雨の日の悪魔

カニ

始 魔女と木

 噂を聞いた数日後密告があった。

 隣町から来たものだった。

 五年前に我が子を拐かされたという。

 ――リグネットの悪魔と契約をした。

 ――私の子を使って……。

 ――あいつは魔女だ。

「悪魔だ!」

 それから直ぐに密告者と共に隣町に出向いた。

 陰湿な空気が漂う寂れた町だった。

 他人の子どもを悪魔に捧げた魔女は、捕えられたその日に尋問にかけられた。

 町と同じく寂れた老婆だった。

 彼女は、筋張った手の指を虫のように蠢かしながら話す。

 ――穴の向こうに透明な滝があるんだよ。

 ――そこに子どもを投げ入れるんだ。

 ――ちょっとしたオマジナイさね。

 彼女を床に叩きつけられながら、枯れ枝のような腕を広げる。

 ――綺麗な白い腕が伸びてきて、

 ――アタシの頭を撫でたんだ。

 ――たったそれだけだよ。契約なんざ、しちゃあいない。

 地に押さえ付けられた老婆をごみでも見るような目で見下ろしていた男が言う。

 ――それは契約なんだよ。

 ――はっ、何処が。

 鼻が折れる音が部屋に響く。

 それでも老婆は一切反省しない。

 その目は淀んでいる。口元には笑み。

 ――中に入っただろ。

 ――何を見た?

 ――何って、

「き」

 老婆は何かを見ている。

 窓の外を見ている。

 そこには大きな木がある。

 その木から絶えなく水が滴り落ちている。

 外は快晴だ。

 

「あの木は止まない」

 町は水浸しだった。

 日が当たらないこの土地は、水を十分にはけることが出来ない。そのため一帯が大きな水溜まりのようになっている。

 ――アタシと同じさ。

 水を掛けられた老婆は、漸く狂ったように喚き出した。彼女の乾燥し茶色くなった肌に水が吸い込まれるようにして消えて行く。

 次の瞬間老婆は肌白な、若々しい女性になっていた。

 


 老婆の処刑はその翌日に行われたが、そのとき既に老婆は、もとの寂れた老婆に戻っていた。

 太陽が山から姿を表したのは常時より遅かったように思う。

 高くから見下ろす陽の下、雨を降らす木にくくりつけられた老婆に、火が着けられた。

 このとき彼女は自分が持ち込んだ呪いと同化したのだ。

「ご覧。あれが魔女だ」

 彼女は叫び声もあげなければ身動ぎひとつしなかった。

 どちらも茶色く乾燥しているので、火を着けてしまえば、大木と老婆の明確な区別はない。

 密告者の要望で生きたまま燃やしているのに、まるでその実感が湧かない光景だ。

「駄目だな」

 肩を強く叩かれ前に押し出された。

「行ってこい」

「……」

 どっちだろう。

 少し迷って壇上に上がった。老婆と木の区別がつかないので、正面の炎に向かってでたらめに手を突っ込む。

 小さな穴が二つ浮かび上がった。

 恐らく目だ。

 老婆の身体の中で一番潤っていた瞳は、既に蒸発してなくなっている。

 しかし、老婆はその空洞を目一杯見開いて彼女を見ると、ついに叫び声を上げた。

 酷く掠れているが、十分聞こえる声量だろう。老婆から手を離し、その声と表情が見学者に見えるように横に避ける。

 沈黙。

 認識。

 そして歓声が上がった。

 背後の炎にはどれだけ近づいても感じなかった熱気を感じた。

 日が傾き始めた頃――とはいえ日が出たのが遅かったのでその間は一瞬だったのだが――老婆は燃えて完全に灰になった。

 その頃には殆ど客は居なくなっていた。隣の町に帰ったのだ。

 侘しい広場を、骨灰だか木の屑だか見分けのつかないものが舞う。水溜まりの町に黒い灰がぷかぷかと浮かんで消えた。

 水溜まりの中に点点と立つ真っ白な男と女が囁き合う。

「次は山の向こうだ」

「山の向こうの穴の中」

「穴の中の滝の向こう」

「滝の向こうの森の中」

 そこにも悪魔が居るという。我らが神への反逆者が、居るという。

 リグネットの悪魔。

 さて、誰を行かせよう。

 視線は自然と中央へ。そこには先ほど会場を沸かせたものが居た。

 広場の真ん中、スポットライトのような斜陽に照らされている。フードが風に払われ、あらわになった白い髪が陽に反射してキラキラと煜く。

「レイン」

 顔を上げたのは少女だ。年端も行かぬ十五、六ほどの少女。

 しかし確かに、老婆にこの世の終わりのような叫び声を上げさせた少女だ。

 少女は自分を見るものたちを憮然として見た。

 半目の瞳には精気がない。

 泰然とした男が彼女に指を突き付け命じると、少女は微かな動作で黙礼した。

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