第39話 二度目のプロポーズ

 心臓麻痺で死ぬかと思った。


 那由が「かっこいい」と言う言葉を言ってくれて有頂天になってからの、急降下。

 その後「ものすごくかっこいい」が別の人に向けて言われた。


「…死ぬかと思った」


「え?」と驚いたような声で那由が聞き返す。


「それで…じゃあ…来る…?」


「行っていいの?」と即答で嬉しそうな顔を見せてくれる。


 可愛いいんだけど、その喜ぶ顔の原因は俺じゃないんだよな、と思うと、倒れそうになる。しかし、これでまた那由と会える理由ができたから、よしとしよう…と自分に言い聞かせる。


「うん。うん。うん」と三回言うと、また可愛い笑顔を見せてくれる。


「嬉しい」と素直に言うところが、胸に刺さる。


(打倒おっさん)と言うフレーズを胸に掲げて、俺は手をぎゅっと握った。


「うわぁ。私…ずっと…ちゃんと聴きに行きたかったの。でもその後、事故に遭って…。私が回復した時はどうしてか…活動中止してたみたいで…。まだ聞いたことなくて、初めてなの。嬉しい」と俺に追い討ちをかけるように嬉しそうに話す。


「あ…そう…なんだ」


「音大の先生もしてたみたいなんだけど…、そこの受験は私のレベルではきっと無理だし…きっと私を教えくれるような暇はないと思うし…」


「おい。那由、それは流石に色々失礼が…」と言うと、那由は慌てて口に手を当てる。


「あ、ごめんなさい。…えっと私には…えっと」と久しぶりにはしゃいだ那由を見れたので、複雑な思いだが、嬉しさもあった。


「まぁ、言いたいことは分かる」


「京はどうやって大学を選んだの?」


「…教えてもらいたい先生もいたし…。まぁ、俺は特待生だったし…。後、元々卒業までいるつもりなかったから」


「うわぁ。エリートだ」と嫌そうな顔で言うから、笑ってしまう。


「そうだよ。エリートだよ。それだけ練習したからね」


「あ、すみません。ごめんなさい」と素直に謝ってくれた。


 もう目の前にいる那由が可愛くて、嬉しくて…だけどその反面…闘志が燃えてきた。


(那由の憧れのピアニストだと?)


「うわぁ。でも嬉しいなぁ」


「そんなに喜ぶなら…見返りがあってもいい気がしてきた」


「見返り?」と見えない目が大きくなる。


「俺が美人ヴァイオリニストと喜んで共演してたら、どう思う?」


「あ…。あぁ。あ、ごめんなさい」とようやく気がついたようだった。


「だから…見返りもらっても悪くないよな?」


「え? でもそんなつもりじゃなくて、純粋に憧れてる人だから…。そんな邪な気持ちじゃないから」と焦っている。


 そんな那由を見て、惚れたものの負けだと思うし、大体、那由は俺がどんな顔してるのかも分からないから、そんな美形のおっさんの記憶と勝てるわけない。年取った姿を見れるわけでもなく、若いころの美形のピアニストからおっさんへアップデートされないのだから。


「京?」


 黙り込んだ俺を見て心細そうに呼びかける。


「…見返りに…那由が欲しい」


 固まった那由を見ながら、心からそう思った。本当にずっと側にいて欲しい。毎日、毎日、飽きることなく近くにいて欲しい。近くで笑っていて欲しい。楽しくピアノを弾いていて欲しい。俺と一緒に演奏もして欲しい。


「…あのね…。あ、そう言うことと…紐付けしたくないって言うか…。それは別で…」と那由は焦ったように俺を説得にかかる。


「ん? 別?」


「京のことは好きだし…。別に…いいんだけど。でも…会うために…それって、なんか…あの…憧れの人だし…」


 俺は那由が何を言っているのか理解しようとして、そして自分が何を言ったか考えてみる。


『見返りに…那由が欲しい』と俺が言ったが、


『見返りに…那由(の体)が欲しい』と那由は解釈した…ようだ。


「あの…そう言うことしたから会えるってなると、ちょっと…困るって言うか…」と完全に齟齬があるまま喋り続けている。


 那由が顔を赤くしながら、何とか説得しようとしているのを見て、思わず「可愛い」と口に出してしまった。


「え?」


「嫌。俺…時代劇のヒヒジジイのように思われてる?」


「え? え?」と那由は理解が追いつかないようで、「え」を繰り返している。


「俺、ストーカーで、ヒヒジジイで…最低なイメージ持たれてるみたいだけど…」と言いながら、テーブルの上の那由の手に上から手を被せる。


「ヒヒジジイ?」


「もちろん那由の体も欲しいけど、それだけじゃ足りなくて、全部。気持ちも、ピアノも、時間も全部欲しい」


「…全部?」


「うん。全部」


 那由が固まっている。


「那由がピアノ上達途中だとしても、一人でできないことがあったとしても…別に今の話だけだから。ずっと一緒に横にいて…それで一緒に…できるようになったらいいから。那由のペースだと…待ってたら俺が先に死んでしまう」


「もう。すぐにできるから。できるようになるから」と必死で頰を膨らませながら言う。


「それも横で見させて欲しい」


「…京の横で?」


「でないと…本当にストーカーになりそうだ」


 じっと固まる。俺の手の下に小さな手が動く。その手を取って、両手で挟んだ。


「那由と…結婚したい。今すぐじゃなくてもいいから…。那由だって色々やりたいことあるだろうし…。ピアノだってもっと続けたいとか…仕事のこととか」


「…何もできなくても?」


「できるようになるから」


「一緒に?」


「うん。一緒にいて欲しい」


 俺はヨーロッパで演奏して、どれほど、近くで聞いていて欲しかったか…、那由という存在がどれほど俺の心に力を与えてくれたか…、何度もメッセージを聞き返したこと、写真を必死で眺めていたこと(主に那由のスカートを見ていたとは言わなかったが)を伝えた。


「一緒に…いていいの?」


「那由じゃないと…全然だめだ」


「じゃあ…、あの…お願いします」と言って、頭を下げる。


「こちらこそ」と言って、俺は手を離して、頭を下げた。


 那由には見えないかもしれないけれど。でもお互い頭を下げ合う。


「指輪の刻印できたから…取りに来て欲しいって言われてたんだけど、一緒に行く?」


「あ…」とすっかり忘れていたような顔だった。


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