第12話 幽玄の麗人

七月四日朝。神崎史隆ふみたかは帰国した。

インド国内の移動に時間が掛かり、フライトスケジュールを変更して羽田に降りたのは午前十時を過ぎていた。入国の手続きをして、羽根から横浜までは一緒に帰って来たが家族は静岡の自宅に戻って行った。

史隆は一人JR根岸線に乗り換え青嵐学院大学附属病院に向かう。

深山の取り計らいで隆一の遺体は病院の霊安室で保管されていた為である。

タクシーを降り病院の西棟1階、外来者用入口に入る。既に正午を回っていた。

空港から直接来たので史隆はカジュアルシャツにジーンズの出で立ちである。

エントランスホールに入ると新井と深山が迎い入れた。新井はネクタイを締め、半袖の白いワイシャツとグレイのスラックス。深山は上下若草色のサマースーツ姿だった。

史隆は二人を見て右手を挙げて挨拶すると、左側のカーテンウォールに目を向ける。

午後の木漏れ陽の中、アイボリーで統一されたベンチソファーが並ぶ中央、一人掛けの深いソファーに足を組んで座っているサングラスをかけた女性に目を留めた。

読んでいた本から目線をずらし、こちらに気付いて薄く微笑む。

黒いロングヘアーの美しい少女だった。鞄に本を差し入れ立ち上がって歩き出す。黒いロングドレスを身にまとった華奢きゃしゃな身体が重力を無効にするかのように軽やかに、しなやかに進んで来る。ドレスから露出している顔と腕が一際ひときわ白く輝いて見えた。

ふみ君。久しぶりね。」

見上げた顔は幼さを残している。サングラスを外した黒く澄んだ瞳に史隆は吸い込まれる錯覚を覚えた。

「お久しぶりです。かえでさんはお変わりありませんね。」

言いながら深く頭を下げた。

「隆一君のことは残念ね。翔君が助かったのが救いだけど。」

ささやいた声は言葉の内容とは別に、鈴の音色のような心地の良い響きだった。

秋月あきつき先生、こちらでしたか。」

深山が言い新井とともに頭を下げた。

二十代後半の深山に、三十代中頃の新井と史隆が、高校生にさえ見える美少女に深々とお辞儀をする光景は周囲の目を引いた。

「それで、翔君の容体はかんばしくないの?」

首をかしげ上目遣いに深山に向き直す。

神崎翔は最初に搬送された県立病院から深山の手配により、隆一のいる青嵐学院大学附属病院に移されていた。

「はい。入院して一週間になりますが、未だ昏睡状態です。隆一さんが見つかった二十九日に高熱に見舞われ呼吸困難になりICUに入りましたが、熱が冷めて呼吸も安定しましたので昨日こちらに移動出来ました。脳波や臓器には異常がなく脈拍と血圧、体温、血液の数値も基準値内なのですが、発作のように突然苦しみ出したりしています。ただし、意識は戻りません。」

深山が楓の正面を向き報告する。

「そう・・・まずは隆一君に挨拶したいわ。」

秋月楓あきつきかえでは顔を下げつぶやいた。


「ご案内致します。」と言って新井が先導する。

土曜日午後の為、外来センターは閉まっていて入院患者来賓用受付でカードを渡され南棟地下1階の霊安保管室へ向かう。一般には使用されていない冷蔵保管室の特別区画に隆一の遺体は移されていた。ドアのセキュリティロックに新井がICカードを差して解除する。冷房の効いた部屋には既にひつぎが出され姿を見る事が出来るように蓋が開いている。祭壇があり、用意されていた香炉に線香を立て隆一を囲むように合掌した。

「穏やかな顔ね。少しだけ安心したわ。」

隆一の頭を撫でながら楓が呟く。

「二人は今回の件に関与していないんだよな。」

史隆は新井と深山を交互に見て言った。

「はい、今回は我々からの依頼ではありません。当日の朝、電話があった事は事実確認をしていますが、誰からの連絡なのかは判明出来ていません。その電話により急遽きゅうきょ翔君を連れて槍穂岳に行っていますので、ご自身で予め計画していた訳では無いと思います。電話の相手が依頼、もしくは誘い出したのではないかと考えています。」

深山が応えた。

「その、深山君が言っていた工藤という男の正体は掴めたのかい?」

「その件も不明のままです。」

新井が直立のまま返事をする。

「工藤・・・工藤誠一のこと?」

隆一の顔を覗き込んだまま楓が聞き返した。

「秋月先生。ご存じなのですか?」

新井と深山が同時に言い、顔を見合わせる。

「公安の人間でしょ?今は確か・・・表向きは。」

うつむいていた身体をひるがえし楓が話した。

たおやかな身のこなしと涼しげな声音が幽玄へといざない、遺体を目の前にしているという現実を忘却の彼方へ運び去ってしまう。

「表向き?」

我に返り新井が話す。

「私の上席、県警本部長にも正確な情報は伝えられていなかったので、極秘任務の部署であるとは思っていたのですが。まさか秋月先生がご存じとは。」

「う~ん。警察の内部組織は興味無いから詳しくは知らないけど、この県、神奈川県警で新井君の前の前の特殊事例対策本部監理官よ。先代から聞いていなかった?今の本部長はただの移動して来たぼんぼんキャリアだから教えて貰えていないだけじゃないの?私も面識ないし。」

悪戯っぽく返した。

「先代の佐竹さんが亡くなられてから自分が静岡から呼ばれて後を引き継いでいます。直接お会いした事は無かったので。」

楓から目線を外し新井が応える。

「そうだっけ。佐竹君は短かったからね。工藤君は割とこの県の担当長かったわよ。そのあと本庁っていうの?警察庁に戻っている筈だけど。何か難しい名前の部署を言っていたけど忘れちゃった。表に出る時は公安を名乗ると都合が良いとも言っていたから。そう・・・彼が最期を見てくれたのね。隆一君には幸いだった。そうであるなら、隆一君を呼び出したのは工藤君ではないと思うわ。」

言い終わると棺に向かい直し、隆一の頭を撫で「よかったね。」と小さく囁いた。

「私の先輩という事ですか。では対策本部の幹部組織か内閣官房が動いていたという事になりますが。」

姿勢を崩さず新井は楓の背中に向かって言う。

「だから~貴方達の組織には興味ないから知らないわよ。」

振り返り、新井をからかっているかのように両手を開きながら言った。

「工藤君が君の先輩は正解。今言った通りよ。隆一君がこの県での協力要請を受けた時、彼が結婚する前になるから十二年くらい前かな。その時の神奈川方面の対策監理官が工藤君。まだ行政側の連携が出来てなくて深山君みたいな担当はいなかった。と、思うな。隆一君と工藤君は仲良かったわよ。兄弟みたいに。」

隆一に向き直し頬を触り「ね。」と言う。

「隆一さんは全く話されなかったものですから。」

新井は言い、史隆と深山を見た。二人共頷いていた。

「守秘義務でしょ。お互いに詮索しないルール。史君にも話さなかったのは新井君みたいに共通の監理官ではなかった事が大きいと思うな。」

隆一の胸元を診ながら言った。

「この傷・・・」

胸の傷はエンバーミングでも隠し切れなかった。新井が佐渡博士の検死内容を言おうとしたのを手で制し、楓は何も言わず隆一の襟と前髪を整えて振り返った。

「翔君のところに行きましょう。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る