第九話⑴

 九


 事件は解決した、のか? いや、間違いない、解決したのだ。植木はそう結論せざるをえなかった。

 支配人室への同行を要求した際、男は暴れることなく素直に従ったし、植木の尋問にもおとなしい態度で応じた。

 所持していた免許証から男の身元が判明。名前は南田安男で、品川区在住の四十三歳である。

 さらに追及の結果、大手銀行に勤務する銀行員であることがわかった。

 南田が犯行を認めるに至るまでは多少の時間を要したが、逃走中にジャケットのポケットから落ちた、処分し忘れの予備の催涙スプレーが決め手となり、犯行を自供した。

 植木の連絡を受けて駆けつけた同僚に南田が連行されると、植木は改めて神希に向き直り、話を聞くことにした。楽屋には、神希と植木の他に、支配人の大関と副支配人の鵜狩が残っている。

 尋問中にイベントは再開され、歌とダンスを披露して無事に出番を終えた神希は、充実感に浸った表情で楽屋のソファに腰を落ち着けて、カップに入った抹茶ジェラードをゆっくりとスプーンで口に運んでいる。

 そのご褒美を食べ終わるまでは、植木の問いにも一切耳を貸してくれなかった。(ちなみに、ジェラードは浅草の人気店で売っているもので、抹茶の濃さを七段階まで選ぶことができるという。神希は、濃厚度七が大のお気に入りだそうだ)。

 カップの中身を空にすると、神希は至福の笑みを浮かべながら、「ふ~」とひとつ大きな息をついた。

「さ、もういいだろう。いいかげんに話を聞かせてくれよ。一体、何が起こったんだ? 君は何をしたんだ? 僕にはさっぱりわけがわからない。ちゃんと説明してくれ」

 植木はいつの間にか懇願する口調になっていた。

「わたし、遥さんのお話やわたし自身の体験を重ね合わせて、考えたことがあるんです」

「考えたって? なにを?」

「遥さんは杏奈さんを探して二階に上がり、左に進んだ。真っ直ぐ歩くと、すぐに突き当たったから、もう一回、左に曲がった。

 そうしたら、曲がって二歩進んだところで、ゾンビと向かいあった。そして、そのゾンビは、スプレー上部にひとさし指を添えていた。

 ということは、つまり、いつでもスプレーを噴射できる状態にあったということ。ならば、ゾンビは遥さんを待ち伏せしていたように考えられる。そうですよね?」

「ああ、そうだね」

「でも、ここで疑問がひとつ。

 遥さんは杏奈ちゃんをつかまえるために、。それならば、どうしてゾンビは、遥さんの存在を予期して、あらかじめ待ち伏せることができたんでしょう?」

 思いのほか、神希の話が理屈っぽくなってきた。植木は今までより一層、真剣に耳を傾けることにした。

「ゾンビの第六感かなにかが働いて、曲がり角の向こうに誰かがいる予感がした。それで、通路の角の陰から遥さんが現れる方向を覗いていた? でも、それだったら、遥さんはその存在に気づいていたはず。

 遥さんが階段を上って二階に現れた地点から曲がり角までは、たったの五メートルほどという近距離ですから。

 曲がり角までの距離が長ければ、その間にゾンビは頭をひっこめたり出したりして、遥さんに気づかれないようにできたかもしれませんけど」

「すると、どうなるんだ?」

「そこで、わたしはもう一つの可能性を考えてみました。

 現場のあった廊下は、スカイツリーが見える窓に面していました。時刻は午後七時頃。外はもう暗くて、建物の中は明るい。

 それならば、窓は鏡の役目を果たし、建物の中を映していることになる。ゾンビは曲がり角の手前で、窓に映った遥さんの姿を見たんじゃないかって。

 曲がり角の手前からだと、角度的にはっきりと遥さんの姿が見えることはないでしょうけど、人影を認識することぐらいはできたでしょうね」

「なるほど。じゃあ、それだね」

「でも、ここでまた疑問がひとつ。

 遥さんは、こう証言しました。

 曲がり角に向かって歩きながら、正面にスカイツリーが視界に入ったときのことです。

『背の低い建物とはかぶっていたけれど、その上は何もさえぎるものがなくて、自らが灯した明かりをキラキラと放ちながら夜空に向かってそびえていました』と。

 でも、窓に映った自分の姿とスカイツリーが重なり合った状態を指して、『背の低い建物とはかぶっていたけれど、その上は何もさえぎるものがない』なんて表現するでしょうか?」

「う~む。まあ、しないかな」

「ですよね。だったら、こう考えるしかありません。

 スカイツリーがそのように見えたからには、のだと。

 今日は十月下旬のわりには、とても暖かい陽気でしたから、窓が開いていても不思議ではありません。

 さっきもお話したとおり、わたしはおトイレに行くために、あの場所を通ったのですが、正直言って、窓が開いていたかどうかの記憶はないんですけど、遥さんの証言からそう考えざるをえないんですね」

「なるほどね。でも、そうなると、ゾンビは遥さんの存在をあらかじめ認識することはできないって話にならないか?」

「ええ、そういうことなんです。ゾンビは遥さんが角を曲がって、自分と向き合うまで、遥さんの存在に気づくことはできなかった。

 にもかかわらず、スプレー上部にひとさし指を添え、いつでもスプレーを噴射できる状態にあったことも事実。

 ということは、こう結論せざるをえないんです。

 のだと」

「えっ」という言葉が、思わず植木の口をついてでた。 

「では、その別の人物とは誰か?

 もう、おわかりですよね? ちょうど、あのとき、あの現場付近に、ゾンビと遥さんの他にいた人物。そうです」と神希は言って、にっこりとほほえみながら、その親指を自らの顔に向けた。

んです」 

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