現場の人物録③ Sさん

 BOJ-NETなるシステムの開発をしていたころにSさんに出会った。

 ひと回り以上は年長技術者で白髪が少し混じった紳士的な方であった。


 まったく別の会社の契約社員さんで、しかも同じ案件を担当したことがなかったので接点がほとんどなかったのだけれど、あるとき大型汎用機用の高速プリンタの前で顔を合わせた。二人ともリストの出力待ちである。


 毎日、進捗会議などに出ていたからお互いがどういう立場でどんな仕事しているかも分かっていたので軽く挨拶して、自分のリストの印刷を待っていたら、何やら見たことのない美しい模様の紙が数枚出力された。


「なんだこれ? おお……」


 思わず声が漏れてしまった。


 するとSさんが、バツの悪そうなち表情をしてその紙を回収。そしてちらりと私を見る。


 たぶん、私の目がキラキラしていたのだと思う。それは何かと聞いたら、あっさり教えてくれた。


「フラクタルだよ」


 どうやって印刷したのか詳しく教えてくれた。

 けれど、まあちょっと私以外には話せないことだったと思う。


 というのも、仕事と全く関係のないSさんの趣味──暇つぶしともいう──で印刷したものであり、お客さんのプリンタ機器と高級用紙とトナーをつかっている時点で、咎められたら言い訳できない行為だったからだ。


 まあ、当時私の立ち位置といえば、それなりに自由が許されていて、お客様から大抵のことは大目に見てもらっていた。似たようなことを私もやっていたから辛うじてセーフ、個人的にはそんなことで目くじらたてることもない遊びだと思う範疇だ。


 Sさんは、①アセンブラ言語に精通していて ②IBM大型汎用機での開発環境にも精通しているので ③担当の仕事が終わってやることがないし、前から試したかったことを実行してみた ということであった。


 彼が試したのは、フラクタル図形用ドットの座標を算出するアセンブラプログラムを作成して実行し、作成されたデータを書式オーバーレイと呼ばれるプリンタ出力用の印刷言語に変換してプリンタに転送することだった。


 そして期待通りに出力されたのを誰かに見つかる前に速攻で回収しようとしたのに、運悪く? 私に見つけられてしまったというわけだ。


 この試みは、三十年以上前の金融系システム開発の現場を知る技術者からすると、かなり高い技術力が必要なことだった。少なくともアセンブラ言語、汎用機用O/Sとその周辺機器、サードパーティー製ユーティリティとその簡易言語について確固たる知識と開発経験が必須だった。そして知っているだけでなく、それでフラクタルを描こうとする発想もまた素晴らしいと思った。


 因みに、言語仕様を知るには紙のマニュアル(分厚い)が必要であり、それがどの書庫にあるのか、その書庫に入室が許可されているのか、持ち出し可能なのかといった昭和の開発現場特有のハードルをクリアしたものだけが、知識を得られた時代だった。当然そんなことが許されるのはごく少数だ。


 当時なんとなく自分の仕事に行き詰まりとか閉塞感を感じていたので、Sさんのこの「お遊び」にはとても興味を惹かれた。


 銀行業務システムはガチガチの仕様で固められているから、その仕様以上の機能(ハードウェエア、ソフトウェアの機能)を知っていても利用する機会がなかったのである。


 おかげでちょっとだけ目が開いた私は、その後システムを構成する機器やソフトウェアについて調べては何か面白いことができないかを考えるようになった。


 今でこそ当然のことだけれど、汎用機からPCへダウンロードした各種データを文字コード変換したうえでテキスト処理を施しこれを再び文字コード変換して汎用機にアップロードするといった作業を、ExcelVBAのマクロで実現するツールを作ったりした。


 少なくともその現場ではだれもやってないことだったので、とてもやりがいのあるツール作成だった。



 仕事に少しばかり遊び心があっても許されていた時代のことである。

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