第22話 結ばれた夜
事故の後遺症の激しい頭痛で、迫田はしばしば自室に閉じこもった。
部屋の外からも呻き声が聞こえ、すみれはその声を聞くたびに胸が痛んだ。
その日も迫田は夕食も取らず、自室から出てこなかった。
静まり返った部屋からは、いつもの呻き声も聞こえず、逆に何かあったのではないかとすみれの心が騒いだ。
すみれは迫田の部屋の外から、声を掛けた。
「迫田さん。迫田さん!大丈夫ですか?!」
すみれの呼びかけにも、ドアの向こう側は沈黙を守っていた。
意を決してすみれはそっと部屋のドアを開けた。
迫田はベッドの上であおむけになり、苦し気に目を閉じていた。
聞こえないくらいの小さい声で呻き、荒い息を吐き出している。
それはまるで悪夢の中を彷徨っているかのように見えた。
すみれは迫田の眠るベッドの脇に立膝をして、迫田の手を握った。
そして迫田が夢の世界から現実へ戻って来れるよう必死に祈った。
どれくらいそうしていただろうか。
迫田がハッと目を覚まし、うつろな表情で虚空に視線を向けた。
すみれに手を握られていることに気付いた迫田は、ゆっくりと身体を起こした。
「ああ。すみれさんか。」
「迫田さん・・・大丈夫ですか?ごめんなさい。勝手に部屋へ入ったりして。」
「いや・・・心配してくれたんだろ?ありがとう。」
迫田はその汗ばんだ手ですみれの手を握り返した。
「君が手を握ってくれると、心にかかっている靄が晴れていくような気がする。」
「どんな悪夢を見ていたんですか?私で良ければ聞きます。」
すみれの真剣なまなざしに、迫田は重い口を開いた。
「わからないんだ。自分が何に悩み、何に苦しんでいるのか。それが判れば、何かが変わるような気がするんだが・・・。夢の中の俺は暗く長いトンネルの中を、ただ手探りで彷徨っている。孤独で身体が冷えて不安でたまらなくて。でも・・・」
「でも?」
「今日はいつもと違った。トンネルの向こうにある光がかすかに見えた。」
「・・・・・・。」
「すみれさん。君のお陰だ。君が手を握り、俺の側にいてくれたから・・・。」
迫田はベッドから降り、ふわりとすみれの身体を抱きすくめた。
「やっぱり俺は悪い男だな。君の了承を得ないでこんなことをして。」
「・・・・・・。」
「嫌なら振りほどいてくれ。」
「迫田さん・・・。」
すみれはその大きな背中に腕をまわし、迫田をきつく抱きしめた。
「迫田さん。私がいます。私が迫田さんを、もう決してひとりぼっちになんてさせません。」
「君は温かいな。」
「迫田さんの身体も温かいです。」
「すみれさん。・・・俺は君が好きだ。」
迫田はすみれの身体から離れ、その両肩を掴み、すみれの目をじっとみつめた。
迫田の左手は震えていた。
「君のそばにずっといたい。もう俺は君がいないと駄目なんだ。」
「迫田さん・・・」
「君は俺のたったひとつの光だ。俺の人生をその光で照らしてくれないか?」
その言葉を聞いたすみれは、瞳を潤ませ唇を噛みしめた後、大きく頷いた。
「はい。私は貴方と・・・一緒に・・・生きたい、生きていきたいです。」
「すみれさん。キス、してもいいだろうか。」
すみれの肩を掴む迫田の手に力が入った。
迫田の顔がすみれに近づき、その唇を捉えた。
激しく唇を吸われ、気の遠くなるような幸せに包まれたすみれは、もう何も考えられなくなった。
ただこのまま迫田の欲望に流されたいと思った。
ふたりの唇が離れ、すみれは迫田の首に手を回しその耳元に囁いた。
「迫田さん。私を抱いてください。」
「まったく、君はとんだ小悪魔だな。」
「私は悪魔ですか?」
「ああ。俺の心を惑わす小悪魔だ。」
「悪魔なんて嫌です。」
「じゃあ天使だ。どちらの君も魅力的だよ。」
迫田はベッドの上にすみれを横たわらせ、その上に覆いかぶさった。
迫田の燃えるような瞳がすみれの胸を焦がした。
「もっと早く君に会いたかった。そうすればずっと君を独占できた。」
「・・・もうとっくに貴方は私を独占してます。」
すみれの首筋に唇を這わす迫田に、そうつぶやいた。
「君といると何故だか安心する。」
「私はドキドキします。」
「俺もドキドキしてる。ほら、鼓動が早くなってるだろ?」
すみれは迫田の胸に耳を当てた。
「本当だ。早くなってる。」
迫田は目を伏せて言った。
「・・・君の中に誰が住んでいても構わない。その心ごと君が好きだから。」
そう言って迫田はすみれの唇に再びキスをした。
「私は・・・今目の前にいる貴方が、世界で一番好きです。」
あおむけになったすみれの目と鼻の先に迫田の顔があった。
迫田がすみれの顔をじっとみつめた。
「すみれさん。」
「はい。」
「俺の・・・俺の名前を呼んでくれないか?」
すみれは切ない顔でそう懇願する迫田を、潤んだ瞳でみつめながら・・・その名を呼んだ。
「愛しています。」
「航さん。」
航は丁寧にすみれのブラウスのボタンを外し、自らを纏う衣を取り払い、すみれをきつく抱きしめた。
航の視線が自らの裸体を捉えているのが恥ずかしくて、すみれはギュッと目を閉じた。
「目を開けて俺の目を見て。俺に抱かれていることをちゃんと実感して。」
そう言って微笑む航の表情は、すみれが今まで一度も見た事のない顔だった。
それはひとりの女を求め、欲情する男の顔。
姪として接しているだけでは決して見ることが出来なかった顔。
甘く掠れた声。
熱く燃える瞳。
「すみれ。」
そう囁き、再びすみれの唇を貪る。
少女のすみれを呼ぶときのような優しい声。
そんな声で名前を呼ばないで。
まるで私を姪だと知っている航君に抱かれているような気持ちになる。
今の私は少女の頃、姪のすみれじゃない。
ただのひとりの女、野口すみれだ。
押し塞がれた唇の中へ航の舌が侵入した。
舌を絡ませ、唾液が混じり、息が苦しくなる。
すみれの身体が航の優しい愛撫で包まれる。
全身に押される口づけに、その吐息に、指先に、痛いくらいの幸せをすみれは感じていた。
まるで深い海の底にいるような静けさの中で、ふたりは溶けあうように絡み合った。
「あっ・・・航君・・・」
航は束の間唇を離すと、すみれに囁いた。
「航君・・・か。なんだか俺、すごく罪深いことをしているような気分だ。」
「嫌・・・ですか?」
「ううん。すみれに名前を呼ばれるの嬉しい。航君って呼んで。」
航君。
私、すみれだよ。
貴方が育てたすみれだよ。
初めての痛みに、結ばれたその瞬間に、すみれの心はとろけた。
今、私は航君とひとつになれた。
航君の身体で、指で、吐息で、私は女になった。
私はこの時のために生きてきたんだ。
もう死んでもいい。
涙が頬を伝い、すみれの唇を濡らした。
「すみれ・・・大丈夫か?痛い?」
心配そうな表情を向ける航に、すみれは首を振った。
「ううん。嬉しくて・・・。」
「すみれ・・・。」
「航君・・・愛してる・・・」
――さよなら、少女の私
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