第24話 最終講義
最後になったが、この冬、石巻で一番幸せになった女の子の話をして、お開きにしようと思う。
ユーチューブにユニホーム姿で投稿した動画が話題になって、富谷さんは仙台界隈のスポーツ界でも、少し知られる女の子になった。
ダイエットがしたい……というヨコヤリ・ママのリクエストに答えて、富谷さんは、妹尾先輩が講師をしているカルチャーセンターの他教室……ヨガやエアロビに、一緒に通い出した。自分で宣伝なんかしたわけではないけれど、そこで、かなりの頻度で、ファンを名乗る老若男女に声をかけられるようになったという。今どきのエアロビ教室というのは、お姉さん・おばさんの独壇場というわけではなく、少なからぬ男性受講者がいる。富谷さんにチヤホヤするついでだとは思うけれど、ヨコヤリ・ママも一緒にチヤホヤされて、満更ではないらしい。
ヨコヤリ・ママは、味をしめた。
これまでの「所業」を棚にあげて、「私の女子を見る目は間違ってなかったわ」とママ友たちに吹聴して回ってるそうな。
「ああいえば、こういう。困った母親」と、ヨコヤリ君。
「でも、一度カンドコロを掴めば、扱いやすい人かも。私、実は好きだな」とニコニコ顔の富谷さん。
そう、クリスマスということで、私は……私とプティーさんは、例の中華風インド風クリスマスパーティに、ヨコヤリ君たちを招待していた。
料理はどうしてもエスニックだし(でもケンタッキー・フライドチキンだけはしっかり用意した)、服だけでも正調で行きましょう……というプティーさんの提案で、参加者の全員……いや、ほとんど全員がコスプレだ。
言い出しっぺのご本人、プティーさんは雪だるま扮装の、ワンピースドレス。
桜子は着ぐるみトナカイ……でも、私の目には、ツノの生えたムジナかオコジョに見える。こげ茶色のガワに、腹部分だけ黄色くなったツートンカラーは、見様によっては、タヌキである。シャンパンを頂いたので、酒の勢いにまかせて、ヒョウキンな姪を笑い飛ばしても良かったところだけれど、ああ、我がフィアンセは、私をも道化にするのを、決して忘れていなかった。
煙突、である。
もはや着ぐるみ、というより、間違って演劇の大道具に足を突っ込んでしまった、マヌケである。
「どこで、こんなネタ衣装、見つけてきたんです?」
「アマゾン。こんなに面白いのに、誰も買ってないのが、不思議」
「はあ」
「卓郎さんは、まだ、いいですよ」
情けない声のほうを向くと、そこには「靴下」のコスプレをした、テンジン君がいた。
「ハイハイ。写真撮るわよ」
そう、私がプティーさんとクリスマスパーティをすると聞いて、東海林師匠が写メを欲しがっていたのだった。
なぜかコスプレしていない……楽天のスタジャン、ジーンズのペアルック姿の妹尾先輩たちが、カメラスタンドを用意してくれた。
全員で一列に並んで、ポーズを決めようとしたところに、ヨコヤリ・ママが登場した。
オペラ歌手みたいな、ド派手なロングドレスを引きずって、「待ちなさーい」と叫んでくる。
私はプティーさんに、耳打ちした。
「あれは、なんのコスプレ?」
「うーん。ケーキのコスプレしてって、衣装も渡したんだけど」
「……いつもなら、空気読めないママだなって呆れるところだけれど、今回ばかりは、許す、かな」
「もー。煙突くんは、甘いんだから」
「雪だるまさんに、言われたくないよ」
ヨコヤリ君たちが苦笑いして、母親のために場所を開けた。
プレゼント交換は、宴もたけなわになってから、と決めてある。
ただ、ヨコヤリ君たちには、特別に贈るものがある。
そう、今夜、今から1時間ほど、母親の干渉なしで、二人っきりで過ごす時間を、プレゼントだ。
「でも、ひょっとしたら、庭野センセに手伝ってもらわなくとも、ボクら、大丈夫かも。ヨコヤリ君ママ、ボクの色気を完全に認めてるから」
「ほう」
「パーティ会場のお店を抜け出すところを見つかっても、なんとかなるよ。なんせ、すっかり一人漫才アプローチ・マスターになったしね」
私がプティーさんと顔を見合わすと、富谷さんはおもむろにスマホを取り出して、最近撮影したという動画の数々を見せてくれた。新作は、私が指導していた時の、倍の数のイイネ、がついている。
「おお。師匠越えだね」
富谷さんより、ヨコヤリ君のほうが鼻高々、だった。
「これなら、もう、これ以上教えることはない。じゃあ、最終講義だ」
「はい」
「一人漫才アプローチを、いったん封印しなさい」
「それって……」
「このアプローチは、もともと、ヨコヤリ・ママに気に入ってもらうためのアプローチだった。一緒に連れて歩く女の子は、可愛いほうがいいっていう、ヨコヤリ・ママのワガママにつきあうための。でも、もう必要ない」
ヨコヤリ君が何か言いたそうにしていたけれど、私は続けた。
「自分の中学高校時代の同級生は、あらかた結婚していて、中にはそろそろウチの塾に通わせられるくらい、大きな子どももいる家庭もある。みんな、彼氏彼女だったときには、一緒にやる趣味のこととか、デートはどこに行ったとか、色々と楽しげな話をしていた……けど、今、この年齢になって、同窓会なんかで彼ら彼女ら既婚者のグチを聞くと、交際していた時分……籍を入れる前みたいな趣味三昧・ララブラブ三昧な話をしているカップルって、ほとんどいないみたいだ。子どもの話。お金の話。これが夫婦の会話のほとんどなんだ」
「……なんか、寂しい?」
「そんなことはないよ、富谷さん。地に足がついた生活をしていれば、当然さ。それから、親世代にまつわる話をする時には、介護だの墓の話だの、おおよそ色気のない話が多い……とも言っていた。ヨコヤリ・ママさんは、息子のガールフレンドには色気を求めても、嫁にはもっと違うモノを求めるんじゃないかな、と思う。自分をちゃんと世話してくれる体力。しっかりとした金銭感覚。辛抱強く自分のワガママにつきあってくれる忍耐力、とかね。これは多分、ヨコヤリ・ママお気に入りだった丸森さんは、あんまり持ち合わせていなかった美徳じゃないかな」
私が言葉を区切ると、プティーさんがすかさず援護してくれる。
「恋愛スキルに長けている人ほど、恋愛抜きの人間関係を作るのが苦手なものだわ。バラ色の交際が、いつまでも続くわけじゃない。たとえばデートで食事代ちを支払うとして、ワリカンにするか、男の人が払うのか、モメちゃったとする。その時、この問題を解決するのは、恋愛感情? 色気? それとも、社会人としてのマナー?」
富谷さんがジト目で言う。
「ボクら、まだ高校生ですよ」
ヨコヤリ君は、相変わらず私のほうを見たまま、言う。
「……封印って言ったって、具体的に何をすれば?」
「とりあえず、陸上ユニホーム姿で、ユーチューブ動画投稿、やめなよ」
でも、本人たちがやめると言っても、しつこく食い下がってくる連中もいるだろうな、とは思う。
「情報がカネになると分かってから、政府も企業も、学校やPTAでさえも、情報教育だのIT環境だの、インターネット利用をこれでもか……とばかりに推進してくる。でも、じゃあ実際に安全かつ快適かつ、リアル生活にもプラスになるような利用法のハウツーを学校とかで教えてくれるのか? というと、そんなことはない。特に年頃の女の子向けのハウツーになると、皆無だ。何が言いたいか、というと、テレビ電話みたいな双方向向けの映像サービスにおいて、視聴者のオッサンたちが、たくみに、褒めたり、いなしたり、脅したりして、女の子をカメラの前で脱がせてしまうっていう事件が、後をたたない。この脱いだという事実は、その場限りのチョンボとして終わるわけじゃなく、録画として、半永久的に誰かのハードディスクに残り、あるいはネットの海を漂う。その結果、当該の不幸な女の子は、学校でイジメられたり、ヒキコモリになったり、最悪自殺したりする。これらの事件が『記事』になれば、もちろん政府も学校も対策めいた呼びかけは、する。いい年齢した大人たちには、ネチケットを守りましょう、と。そして、年頃の女の子たちには、実際に、ホイホイ、カメラの前で肌を晒したばかりに、人生を狂わされた女の子を例にあげて、注意したりする。でも、これ、実際には何もしてないのと一緒じゃないか、と思う。そう、自分たちに責任が回ってこないようにするための、アリバイ。『やることはやってますよ』と世論やマスコミに追求された時の言い訳用じゃないの? と思ってしまう」
政府がいくら世の『紳士諸君』にネット上での紳士な振舞いを呼びかけたところで、最初から鬼畜な振舞いをする気まんまんなオツサンたちには、馬耳東風なのだ。そして、女の子のほうも対抗するすべがない……いや、まともに対抗しようとすれば、視聴者が軒並み離れていく、というふうになる。
「……富谷さんの陸上ユニホーム姿の例で言えば、かたくなに、もうジャージを脱ぎませんと宣言すれば、見るのをやめる、というオッサンたちがたくさん出てくる、ということだ。いいか悪いかと言えば……PTA風に言えば、こういう健全なネット利用の仕方は正しい、となるんだろう。けど、他の情報発信者が色気を武器にして、視聴回数を稼いだり、コメント欄でチヤホヤされたりするのを横目で見れば、心穏やかでいられなくなるのも、また確かだろうと思う。視聴者オッサンたちが年頃の女子発信者に色気を期待するように、女子発信者のほうも、色気を添えることで得られるモノがあるのを、自覚しているにせよ無自覚にせよ、承知しているはずだ。
姫扱いされたり、アイドル扱いてされたり、視聴回数を稼いで何らかの収入があったり。男性視聴者のすべてがスケベなオッサンということはないだろうから、確率は低いんだろうけれど、素敵な若者の彼氏ができるっていう可能性も、なくはないだろう。年頃の女の子たちの、淡い性的好奇心が悪いわけじゃない。ネット利用をさんざん焚きつけていながら、その危険性を除去しきれていない大人の責任なんだ、と思う」
そしてこれは、IT技術者……理工系の誰彼に任せっぱなしにしておくべき問題でも、ないんだろう。
「不幸な女子発信者にならないための、実効性あるハウツーを誰も教えてくれない……というか、実際に、そんなモノ、今まで存在しなかったんだろう、と思う。そして、もし、この手のハウツーがあるとしたら、我が一人漫才アプローチは、その一つではないか、と思う」
唯一無二の方法だなんて、口が裂けても言うつもりはない。女子発信者向け対策だけでなく、ネットの情報技術的対策法、視聴者規制対策法、なんてものも考えることはできるだろう。もちろん、女子発信者向け対策にしても、女の子の性格や立場に合せて、いくつものやり方があるとは思う。
しかし肝心なのは、世の女の子たちに、「スケベなオッサンたちの追求をかわしながら、楽しくインターネットをやる方法があるよ」と、そのハウツーが存在することを、教えることではないのか。
[さっき、このアプローチを捨てなさい、じゃなく封印しなさい、と言ったのも、このへんが理由だ。ジャージを死守する富谷さんを、かたくなに脱がそうとするスケベなオッサンがいるとして、そのオッサンを追っ払いながら視聴者数を維持するには、やはり、この一人漫才アプローチで培ってきたスキル、またはスキルの応用がモノを言うと思うから」
ここで一息いれる私に、ヨコヤリ君が言う。
「本当に、ネット時代の色気、なんですね」
「古典的な男女の在り方にも通じるアプローチだ、と自分では思ってるよ。最初に言った、私の同級生カップルたちの例で言えば、それは倦怠期を打破するための、ハウツーでもある。女装経験がない夫が女装して、スカートの下からチラチラノーパンなところを妻に見せたりしたら、新鮮味があっていいと思わないかい?」
ヨコヤリ君は、苦笑して言った。
「倦怠期になったことがないから分かりませんけど、少なくとも、それ、僕らにはあてはまりませんね」
私はなおも話を続けるつもりだったけれど、ワインのビンとグラスを持ったヨコヤリ・ママが、千鳥足で近づいてくる。プティーさんが慌てて、「とりかえばや」カップルを準備していた部屋に入れた。クリスマスツリーと何本かのキャンドルの他は、クリスマスっぽさがない部屋だ。
ヨコヤリ・ママは、私もその部屋に入れて、とからんできた。
「ダメですよ。これは2人を着替えさせる部屋なんですから」
「サンタクロースとトナカイ?」
「ミニスカサンタとクリスマスツリーじゃなかったかな?」
もちろん、ヨコヤリ君のほうがミニスカサンタだ。
見たい、見たい……とせがむヨコヤリ・ママを「コスプレ衣装は着替えに時間がかかりますから……」と止める。
とっておきの弘前リンゴのシードルがあるんですよ、とプティーさんがヨコヤリ・ママの腕をとり、無理やり会場にしたお店ラウンジのほうに引っ張っていった。シュウトメさんを撃退したことを知らせるべく、私はそっとドアを開け、中を覗いた。ちょうど「姫」がそっと目を閉じて、富谷さんにキスしてもらうところだった。男装王子は私に気づき、きれいなウインクを放った。私は小さくうなずいて、そっと後ろ手にドアを閉めた。プティーさんがしくじったのか、ヨコヤリ・ママが今度はシードルをビンからラッパ飲みしながら、近づいてくる。部屋の中からドアノブを回す音がしたけれど、あえて、私は背中を押しつけて、開けさせなかった。
富谷さんの、か細い声がする。
「センセ、大丈夫?」
「富谷さん。そういうときは、ただ、ありがとうって言っておけば、いいんだよ」
「うん。ありがとう」
私も自然にうなずき、そして、声に出さないと我がヒロインに伝わらないことに、気づいた。
がんばれよ。君の恋、先生も、応援してるぞ。 (了)
彼氏に彼氏でいてもらうために、もう少し色気が欲しい女の子のための一人漫才アプローチ 木村ポトフ @kaigaraya
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