第7話 アンドレア②
目の前には、叔父からの手紙が置かれていた。
読まなくてもわかる。
どうせ俺の事を責めて、ジェマと別れろと言うものだ。
封を開ける事もせずに暖炉の中に投げ捨て、忌々しげに燃えていく様子を眺めていた。
どうしてこう、何もかもが上手くいかない。
あの女さえいなければ、ジェマと二人で幸せになれると思っていたのに。
「陛下。御報告したい事があります」
「なんだ」
執務室に入ってきたのは、騎士団長。
前王が健在だった時から団長を任されている者だ。
「城下では、公国の縁者である元王妃様を蔑ろにしたから、不作が続いていると農民達が騒いでおります」
「暴動が起きる前に騎士団を遣わせて、黙らせろ」
そんな事はそっちで対処しろと、さらに伝えた。
ますます俺をイラつかせる。
廃妃となってまで俺の邪魔をするフリージアには、怒りが募る。
「しかし、陛下。自国の民に剣を向ける事は、教えに反します。陛下が……」
「貴様達の役目は、王である俺を守る事だろ!!それ以上何かを言えば、お前とお前の部下は職を失う事になるぞ!!」
怒鳴りつけてやると、口を閉ざした団長は一礼して部屋から出て行った。
静かになった部屋で一人になると、ようやくそれを思い出す。
そう言えば今日は朝食を一緒に過ごした以降、ジェマの姿を見ていないと。
今はもう昼過ぎで、先程昼食の時を告げに来た侍女を無視したから、もしかしたらジェマは一人で過ごしているかもしれない。
急いで部屋を出て、ジェマを探した。
彼女の姿は、お気に入りの薔薇園で見つける事ができた。
「ジェマ!」
声をかけると、驚いた様に振り向いて俺を見ていた。
顔を強ばらせたジェマの隣には、見慣れない男がいる。
年若い男で、俺と同じくらいの年齢だ。
「ジェマ……」
「あ、アンドレア、紹介するわ。彼はデザイナーで、今度のドレスは真っ赤な薔薇のようなものがいいと思って、参考にしてもらいたくてこの薔薇園を案内していたの」
「そ、そうか……」
もちろん俺は、ジェマの言葉を疑う事なんかしない。
ただ、見目が良く、鍛えられた事がわかる体格の男がデザイナーとは思えなくて……
「じゃあ、あなたとはここでお別れね。ドレスのデザインを楽しみにしているわ」
ジェマがそう言うと、男は俺に頭を下げて去っていく。
「アンドレア、私に何か用だった?会えなくて寂しかったわ」
取り繕う様に俺に腕を絡めてくるジェマの様子に、疑念を抱きながらも何かを問い詰める事はできなかった。
俺がジェマを疑えば、足元から何かが崩れていくように思えて。
「昼食がまだだっただろう?一緒にどうかと思って探していたんだ」
「まぁ!わざわざ探しに来てくれたのね。嬉しいわ、アンドレア」
ニッコリと笑うジェマの腰を抱き寄せて、並んで食堂へと向かう。
何も変わらない。
俺とジェマの愛は本物だ。
そう自分に言い聞かせながら歩いていると、
「陛下!武装した者達が大挙して押し寄せています」
追い打ちをかけるように、緊迫した声が俺に向けられていた。
「民衆は興奮状態にあり、現在騎士団が対処にあたっていますが、陛下の安全を確保する為にも避難をお願いします」
目の前に立つ騎士の緊迫した様子に、外の騒動の様子が伝わってきそうだ。
簡単に城内に侵入できるはずはないだろうが、用心するに越した事はない。
「何?何が起きたの」
ジェマが怯えたような声をあげたから、近くに控えていた騎士にジェマを託すと、俺は状況を把握するために騎士団長の元へと向かった。
まずはジェマに安全な場所に行ってもらい、俺は事態の沈静化を図る。
俺が姿を見せれば民はすぐに落ち着くだろうと思っていたが、事態はそんな簡単な話ではなかった。
城のテラスから城壁の方角を見下ろすと、騒ぎ立てている群衆の一部が視界に入った。
一部はもうすでに敷地内に入り込んでいたのか。
「見ろ!国王だ!」
誰かが俺の姿を見つけ、途端に、多くの視線が一斉に向けられた。
「白鹿を殺め、神を冒涜したからこの国に罰が下されているんだ!」
「悪女を出せ!」
「鹿殺しの娘を赦すな!」
多くの罵声が飛び交った。
群衆の怒りを一身に向けられて、思わず後ずさる。
いくら国王と言えど、感情の制御を失い怒りに駆られたあの者達に囲まれてしまえばただでは済まない。
逃げなければ。
逃げなければ、殺される。
だが、何処へ?
「団長!騎士団長は何をやっている!早く俺を守れ!」
叫び、誰かが来るのを待ったが、そこにいるはずの護衛の姿がどこにもない。
いつの間にか俺の周りには、誰もいなくなっていた。
「ジェマ!ジェマは無事なのか!」
不安に押しつぶされそうになり、焦る思いは声を上擦らせる。
嫌な汗がとめどなく噴き出ていた。
自分は、この国はこれからどうなるのか。
群衆のあの怒り。
本当に俺は、神の怒りに触れてしまったのか?
だが、どうして。
鹿殺しの娘とは、ジェマの事か?
ジェマが購入したコートは、本当に白鹿のものではないのに。
階下から、ドンっと大きな音が聞こえ、興奮した者達の怒声が聞こえてきた。
群衆が城になだれ込んできたのか?
「誰か、誰か助けてくれ!」
恐怖に呑まれ、自分が八つ裂きにされる有り得ない妄想に襲われた。
何処へ向かえばいいのか、闇雲に通路を走り出した直後。
「アンドレア、こっちだ」
「叔父貴」
心配そうに俺に駆け寄ってきてくれたのは、叔父のオスニエルだった。
「怪我などはしていないか?」
温かみのある声が、俺に安心感を与えてくれる。
口煩く、疎ましいと思っていた叔父が、最後まで俺の事を心配してくれる唯一の肉身だと、ここにきてやっと理解した。
俺の事を心配してくれていたのに、叔父の言葉に耳を傾けなくて。
「ここは危険な場所になる。この先に君を護衛する者を待たせている。一緒に来るんだ」
叔父の言葉を受け、走り出す。
叔父が守ってくれるのなら、もう大丈夫だ。
そう思った直後。
背後から突然口を押さえられ、特徴的な匂いが鼻腔を刺激する。
急激な睡魔に襲われて、
「すまない。アンドレア」
それが、俺が意識を失う直前に聞いた叔父貴の言葉であり、悲しげな響きを含んでいた。
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