第16話 うそつきな夕食

その日の夕食のメニューはハンバーグだった。


すみれは航と初めて出逢ったときにした、一週間に一回はハンバーグにしようという約束をずっと守ってきた。


でもその約束も、もう終わりが近づいている。


今日のハンバーグの上にはシソの葉と大根おろしを乗せた。


テーブルに食事を並べ始めたすみれに、ソファで新聞を読んでいた航が「お。今日は和風ハンバーグか?」と言いながら顔を綻ばせた。


「うん。たまにはさっぱり味もいいでしょ?」


「ああ。この歳になると、こってりした味は腹にもたれてな。」


「航君、オヤジみたいなこと言ってる。」


「仕方がないだろ?本当にオヤジなんだから。」


航はよく自分のことを「オヤジ」と揶揄した。


そうやって、すみれとの距離を取ろうとしてるように思えた。


だからすみれもわざと航のことを「オヤジみたい。」と返した。


でもこれからはもう、お互いそんな気を使い合うこともなくなるはずだ。


お風呂上りで少し濡れた前髪を下ろした航が、新聞を畳んでソファから立ち上がり、テーブル席に座った。


すみれも航の目の前に座る。


「いただきます。」


ふたりで声を合わせて、食事を始める。


いつもの夕食。


当たり前の穏やかな日常。


それを崩してしまうのが怖い。


でも・・・今夜航君に言うと決心したんだ。


すみれはハンバーグを半分食べ終わったタイミングで、麦茶を一口飲んだ。


そして付け合わせのいんげんを箸で掴んだ航に告げた。


「航君。」


「ん?」


「私ね・・・彼氏が出来た。」


「・・・・・・。」


航は無言で目線を下げた後、静かに「そうか。」とだけつぶやいた。


気まずい空気がふたりの間に流れ、すみれは息が苦しくなった。


どうして何も言ってくれないの?


何でなにも聞かないの?


もう私のことなんてどうでもいいの?


そんな言葉を吐きだしたい気持ちをどうにか抑え、すみれは普段通りの口調を崩さないように話した。


「相手は高校の時の同級生でね。大原君っていうの。」


「・・・・・・。」


黙りこくる航にすみれは業を煮やして思わず問い質した。


「ねえ航君。聞いてる?」


すみれの言葉で人形のように固まっていた航の身体が、再び動きを取り戻した。


「ああ・・・悪い。いや、いつかはこんな日が来るとは思っていたけど、やっぱりショックだな。」


「ショック・・・?」


「そりゃ、ショックだよ。すみれは俺にとって娘みたいなものだからな。娘を持つ父親の気持ちが分かったような気がするよ。」


「・・・そっか。」


やっぱり私は航君にとって「娘」であって、ただ娘の成長が淋しいだけなんだ。


決して一人の女に彼氏が出来たことを嫉妬してくれたわけじゃない。


わかりきっていたことなのに、胸が苦しい。


「で、大原君だっけ?どんな奴なんだ?」


「優しくて、とても繊細な人だよ。」


「イケメンか?」


「そうね。まつ毛が長くて、色が白くて、まるで陶器みたいな肌を持っているの。」


「王子様系だな。」


航はさっきとは打って変わって、軽く笑みを浮かべながらすみれを質問攻めにしていった。


「その・・・ちゃんとした男なのか?大学生?それとももう社会人か?」


「え・・・と。普通のサラリーマンだよ。出版社に勤めているの。」


本当は大原は出版社でバイトをしているただの大学生だ。


「そうか。すみれが選んだ相手だから悪い人間ではないとは思うが、一度俺も会ってみたい。近いうちに家に連れて来なさい。」


いつもと違う航の言葉遣いにどきりとした。


「はい。連れてきます。」


すみれも改まった口調でそう返事した。


そしてさりげなく、一番言いたいことを伝えた。


「だから航君・・・私に気にせずもう彼女を作っていいんだよ。もしかしたら、もういるのかもしれないけど。」


すると航は少し怒ったようにそっぽを向いた。


「そんな女いないよ。・・・俺のことなんかすみれは心配するな。」


「だって・・・私のせいで航君、恋愛から遠ざかっているんじゃないの?」


「俺は常に自分の心に正直に生きている。自分がすみれの犠牲になっているなんて思ったことなど一度もない。」


航はそうきっぱりと言うと、残りのハンバーグを口に入れた。


「・・・しかしすみれも成長したな。少し前までは航君が好き、なんて言ってたのにさ。」


そう航に茶化されて、すみれは思わず叫んだ。


「私は本気だったよ!」


今だって・・・今この瞬間だって本気で航君が好きだ。


でも・・・。


「・・・ごめん。」


航は真面目な顔に戻り、ずみれに謝った。


・・・謝らないで。


余計悲しくなる。


「でもそれももう終わりにするって決めたから。」


すみれは消え入りそうな声で、自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。




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