あとがき

 初めまして。山鹿やまがるり、と申します。

 新参者の小説にフォロー等々を、ありがとうございます。書くのに、いっぱいいっぱいで、お礼に伺えず、誠に申し訳ありません。

 自主企画イベント『和風ファンタジーが読んでみたい!』に、参加させていただいております。イベントの参加ルールがわからないまま、参加してしまったので、失礼がありましたら、誠に申し訳ありません。


 がんばって、紀貫之の一生を書きたいと思っています。来年の大河ドラマの便乗じゃないよ。(来年の大河ドラマは、確実な史実がないのをいいことに、ないことばっかり書かれるんだろーなー。とりあえずは、紫式部と藤原道長は年齢が近い設定みたいですね。私の中では、イケオジ×ヤンデレなんですけど…。紫式部レズビアン説は、採用するのかな?)


 この話を書く上で、あきらめたのは、登場人物が名前で呼び合うことです。

 当時は、名前呼びは失礼なことで、役職名で呼び合ってたので、貫之を「きの書司ふみのつかさ」って呼び名にしたかったんですが、「きの雅楽司うたのつかさ」で、「とうの雅楽司うたのつかさ」になると、誰が誰?になっちゃうんで、名前呼びにしました。「様」呼びも、江戸時代以降なんですよね…

 あと、一人称ね。全員、「まろ」じゃ、わけわかんなくなるので、「私」を基本に、「おれ」「ぼく」「わらわ」を使うことにしました。この時代、「おれ」は、「お前」の意味なんですけどね。「わらわ」も平安時代の女性が言ってそうだけど、鎌倉時代くらいからなんですよね…

 紀友則が使ってる「(私)」と「(お前)」は、一番、古風な人称なんですが、この話の中では、子どもが使うような人称という設定になっています。「ぼく」って言ってた子が、ある日、突然「俺」を使い始めるのが、フツーなのに、未だに友則は「ぼくちゃん」って言ってるようなイメージです。

 ちなみに、私の故郷の方言では、「」と「」が未だに使われていて、方言に古語が保存されているのは、他の方言でもあることで、ご先祖様も、こうやって、しゃべってたんだなーと思うと、しみじみします。「ける」も、よく使われます。


 紀貫之は、令和イケメンにしました。シュッとしたイケメンも、平安時代には、貧相ひんそうな男で、清少納言に思いっきりディスられてます。

 にこやかな人は、平安時代は下品と思われてたみたいで、惟喬親王これたかのみこの、「わららか」というのは、ホメ言葉ではないのだよ。

 この前、大河ドラマでね、僧を斬った信康が「僧が私を見て、嘲笑わらったのだ!」ってキレてて、家来が「あれは、微笑んだだけです!」って言ってましたけど、スマイルが友好の証になったのは、第二次世界大戦後じゃないかなあ?と、私は思ったんですけどね。戦国時代は、信康の感じ方の方が、正解じゃないかなあ…。昭和時代でも、にこにこしてる男子は、「ニヤニヤしてんじゃねえ!」って怒られたりしませんでした??


 最初は、そんなこと書くつもりなかったのに、テーマが二世批判みたいになっちゃいました。

 二世って、優秀な母と父の間に生まれて、お金をかけて、レベルの高い教育を受けて、ど~して、とんでもないバカに育つのか、謎ですよねえ。

 平安時代は、『蔭位おんいせい』というのがありまして、お父さんが首相だと、どんだけアホでも首相秘書官になれて、国民が汗水垂らして働いて稼いだお金を絞り取った税金をお給料にもらって、お父さんに付いて海外観光、首相官邸でドンチャン騒ぎができるという制度が、あ、まちがえた。これは令和時代の話だった。

 平安時代は、『蔭位おんいせい』というのがありまして、父や祖父のご身分がお高いと、元服げんぷく(成人)して即、お高いご身分になれるんですわ。

 その他の人たちは、大学寮に入って、勉強して、受験して、公務員になるのが、普通コース。菅原道真と、紀長谷雄は、こっちのコースです。

 もうひとつは、権力者の推薦で、就職するコースもあって、物語の設定上、惟喬親王これたかのみこに推されて、紀貫之は図書寮ずしょりょうに、紀善道は雅楽寮うたりょうに入ったってことにしてます。史実では、貫之も普通コースだったと言われてます。


 紀貫之の年齢設定は、推定生年の一番、古いあたりを採用しています。惟喬親王や在原業平ありわらのなりひらと会わせたかったんだよね…

 紀友則は、年齢の計算をするのが、めんどくさいので、菅原道真と紀長谷雄と同い年にしてます。友則は、40歳過ぎまで職に就かず、『日本最古のニート』と呼ばれております。「謎の人」って設定付けのため、高身長イケオジのルートもあったんですが、低身長美形になりました。


 病については、『コッホの法則』ってゆーのがあるくらいで、現代では当たり前の常識・「病気は伝染する」というのは、大発見だったんですよね。

 紀氏は、紀国守きのくにもり典薬頭てんやくのかみだったり、紀夏井きのなついが、薬に詳しかったという史実があったりするので、「病気は祈祷じゃなく、薬で治る」って知識はあったと思うのですが、どのくらい「感染症」を理解してたのかってゆー設定は、悩みました。

 「けがれ」に触れたら、物忌み=隔離というのは、感染拡大予防対策には、多少、なっていたのかもしれない?と、書いてて思わなくもなかったです。

 「かぜ」は、『竹取物語』にも出て来るくらいで、むか~しむかしから、あって、当時は、悪い風のが、体に入り込んだと思われてたそうです。だから「風邪」と書くのね。


 みなさんが疑問に思われる、うじの間の「の」問題ですが、うじと名の間には、「の」が入ります。名字みょうじと名の間には、「の」が入りません。

 氏というのは、血族の名で、名字は、元々は住所を言うのが普通だったんですよね。

 去年の話をすれば、『たいら』がうじで、『北条ほうじょう』が名字みょうじ

 でも、去年の大河ドラマでは、『北条「の」義時』って読まれてて、めっちゃ私は気になってたんですが、平氏と対立した時点で、『たいら』のうじから独立して、『北条ほうじょう』といううじに分かれたって認識なのかなあ?

 それ言ったら、たいらは『平家へいけ』で、みなもとは『源氏げんじ』で、『源家げんけ』じゃないの?って思いますよね。

 氏に『家』を付けて呼ばれるのは、朝議ちょうぎに参加できる「参議さんぎ」という官職かんしょく以上の人たちなんです。令和的に説明すると、大臣になるようなものです。なので、当時、総理大臣でも何でもかんでも独占していたたいらは『平家へいけ』なんです。


 こーゆーの、近況ノートにコラムっぽく書こうと思ったんですが、ちゃんと研究をしている先生たちがお書きになった本を読んだだけの、生かじりの知識をひけらかすのは恥ずかしいなーと思って、やめました。

 参考文献リストはね…この話を書くのをあきらめた時に、書きかけの話といっしょに削除してしまいまして。何年か一度に「書くの辞める」って決心して、ファイル全削除しちゃうんだよね…。パクリがこわいので、基本的には一次史料を読んでいます。(時代がかぶってる灰原薬先生の『応天の門』は読んでないです。)

 今は、書く前に悩んで、書かないより、不細工でも、とにかく最後まで書いてみようと思っています。

 文章も、まだ悩んでるんですよねえ…古語の音の響きが好きなので、使いたいんですが、意味が分からない・読みづらいですよねえ。突然、令和語だけで書くかもしれない。友則が「マジでお前おまライム和歌、わかってなくね?」とか言っちゃうんだな。


 時系列順には書けないと思うので、話の前後はコレクションをご覧ください。次は多分、貫之が初めて鬼を静める話です。時系列順に書くことも、あきらめたことだな…書けるところから書いていきます。


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