第88話 エピローグ~オカルト研究会の ー 2
室内には、シロがいた。
首元に戻ったチョーカーが、西日を受けてスラリとした線を描く。
「お待たせ」
声をかけると、読んでいた本から顔を上げてこちらを見た。
「どうでしたか?」
「とりあえずは大丈夫。この部屋使っていいってさ。部活ではないから部費は出ないけど、同好会として活動場所の申請だけはしてたみたい」
抜け目ないよ。感心するように言葉を口にして、自席へ腰を下ろす。
言葉は勿論、この部屋の元主に向けたものだった。
「はーちゃん、こういうのは妙に上手いんだよ。生き方っていうのかな、そんなところ。突っ込まれたらヤバいところには、ちゃんと手を回してるんだ」
「おかげで助かりましたね。セイトカイ? さんが乗り込んで来たときには、どうなることかと思いました」
「まったくだ。ここが使えないとなると、後はうちの部屋しか選択肢がなくなるところだった」
言いながら、鞄の中から書物を取り出す。一見すると英語の教科書にも似たそれは、しかし教科書ではなかった。
タイトルと表紙絵こそそれっぽい見た目で取り繕っているものの、中を開けば、そこに記されているのは魔術の指南書の内容だった。
正確には、魔術の歴史や禁止事項を書き連ねた教本のようなものなのだけど。
つまるところ、初級者用ってやつだ。
× × × × ×
葬儀の日、幸介は清水さんに告げた。
「僕を仲間に入れてください!」
そう言って、頭を下げた。
「それって……、特殊情報局に入りたいってことかな?」
確認されたので、即答した。
「はい。お願いします」
言葉を継いで、より深く頭を下げた。
展開が想像できていたのか、清水さんはそれ以上僕に意思を尋ねることはしなかった。代わりに、タバコの臭いを嗅ぎつけてご立腹の戸倉さんに対し、僕への教本の提供を指示した。
やがて、清水さんは言った。
「一つだけ、約束してくれるかな」
戸倉さんに一発もらった後の顔面は、しかしいつになく真剣な表情だった。
「もし、仮に今回の件に別の真犯人がいたとして、そいつに復讐しようなんて、馬鹿なことは考えないこと」
「考えませんよ」
吐き捨てるように、幸介は笑った。
どことなく哀しげな色を纏ったすまし顔を見やり、言葉を継いだ。
「ただ……はーちゃんのことも昔のことも、それをただの経験として終わらせたくないんです。僕が苦しんだこと、辛かったこと、いろんなことを、同じような境遇にいる誰かを救う力にできるなら、僕は……そういう生き方がしたいって思ったんです」
「そう……か」
言葉をそっと置くように、清水さんは息を吐いた。長い息だ。春の高い空を見上げて、短い髪の毛先を柔らかな風に揺らして。たぶん、彼は今いろんなことを考えている。人の心の内が読めるはずなどないのだけど、ふと、そんな気がした。
そうして十秒か、二十秒か。少しの間を置いて、彼は言った。
「君は学生だ」
穏やかな瞳が、こちらを見ていた。
「だからこそ、最優先されるべきは学業だと思っている。そこはわかってくれるかな?」
幸介が頷くと、清水さんも頷いた。
「背中は押してあげる。学生用のアルバイトも募集しよう。勿論非公開求人だけど。だからそこから先は、正しい道でこちら側に来なさい。それが君のためになるからね」
翌日、戸倉さん名義で部屋に教本が送られてきた。また本の間には、受験票も挟まっていた。どこかで見たことがあると思ったその書式は、特殊情報局でサインさせられた捜査協力同意書によく似ていた。
突貫で作った背景が見え見えの受験票には、しかしはっきりと、試験日の日付が記されていた。
× × × × ×
その試験日が、明後日に迫っているのである。
というわけで、幸介は絶賛勉強中なのだ。
試験自体がイレギュラーなものであることは理解している。だが一方で、出来レースだとも思っていない。清水さんも戸倉さんも、そういうことを安易に認めるような人間ではないのだ。
もし仮に、舐め腐った態度でロクに勉強もせず試験会場に現れる人間がいれば、あの二人は容赦なくそいつを試験会場から叩き出すだろう。そして二度と、接点を持つことすら許さないだろう。彼らはそういう人たちなのだ。
故に、幸介も強い覚悟を持って臨む必要があった。そのために、試験の日まで放課後は一人、勉強漬けの毎日を送るつもりでいた。
しかし、だからこそ意外だったのだ。教本が送られてきた翌日、シロが当たり前のように登校してきたことが。
【次回:エピローグ~オカルト研究会の ー 3(終)】
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