第10話 貴一の場合

 俺は元々大人しい子供だった。

 小学生では周りより小さかったし体力が少なかったので、皆と走り回って遊ぶのは苦手だった。それもあって、学校が終わればすぐにゲームの世界に没頭するような子供で、親からは良く怒られていたのを覚えている。

 中学生になると背が大分伸びていた。伸びていたと言っても平均より少し高いくらいなので周りには埋もれるような学生だった。

 それでも女子に多少はモテていたと自負している。自慢している。俺も意外といける男だったぜと喜んだものだ。

 そして趣味のゲームは変わらずしていて、この頃にはゲーム友達というものも数人いた。ここで友人からファタリテートというゲームを教えてもらったが、その時には有名なRPGゲームも発売していたのでファタリテートの事は頭の片隅に突っ込まれただけだった。


 高校になって俺は初めて髪を染めた。少し明るい茶髪にして、髪を跳ねさせて。高校デビューというものを意識して見た。新しくできた友人たちも似たようなメンバーで、所謂陽キャラというものにレベルアップしたのだ。

 他校の先輩や友人も増えて行き、口調も変わった。会話内容も彼女の話とか、先生うぜーとか、そんなもので、俺は外で大好きなゲームの話をしなくなってしまった。一人で家で過ごすときは好きなゲームをプレイしてはいたのだが、友人が家に遊びに来た時にはゲーム達を妹に依頼して隠してもらっていた。ゲーム仲間との交流も減っていき、俺はオタクである事を捨てようとしていた。


「お兄ちゃんお帰りー」


 その日家に帰ると、リビングには妹がいた。中学生になった妹だが俺がオタクであろうが陽キャになろうが何も変わらず接してきてくれている。そんな妹がソファーを占領し、何かゲームをしていた。テレビ画面にはイケメンの男が映っていた。


「何それ乙ゲ?」

「うん。ファタリテートって少し前に発売されたゲームの続編。イケメンでしょ私の推し」

「お前、二次元だけじゃなくてちゃんとした彼氏作れよ」

「私を推しの存在ごと抱きとめてくれる素敵な男がいれば三次元でも悪くないんだけどねー」

「見つかればいいな。俺の友人の中にはそんな奴いねーけど」


 冷蔵庫に入っていた麦茶を取り出し、自分のコップに注ぐ。

 いつもならすぐに自室に向かうのだが、今日は妹がやっているゲームに何故か興味を覚えた。鞄を床に置いてソファに寄り掛かってテレビ画面を見る。


「ファタリテートなぁ。名前は知ってるがプレイした事はねーや」

「私も前作はプレイしてないんだけどさ、乙ゲーとギャルゲーの二本を外伝として発売してたから気になって。お兄ちゃんギャルゲーの方やらない?」

「もうゲームやる暇なんてないわ」

「時間はあるのにしないだけじゃん」


 妹はテレビ画面から目を逸らさずにコントローラーを操作する。


「お兄ちゃん高校生になってから変わったじゃん。頭染めたし、友達が来ても高校の友達ばかりで中学の友達の人誰も連れてこないし」

「そりゃ、あいつらとは高校別になったし」

「あんなにゲームしてたのにさ、全くしないじゃん。中学まではテスト直前までゲームしてたのに」

「もう飽きたんだって。ゲームばっかりしなくても」

「かっこいいお兄ちゃんになってもさ、一緒にゲームしてくれてたお兄ちゃんの方が私は好きなんだよ」


 沈黙が流れる。妹の顔は見えないが、その耳は真っ赤になっている。照れるなら言うなよ。

 何も言わずに部屋に戻ろうかと思ったが、ふとテレビ画面に目がいく。そこに映されているキャラクターを見て、思わず前のめりになる。


「うわ、お兄ちゃん?」

「誰?その女の子誰?」

「え、クデルのこと?主人公の友達で、攻略キャラの今の好感度とか教えてくれるお助けキャラだけど」

「クデル」


 妹が何か言っているが俺にはもうその言葉は届かなかった。

 クデル。凄くかわいい子だと思った。強気を感じる吊り目も、顔に散るそばかすも、ワインで染まったような髪も、琥珀のようなその目も。とても愛おしいと思えた。


「……貴帆、このゲームかして」

「え、お兄ちゃん乙ゲーするの?」

「クデルが出やすいルートも教えて」

「……お兄ちゃん?」

「いや、つか俺がゲーム買いに行く。貴帆ついてこい。何かおごってやる」


 そう言って妹の腕を掴み、すぐにでもソフトを買いに行こうと動く。だが流石に妹に止められて、今日は妹のソフトを借りてプレイする事になった。

 ゲームが好きというだけで、自分がここまでゲームのキャラに心酔するとは思わなかった。

 ゲームではクデルの活躍はないが、攻略キャラの好感度確認がゲーム内で一日が終わる度にあるので頻繁に顔を見る事が出来る。それだけで心が躍る。

 一日中ゲームをやっていたかったが、親に怒られサボる事も無く学校に行った。それでも頭の中ではずっとクデルのことしか考えておらず、その頃にいた彼女にも他に想っている子がいるからと別れた。彼女には申し訳ないが仕方ない。彼女とクデルを比べてしまうぐらいになってしまったのだ。比べられてしまう彼女に失礼だと思っていたので別れた事に後悔はない。友人たちには勿体ないと言われたが、別れた本当の理由は絶対に話せなかった。

 ゲーム友達と連絡を再び取って、お互いの推しの話もするようになった。ゲーム友達を家に呼び一緒にプレイしていると妹も嬉しそうに混ざって来た。少し迷惑にも思えたが、こうやって遊ぶのも懐かしく楽しく思えた。

 高校の友人たちに隠しているのは変わらないが、自分が本当に好きな事をやれる時間を作れた今となれば、クデルを知る前はとても息がし辛かったのだと知る事ができた。クデルが俺を変えてくれた。クデルが俺の人生を変えてくれたのだ。だというのに。


貴一たかひと!!」


 俺の人生は簡単に終わってしまった。

 ゲーム友達とゲームショップからの帰り道、偶然にも高校の友人の姿を見かけてしまった。俺の手には隠す手はないゲームショップの袋があって、ゲームショップの前にアニメショップで買い物した友人もその袋を持っている。このまま会えばオタクだとばれてしまう格好だ。

 オタクを隠している事を知っている友人は俺が持っている袋を奪う。驚いて友人を見れば、友人は頷いてから顎で道の先を差す。その先には信号が変わりそうな横断歩道。青に変わった瞬間に走れば高校の友人には気づかれないかもしれない。気づかれたとしても何か急いでいたようにしか見えないだろう。

 後程ゲーム友達と合流しよう。そう決めて緑色の光が見えた瞬間、俺は走り出した。だが、後ろからゲーム友達の俺を呼ぶ声が聞こえる。そんな大声で俺の名前叫んだらあいつらにバレるだろう。そう思いかけたが、それどころではなくなった。

 右折してきたトラックが俺に向かってきていたのだ。

 確かに信号は赤から青に変わったのに。なんでこいつは、俺の真横にいるのだろう。

 そして俺の意識は此処で消えた。




 俺は死んだのだろう。こんなことならオタクである事を隠さなければよかった。そしたらダッシュで逃げるなんてしなかったのに。

 見た目を変えて、口調も変えて。そうやって変わっても、結局好きな事はゲームだった。

 ファタリテートの最新作の情報が出たばっかりだったのに。友達とも楽しみにしてて、今日は友達がノヴィルを買ったから俺の家でやってみようって約束したのに。その約束を破ってしまった。

 妹にも悪い事をしてしまった。友達が来るといつも混ざってきて楽しそうにしていたのに。あいつ多分友達に気があるんだろうなって。もしかしたら友達が義弟になっちゃうのかなって。そんな未来を考えてたりしたのに。

 悔いばかりの中に、ふと転生という文字を思い出す。漫画とかの話だと思っていたけれど、もし転生できるならクデルみたいな子の傍に入れたらいいな。奴隷でも、犬でも、なんでもいい。クデルに実際に会いたい。会って話をして、彼女と一緒に生きてみたいな。



『め……ね』


 ん?


『ごめ、ね』


 誰の声だろう。


『ごめんね、ルデル』


 なんで、謝ってるんだ?お前が俺を殺したわけではないんだろ?

 そんな泣きそうな声で謝らないでくれ。

 ぼやけた視界の中で誰かがこちらの顔を見ているのがわかる。なんとか持ち上げた手は自分の手より小さいのにすごく重かった。その手が誰かの頬に触れる前に、再び視界が暗転する。


「ルデル!」


 次に聞こえたのは切羽詰まった声だった。驚いて上半身を起こそうとしたが、思った通りの動きは出来なかった。なんとか手足に力を込めると、自分の手は白い毛で覆われたものになっていた。……人間の手ではないぞこれ。


「大丈夫?しばらく眠っていたから身体動かしづらいかな」


 先程からかけられる声の方を見て身体が固まった。そこにいたのは俺の推し。どう見ても俺の推しのクデルだった。実際に見ても可愛らしい。声もゲームの声優さんのままじゃねーか。愛おしい。

 そうか、ここが楽園か。天国か。死んでこんな幸せが来るなんて最高じゃねぇか。

 現実逃避はここら辺にして、今の状況を確認しよう。

 今いるのは薄暗くて狭い場所だ。埃っぽい匂いがすごく不快。そしてここにいるのは俺とクデル。そしてクデルは俺をルデルと呼んでいる。ルデルというのはクデルと一緒にいる大きな犬の名前だ。自分の手を見る限り、俺は犬になっている。俺は犬に転生した。クデルの犬に。最高じゃねぇか。


「ごめんねルデル。ゆっくりしている暇がないの」

「え」


 口からは人語が喋られる。意思疎通は苦労しなそうだ。


「クデル、どういうことっすか」

「逃げながら説明する。ごめんね」


 クデルは閉められていた扉を開く。風が吹き込んできて埃が宙を舞う。太陽の光が目に刺さって少し眩しかった。


「行くよ!」


 躊躇っている時間も無い様だ。俺はまだ動かしづらい四つの足を何とか動かし、外の世界に飛び出した。

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