第11話 庇護する者
JR根岸線に乗り『桜木町』で降りる。駅から少し海側へ歩く事になる筈だ。大岡川に架かる橋越しに真新しいビルが見えた。
『横浜市役所新庁舎』
人口約380万人を支える新しい行政庁舎である。神奈川県には横浜市のほか川崎市と相模原市が政令指定都市とされているが、特別区である東京23区を除けば全国最多の人口を誇る横浜市は別格である。
大岡川を渡り1階のエントランスホールに入る。
中にはコンビニやカフェが入った商業エリアがあった。その脇を通り3階まで吹き抜けの巨大なアトリウムに入るとガラス張りの壁から入る明るい陽の中、ピアノの生演奏が終わるところだった。
エスカレーターに乗り3階に向かう。ロビーを通り市民ラウンジに入った。
大岡川を挟み、みなとみらい21地区の街が展望出来る。
時刻は午後3時20分。指定された時刻より10分早く着いた。
大きなガラス窓に向かう。眼前にランドマークタワーを中心とした超高層ビル群が建ち並び、足元の大岡川沿いには公園が整備されていて、綺麗に刈り揃えられた芝生の広場と真夏の陽射しに負けじと濃い緑色の葉を茂らせている木々が等間隔で植えられている。先ほど通ったときは目に入らなかった横浜の新しい景観が翔の
「翔君。」
後ろから声がした。振り返ると伯父と同じくらいの背丈で体の締まったスーツ姿の中年男性がにこやかに見上げていた。
「宗麟さんから連絡が来たときは感動したよ。ようやく君から会いに来てくれる時が来たんだね。僕が深山だよ。」
出迎えた男は伯父の言っていた市民生活安全課の課長。
「初めまして。青嵐学院大学附属高等学校二年の神崎翔です。」
言ってお辞儀をした。
「僕からは初めましてではないんだよ。いろいろな場面で顔を合わせているよ。見覚えないかな?」
苦笑して深山は言った。
改めて深山を見る。
『ハッ』とした。去年、父と祖父の法要の時に親戚関係でもないのに親しげに神崎本家の人達や伯父、母と話していた。その前、祖父が入院していた時、毎日のようにお見舞いに来ていた。祖父の葬儀にも。もっと前、附属小学校に転校するときに母と一緒にいて世話をしてくれた。深い記憶の底には、病院で意識が戻り知らない大人達からいろいろ聞かれた時にも仲裁に入って守ってくれていたのがこの人であった。
黎明寺の本堂での話しの最後、伯父にある人に会うように指示された時『まず深山君に会いなさい』と言われた。
『彼は父親の隆一が亡くなった後も、神崎の家の為に奔走してくれていた。母親の弥生の就職、県からの捜索費用などの後片付け、翔と雫の転校手続き。すべて深山氏が手配してくれたのだ。』と話された。その時は見たこともない他人がそこまでするものなのか。と疑念を抱いていたが、確かに要所要所でこの人は現れていた。事実であったと思わざるを得なかった。
「父が亡くなってからもずっと自分達を見守っていてくれていたんですか?」
「まあ、君のお父さんには何度も助けてもらった恩があってね。幾度も危険な目にあって困難を乗り越えてきた戦友のような仲だったんだよ。」
話している深山は、まるで軍人や警察官のように姿勢が良い。立ち姿は伯父の宗麟と似た威圧感を醸し出している。
「立ち話もなんだから、静かなところに移動してゆっくり話をしよう。」
そう言って、翔を誘導してロビーに戻る。
『staff only』と表示のあるドアにIDカードを近付けてキーを解除した。
タイルカーペットの廊下を通り奥から二番目のドアを開け中に入って行く。
半透明のアクリル板で仕切られたブースの一番奥、突き当りの広い部屋へ通された。
擦りガラスの高窓から陽光が緩く入っていて、新品の家具の匂いがした。
品の良い木製テーブルとゆったりとした木製の椅子があり、好きなところに座るよう言われ窓の左側に座った。
次いで深山が対局側に座り備え付けの電話で二人である事を告げると、暫くして男性の職員がコーヒーを二杯持って現れた。
「コーヒーは大丈夫だよね。」
深山が言い、職員の男性から翔の前にコーヒーが置かれた。
礼を言い置かれたコーヒーを手前に引き寄せ、カップを見詰めていると深山が語り出した。
「宗麟さんからある程度の内容は聞いているよ。槍穂岳に登りたいらしいね。」
「自分から
「嫌であれば断れた。でも君は家族に相談してまで今まで禁止されていた『山』に向かいたいと考えた訳だよね。」
目の前にいるこの男性は、昔から自分の事を全て知っているのかと思った。
黎明寺で伯父との対話のあと、翔は心の壁を取り払う努力を始めている。整理は出来ていないが思った通りのことをこの人には話してみようと決心した。
「はい。槍穂岳の名前が出たのは偶然だと思います。その友達に父の事は詳しく話していなかったので。でもその偶然はもしかしたら必然なのかもって。自分の空白の記憶の一端でも垣間見れないものかと。キャンプに誘われたとき、ふと、そう思ったものですから。それで伯父に相談する事になって、結果として考えてもいなかった事実があった事を知りました。それまでは、父は獣の事故で止むを得ず亡くなった。だから危険な山には入らないで欲しいと家族は思っていたと。なにしろ、学校の行事ですら山に入る事を止められていましたから。」
深山は優しく微笑んで聞いていた。
「そうだね。お父さんの事件は僕も未だに解明出来ないでいる。新井さんの事は聞いているね。警察の監理官でもあるあの人でさえ分らないままだった。神崎本家の史隆さんも同様に探っているのだけれど当時調べられた内容を越える事はなかった。実はね、皆繋がっていて情報を共有しているんだよ。あと、君が山に入らない方が良いと言った人がいてね。今回、君が僕のところに来た理由は、その人に会う為だよね。」
表情を変えずに深山は翔を見据えた。
黎明寺での対談の最後、ある人に会うように言われた。
その人に会うためには深山氏に面会し、何故会わなければならないかを聞かなければならないとだけ言い、どこの誰かは教えてくれなかった。
「そうです。深山さんからある人に会う必要がある理由を聞いてから、その人に会いに行くよう言われました。」
翔も深山を真正面から見た。
深山は満足そうに微笑んで胸の前で一つ柏手を打ってから話し始めた。
「十年前、病院で君が目覚める前の事を知っているかい?この話をする為には、神崎総本家の史隆さんが帰国した時からを話さなければならない。」
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