#26 答えのない問い

 極東重工メディオ支社に静けさが戻りつつあった。

 赤く明滅していた非常灯はすでに落ち着きを取り戻し、照明は不安定ながらも通常の白色光を取り戻している。空調が緩やかに唸りを上げ、硝煙と消火薬剤の匂いが入り混じる空気をゆっくりと撫でていた。


 過激派の制圧から、すでに一時間が経っている。 

 敷地内に展開していた過激派の残党はすべて鎮圧され、警戒態勢を保った穏健派の鉄鬼衆が要所を固めていた。負傷兵の手当てが始まり、集められた武装の確認が進められている。騒乱の痕跡を拭うように、職員たちがゆっくりと日常の残骸を回収し始めていた。


 だが、この空気の中に安堵はまだなかった。

 崩れた机やソファ、焦げ跡と破損した装甲。戦いの痕跡がそこかしこに残るホールには、応急処置を受けて横たわる過激派兵たちと、それを取り囲むように立つ数名の鉄鬼衆穏健派の姿があった。

 ファルは無言のまま歩み寄ると、戦闘中に指揮を執っていた過激派の主犯格の男の前にしゃがみ込む。

 その横顔には苛立ちよりも、どこか測りかねる沈黙が浮かんでいた。


「……“あの方々”ってのは誰だ。誰に唆された」


 男は虚ろな目で床を睨み、答えなかった。

 セイナがその様子を見て、小さく首をかしげる。


「“あの方々”……って?」

「戦闘前に聞いたんだよ。こいつらが演説の中で『あの方々が戻られる前に』ってな」


 ファルは小脇に抱えたマスクのインターフェースを操作して戦闘中の音声記録を呼び出した。セイナに聞こえるようにマスクを差し出すと、戦闘ログの一節が再生される。


『第五小隊、支社長室を制圧せよ。第二小隊は研究室棟からの退路を確保せよ。が戻られる前に、迅速に大義を遂行せよ』


 セイナはしばし思案し、それから静かに言った。


「恐らく、俺が倒した奴らのことじゃないかな」

「……は?」


 ファルの眉がぴくりと動く。セイナは少し申し訳なさそうに肩をすくめた。


「この建物の裏手側でね、資材搬入口の通路にいたんだ。数は五人。装備は鉄鬼衆とも、それ以外のどの企業の私兵とも違っていた。重装なのに異様に静かで、およそ生身の人間じゃあり得ない動きもしてたな」

「お前、そいつらを一人で……?」

「負傷はしたが、なんとか撃破したよ。……で、念のため装備の写真を撮っておいた」


 その瞬間、主犯格が目に見えて動揺した。かすかに顔を引きつらせ、首を横に振る。


「……ありえない。が、そんな……負けるわけがない……!」

「そうは言っても、現実俺はここに居るし、奴らを倒したのも事実だよ、ほら」


 そう言ってセイナは懐から端末を取り出し、最後に倒した一人のマスクを外した後の写真を表示する。

 映し出されたのは、どこか人間だった痕跡が残る灰色の肌に血の気のない顔、感情のない目元。首元には頸椎を改造されたであろう機械の接合部。そして肩口、破れた装甲の下から覗く彫り込まれた“とある印”。


 「……っ!」


 ファルの瞳が見開かれた。

 そのまま、体が勝手に動いた。


 主犯格の襟元をつかみ、床に叩きつけるように引き寄せる。


 「てめぇ……これ、どういうことだッ!」


 怒声がホールに響いた。鉄鬼衆の一人が一瞬、思わず身構える。


 「こいつの、肩の刻印……! ふざけんなよ、なんでこんなヤツが、あの刻印を……!」


 ファルの腕には力が入りすぎて震えていた。感情のスイッチが、壊れたように入りっぱなしだった。


 「答えろッ! 誰だ、こいつらは! 誰に命令された!」


 主犯格は苦しげに顔を歪めながらも、言葉が出ない。もはや反撃も抗弁もできず、ただファルの怒気を浴びていた。

 セイナの唇が小さく動く。


 「ファル、やめろ」


 その声で、ようやくファルは手を離した。だが怒りの矛先を収めることはできず、そのまま拳を壁に叩きつけた。

 乾いた音が響く。拳を握ったまま、歯を食いしばってうめいた。


 「なんでだよ……。なんで“あれ”が、ここにあるんだよ……」


 壁に額をつけるようにして、肩で息をする。


 「……わけがわかんねぇ。こんなもん、冗談で済ませられるかよ……!」

「ファル、君が言うこの刻印は、一体なんなんだ? 分かるように説明してくれないか」

「これはなセイナ、“S.S.E”の刻印だ……!」


 セイナの問いかけに、ファルが低く呟いた。


「おい、答えろ。嘘を吐いた瞬間、テメェの頭を捩じ切ってやる。こいつらはどこから来た。誰に命令された」


 詰め寄り首を締め上げるファルに、主犯格は苦悶の表情を浮かべながら、ようやくぽつりと呟く。


「……俺は、知らない。均整局の……クリフって男から……紹介された。顔は……仮面の下までは、知らない。クリフが言っていたのは、あの方々は“常闇の抱擁者”という名前ということだけだ……」


 その言葉を聞いた瞬間、ファルの中で何かが決定的に崩れ落ちたようだった。

 彼は黙って立ち上がると、無言のまま歩き出した。


「ファル?」

「セイナ、案内してくれ。俺は……確認しなきゃならねぇ」

「わかった……」



 セイナが案内したのは、支社裏手の資材搬入口だった。

 戦闘の終わったその一帯は、瓦礫と破片が散乱する静寂に包まれていた。鉄骨の梁にはひびが走り、壁には銃痕と焼け焦げ。非常灯が断続的に点滅し、揺れる光が影を伸ばしていた。


 「……ここだよ。俺が奴らを倒したのは」


 セイナが静かに言った。床には乾きかけた血痕がまだ生々しく残っている。

 破片が散らばる中、コンクリートには抉れたような跡がいくつも点在していた。

 セイナと“常闇の抱擁者”たちとの戦闘の激しさを物語るような形跡だった。

 ファルは無言でその場に立ち、視線を周囲に彷徨わせた。

 落ち着かない呼吸。肩がわずかに揺れていた。


 「……セイナ。お前が見せた、あの顔。もう一度見せてくれ……」


 セイナから手渡された携帯端末に表示された画像を眺め、ファルは荒い息を吐き出す。

 ディスプレイに映るのは灰色の肌、感情のない目元、露出した頸椎。そして、肩口の装甲の割れ目から覗いた“S.S.E”の刻印。


 「……くそっ」


 呻くような声とともに、ファルは拳を壁に叩きつけた。


 「なんで、こんな場所で……」


 声が震えていた。押し殺してもなおあふれる怒りが、喉の奥で引っかかっていた。


 「死んだんだ。あいつらは、もう……いねぇはずだったんだよ……」


 もう一発。鋭い衝撃が指の骨に響いた。装甲が軋み、拳から赤が滲み始める。


 「違う……かもしれねぇ。でも、似すぎてる。刻印まで一緒に刻まれてて……それで何も感じるなって方が無理だろ」


 セイナが静かに言葉を探していた。


 「……お前にとって、大事な仲間だったんだな」


 ファルは顔を背けたまま、黙って頷いた。


 「でも、いねぇんだろ。ここには」


 視線を這わせながら言う。セイナも頷いた。


 「死体も装備も、何ひとつ。俺がここに戻ってきた時には、もう全部が消えてた。いや、もしかして既に誰かが清掃作業を終わらせたということか?」


 ファルはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて足を引きずるように近くの作業員へ向かった。


 「おい。この場所の片付け、誰がやった?」


 作業をしていた中年の職員が、少し驚いたような顔で振り返る。


 「我々が来たときには、すでに戦闘は終わっていて……ここには誰の姿もありませんでした。瓦礫と破片はありましたが、遺体や装備は何ひとつ残されていませんでした」


 ファルが眉をひそめた。


 「誰も? 何も……? 映像記録はどうした。監視カメラがあるだろ」


 「それが……この区域だけ、セキュリティ網が外部から干渉を受けた形跡があって。記録が完全に飛んでしまってるんです。復元も、現時点では難しいと……」


 職員が言い終える前に、ファルは小さく舌打ちした。


 「わけがわかんねぇよ……マジで、なんなんだよ」


 言葉の重みよりも、吐き出すような口調だった。

 セイナのそばに戻り、ファルは再び端末を見つめた。そこにあるのは、見間違えるはずのない印。それだけは、間違いなかった。


 「こんなもん、誰かの仕組んだ悪夢か……」


 そう呟いて、肩を揺らす。


 「違うって言ってくれ。俺の目がおかしいだけだって……なあ……」


 セイナは答えなかった。ただ、隣に立っていた。


 「……なんなんだよ、これ……ッ」


 最後は吐き捨てるような声だった。壁に背を預け、崩れ落ちるように腰を下ろす。

 拳は開かれたまま、床に伏せられていた。

 非常灯の揺らめきが、その影を静かに引き延ばしていた。



 鉄骨の軋みが遠くで鳴った。

 空調が小さく唸り、硝煙の匂いがまだ薄く漂っている。

 ファルは動かなかった。

 額を膝に預け、拳をゆるく開いたまま、ただ呼吸だけを繰り返していた。

 セイナは、彼の隣に腰を下ろすこともなく、少し離れた場所で立ち止まっていた。

 言葉を投げかけるべきかどうか、判断がつかなかった。

 

 ファルがぽつりと口を開く。


 「……俺の仲間だったかどうかも、わかんねぇんだ」


 その声は、どこか擦れたように乾いていた。


 「顔が似てただけかもしれねぇ。あんな刻印だって、偽もんかもな」


 セイナは答えず、ただ目を細めて彼を見つめていた。


 「それでも……思っちまったんだよ。見た瞬間に、全部が戻ってきた。あいつらの声とか、笑い声とか……バカみてぇに」


 ファルは、膝の上で拳を握りなおす。


 「けど、もういねぇ。どこにもいねぇ。……だったら、なんでこんな目に遭わされなきゃなんねぇんだよ……」


 その問いに、返す言葉はなかった。

 空調の音だけが、ゆるやかに響いていた。


 長い沈黙が続いた。


 やがてファルが、ゆっくりと体を起こした。目の奥にある赤みは消えていない。けれど、それ以上を口にする気力は、もう残っていないようだった。

 セイナが一歩だけ近づく。


 「……立てるか?」


 ファルは頷かず、けれどゆっくりと立ち上がった。

 ふたりの足元に、血の跡と破片と、名も知らぬ誰かの記憶が残っていた。

 そしてそれらを背にして、無言のまま歩き出す。

 非常灯の揺れる光が、彼らの背を照らし、長く影を落としていった。








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