第14話 それから
「那由」と名前を繰り返されて、分からなくなる。
ここがどこか、いつか、いつもと違っていて、不安になる。慌てて体を起こすと、隣で京が笑う。真っ暗で、でも薄ら明るい光の筋が見えた。多分、カーテンの隙間だろう。ただここは自室でないことは明らかだった。
「え? あれ?」と慌てて、手で隣を探ると、京が横で寝ていた。
「おはよう」とすっかり目覚めている京の声がする。
「あ…」
「夢かと思った」
「どんな」
「京が帰ってきた…夢かと」と言うと、横からぷぷぷと息を吐き出すように笑う。
「その後のこと…覚えてないの?」
「えっと…。本当に京?」と言って、横で寝ている京の温もりを手で感じる。
その瞬間、勢いよくベッドの中に引き込まれる。でも私がぶつからないように上手く抱きしめてくれた。
「京じゃない人と寝ることあった?」と聞かれて、首を横に振る。
あの日、京とお茶をしてから、家に戻った。家でお母さんとお父さんに京は挨拶をして、そしてそのまま京が宿泊しているホテルに泊まりに来たのだった。
「結婚を許してください」とまでは良かったんだけど、その後、京が私とホテルに泊まるなんて言い出して、お父さんは震えたらしいんだけど、お母さんが宥めて、何とか家から出てこれた。
「それで…今日は仕事もお休みだと言うことで、早速ですが、指輪でも買いに行きませんか」と冗談っぽく京が言う。
「指輪…」
「なるべく早く、結婚しないと」
「え? どうして?」
京の大きな手が髪の毛をゆっくり撫でる。
「那由をチェロケースに入れて、世界中をあちこち行くから」
「えー?」と思わず体を起こした。
「待って、待って、待って。私、仕事してるし…」
「知ってるよ。一緒にいたくない?」
そう聞かれれると、なんて言っていいのか分からなくなる。
「いたいけど…」
(私はきっとお荷物になる)
考えていることが伝わったのか分からないけれど、京が私をきつく抱きしめた。
「もう離れたくない」
その言葉を聞きながら、私は断ることも、頷くこともできなかった。視力のはっきりしない私を連れて、演奏旅行…。私は何もできずに京の側にいるだけならまだしも、京の手を煩わせることになる。
「京…」
「とりあえず、結婚して、一度、一緒に海外行こう。那由ができること、できないこと、いろいろ分かるだろうし」
仕事のことだってある。頑張って受かった公務員を辞めるのはもったいない気持ちにもなる。仕事か、恋かと言うよくある悩みかもしれないが、私には一生できる仕事が限られている。辞めてしまうと次を探すのが大変だ。
「京と一緒にいたいけど…。そんなすぐに…何もかも…」
「ごめん。連絡もしないで。勝手なこと言って」と京が素直に謝るから、ちょっと微妙な空気になる。
私は京の手を探して、握った。
「京…。すごく嬉しいの。でも…私、京のお荷物になるから…」
「結婚、嫌だった?」
「嫌じゃない。京と一緒にいたいって思う。でも…私が京にしてあげられることって…少ない気がして」
「別に、何かして欲しくて那由と結婚したいわけじゃない」
「家事だって…」
「そんなのなるべく機械を使ったり、俺がしてもいいし、外注サービス使ってもいい」
すごい勢いで言われるから、私は何も言えなくなった。
「お願いだから…。もう離れたくない」
また抱きしめられて、頭を胸に抱えられたから、京の鼓動を数えながら、どうしたらいいのか悩んでしまった。でも京を悲しませるつもりはなかったから、
「京を幸せにしたい」と言った。
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