09 今日の幸福
『どうもありがとー! 「KAMERIA」でした! ステッカーが欲しい人は、あとでメンバーに声をかけてねー!』
『凝結』の後には『線路の脇の小さな花』、さらに『転がる少女のように』まで披露して、『KAMERIA』のステージは終焉を遂げた。
歓声と拍手の渦巻く客席が、黒い幕によって隠されていく。そのさまを見届けてから撤収の準備に取り掛かろうとしためぐるは、思わずよろめいてベースアンプにもたれかかってしまった。
「さすがのあんたも、力尽きたか。ベーアンごとぶっ倒れないようにね」
目ざとい和緒に声を投げかけられて、めぐるは「うん」と笑顔を返す。その間も、汗が目に入って痛かった。
Tシャツはぐっしょり濡れそぼっているし、タイツの内側は熱がこもってしまっている。やはり十分間の延長をした分、疲労の度合いも増していた。
ただしそれ以上に、めぐるの胸も満たされている。
これはきっと、三割増しどころの話ではないだろう。もとよりめぐるはライブの回数を重ねるごとに充足の思いが増していたし、そこに二曲分が加算された格好であるのだ。なんとなく、幸せなあまりに心がキャパオーバーを起こしているような感覚であった。
(なんか、ちょっとしたことで泣いちゃいそうだな……周りのみんなに迷惑をかけないように気をつけないと)
そんな思いにひたりながら、めぐるはベースをスタンドに立てかけた。
町田アンナは「おつかれー!」とめぐるの肩を叩いてから、エフェクターボードを手にバックヤードへと消えていく。ギターも肩からさげたままであるので、彼女はいっぺんにすべての機材を撤収することがかなうのだった。
いっぽうめぐるはふた回りも巨大なエフェクターボードであるし、町田アンナよりも遥かに軟弱であるため、とうてい真似しようという気持ちにはなれない。万が一にも階段の途中で機材を落としてしまったら、この幸せな気分も木っ端微塵になってしまうはずであった。
そんなめぐるをフォローしてくれるのは、和緒だ。めぐるがシールドを片付けて、エフェクターボードの蓋を閉める頃には、自分の片付けを終えた和緒が忍び寄っているのだった。
「お疲れさん。今日も下僕の役目をつとめさせていただきますですよ」
和緒もバスドラのペダルとスティックのケースという荷物を抱える身であるが、空いた手で軽々とエフェクターボードを持ち上げてしまう。長身で運動神経も抜群の和緒は、町田アンナに次ぐ腕力と体力を有していた。
いっぽう栗原理乃は丸められた三つの紙袋と自前のペットボトルだけを手に、階段をのぼっていく。スタッフがバックヤードまで運んでくれた電子ピアノを楽屋まで片付けるのは、いつも町田アンナの役割であった。
「い、いつも荷物運びを手伝ってもらっちゃって、ごめんね?」
ベースのヘッドを壁にぶつけないように両手で抱え込みながら、めぐるは和緒の背中に呼びかける。先に階段をのぼっていた和緒は横顔を見せながら、シニカルに微笑んだ。
「そこは、持ちつ持たれつでしょ。あんたは腕力を必要としない場面で、せいぜい頑張りなさいな」
「そーそー! てか、めぐるはメンタル部分のカナメだからねー! みーんなやる気はまんまんだけど、先頭を走ってるのはやっぱめぐるだからさー! これからも、遠慮なくかっとばしちゃってねー!」
と、背後からは電子ピアノを抱えた町田アンナが呼びかけてくる。それでめぐるは、大いにへどもどしながら階段をのぼることになった。
そうして楽屋に踏み入ると、『StG44《エステーゲーヨンヨン》』の三名がスタンバイしている。いち早く撤収した栗原理乃は、壁際で咽喉を潤していた。
「お疲れさん。お前ら、見るたんびに破壊力がブーストされてくな」
あまり表情の動かないギター&ヴォーカルの男性が、そんな言葉をぶっきらぼうに投げかけてくる。
「じゃ、ギターの子はまた後でな。五曲目だから、忘れんなよ?」
「うん! そっちも、頑張ってねー!」
町田アンナはぶんぶんと手を振り、めぐると和緒は会釈をする。沈着なる三名の若者は、それぞれの機材を手にひたひたと階段を下りていった。
「いやー、今日もばっちりだったねー! いきなりの二曲も、現時点ではサイコーの出来だったっしょ!」
「現時点では、ね。映像でどんな有り様になってるか、戦々恐々だよ」
「あはは! ライン録音だと、あちこちヤバいかもねー! ま、楽しかったから問題ナッシングさ!」
町田アンナはライブの熱をそのまま残しており、和緒は汗だくだがポーカーフェイスだ。そしてめぐるがひとりでしみじみと幸せを噛みしめるのも含めて、いつも通りのライブ直後の光景であった。
「じゃ、ちゃちゃっと着替えちゃおー! ヨンヨンのステージも見逃せないしねー!」
そんな風に言いながら、町田アンナはテーブルの上から黒いTシャツを取り上げた。『StG44《エステーゲーヨンヨン》』が物販として準備していたTシャツの一枚である。『StG44《エステーゲーヨンヨン》』のステージでは、そちらを着用するのだ。
こちらの楽屋にはシャワーユニットが存在するので、栗原理乃はそのカーテンの裏でリィ様の扮装を解き、汗だくのワンピースを着替える。めぐるたちは男性が踏み入ってこないように用心しながら、手早くTシャツだけを着替えた。
町田アンナのゲスト出演はシークレットであるため、黒いTシャツの上にチェック柄のシャツも着込んでいる。そして、カーテンの裏から出てきた栗原理乃は、さっそく町田アンナに頭を下げた。
「アンナちゃん、いつも重い荷物を運ばせちゃって、ごめんなさい。それに、お礼を言うのも遅くなっちゃって、そっちもごめんなさい」
「あはは! いちいち気にしなくっていいってばー! リィ様がそんなぺこぺこ頭を下げてたら、キャラ設定が崩壊しちゃうしねー!」
町田アンナは陽気に笑いながら、栗原理乃の肩を抱く。
そんな二人を先頭にして楽屋を出ると、一階のバーフロアには見知った人々がどっさり待ちかまえていた。
「みんな、おつかれさまー! この前より、もっとかっこよかったよー!」
「本当です。しかも、いきなり二曲も増やすなんて、すごいですね」
まずは町田家の姉妹が、おひさまのような笑顔を届けてくる。
ご両親は温かな笑顔でそのさまを見守り、次は軽音学部の関係者が押し寄せてきた。
「本当に、卒業ライブのときよりすごかったよ! たった一ヶ月でこんなに見違えるなんて、信じられないね!」
「カバーの新曲も、すごい迫力だったよ! ファンクバージョンっていうのも、すごくライブ映えするね!」
小伊田と森藤も、相変わらずの熱情である。ここしばらくで多少なりとも交流が深まったためか、めぐるはいっそう温かい気持ちを抱くことができた。
そしてお次は、新入部員の番である。しかし、野中すずみが感極まってしまっているため、真っ先に声をあげたのは嶋村亨であった。
「本当に、部室の練習や動画とは比較にならない迫力でしたぁ。ライブハウスって、あんなに音が大きいんですねぇ」
「あはは! シマ坊はお初だったんだもんねー! 耳は痛くならなかったー?」
「はい。耳はわんわんしてますけど、それも何だか気持ちいいですぅ。僕もいっそうギターを頑張りたいって思いましたぁ」
嶋村亨はいつもお地蔵様のようにのんびり微笑んでいるため、熱情のほどはまったく伝わってこない。ただきっと言葉の通りの思いを抱いているのだろうという雰囲気が伝わってきた。
「わ、わたしもです! わたしなんて、まだベースを始めたばかりの初心者ですけれど……でも、めぐる先輩を目指して、頑張ります!」
と、言語機能を回復させた野中すずみが、真っ赤な顔でめぐるに詰め寄ってくる。ライブの余韻でちょっとした浮遊感のさなかにあるめぐるは、普段よりもよほど安らいだ気持ちでそれを受け止めることができた。
「ありがとうございます。『KAMERIA』のライブを楽しんでもらえたなら、嬉しいです。野中さんも、頑張ってくださいね」
野中すずみは一瞬きょとんとしてから、もともと赤く泣き腫らした目に新たな涙を浮かべてしまった。
「あ、ありがとうございます……めぐる先輩に、そんな温かい言葉をかけてもらえるなんて……」
そこで言葉を詰まらせた野中すずみは、すぐ隣に立っていた北中莉子の胸もとに顔をうずめて、声もなく泣き伏してしまう。
北中莉子は溜息をつきながら、めぐるの顔をじろりとにらみつけてきた。
「ライブ、お疲れ様でした。……どうして今日に限って、そんな真っ当な言葉でこの子を刺激するんですか?」
「真っ当であることに文句をつけられるとは、業の深いプレーリードッグだね。ま、次に会ったときには挙動不審に逆戻りしてるだろうから、心配しなさんな」
和緒がすかさず口をはさむと、北中莉子はいっそう顔をしかめた。
「どっちかっていうと、もっと普段の場で真っ当なコミュニケーションを目指してほしいんですけど、そういうわけにはいかないんですか?」
「それには、年単位の交流が必要かもね。ま、標準の枠から外れてるのはおたがいさまじゃない?」
北中莉子に対しては、和緒も遠慮がない。そうして北中莉子が口をへの字にすると、町田アンナが陽気に笑った。
「なーんか、子犬を守る親犬同士の対決みたい! めぐるもすずみんも自然に仲良くなれるだろうから、黙って見守ってあげればー?」
「あたしはそのつもりだけど、プレーリードッグに耐性がないとじれったい気持ちがつのるんだろうさ」
そうしてめぐるの頭が小突かれることにより、話は一段落したようだった。
バーフロアにはそれなりの人間がたむろしているが、おおよそは二番手のバンドの関係者のようである。『KAMERIA』と交流のあるバンドの関係者は、のきなみ客席フロアに留まっているようであった。
「次は、ヨンヨンだもんねー! みんなは、どーするの? ヨンヨンもかっちょいーから、ウチはプッシュしておくよー!」
「ヨンヨンって、『KAMERIA』が十一月に対バンしたバンドだよね。あたしはけっこう好みだったから、客席で拝見しようかな」
そのように語る宮岡を筆頭に、全員が客席に下りることになった。
客席には、かなりの人数が居揃っている。『KAMERIA』のステージを見届けた面々に、『StG44《エステーゲーヨンヨン》』だけを目当てにしたお客も加算されたのだろう。ただそれも、百人には遠く及ばないようであった。
「本来アマチュアバンドのお客なんて、三、四十人も集まれば上等なんだろうね。チケットノルマだって、十枚とか二十枚とかに設定されてるわけだからさ」
と、和緒がそんな言葉を囁きかけてくる。
「ブイハチのイベントであれだけのお客を集められたのは、ひとえに二大巨頭のおかげってこった。若いみそらで、ずいぶんな体験をしちゃったもんだよね」
「うん。わたしは今日ぐらいのお客さんでも、全然不満はないけど……やっぱりあの日は、すごかったよね」
しかしそれでも、今日という日の価値が下がることはない。あの日にはあの日の楽しさが、今日には今日の楽しさがあったのだ。数十人の人々と同じ空間の喜びにひたれただけで、めぐるの心は満たされていた。
それに和緒の言う通り、あれは大きな人気を博する『リトル・ミス・プリッシー』と『ヴァルプルギスの夜★DS3』と、それに出演をお願いできる『V8チェンソー』の力であったのだ。
今日という日には、また十名以上の人々が『KAMERIA』のためにチケットを買ってくれた。さらには別のバンドからチケットを買いつつ、たくさんの人々が『KAMERIA』のステージを見届けてくれた。それでめぐるはあれほどの幸福にひたれたのだから、文句をつけるいわれなどはどこにも存在しなかったのだった。
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