01-06 宮崎二見


「不思議なお姉さんだね」


 しばらく周辺の様子を眺めていた峯田さんが納得した様子で戻ってきたあと、家への道のりを辿る。遠くの雲は赤紫に染まり始めていた。峯田さんの言葉について少し考えてから、俺は頷いた。


「そうですね。あの人はちょっと特殊ですから」


「特殊?」


「変でしょう。うちの親も、姉に言われてすぐに納得して探偵を頼むのを認めるなんて」


「そう、だね」


 彼は慎重に言葉を選ぶようなそぶりを見せた。


「変というか、たしかに意外だったかな」


「ましろ姉は特殊なんです。あの人は異様に直感が鋭いから。だから、ましろ姉が『手に負えない』と思ったことは、うちの家族からしたら相当重い意味をもつんですよ」


「直感?」


 いまいちピンと来ないような顔で彼は繰り返した。べつに、他人にすぐに信じてもらえる話だとも思わない。


 異様な直感の鋭さ、と、異様な豪運。


「ましろ姉は毎年商店会のくじ引きで二等以上の景品を引き当ててくるんですよ。だいたい、新作のゲームハードとか、流行りの家電とか……」


「それは、直感っていうのと少し違うような気がするけど」


「以前家族で旅行に行ったとき」


 と俺は言葉を続けた。


「普段はなんだっていいような態度のましろ姉が、父が車を止めようとしたサービスエリアに入ることをかなり嫌がったことがありました。結局寄ることになったんですけど、ましろ姉があんまり嫌がるんでちょっと休憩してすぐに離れたんですよ。そしたらそのあと、駐車場で車両火災が起きたらしい」


「……なるほど」


 もちろん、これらはあくまで、わかりやすいいくつかのエピソードのうちのいくつかでしかない。


「だから、半信半疑であっても、どうしても無視できないんです。うちの家族は」


「……きみは?」


「はい?」


「きみも、少し変わっているように見える」


「俺ですか?」


 肩をすくめた。


「俺はべつに凡人だと思いますよ。もし変わってるように見えるとしたら、たぶん家族として特殊だからじゃないでしょうか」


「……それ、僕が聞いてもいい話?」


「俺は厳密にいうとあの家の家族ではないんですよ」


 あえて人に言うようなことではないけれど、だからといって隠しているわけでもない。


「俺には六年以上前の記憶がないんです。六年前の初夏頃、どこかの神社で衰弱して意識を失っていたところをましろ姉が見つけたって聞いてます。当時のことはよく覚えてないです。し、その頃も記憶が曖昧で、自分の名前もわからない状態だったそうです。施設に入れられるはずだったところを、うちの親が後見人として引き受けたって聞いてます」


「後見人って、そんなふうにして決まるもの?」


「さあ。父が弁護士だったから、そのあたりの法律の問題は父がどうにかしたんでしょうけど。ただあらゆる面で、俺の家族は見つからなかったみたいです」


 捜索願もなく、名前もわからない子供。衰弱しており、記憶がなく、自分がどこに住んでいたのかもわからない子供。


「ああ……六年前だと、震災の年か」


「そのあたりのことも関係あったのかどうか、それは知りませんけど、とにかく、今は引き取られているというか、保護されているというか、そういう状態のまま、ここまで来ました」


 ちせは未だに俺に敬語を使う。俺のことを兄と呼ぶときは戸惑った顔をする。当然と言えば当然だろう。俺が家にやってきたとき、ちせだって小学校の高学年になる頃だった。突然一緒に住むことになった同い年くらいの男の子を、いきなり兄と呼べというのは無理がある。


 そのまま、六年が過ぎた。


「……待って」


「はい」


「六年前っていうと、神隠しがあったよね。きみは……」


 俺は一瞬溜息をつきかけて、こらえた。


「俺が発見されたのは」と俺は言った。


「例の神隠しが起きる二週間ほど前だったそうです」


 六年前の五月、市内の小学生が二人、行方不明になったことがあった。片方は二週間後に帰ってきて、もう片方は見つかっていない。


「……ごめん、安直だったね」


「いえ。さんざん言われたことです」


 もしも神隠しの方が先に起きていたなら、俺は宮崎家ではなく、別の家に引き取られることになっていたかもしれない。


 俺の容姿は、神隠しに遭って帰ってこなかった男の子とそっくりだったらしい。けれど……俺がましろ姉に発見されたとき、その男の子はいなくなっていなかった。


「いちおう、会ったことはあるんですけどね。その、神隠しに遭った男の子の家族とは」


「……そうなんだ」


 父らしき人、母らしき人、娘らしき人。……他人としか思えなかった。そんな記憶が蘇った瞬間、俺はその映像がなにかに重なったのを感じた。娘らしき人、あの少女……。最近、俺は、彼女にどこか似ている人物に会いはしなかったか。


 そこまで考えてから、どうでもいいと思って首を振った。


 俺は宮崎二見だ。宮崎二見として生きてきた。べつに、それ以前のことなんて、思い出したいとは思わない。ましろ姉がいて、ちせがいて、父がいて、母がいる。そしてフィガロがいればいい。それ以外の何も、いまさら思い出したくはない。


 自宅に戻ったあと、少しして母が帰ってきた。母は峯田さんとしっかりと話したあと、結局ましろ姉に言われたとおり、捜索を依頼することにしていた。俺もそうするべきだと思った。


 峯田さんは捜索に際しての家族の心構えについての説明と、いなくなった猫を発見したときに家族がどう対応すべきかの説明と、どのような手段で捜索をするのかについての話をした。チラシを作ればポスティング等は峯田さんが請け負ってくれるだとか、雨の日は猫が動かないので依頼の日数にはカウントしないとか、そういう話だ。


 俺はどうしてか、フィガロのことではなく、さっき頭をよぎっただけの、いつか、一度だけ会ったことのある、神隠しに遭った男の子の妹らしき女の子のことを思い出していた。




 ちせの部屋をノックすると、彼女は少し遅れて反応をよこした。


「だれ?」


「俺だけど」


「……お兄ちゃん? どうぞ」


 扉を開けると、ちせはベッドの上で姿勢を起こして俺のほうへと向き直った。


「どうしたんですか?」


「いや。どうしたってわけじゃないんだけど」


 我ながら歯切れの悪い言い方になった。ちせは不思議そうに首をかしげる。


「いや、さっきの話」


「さっきの?」


「フィッシング詐欺の……」


 ちせは少し気まずそうな顔をした。


「えっと、はい」


「あれ、ましろ姉の嘘だから……」


「……そ、そうなんですね」


「や、ほんとに……」


「あ、はい。わかってます、信じてます」


 信じてもらえていない気がする。


「ほんとに、あれ嘘で……」


「ううん、わかってます。そうですよね。大丈夫です。……二見くんも男の子だし」


「……いやだから」


 と、言葉を続けそうになって、結局やめた。まあいいや、と思った。


「でも、危ないサイトには気をつけてくださいね」


「……気をつけるよ」


 俺はちょっとやけになった。

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