5-3 偶然の再会

 その日、すべての仕事が片付いたのは夜の8時過ぎのことだった。

 それほどひどい残業時間ではなかったけれど、朝早くから家を出たことを考えれば、それなりにクタクタにもなる。

 疲れを自覚しながら、会社から最寄りの駅までの道を歩いていた。


(とりあえず、なんとか乗り切れたな……)


 結局最後まで円香とはぎこちないままで、それが残業時間以上に疲労をつのらせた。どうにか修正した提案資料は先方に提出できたが、これからどうなるかは別の話だ。


「プロット、なにか書かないと……」


 どれだけ疲れていても、このまま眠りにつくわけにはいかない。

 ゲームの世界では、今も主任のクラウスやアインスがノインたちの命を狙っているはずだ。このままあの世界に行けば、なんの抵抗もできずにまたすぐにやられてしまう可能性だってある。

 やっと仕事が終わったというのに、頭が痛いのは変わらない。

 ふと、その時だった。


「あれって……」


 駅近くのオフィス街。目の前の通りに面したビルから、1人の若い男が出てくる。その男の顔に見覚えがあった。


「彩人……?」


 名前を呼ぶと、男は驚いた顔で振り向いた。間違いなく、そこにいるのはゲーム制作でイラストを担当した、高橋彩人だった。


「は? もしかして、甲斐!?」

「びっくりした。こんなところでなにしてたの?」


 彩人は今、フリーランスとして絵を描いて生活していると聞いていた。ラフなパーカー姿の彩人を見て、改めて自分たちサラリーマンとは違うのだと実感した。


「別になんだっていいだろ。ちょっとした所用だよ」


 久しぶりに会った彩人に真っ先に思うのは、変わってないな、という印象だった。

 ボサボサの髪型と猫背の姿勢。顔や体型もそのままで、ぶっきらぼうな態度も相変わらずだ。態度の悪さには少し拍車がかかったような印象すらあったが。


「けどまあ、本当に久しぶりだな」


 彩人も少し言い過ぎたと思ったのか、バツが悪そうに目をそらしながら、そんな言葉を続けた。


「卒業以来だから、たぶん5年ぶりくらいかな」

「そっか。もうそんな経つのかよ」

「なんか、全然そんな感じしないけどね」


 まさか、こんなタイミングで彩人と遭遇できるなんて。話したいことが山ほど溜まっていた今、まさに僥倖という以外になかった。


「この後ってまだ予定あったりする? せっかくだし、ちょっとお酒でも飲んでいこうよ」


 プロットのことも仕事のことも、気がかりはいくらだってある。だが、せっかくのこの偶然を見逃したくはなかった。

 智章の提案に、彩人は渋い顔をした。


「悪い。この後仕上げなきゃいけない絵があるから、ちょっと酒は厳しい」

「そっか……」

「けどまあ、飯くらいなら平気だから」


 彩人は大学時代から人付き合いを避けてきただけに、それは意外な提案だった。

 それから、智章と彩人は近くのファミレスへと向かった。最近では食事といえばお酒がセットになっていただけに、普通の健全なファミレスは逆に新鮮だ。

 待つことなく案内されると、4人席のテーブルに通されて、向かい合って座る。手早く注文を済ませると、そこで一息をついた。


「やっぱりまだ絵を仕事にしてるの?」


 それは、ずっと訊きたかった問いだった。

 智章たち同期にとって、彩人はとても大きな存在だった。智章も、梨英も、詩月も、誰もクリエイターと呼ばれる立場にはなれなかった。その中で、フリーランスとして活動を続ける彩人だけが特別だった。


「まあな。“一応”っていうのが頭にはつくけど、とりあえずは続けてる」

「すごいな。どんなの描いてるの?」


 大学時代の彩人は、ハマっていたアニメキャラの絵をよく投稿サイトやSNSにアップしていた。絵柄はライトノベルの表紙になりそうなオタク向けな印象で、彩人の趣味が詰まったその絵が、智章は好きだった。


「いろいろだよ。その時のクライアントから指定された絵を提供してるだけ」

「描きたい絵は描けてる?」

「仕事でやってんだから、そんな甘いわけないだろ。求められたものを描くのがプロなんだよ」


 彩人はテーブルの上で指を遊ばせながら、ぶっきらぼうにそう言った。

 好きなことを仕事にすることの大変さについて、頭では分かっているつもりだったが、やはりそう単純なものではないらしい。


「それよりさ、なんでまたあのゲーム作ろうとしてんの?」

「え?」


 彩人の方からその話題が出るとは思わずに、一瞬戸惑った。それからすぐに、先週末に5人のグループにLINEを送ったのを思い出した。


(そっか。やっぱり既読無視は彩人だったのか)


「このままじゃ、ダメだと思ったから……」

「急に?」

「たまたま懐かしい夢を見てさ。それで、いても立ってもいられなくなったっていうか……」


 梨英に同じ質問をされた時は、ノインやフィーアの名前も出した。ただ、彩人にそれを伝えるのはどうしてか気が引けた。


「ふうん。誰か他に協力してくれてんの?」

「一応、蒼汰と梨英は」

「へえ。山口には断られたの?」


 彩人の口からメンバーの名前が出ると、少しだけ嬉しい気持ちになる。彩人は5人のメンバーの中でもあまり人付き合いを好んでこなかった。


「詩月は反応なし。アカウントでも変わったのかってくらい既読もつかない」

「意外だな。お前の次に、あいつが一番張り切ってた気がするのに」


 そんな話をしていると、店員の女性が両手に料理を持ってテーブルまで来た。ふたり分の料理をそれぞれの前に配膳して、一度そこで話題がリセットになる。

 それからは、メンバーそれぞれの今の仕事や近況の話になった。特に面白さもない、社会人の会話の定番だ。けれど、それくらいの会話がファミレスの1,000円の定食には合っていたかもしれない。

 そんな会話を定食のつまみにして、やがて20分ほど食事を進めた頃、ほとんど同時にお互いのお皿は空になった。

 料理がなくなった後も飲み物だけで粘るような関係性でもない。食事の終わりがこの時間の終わりだという確信があって、智章はふと「ねえ」と切り出した。


「絵、また描いてくれたりしないかな? 忙しいのはわかってるけどさ……」


 詩月の実家が変わっていることが分かって、いよいよ5人でゲームを作ることは諦めたはずだった。

 それでも、こうして彩人と偶然出会えたことで、また欲が浮かんでしまっていた。


(せめて、彩人がもう一度協力してくれれば――)


 彩人は紙ナプキンで口を拭いながら、視線だけを智章に向けた。


「それ、作って何かなるの?」


 一瞬、言葉を失った。

 そこに彩人はさらに追い討ちをかける。


「今さら個人制作のゲームなんて作ってどうすんだよ」

「それは……」


 彩人は今、プロという立場で絵を描いている。礼儀として、依頼料についても相談をする心づもりはあった。だが、そんな門前払いのような反応をされて、これ以上なにも言えなかった。

 きっと、今彩人が受けている依頼料以上の金額を提示できれば、交渉はできるだろう。


(だけど、そうじゃないだろ……)


「大学の頃、結構楽しんで描いてくれてたと思ったんだけど」

「そりゃあ、あの頃はな。けど、あの頃とはもう事情が違うんだよ」


 なにも言い返せない智章に、彩人はさらに続ける。


「だいたいさ、金にもならない、それどころか誰もプレイしてくれない。そんなものを作ったって何にもならないだろ。自己満足なら別にいいけど、そんなのに俺を巻き込むなよ」


 そう、これはただの自己満足の世界だ。

 誰に頼まれて創るわけでもない。学生時代からそれは変わっていない。

 梨英に音楽を書いてもらったのはあのゲームの世界をクリアするためで、現実でゲームを完成させる必要なんてどこにもない。

 ましてや、ゲームを完成させてそれを売り物にしようなんて考えは毛頭なかった。


「ごめん。彩人はもう、立場が違うもんね」

「いや、悪い。俺も少し言い過ぎた」


 そこで会話が途切れて、重い空気が2人の間に漂った。

 これ以上絵やゲームの話をするわけにもいかなくなって、どうでもいい雑談で間を持たせながら、会計を済ませてお店を後にした。


(5年って、こんなに変わるんだな)


 彩人と駅で別れてから、どうしようもない虚しさが胸に広がる。

 詩月とはまったく連絡が取れなくなり、彩人はすっかりプロの人間になってしまった。5年ぶりの友人との偶然の再会は、ただ時間の残酷さを突き付けただけだった。

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