平賀丘学園の部活動

願いを叶える者

 ――許さない。許さない。許さない……っ!!


 怒り。憎しみ。恨み。辛み。八つ当たり等々。マイナスの感情を全てグチャグチャにして煮詰めたような悪感情に突き動かされるまま、大宮おおみやしょうは放課後の校舎をずんずんと大股で歩く。感情が頭と心の中では抑えきれず、表情と態度から滲み出ていた。


 ボサボサで手入れ不足な髪。シャツと赤いネクタイはヨレヨレでその上に羽織っているブレザーもシワだらけ。しかも日頃の不摂生と寝不足のせいで隈が酷く、肌の血色けっしょくも悪い。


 朝に鏡を見て顔を洗って髪を整える、なんて概念は荘の辞書にはない。服は着ることができればそれでいいし、風呂はキャンセル界隈に片足を突っ込んでいる。

 多感なお年頃ではあるが、それ故に自分の身だしなみに不可思議な自信を持っていた。良いとは言わないが誰々よりはマシだ、と。


 大宮荘は、そういうありふれた残念な高校生だった。


 とはいえ、一般の高校生というのは大抵その程度だとも言える。自己メンテナンスの大事さなんてものは、社会人になって肉体的にボロが出始めた頃になって気付き、後悔するものだ。

 身だしなみに対して、正しい知識を持っている人が身近に居れば正しく自覚することもあるが、それはレアケース。大体が社会人になって急に必須になって、慌てて勉強するものだ。


 特に男に関して言えば、何歳であっても自分の体型に似合う服装を把握できている人間の方が少数だろう。


 そんな荘が歩いているのは、文化部の部室棟にもなっている第二校舎。少子化の影響でクラス数が減り、今はコンピュータールームなどの一部の特別教室を除いて授業では使われなくなった校舎だ。


 荘の通う私立平賀丘ひらがおか学園は個人の自主性を尊重している。特段、その影響が強く現れているのが部活動である。あまりにも頓珍漢とんちんかんなものでなければ人数を揃えて申請すれば部活動として認可される。部活動実績も、運動部であれば何らかの大会に出ればそれでいいし、文化部も活動のレポートを定期的に提出すれば活動したという扱いになる。その代わりに部室は人数の多い順から充てがわれ、部費は都度申請の形な上に審査は厳格。何でもかんでも自由に、という訳でもないが。


 逆に言えば大してお金が掛からず部室を必要としないような部活動には大きな縛りはなく、そのおかげかライトノベルや漫画などでよくあるような学園内の困りごとを解決するような部活もあったりする。


(――だったら、きっと、あの部活動だってあるはず……!)


 校舎を一番上の三階から探して、二階の最奥。


「あった……っ!」


 二階の廊下を一瞥した時点で、漠然とした確信を荘は持ってはいた。それ程までにおどろおどろしく、禍々しい雰囲気が漂っていた。


 扉にタンボールが貼り付けられ、黒マジックでオカ研、と部活動名が書かれている。

 オカルト研究会。ここが荘の目的地だった。


 少し緊張気味に荘はノックする。


『あぁ? 誰だ?』

「……すみません、入っていいですか?」

『ああ。まぁ、とりあえず、いいぜ』

「……失礼します」


 扉を開ける。黒魔術や呪い、拷問器具やら何やらと、血という単語が連想ゲームの三つ目以内に出てきそうな本や、それに関係していそうなアイテム。見るだけで寒気を覚えるような絵などなど、まさしくといったような物が並ぶ部屋だった。


 そして、教室の真ん中に机を六つ並べてベッドを作って寝転んでいたらしい上級生が一人。彼の物らしい緑のネクタイが机に置いてあるので三年生だろうか。


「で? 何の用――」

「あのっ!! 悪魔って召喚できませんか!?」


 青年の言葉を遮って荘は叫ぶ。それが、荘がここへきた理由。

 ほんの少しだけの沈黙。そしてその後、怪しい上級生はにやと悪巧わるだくみをするような笑みを浮かべた。


「そうだな、話を聞こうか。悪魔に一体何を、願いたいんだ?」

「あ、ありがとうございます……っ!」





「――なぁるほど。つまり、お前の趣味である女装がクラスメイトにバレて、その画像が拡散された訳だ」

「……はい」


 上級生こと安倍あべのしゅんに、荘はことのあらましを話した。春は机に座ったままで、荘は教室の隅から持ってきた椅子に座って向かい合っている。春は机の上にあぐらをかいて座り、膝に肘をたてて頬杖をついている体勢だ。


「ちなみにその女装写真とかってあるのか?」

「あ、えっと、その、はい、これです」


 春に言われて荘はスマホから自分の女装写真を見せる。見せたのは荘自身のツイッターのメディア欄だ。女装専用のアカウントで、大きな姿見で女装姿を写していて、撮影しているスマホで上手く顔を隠しているような構図の写真ばかりだ。


「へぇ」

「あ!? ちょ、ちょ、返してください!」


 春は荘のスマホをしれっと奪い取り、取り返そうとする荘の顔を抑えて制止して、次々とスクロールしていく。

 メディア欄をざっと見ていくと、ところどころに個人を特定できるモノが映り込んでおり、疑念を持った上で改めて見ればすぐに特定ができるだろう。


 言ってしまえば、脇が甘い。


「体格に顔立ちからして似合いそうだとは思ったが、何も言われなかったら女で普通に通りそうだな」


 春は素直な感想を漏らす。ゴスロリ、チャイナ、メイド服、アニメキャラ、ナース、女子校の制服――学校のものではなく、存在しない学校の所謂コスプレ用の服だ――などなど、荘は一通り網羅していた。

 そのどれもが、女子と偽っても大多数が信じるであろうクオリティだ。何なら男だと知って驚いているリプライもかなりあった。


 ちなみにフォロワーは二万人。知ってる人は知っている、というくらいの知名度だろう。


「何かの拍子でバズって、偶然身バレしたって感じか」

「……はい。それで、その写真がクラスのグループラインに貼り付けられて……」


 慌ててラインを抜けたが、それはそれで画像が自分だと自白するようなものだ。その翌日に登校するとクラス中の視線が集中し、ひそひそと声が聞こえた。


「まぁ根本的に、んなもんをインターネットの海に放流すんなよって話ではあるが」

「そ、それはそうなんですけど! で、でもライングループに貼り付けるなんて酷くないですか!?」

「まぁそれもそうなんだけどな」


 少なくとも公言していない人の趣味なり何なりを、意図的に広めるようなことは推奨されない。イジりのつもりだとしたら、非常にセンスがない。

 春は適当な相槌を打ちながら、考える。


「んー、それで復讐がしたい。だけど、女装が似合うくらいには体も心もか弱いお前は、自分の力では何もできないから悪魔にでも頼りたい、と」

「……はい。クラスグループに貼り付けた、あの一軍女子をこの世から消して、全部無かったことにしたいんです!」

「まぁ、過程をすっ飛ばしてるとか、やりようは他にもあるだろとか、諸々言いたいことは色々とあるが、それはそれとして。――お前の願いは分かった」

「……だ、だったら! 教えてくれるんですか!?」


 がばっ、と荘は春の足元に縋り付く。顔は明るく、まるで神からの救いの言葉を聞いたかのようだった。――まぁ、呼び出すのは悪魔なのだが。 


「教えてやったっていいぜ? だけど、今のお前じゃあ、悪魔は呼べないだろうな」

「……え?」


 ぴた、と荘の体が止まる。表情は先程と打って変わって絶望に近い。


「悪魔ってのは、別に正しい手順に則れば願いを叶えてくれる摩訶不思議便利アイテムなんかじゃあねぇ。対価が必要で基本的には悪魔の方が立場が上だ。言いたいことは分かるだろう? 『どんな願いも叶えてやろう。その代わりにお前の魂を貰い受ける』ってやつだ」

「……魂」

「まぁ、人一人を消すくらいなら、普通の人間の寿命にして十分の一くらいだ。十年くらいの寿命を奪われるんじゃあねぇかな」

「…………。そ、それくらい、なら……」


「ただ、それはあくまでも普通の人間なら、だ」

「……え?」

「今のお前は、悪魔にとっちゃ普通以下。それも最底辺だよ。魂の価値なんて、無いに等しい。美食家が腐った肉出されて金払うか? 高級レストランのフルコースとかばっか食ってるような奴らが」


 魂の価値が最底辺と言われて、荘はそれに不思議と納得してしまった。

 自分に価値があるか、と言われれば無い方なのだろう、と。


「……そんな。それじゃあ」


 春に縋り付いていた荘は、へなへなと崩れ落ちる。


「――ったく、諦めるのが早いんだよ。お前の覚悟ってのはそんなもんなのかよ?」

「だって、今の僕じゃあ――」

「ああ、今のお前じゃあ無理だ。だったら、お前の魂の価値を高めればいい。どうだ? やってみるか? どうせ捧げる命だ。死ぬ気でやってみないか?」


 悪魔に捧げる為に。願いの為に。まるで春の言葉こそが悪魔の囁きであるかのような、そんな気がしてくる。


「……っ! は、はい! やってみます」

「そうか。なら、そんなお前の手助けをしてやろう」


 にや、と再び春は笑って、どこからか取り出した、仰々しいブックカバーのついた本をパラパラとめくる。まるで魔導書を読むかのように。


「んじゃあ、まずは見た目をどうにかしろ。服装の乱れは、心の乱れ、なんて言うだろ? 心と魂は密接な関係にあるんだ。まずは最低限の身だしなみを整えてみな?」 


 ――こうして荘の、長い長い訓練が始まったのだった。


 一ヶ月後。

「ほぅ、まぁマシになってきたな。けど見た目だけじゃあ駄目だ。中身の無い人間なんて、簡単に足元をすくわれる。悪魔にだって心を巣食われるぜ? ちゃんと『自分』を持たないとな」


 更に一ヶ月後。

「かなり良くなってきたな。だけど『自分』を確立したって、そこいらの凡百と変わらなけりゃ、価値がねぇと一緒だ。価値ってのは希少性、質だよ。いい人間になって、尚且つ誰も彼もに慕われるような人間じゃあねぇと悪魔にとっちゃ美味しい魂じゃあねぇ」


 と、春に言われるがままに荘は自分を高めていく。必死に、悪魔に捧げる為に。

 そうして更に半年後。


「――さて。あれやこれや、と頑張ってはや半年、か。お前、見た目も中身も随分と変わったな。この部屋みたいに」


 言って、春は教室を見回す。オカルトグッズで溢れていた部屋は、寂しさの残るありふれた教室に戻っていた。


「そりゃあ、春さんがそうしろって言うから」

「友達ゼロで、お情けでライングループに入れてもらえてたようなヤツだったお前が、今やクラスの中心人物で、リーダーシップを発揮して男子に慕われ、化粧品事情やオシャレに敏感だって女子に頼られるような人間に、か」

「……そう、ですね。出会った頃の僕に言っても、信じられないと思います。春さんに言われて頑張った結果せいですね」


 おどおどした態度もどこかにすっ飛んでいき、月に一度程、先輩後輩、男女問わずから告白される程。ハキハキと快活に喋る、美人よりな好青年に変貌していた。


 そう、荘は変わった。何もかも。


「で、春さんはそれが狙いだった、と」

「流石に気付いたか」

「気付けるようにしてくれたんですよ、春さんが」

「さてはて、何のことやら?」


 わざとらしく大袈裟に、春は肩を竦める。


 荘は、女装趣味がバレて、もう人生の終わりだと思った。無かったことにする為に、死にもの狂いで頑張った。魂の一部を捧げるのだからと、言葉そのまま死ぬ気で頑張った。


 死ぬ気で考えて頑張って、春のアドバイス通りにした。その結果、クラスに認められるようになった。


「魂の価値を高めるってのは、そのまま人間の価値唯一性オリジナリティと同じ。必然、クラスでも立場を獲得する。……さいわい、僕のクラスは、僕の女装趣味を個性として受け入れてくれました」

「幸いって訳でもねぇぞ? ライングループに貼り付けたのも化粧が上手いって褒める為で、噂話も、まぁ、良い意味でどうやったらあんなに綺麗に? ってニュアンスだったんだろ?」

「…………。どこまで知っているんですか、春先輩」

「俺は色んなクラスのことを聞いたり見たりすることが多いんだよ。だから、お前のとこのクラスの雰囲気も初めて会った時から知っていた。お前の妄想みたいに陰険なことをするような感じじゃあなかったし、そもそもこの学校結構、特殊趣味のヤツは多くてな。受け入れる土壌は充分にあったんだよ」

「……ちなみになんですけど、ライングループに貼り付けた張本人、今の彼女です」

「まじで!? すげぇなそれは」


 ごく普通に、楽しそうに、春も荘も報告を兼ねた雑談をダラダラと続ける。そもそも会話や対話を諦めて悪魔を喚ぼうと画策するような、コミュニケーションエラーを起こしていた荘は、今はどこにもいない。


「――全く。気付いた時にはマジで悪魔を呼びたくなりましたよ? オカ研は去年で潰れていていたなんて」


 そう。そもそもの話、オカルト研究会はこの学校には存在していなかった。正確に言えば去年に人数が足らなくなり、停止となったのだ。


 そして春はその撤収作業に駆り出された、の人間だった。


「くくっ。どうせなら俺の前で気付いてくれよ、その反応見たかったのに」

「ああ、それは不幸中の幸いですね」


 二人の密会は今日で最後だ。オカルト研究会の撤収作業は終了。そして丁度、キーンコーンカーンコーン、と下校のチャイムが鳴った。

 これでひとまず荘と春の密会も終わりだ。先に出ようとする春が持っていた本を見て、荘はふと思う。


「そういえば、その仰々しい本は一体何だったんですか? それを読んで色々と余計なお世話してくれましたよね」

「余計な、は余計だろ。意味はあったんだから。……まぁ、そうだな、じゃあこれやるよ。んじゃあな」


 ぽいと本を投げ渡して春は教室を出ていく。ブックカバーは所謂見せかけで、中は普通の本らしい。


 タイトルは『慕われる人になる為の七カ条』。各章の言葉は、どうにもどこかで聞き覚えのある内容だった。


「……少なくとも、悪魔よりも性格が悪いことは確かですよ、先輩」



 数日後。

 春の所属する助っ人部に一人の入部希望者が現れたとか。しかも、普通に断られたとか。

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