第2話・隙間に潜みし蕃神の副王
「聞こえなかったか? 友だちになってはくれないか、と言ったんだ」
「いや、それは聞こえたけど。何故、大いなるクトゥルフとも呼ばれた君が、僕なんかと一緒になろうと?」
「それは……その方がこっちの人間界で暮らしやすいからだ。脆弱な人間どもは、集まらねば何もできない。私だってそうだ。この体は、今、その脆弱な者どもの体なのだ。ならば、同志を増やしておくのが得策というものだろう?」
ごもっともな意見である。要するに、クトゥルーは僕を友だちのいない人だと思っているのだろう。率直に正解である。
しかし、失礼じゃね?
「要約すると、友だちがいない仲間同士仲良くやっていこうって話だね」
「強制はしない。私とて、お前に拒否権があるのは重々認知している。だが、それでは、この世界で生きづらいのだ。だから……」
その後の言葉は、僕の発言の前までは、決して紡がれることはなかった。反応に困った私は、こう言ってしまったのだ。後悔はしているが。
「いいよ、友だちになろう。クトゥルー。そして、友だちがいない仲間同士、仲良くやっていこうじゃないか!」
「本当か!ありがとう、人間……いや、
「そうだね。ところで、クトゥルーって住む場所あるの?」
感動の瞬間に聞くことではないということは、私も重々承知している。だが、なんとなく、その質問が一番大事だと思ったのだ。
「いや、私は、何時も帰るところがないから近くの海に住んでいるぞ。あそこなら眷属たちも奉仕がしやすいだろうし、何より身を隠すには海の中の方が良い。海の中でも最低限生きられるように人間の体といえどもちゃんと首のあたりにはエラがついているぞ。隠しているがな」
……不憫になってきた。古代の世で猛威を振るった水の邪神がそんなのでいいのか?私になにかできることは……。
「……クトゥルー、僕の家、来る?」
「お、良いのか? ありがとう、恩に着る!」
あたりも暗くなってきたし、丁度いいタイミングだったので、クトゥルーと一緒に僕の家に向かった。
……家に着くなり、僕は感じた。邪悪なる時の主人、全てに繋がり全てから拒絶された大いなる蕃神どもを統べる副王の気配を。
それはつまり―――父さんが、帰ってきているということだ。いつもはどこでなんの仕事をしていて、何時に帰ってくるのかもわからないのに!
そして、隣の水色の髪をした
「な、なあ、段壱。これお祖父様怒ってないか? 嫌な気配しかしないんですけど!」
チビっていた。
それもそうだ。だって、自分から見れば遠い―――というか、ほとんど接点のない社会的地位の高い親戚のところへ行くのだから。
しかもあの気配が余計に恐怖を煽っている。
ここはもう、覚悟を決めていくしかない!
「グズグズしててもしょうがないし、入ろう。大丈夫、父さんはそんなに怖い人じゃない……とは思うよ?」
「確証ないじゃないか段壱! クソッ、こんなことになるなら大人しく海に帰るんだった!」
「急に海棲生物みたいなことを言うな」
「海棲生物なんだが⁈」
僕は、そう言って涙目になっているクトゥルーを横目に鍵を回し扉を開けた。
鍵を回していると、隣からの目線が気になる。
「なあ段壱」
「なにクトゥルー」
「それは銀の鍵なのか?」
「ブフォッ! ちょっと思ったことを言うな!」
扉を開けると、父さんの気配はより強くなった。だが、生まれてからずっとこの気配を浴びていたので不快には感じない。
―――まあ、クトゥルーの緊張を最大限にするには十分だったようだが。
「ただいま」
「ああ、おかえり……って、その女の子は誰だい?」
予想通り父さんが出てくれた。昔から優しいと思っていた父だが、今ではその優しさがありがたいと思えるようになった。
……なぜなら、この人が本気を出せば地球どころか太陽系すら一瞬で消滅してしまうのだから。
「ああ、父さん。紹介するよ。僕の友達の転校生の―――」
「く、クトゥルーです! 初めましてお祖父様!」
「お、お祖父様……。なあ、あかむ。俺ってそんな老けて見える?」
「父さん、若いから大丈夫だよ。それと、お祖父様って言ったのはクトゥルーの家系上、父さんが祖父にあたるってだけだから」
「へぇ……なに? 未来から来たあかむの娘か? まさかお前が結婚するなんてなぁ」
「いや、そろそろ気づけよ〜! クトゥルーって名前、聞き覚えない?」
すると父さんは少し思案するような動作を見せて、納得したように「ああ!」と手を叩いた。
「クトゥルーってもしかして……あいつか! あの
「父さん、やめたげて。クトゥルーがダメージ受けてるから」
「しっかしなぁ、クトゥルー君も災難だったな。まさかあのイカドラゴンと同姓同名だなんて。あれか? ご両親がクトゥルフ神話大好きだったとか?」
「あれ? まさかのまだ気づいていなかったり?」
この父親……どんだけ鈍感なんだ! こうなったら、真実を話すしかない!
「ねえ父さん」
「なんだあかむ」
「父さんってさ、蕃神の副王なんでしょ」
「蕃神だなんてそんな……あんな気色の悪い奴らと同列に語って欲しくないよ、俺は」
「まだ認めないか……」
「だから認めるって何をだ? クトゥルー君との婚約か? それなら別に認めてあげてもいいけど……」
「違う。……父さん、あれでしょ。『全にして一、一にして全』」
そう言った時、一瞬、時が止まったかのように覚えた。
「なぜ、お前がそれを知っている?」
その時、僕は夢想した。
大いなる宇宙の端。そこに横たわるデーモンスルターンたる大魔王アザトースが玉座に齧り付きながら眠っているのを。
そして、そこに眠り続ける王の代わりに指揮を取り、愚か者を処刑する無限に増殖する玉虫色の時空の王を。
「答えろよ。なんでお前がそれを知っているんだ?」
父さんの目は完全に常軌を逸していた。否、最初から常識などなかったのかもしれない。そこにはただ、無価値な人類を問いただす絶対的な支配者の光が宿っていた。
パクパクと、酸欠になった金魚のように口だけが動く。僕は、膝から崩れ落ち、カバンの中に入ってたネクロノミコンが飛び出した。
ネクロノミコンは玄関の床を滑っていき―――父さんの足にぶつかった。
父さんはネクロノミコンを一瞬見ると、なるほど、と納得したかのようにそれを拾いあげた。
「これが原因か。……アブドゥル・アルハザードめ、余計なことをしてくるな」
そう言って、父さんは僕にネクロノミコンを手渡して玄関を去った。これは、入ってもいいと言うことである。
「……っ、はっ! ―――ああっ!」
いつの間にか呼吸さえ止まっていたらしい。過呼吸になりそうなほど僕は酸素を吸い込む。
そして隣のクトゥルーはというと……
「ああ、ああぁ、まずい! お祖父様がキレてる……」
その時、どこかでサイコロが転がる音が聞こえた。
SAN値(62):0または1d4……成功……残り62
あっぶねぇ―――! とっさにネクロノミコン開いたけど危ねぇ! そろそろ一時的狂気入るんじゃないか?ってほど危ねぇ!
「い、行こうクトゥルー。これ以上父さんを待たせるのは良くない気がする」
「き、きき奇遇だな段壱。私もこれ以上お祖父様を待たせると時空の彼方に消し飛ばされる気がしてならないのだ」
ビビり散らかしているのは、僕だけではなかった。さすがに、旧支配者の大祭司たるクトゥルーでも、あの気迫には勝てないようだ。
そうして廊下を進む。だけど、その廊下はいつもより長く感じた―――というか、本当に長いのかもしれない。父さんが本当に(というかほぼ確だが)ヨグ=ソトースだとするならば、相対性理論に基づいて空間を広げることが可能だ。
いつもより長い廊下を抜けると―――
「おう! 遅かったなあかむ。そしてクトゥルー君!」
「あら、おかえりなさい。あかむ。クトゥルーちゃん」
「……あれ? 母さんいつ帰ってきてたの?」
「いつってあなたたちが来る二時間前よ」
「「に、二時間⁈」」
そんなに長い間廊下を彷徨っていたと言うのか。
時計を見れば、確かに帰ってきた時刻よりも三時間ほど進んでいる。……これで確信した。父さんは紛れもなく―――ヨグ=ソトースだ。
「さて、積もる話もあるだろうが、とりあえず座れ。大事な話がある。もちろん、クトゥルー君も聞いていってくれ」
「あ、はい」
「そう畏まらなくても結構だ。なに、少し血縁の話をするだけだし、君にも関係はある」
そう言われて、僕たちはソファに座った。いつもならば安心して背中を預けられるフカフカが、今では自らの体を飲み込んでいく触手にしか思えない。
「では、簡単な話からしよう。俺は―――人間ではない。平たく言えば宇宙人だが……ヨグ=ソトースという神だ」
「はぁ……」
まだだ、まだ舞える。まだSANチェックは入らないはず!
「そして、クトゥルー君。忘れていたが、君は俺の孫だ」
「はい……」
忘れてたのかよ!
「あかむ―――お前は、実はほとんど人間じゃないんだ」
「はぁ……って、はぁ⁈」
「少し詳しく説明するとな、母さんは―――半分人間じゃないんだ」
「はぁ⁈」
「そうよ。母さんがハーフだって言うのは知っているかもしれないけど……実は、生まれはインスマスっていう漁港街なの」
「インスマスって、あのインスマス⁈」
「ああ! インスマスって、
じゃなくてよクトゥルーさん。しみじみと感動するのをやめてください。そろそろSANチェック入りそうなんです。
「そしてね……母さんはね、ディープ・ワンズと人間のハーフなんだけど……奇跡的に人間の要素を強く受け継いだ珍しい個体なの。だから―――」
「あかむ、お前は大体七割人外で三割人類ってとこだな!」
「いやぁぁぁぁぁぁああああああああああ!」
その時、どこかでサイコロが転がる音が聞こえた。
SAN値:1d5または1d10……失敗。1d10ロール……SAN値5減少。残り57。また、SAN値が一気に5以上減少。
アイデア(65):失敗。一時的狂気は回避しました。
あっぶねぇぇぇぇぇ! 一時的狂気に陥るとこだった危ねぇ!
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