最後のチェック


 ●REC


 吐きそうになる程のムシムシとした昼の暑さは一体どこに行ったのやら。

 冷たい空気感に二人は少しだけ呑まれていた。


 夜の学校の廊下はどこか薄ら寒く、普段なら気にならない足音の反響もやけに耳に残る。


「……私立平賀丘ひらがおか学園には七不思議がある――」

「他の学園にだって七不思議くらいあるだろ」

「自動車免許の試験解答みたいなこと言わないでよ。そんで、私の回想に突っ込まないでよ、轢死したいの?」

「車だけに突っ込むなってか? 口に出てるからツッコんだんだよ」


 と、息の合っているのか合っていないのか分からない言葉の殴り合いを突発的に始めたのは、葉隠はがくれ佳奈美かなみとその幼馴染、やまいだれ計良けいらだ。


 計良が手持ちのカメラで佳奈美の顔をアップにする。黒髪ショートの活発的な性格を体言した整った顔が、ぷくぅと膨れっ面になっていた。


「じゃあ私の独り言を勝手に聞かないでよ」

「この距離で聞くなと……?」

「うっさい。だぁ~~、全く、なんで私がこんな事しないといけないのやら」

「まぁ、そういう伝統なんだから仕方がないだろ。あと運が悪かった」

「それはそうなんだけどさぁ。いや、んだけどね」


 小さく溜息を吐きながら、「ん」と佳奈美は音楽室の表札を指差す。ビデオカメラで撮れという指示であり、計良はそれに従って表札を映す。


 音楽室は校舎の三階最奥、突き当りの部屋だ。

 七不思議、音楽室、と言えばある程度推測はできるだろう。

 平賀丘学園の七不思議としては五つ目としてカウントされている、どの角度から見ても目の合う肖像画である。あと、ついでに六つ目の誰もいないのに奏でられるピアノの所在地でもある。


 他の七不思議も、動く人体模型だとか夜中のトイレの鏡に死相が映るだとか、そういったありふれた七不思議だ。


 その正体は近くを通るトラックの振動だったり、鏡に錆汚れがこびり付いているせいで血涙を流しているように見えたり、と理屈的に証明できる何かしらである。


 当然だが、深夜に勝手に学校へ侵入している訳ではない。自由な校風の平賀丘学園では、申請をすれば夏休みに丸一日学校を部活動が貸し切ることができる。顧問か、或いは責任を持てる大人を二人用意できればという条件はあるが。

 今回は新聞部が貸し切りの日だ。部長と副部長の親が責任者として、今日丸一日を使っての合宿をしているのだった。


 そして、二人がやっているのは言うなれば締めの恒例行事だ。


 新聞部に所属した一年は、この決まった答えのある謎ななふしぎを取材し、ちゃんと真実を確かめられるかのテスト――という名目で夏休み合宿の最後に肝試しを行うのだ。


 そして佳奈美と計良は、くじでを引いたという訳である。


 音楽室に入ってくだんの肖像画を佳奈美は見る。扉側の壁。五線楽譜の線が引かれ、二枚組で上下に動くタイプの黒板の上に、肖像画がある。

 見上げるように肖像画を見て、ふぅん、と小さく声を漏らす。


「やっぱり。この絵、ちょっとだけ錯視の効果が入ってるね」

「んなの見て分かんのかよ」

「そりゃまぁ、事前に調べたからね」


 本来想定される場所よりも意図的にズラして黒目を描くことで、どの角度から見ても目が合っているように見える。科学的に証明されている技法の一つだ。有名な絵で言えば、モナリザもそうだと言われている。


 計良は佳奈美の指示を受けて、肖像画を一八〇度、全部の角度で科学的な現象であることを正しくカメラに映す。


「よし、これで五つ目、っと」


 佳奈美は紙のメモ帳に黒ペンでチェックをつける。まだチェックのついていない項目はあと二つ。


 スマホでもメモ帳を開いてチェックリストを作ることはできるし、佳奈美は断然デジタル派なのだが、やはり記者は紙とペンだろという部長の意見で部活動の際は紙を強いられている。


 パワハラで訴えようと佳奈美は検討中である。


「んで、次は?」

「何もしていないのに勝手に『ノミのワルツねこふんじゃった』が鳴るピアノ」

「そんな機械オンチが使うパソコンみたいな言い方だったか?」

「まぁ、何もしてないのに勝手に壊れたって凄い言い訳だよね。何かしたから壊れるし、何かがあるから鳴る訳で。……まぁ、何もしないからムカつくヤツもいるけど」

「意味が分からんが、俺のことを言っていることだけは分かったぞ。なんだお前、逐一チクチクと俺を言葉で刺さないと気が済まねぇのか?」

「うん」

「……さいでっか」


 相変わらずのやり取りの間に、視線とカメラは自然とピアノの方へ向いていた。

 特殊な部活動の一つが、過去に音楽室の扉をぶっ飛ばしてピアノが壊れたことがあるらしく、ピアノは一番奥に設置されている。


 時刻は二十二時五十九分。そして、確認と同時に時刻は二十三時になった。


「…………。おぉ、鳴った」


 馴染みのある軽快なメロディが音楽室に響く。

 それは確かにピアノの近くから発せられているが、どう考えてもピアノの音色ではない。ピアノのそばに近付いて、音の発信源を探す。


「……これか」


 教室の隅に追いやられていた教卓の上に、アンティーク調の目覚まし時計があった。いや、もっと正確に言えばアンティークっぽい見かけ倒しの、普通のアナログ時計だ。

 時間になればオルゴール風の音色が奏でられる仕組みらしい。


 六つ目の正体は、なんてことはない。ただのアラームだった。


「確かこれ先生の私物じゃなかったっけ? わざわざ、二十三時になったら鳴るようにしてたってことか? 何の為に?」

「いんや、十一時になったら鳴るようにしていたんでしょ」

「…………。ああ、そういうこと」


 アナログ時計には午前と午後の概念を持たない。それが十一時であろうとも二十三時であろうとも、律儀に鳴るのだ。


「…………。っていうかこれ、毎年の恒例だってことはもうわざとだよな?」

「でしょうね」


 毎年、新聞部の新入部員が七不思議を取材している。ならばこの六つ目もまた、毎年取材されている。なのにそれでも鳴るということは、意図的にずっと鳴らしているか、それとも今日この日の為におあつらえしたかのどちらかだ。


「ま、話題を捏造するつくるのもメディアの仕事ってことだね」

「なんかだいぶグレーな気がするけどなぁその言い草」

「言い草って字面だけ見ると、なんか笑われてるか笑ってるみたいね」

「悪いネットに染まってんなぁ!? 草の部分だけだろそれ。……っていうか、最後の一つは何なんだ?」


 メモ帳に六つ目のチェックを付ける佳奈美を撮りつつ、計良は尋ねる。


「さっきも言ったでしょ。話題をのも私の仕事」

「最後の一つを、絞り出してみろってことか」


 七不思議の最後の一つというのはそれこそ不思議なもので明言されないパターンが多い。それを知ると呪われるだとか死ぬだとか、そんながついていたりもするが――。


「私、思うんだけどさ。絶対七不思議の最後の一つは~ってヤツ、作った人がネタ切れしたんだと思うんだよね。んで、なんかこういい感じに誤魔化したみたいな」

「やめとけやめとけ。無粋ってやつだぜ」

「いやいや、不思議が七つもあるんだって粋がったヤツが悪いでしょ」


「お前なぁ……。その性格、治した方がいいぞ」

「誰のせいだか」

「俺のせいってか?」

「さてね」


 言う時は言う。それが誰であろうとも、どんな時であろうと、やると決めた時には物怖じはしない。それが佳奈美の性分だ。そして、それをずっとフォローしているのが計良だった。


「ま、それはさておき……」

「マジで最後の一つ、どうするんだ? なんかアテでもあるのか?」

「ん~? 内緒。あ、カメラ貸して。交代」


 佳奈美は曖昧に誤魔化して、廊下を歩く。

 しばらく歩いて、ふと佳奈美は立ち止まった。使われなくなった旧ホームルーム教室の前だ。


「っていうかさ、なんで私がアンタ呼びつけたか分かる? ほぼ幽霊部員の計良くん」


 冗談めかして佳奈美は計良を画角に捉える。撮られることに対して抵抗のない計良は、何となくのノリでピースをする。


「俺の活動実績作りだろ?」


 別に本当に幽霊だという意味ではなく、計良も新聞部に所属はしているが基本的に新聞部に顔を出していない。

 そもそも部活動をするつもりもなかったのだが、部長にどうしてもと頼まれて入部届を出している。その時は部員の数が足りないかもしれなかったからだ。


 他の学校ならそれで良かったかもしれないが、平賀丘学園は異なる。ありえない程の部活動が存在し、それらをキチッと精査している生徒会のおかげで計良の存在が少し問題になりかけたのだ。

 だからこその実績作りとして、今日の合宿に参加している訳だ。


 だが、佳奈美の問いはそういう意味ではない。


「どうして私が、アンタを、合宿に呼んだのか、って訊いたの」

「……は?」


 意図を掴めず、計良は間抜けな声を漏らす。


「…………幼馴染だから?」

「まぁそれもある。ねぇ、考えてみて? 私達ってさ、結構、漫画みたいな関係だよね」

「ん? まぁ、そうだな、割とテンプレっぽいよな」

「誕生日は数日違い。お母さん達が出産した後のベッドは隣同士だった。家も近くで、小中高と同じ学校。クラスも大体一緒で、部活動は文化部で一緒だった」

「お、おう……」


 計良は何か嫌な予感を覚え、気圧されていた。淡々と告げる佳奈美の言葉に思わずたじろぎ、後退あとずさる。


「一緒にお風呂に入ったこともあったし、一緒に寝泊まりしたこともあった。喧嘩もしたし、それ以上に笑い合ったりもしたね」

「……か、佳奈美、何を……?」


 計良が一歩下がり、佳奈美が一歩詰める。廊下の幅なんていうのは小さいもので、あっという間に計良の背は教室の扉に付き、追い詰められてしまう。


 後ろをちらりと確認すると「修理中使用禁止」という張り紙が貼られてある。


「ねぇ、計良は期待したりしなかった? それとも私はそういうカテゴリには入ってなかった? それこそテンプレみたいに、私を女として意識なんてしたことはなかった?」

「お、お前、何言ってるか分かってるのか!?」

「分かってるよ。むしろそっちこそ、理解わかった? 私の気持ち」

「それは、その……」


「うん、だろうね。アンタならそうなるって思ってた。色々と考えてくれているんだよね。アンタは優しい。でもね、その優しいは誰にでも向けてるよね。……私は、それが嫌だ。計良の優しさは私だけに向けて欲しい。私だけ優しくして欲しい。計良には、私だけを見て欲しい」


 一瞬の沈黙。そして、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。


「――という訳で、既成事実を作ります」

「へ、は? ってうわっ!?」


 ガララ、と、本来なら閉まっているはずの扉を開けて計良を連れ込む。


「ねぇ、知ってる? この教室が使用禁止なのどうしてか知ってる?」


 教室の真ん中。扉の前にいる佳奈美から距離を取ったままの計良の目を見つめて問いかける。


「この教室ね、どっちの扉も鍵が壊れてて、一度閉めると外からじゃないと開かないんだ。夏休み明け前には修理されるらしいんだけど」

「……は? じゃあ、なんでそんなところが施錠もされてないんだよ?」

「私がピッキングしたの。案外簡単だったよ。まぁそれはさておき」


 がちゃり、と佳奈美は鍵を閉める。


「――これで、逃げられないね?」


 三脚にカメラを固定する。カメラがどこまでを撮っているのかを改めて把握し、録画モード中であることもバッテリー残量も充分にあることも確認する。


 これからの起こることはちゃんと残せる。


「さて」

「ちょ、待てッ!? んっ!? …………。っぷはっ!?」


 佳奈美は計良をカメラの画角の中にまで引っ張り込んで押し倒し、キスをする。軽く触れ合う程度の甘い奴ではない。舌を入れた本気のキスだ。


「か、佳奈美! お前、マジで何考えて……ッ!!」

「はぁ!? ここまでやってまだ言う!? いいからさっさとヤることヤるの!!」

「いや、ちょっと待て! マジで、マジで一旦落ち着け……! 正気か!? っていうか七不思議はどうするんだよ!?」

「ふふふっ、ここが七つ目! そう、セックスしないと出れない部屋よ! さぁセックスしたら出れるか検証するのよ!」

「んな取って付けたような七不思議があってたまるか!? って力強っ。いや、待てなんてそんなに鮮やかにベルトを外せ、いやズボンを脱がす手際も凄い……って、き、きゃぁぁぁぁぁ!?」


 乙女のような計良の叫び声で、映像は途絶えた。


 ●STOP


 数時間後。


 扉が開かないのなら窓から出ればいい訳で、そうして脱出した後に新聞部の部室に戻った。


「……ん? あれ、なんでここで撮影止まってるんだろ。……まぁいいや、という訳でこれが取材のデータです! どうですか、七不思議も撮影できましたし、ついでにとあるカップル成立の瞬間も――って、先輩方、どうしたんですか?」


 そして取材成果としてその動画を再生し終えたのだが、どうにも先輩達の様子がおかしい。ドン引きしていたり、もしくは赤くなっているのなら分かるが、どうして青ざめているのか。


 佳奈美は首をかしげる。


「……なぁ、佳奈美」


 計良も何故か青ざめている。


「最後のところ、誰かが止めてたよな?」

「……あ、あれ?」


 まさか、と思って最後のところをリプレイする。佳奈美が計良に舌をねじ込んだ辺りで、明確にカメラを止めようとする誰かの、透けた手が映り込んでいた。


 さて余談を二つ程。

 一つは、幽霊というのは性的なことを嫌うらしい。

 もう一つは、佳奈美の持つメモ帳の七つ目には、付けた覚えのない赤いチェックがついていた。

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よりどりみどりの短編集 雨隠 日鳥 @amagakure_hitori

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