まちがいさがし

 史実とちがうネタの説明です。


 今回のオリキャラは、紀善道きのよしみち藤原章成ふじわらのあきなりです。

 善道は、紀有常きのありつね(有常は実在の人物)の孫って設定で、私が調べた系図には孫の名前がなくてですね。紀氏は、論語から名前を取っているので(貫之は、「いつこれく(ひとつの信念を貫き通す)」。有朋ありともは、「ともり」とかね。)、善道も論語から取ったんですが、紀氏の中で、「道」が通字つうじ(同じ漢字を名前に代々、使う)の血筋も別にあるので、私の中では、善道のお母さんが、「道」が通字の紀氏だったんだよ…って思っています。

 章成は、実在する藤原氏とかぶらない名前で、なおかつ、ありそうな名前ってことで、考えました。



 紀国守きのくにもりの話の東宮とうぐう(皇太子)は『古事談こじだん』の注には、「陽成ようぜい天皇?」とあるんですが、国守の官歴かんれきを見ると、清和せいわ天皇のような気もします。

 それに、子の紀貞範きのさだのりと、孫の紀長谷雄きのはせおの年齢を考えると、進路変更を言い付けるには、陽成天皇の皇太子時代では、遅すぎるような気がするんだよね。



 凡河内躬恒おおしこうちのみつねが、内膳司うちのかしわでのつかさだった史実は、ございません。

 この設定は、古今和歌集に躬恒が「台盤所だいばんどころで詠んだ歌」があって、台盤所を、まんま台所だと思ったせいです。でも、位の低い躬恒が、清涼殿せいりょうでん(皇居)の台盤所=女房(侍女)の溜まり場に、普通に出入りできるわけもないので、意外と合ってるのかもしんないとも思ってます。

 と思ってたんですが、躬恒が「台盤所で詠んだ歌」を見付けられないわ。清涼殿で酒盛りしてるお貴族様たちに呼び出されて、「ちょっとちょっお前おま、歌でも詠めよ」って言われた歌と勘違いしてたかも。


 壬生忠岑みぶのただみねとも、もう知り合っていますが、今回、出て来ませんでした。次回も、出て来ないな…



 清和天皇の一周忌法要が、円覚寺で行われたのは、史実ですが、惟喬これたかがお経を読みに来てたという史実は残っていません。

 帝の元服の宴で、青海波が舞われた史実もないです。年明けに大雪が降ったのは、史実です。

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鬼と舞う 山鹿るり @yamaga-ruri

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