20.神さまだ



 松ぼっくりちゃんと珸瑶瑁ごようまい先生は、二人並んで土手に座っていた。ハル子さん、うつぼ君、そして偽古庵にせこあん様の三人は、生垣いけがきの隙間からその様子を覗き見る。


珸瑶瑁ごようまい先生」


 風に乗って届いたのは、確かに、鈴をふったかの如き繊細な音色ねいろを聴かせる、松ぼっくりちゃんのこえだった。


「はい?」


 対する珸瑶瑁ごようまい先生の声も、深く静かで穏やかだ。松ぼっくりちゃんは、ほんのりと頬を染め、愛らしい眼を、わずかに伏せた。


「珸瑶瑁先生は、とても素敵なものに行き当たった時、困ったなぁって思う心持こころもち、ご理解なさいますか?」

「素敵なものに、ですか?」

「ええ」


 松ぼっくりちゃんは、少し足許の草を引いてから、ぱらぱらと風に飛ばして、にこりと笑う。それから、爪に入った土を削り出して、ぱんぱんと払った。


「素敵な音楽をきいたり、素敵な本を読んだり、素敵な方に逢ってしまうと、わたくしダメなんです。とても泣きたくなってしまう」

「それは――切ないという想いですね」

「ええ」


 そこで松ぼっくりちゃんは本当に本当に、切なそうに微笑んだ。小首を傾げた風情は、愛らしい本物の花のように、こぼれ落ちそうに思えた。



「神さまだ――と、思ってしまうのです」



「松ぼっくりちゃんは、神さまを信じていらっしゃる?」

「いいえ。そうではなくて、その素敵とめぐり逢えたこと、そのものが「神さま」のようだと思うのです」

「神さまは、個絶した存在ではなく、『現象』だとおっしゃるんですね」

「はい。――それで、珸瑶瑁ごようまい先生はどのようにお考えになられます?」


 珸瑶瑁先生は、静かに松ぼっくりちゃんを見つめた。


「やはり、松ぼっくりちゃんは、一筋縄でゆくお子さんではありませんでしたね」

「え」

あなどれません。貴女は」


 何を云っているのかわからない――と松ぼっくりちゃんは首を横にふった。

 珸瑶瑁先生は突然、そして初めて、ほんの一瞬だけ、本性をさらしたような大人の男の顔に、なった。松ぼっくりちゃんは、冷たい氷の欠片かけらを胸に打ち込まれたような表情になり、きゅっと苦しそうに心臓のある場所をつかんだ。実際、とても苦しかったのだ。そして、それを知ってか知らずか、珸瑶瑁先生はまなじりを細め、じっと松ぼっくりちゃんを見た。



「貴女は、私が考えていることと同じことを、その唇で語る。〈神〉が『現象』なのだと云い切る。――貴女と云う人は、実際寒気さむけがする人ですね」



 とたん、松ぼっくりちゃんの表情はくもった。


「寒気」


 ぽつり、と言葉までが氷のように落ちる。


「そう。寒気です」


 松ぼっくりちゃんの咽喉のどはコクリと鳴り、「あ」と躊躇ためらいは音となってもれた。


「あの――」

「はい」

「それは、あの」

「はい」

「何か、わたくしは悪いことを申し上げたのでしょうか」

「はい?」

「あの――その、寒気、と云うのは悪い意味なのでしょうか」

「とんでもない」


 珸瑶瑁ごようまい先生は、すきとおる、冷たいもののようにさらさらと笑った。


「松ぼっくりちゃんは、すぐに何でもでもを不安に思ってしまう。それはいけません。それは恐らく。ええ。もちろん悪い意味なんかではないのです。貴女は果てしなく聡明過ぎるのです。十二のお子さんが先程のようなことを、さらりとおっしゃれば、一般の大人は恐れるか持ち上げるかけむたがるかのいずれかでしょう」


 珸瑶瑁先生は、一つ前髪をき上げた。


「松ぼっくりちゃんは、十二のお子さんのお姿なのに、内面はとても稀有けうなのですね」

「稀有」

「はい。稀有なのです」

「では、あの、珸瑶瑁先生は、わたくしが子供だと思ってらっしゃいますか」

「正直、今までそう思っていました。そのことは否定いたしません。偽古庵にせこあん様の侍従であることが、私に「子供の面倒を見る」と云う意識を強くインプリンティングしていることも否めません」



「あいつ、あんなこと云うて――」

「しっ!」



 ムッと眉をよせて我知らずつぶやいていた偽古庵にせこあん様を、うつぼ君がいさめた。


 三人は再び息をひそめて続きを待つ。


「――でも、それも撤回します」


 金木犀の葉擦はずれが、珸瑶瑁ごようまい先生の柔らかな風貌ふうぼうの上に、ゆらゆらと幾何学的きかがくてきな陰影を描く。松ぼっくりちゃんは、それに魅入られたが如く、肘の脇辺りを緊張させた。



「貴女は、十二分に立派な個人の意思を持った方です」



 松ぼっくりちゃんは、あの鈍色にびいろまたたを、これ以上ないと云うほど大きく見開き、それからいとけなほほをさっと赤く染めた。

 珸瑶瑁先生は、さらさらと微笑んだままでいる。ただ、それはわずかばかりに含みある光をひとみの底に飼いながらと云うものでは、あった。


 それを知ってか知らずか、松ぼっくりちゃんは赤い頬を小さな掌でおおいながら、ますます一生懸命な様子で続けた。


「では、あの、珸瑶瑁ごようまい先生は、わたくしのような者は、けむたいとお思いになられますか」


 珸瑶瑁先生は、ほんの少しだけ眼を見開いて、それから、さらさらと笑った。


「私は、松ぼっくりちゃんのそんな部分を、特に好きですよ」




 後ろで盗み聞いていた三人の顔も、何時の間にか赤くなっている。お互い顔を見合ったことによって初めてそのことに気付き、また黙ってうつむいたのだった。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る