第3話 双子の使命

 刃璃はりの話が終わって解散となり、帰りに買い物をして帰ろうとかねたちと話しながら部屋を出ようとしていた夕凪ゆうなぎに、珍しい声がかかった。


「少し良いか」


 自分と瓜二つの顔を持つ青年が無表情でこちらを見ていた。


「城下町をぶらぶらしてる。――露草つゆくさ、行くぞ」


 矩の言葉に了承の頷きを返す。露草は少し躊躇うように夕凪を見たが、夕凪が微笑んで見せると安心したのか黙って矩の後を追って行った。

 二人の姿が扉の向こうに消える。刃璃とこがらしも退室した部屋には夕凪と朝凪あさなぎしかいない。


「久しぶりだな。こうしてお前と二人だけで話すのは」

「そうだね。ここしばらくはあまりゆっくり話すことはなかったから」


 しばらくと言ってももう数年以上は経つ。むしろ前にこうして二人で話したのはいつだったか。

 決して兄弟仲が悪いわけではない。ただ色々な理由で、一緒にいる時間が短かったというだけだ。


樹氷じゅひょうがいなくなって気落ちしていると思っていたが、ずいぶんと楽しそうだな」


 兄の言葉に少しだけ驚く。


「気落ちしているように見えた?」

「それくらいすぐ分かる」


 意外にも朝凪は夕凪のことを気にかけてくれていたらしい。普段から必要以上に声をかけてくる性格ではないので、こうして口にされると驚いてしまう。

(昔はもう少し言葉にして伝えてくれてたような気がするけど)

 もうずっと昔、一緒に過ごしていた幼い頃は、夕凪を楽しませようとあれこれ考えたり、時には励ましたりしてくれていた。


「すんなり剣の師を引き受けたことと言い、紀伊きい露草が余程気に入ったように見える」

「面白い子だよね、露草は」


 彼がこの世界に来てまだ数日しか経っていないが、すでに十分すぎるほど素直で良い少年だと分かっている。朝稽古の相手をしていても学ぼうとする意欲が伝わって来て、夕凪自身もそれが嬉しく応えたいと思ってしまう。

 そして何より、夕凪と矩から樹氷がいなくなった喪失感を吹き飛ばしてくれた存在だ。夕凪たちは確かにあの少年に救われた。

 朝凪は相変わらず無表情で同じ顔の弟を見ていた。


「――まあ、お前が楽しそうなら何よりだな」

「朝凪は楽しくないの?」


 夕凪の問いに、朝凪が微かに眉を寄せた。

(ああ、これは意地悪な質問をしてしまったかな)

 すぐに「ごめん」と謝ろうとした矢先、朝凪が口を開いた。


「――楽しい? まあ、この世界がついに終わるかもしれないという点については少し愉快ではあるな」

「……朝凪」


 夕凪は小さく息を吐いた。これは久しぶりに地雷を踏んでしまったかもしれない。


「もういい加減、生きるのに飽き飽きしていたからな。この前でもう五十回目の『リセット』を行った。私たちは一体いつまでこの世界に縛りつけられるのだろうな? 父上は一体何を考えていたのか……」


 彼の口から『父上』という言葉を聞くのも随分と久しぶりだった。なぜなら、その言葉が通じるのはもうこの世界にこの二人しかいないからだ。


「こんな世界なんか創らなければ良かったんだ」

「……」


 朝凪と夕凪の父親は、まさにこの雲世界を創った者たちの一人だった。本人は疾うにこの世界から去ったというのに、その子どもである双子たちはまだこの世界に生き続けている。

(――もう五千年か)

 『リセット』とは、百年に一度、統治者とその右腕になる者以外から夕凪と朝凪の記憶を消すシステムである。朝凪と夕凪はある一定の年齢から成長することはない。場合によってはまた子どもの姿に戻って人生を始めることもあった。

 そして、二人は死ぬことができない。瀕死の状態に陥っても、どういうわけか絶対に死ぬことはないのだ。いつの間にか身体は復活する。


「父上がかけた魔術のせいで、怪我をしても翌日には『再生』が始まる。これまでどれだけ試してもだめだった」


 実際、朝凪は火の中に飛び込んだり、高所から飛び降りたりしてみたらしい。だが自動的に何かの術が発動して結果は同じだったという。その後に分かったのは、明らかな自傷行為には勝手にバリア的な術が発動して阻止され、意図しない怪我の場合は身体に痛みやダメージを与えるものの、すぐに『再生』が始まって回復に向かうということだった。


「自分のことすら殺すことができないんだ。もちろんこの世界を破壊することなどできるわけがない。だったら他の要因で滅んでくれるのを待つしかないだろう?」


 かつてこの世界を創った者は、この世界の存続のために自らの子どもたちを犠牲にした。

『統治者の手助けとこの世界を守ること』――それが二人の使命だった。

 朝凪の言うことを黙って聞いていた夕凪は、眉を下げて困ったふうに兄を見つめた。

(朝凪の気持ちは痛いほど分かる)

 夕凪とて、この長い長い時間の中で色々な経験をし、その中で悲しい別れをたくさんしてきた。周りの人と同じように生き、死んでいくことができないことが嫌になったことも数えきれないくらいある。だが、朝凪のようにこの世界の破滅を願うことはなかった。夕凪はこの世界が決して嫌いではない。


「朝凪。私はこの世界を破滅に向かわせるわけにはいかない」


(今だって、矩と樹氷、それから露草を失うわけにはいかない)

 いつか別れが来るとしても、自分だけが置いて行かれるとしても、それでも彼らがいる世界を守りたい。

 朝凪はしばらく夕凪を睨んでいたが、やがてふいと視線を逸らした。


「……どうせ私たちは己の意志に関係なく、この世界を『守る』方に動くようになっているんだ」

「そうだね」


 幸か不幸かそういうふうになっているのだ。双子たちにはどうすることもできない。


「ねえ、朝凪」


 あらためて名前を呼ぶと、朝凪は不機嫌な声で「何だ」と返す。


「私は朝凪がいてくれて良かったと思ってるよ」


 同じ役目を与えられたのが二人で良かったと心から思う。半身とも言える朝凪がいなかったら、きっと夕凪の精神はすでに崩壊していただろう。

(まあ、こうして平然と生きてることがもうおかしいのかもしれないけど)

 朝凪が途端に半眼になって、気持ち悪いものを見るかのように夕凪を見る。


「何なんだ突然」

「いや? ちょっと言っておきたかっただけ」


 幼い頃はこういうことも平気で言っていたような気がするのだが。長い時間を生きているとなかなか言葉にできなくなってしまうらしい。


「折角の機会なんだ、朝凪ももっと露草と話してみると良いよ」

「今度は一体何を言い出すんだ」

「きっとすぐに分かるよ、露草が面白い子だって」


 露草と話していると不思議と気が楽だった。いつもどこかで感じる『普通の人ではない』という感覚がなくなり、純粋に楽しいと感じる。初めは樹氷という器に入っている存在だからかとも思ったが、そうではない。彼自身に人を惹きつける魅力のようなものがあるのだ。

 朝凪も彼と話すことでそんなふうに感じてほしいと思う。


「あ、そろそろ行かないと。他に聞いておく話はある?」

「……もういい。早く行け」


 そもそも先に呼び止めたのはそちらだというのに、朝凪は面倒くさそうに手を振って背を向けた。

 夕凪は「じゃあまた」と言いながら扉に手をかけた。軋んだ音の合間に、小さな声が聞こえたような気がした。


「お前がいて良かったなんて、今さらだ」


 口元を小さく綻ばせて、夕凪は廊下に出た。

 さあ早く、矩と露草が待つ城下町へ行こう。

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雲世界の子どもたち 葵月詞菜 @kotosa3

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