うことはねぇんだ。お前は大塚さんに会いに来ただけで、それに無理やりくっついてきた俺が馬鹿なことを企んで……結果的に人を殺めてしまったってことでいいんだよ」

 疲れたのか、相沢は眼鏡を外してカウンターの上に置き、両方の瞼を指で軽く揉んだ。

「その辺りのことはしっかりと打ち合わせをした方がいいかもな。お、そうだ、肝心なことを忘れていた」

「何だ、肝心な事って?」

 何かを思い出したように言う大塚に、梅本が訊いた。

「いや、そんな重要な事じゃないけど、食後に酒を飲みながらでも訊いてみたかった事があったんだが……いろいろな事があってすっかり忘れてた」

「だから何だ?」

 梅本は大塚に話の先を促した。

「ああ、こんな状況の中で話すのも何なんだが……相沢さんには申し訳ないけど、少し私の話しに付き合ってください。で、二人に訊きたいんだが、梅本と相沢さんのお爺さんが、仲の良い友人だったというか、親友だったのは知ってるのか?」

「俺の爺さんと相沢のお爺さんが友人だったって?いや、そんなの知らないよ。お前は?」

 梅本は、眼鏡をかけ直して、バーボンのロックを舐めるように飲んでいる相沢に訊いた。

「いや、そんなのは聞いたこともないな。それってどっちの?」

「ああ、そうでしたね。お二人共母親、お母さんの方のお父さん、祖父ですよ」

「おふくろの方の?」

「ああ、お前のお母さんの旧姓は宮田だろう?」

 大塚がチェイサーの水を一口飲んでから梅本に訊く。

「確か、そうだったな。そんな事も調べたのか?」

「優秀な秘書さんですな」

 呆れたように言う梅本に、相沢も少し皮肉な口調で大塚に言った。

「すみません。で、相沢さんのお母さんの旧姓が早川、ですよね?」

「そうです、早川です」

 相沢は頷いた。

「宮田のお爺さんは亨さん、相沢さんのお爺さんは良三さんですよね?」

「そうだったかな?俺が生まれる前におふくろの両親は亡くなってたから、その辺の記憶は全くないな」

「そう、宮田亨さんは、お前が生まれる前にくも膜下出血で亡くなっている。202✕年の年末、六十七歳の時だ」

「六十七?俺の寿命と変わらねぇじゃないか!」

「何だ、寿命って?もしかして〈LEPD〉のことか?」

「そうだよ、俺たち二人共、長くて二年しか寿命というか余命がねぇんだよ」

 大塚の問いに、梅本は自嘲するように応えた。

「二人共って、まさか〈LEPD〉の算定が同じだったっていうのか?」

「全く同じじゃねぇけど、似たようなもんだった、な?」

 梅本は驚いている大塚に応え、相沢に同意を求めた。

「そうなんです。偶然って、怖いなって思いました」

 相沢はしわがれた声で言い、バーボンの入っているグラスを揺らし、氷の音を立てた。

「大丈夫か?」

 梅本は項垂れている相沢に声をかけた。

「ああ、ただ玄関で亡くなっている警備員の寿命は何歳だったのかと思うと……」

「……」

 相沢の絞り出すような言葉に、梅本と大塚は何も言えずに、それぞれの水割りのグラスに視線を落とした。

「続けてください」

 相沢は、沈黙に耐えられなくなり、言葉を途切れさせた大塚に、話を続けるように言った。

「あ、ああそうですね……。どこまで話したっけ?」

「俺の爺さんが、六十七で死んだってところだよ」

 梅本は少し狼狽えている大塚に言った。

「そうだったな。話は逸れるけど、お前、その後、お兄さんには会ったのか?」

「おに……ドイツ人とのハーフの兄貴か?」

 大塚からの唐突な振りに、梅本は面喰ったように確認をした。

「ああ、お前に父親の違う兄貴がいて、その人がドイツ人とのハーフだって言うのを、大学時代に話をしてたじゃないか」

「そうだったっけ?なんでそんな話をお前にしたんだ?」

「俺だけにじゃなく、大学の友人達数人で飲んでるときに、そんな話になって……。そうだ、俺が夏休みに行った格安のヨーロッパ旅行から帰ってきて、みんなにお土産を渡しながら、俺が住んでた学生寮の部屋で飲んでるときに、お土産に買ったチョコレートが、スイスで買うよりドイツの方が安かったって話になったんだよ。そしたら、お前が、俺にはドイツ人とのハーフのお兄さんがいるって話しをたんだ」

「そんなこと良く憶えてんな!話をした当人が忘れているっていうのによ」

「そん時に誰かが、お前はハーフっぽくないな、って冗談交じりに言ったら、おふくろはドイツ人と離婚して、その後日本人と再婚してできたのが、この俺だ!って少し怒ったように言ってたよ」

「そうだっけ?全く憶えてねぇな」

「お前、一度もその兄貴と会ったことはないのか?」

 学生時代の話で盛り上がっている二人をよそに、静かに飲んでいた相沢が話しに入ってきた。

「ない。俺だけじゃなく、おふくろも日本こっちに帰ってきてからは、一度も会ってねぇんじゃないかな」

「何か事情がありそうだな」

「その辺は俺には分からねぇな。おふくろも親父……俺の親父の手前、話をしたくなかったみたいだし。ま、正直言って、俺もあまり興味はなかったよ。ただ、おふくろが心臓を悪くして入院をしている時、俺はたまたま娑婆にいたから見舞いみたいなことをしに行ったら、その辺の話をしてくれたな。さっき大塚が言ってた爺さんが倒れたので、看病するために日本に帰国して……」

「お爺さんの奥さん、お婆さんも亡くなったてたんだな?」

「婆さんは爺さんより前に、肺癌で逝ってたから、一人娘のおふくろが、まだ小さかった兄貴を置いてドイツから戻ってきて、爺さんの面倒を看ていたようだ」

 梅本の話し相手が相沢に代わっていたが、大塚はそんな二人の会話を興味深そうに聞いていた。

「おふくろさんが日本こっちに帰っている間に、何かあったんだろうな」

「かもな。その辺は俺には分からねぇ。おふくろも話してくれなかったし」

「まあ、その辺の事情を知ったところで、何かが変わるわけじゃねぇしな」

「そういうこと」

 相沢の言葉に頷き、梅本は氷が解け始めた水割りをチビリと飲んだ。

「相沢さんは、お爺さんと会ったことは?」

 二人の会話を聞いていた大塚が、相沢に訊いた。

「何回か会ったことがありますね。俺が小さかったときは、正月にお年玉をくれたり、誕生日やクリスマスに、プレゼントを貰った記憶がありますから」

「お母さんは梅本のところと一緒で、他にご兄弟のいない、一人娘でしたよね?」

「そうみたいです。親父の方は家族運がないって言うのか、元々一人っ子で、おふくろと一緒になった頃には両親が既に亡くなっていたようだし、親戚との付き合いもなかったらしく、家に親父の親戚の誰かが訪ねてきたってことはなかったですね」

「じゃあ、お母さんの方の親戚との付き合いだけですか?」

「いや、おふくろの方も、親戚との付き合いはなかったと思います。それこそ、爺さんと婆さんしか会ったことないですから」

 相沢は過去の記憶を手繰り寄せようとしているのか、天井に視線を向けながら話をした。

「そうですか……」

 そんな相沢のグラスが空になったので、大塚は新しい氷を入れ、トクトクという心地良い音と共に、バーボンを注いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る