魔法学院の落ちこぼれ〜何もできない俺が事件に巻き込まれるだけの話〜
@morukaaa37
第1話 パーティー前夜
世の中、うまくできていると常々思う。
「やばあぁ、、」
俺の目の前で、巨大な炎塊を発生させた妹を見て、つい感嘆の声が漏れた。十分な距離を取ったにもかかわらず魔術による熱波が俺を襲う。
「流石、我が娘だエリス。兄と違い優秀で誇らしいぞ」
「毎日頑張っていたものね。まだ学園にも入ってないのに、宮廷の魔術師にも負けてないわ」
俺の横で優雅なお茶会を楽しんでいた両親もさぞご満悦らしい。2人合わせて両手を叩いて、仲のいいことだ。
「そんな。お父様とお母様に褒められて私も嬉しいです」
屋敷の庭で上品に微笑むエリスは、とても少女とは思えないほど落ち着いている。これで、母親譲りの美形に加え、魔術も出来るというのだから非の打ち所がない。これでは嫌味の一つも言いたくなるのが兄というものである。
「親父、騙されるなよ。あんな顔して大人になったら幸せ顔で家から出て行くんだ。どうせ公爵家の跡取りとか捕まえて俺らのことなんか忘れちまうんだよ」
「なっ、、馬鹿者!!エリスをよそに家に渡すものか!!公爵家だろうが王家だろうが、娘を奪うものがいたら我が魔術で、骨の髄まで燃やし尽くしてくれるわ!!」
想像以上の大声である。軽い冗談のつもりが、妹への熱烈なラブコールを返されてしまった。
「お父様。私はずっとお父様のそばにいますよ」
「おぉ。エリスはいい子だな」
デレデレ顔で妹を撫でにいく父親など見るに堪えない。顔を背けると、上品に笑う母親と目が合った。
「貴方はいつでも婿に行っていいからね」
とても血の繋がった家族とは思えない一言である。
先日、強制的に剣術の練習をされたのだが、慣れないことをしたせいか、竹刀がすっぽ抜けてしまい母さんの整った顔にクリーンヒットさせてしまった。その場では許されたはずなのだが、どうも最近俺に対するセリフが鋭い気がする。
「お母様、僕はこの家の大事な跡取りですよ」
「あら、王国は実力主義よ。出来の悪い息子は要らないわ」
綺麗な顔は残したまま、顔に手を添え微笑む姿は我が母親ながら品のあると思うが、セリフに表情があっていない。言い返せず、むむむと唸っていると、予想だにしない追加攻撃が俺を襲った。
「先日、フロンティア学院から受験結果が返ってきたのだけど。クラスは最低のCだったわ。伯爵家のうちは入学することが義務付けられているから、実際は落ちていたようなものね。よかったわね、伯爵家の跡取りさん」
「まあ……別に、納得の評価ではあるけど」
言い逃れできない結果に、謎の強がりしかできない。そっぽを向いて流そうとするが、母親の口撃は止まらない。
「他の上級貴族は皆さんAクラスだったらしいわ。先日のお茶会でも聞かれたのよ。『もちろんハワード家の御嫡男もAクラスですよね?』って。私、『いえ、あの子はCクラスでしたの』なんて返したら、皆さん困ったように笑われてたわ」
「あ、あの、すみませんお母様─────」
「でも安心して。その後すぐに、『でもあの子、学園で精進して卒業にはAクラスになるって意気込んで、、今も必死で勉学頑張っているんです』って言っておいたから。皆さん応援してくださっていましたよ。ね、もちろん母も息子を応援してるわ。死ぬ気で励みなさい。いいわね?」
喉元にナイフを突きつけられたようなプレッシャー。
「は、はい!もちろんです。はい、、!」
だらだら冷や汗を流しながら、俺は頷くことしかできない。余計なことを言う時には、本当に廃嫡される予感がした。ダラダラと貴族生活を送りたい俺にとっては廃嫡など恐怖でしかない。
「やめとけ、メアリ。バカ息子に期待するだけ無駄と決まっているだろう。我が一族の血を持ってしてCクラスなど前代未聞だ。エリスは問題なくAクラスだったがな。やはり、次期当主はエリスにしようじゃないか」
「気持ちはわかるけど、エリスに寄りすぎよ。それに、次期当主が娘だなんて、他の貴族からあまり良い顔をされないわ。まだ時間はあるのだから、息子の成長を見届けるのもありだと思うの。」
「いくらお兄様がダメでも私が微力ながら支えていくので、心配しなくても大丈夫です。それに、お兄様だってこれから成長するに決まってます」
難しい顔をしながらクソ親父をなだめる母に、いじらしく俺を支えると宣言する妹。自分のお荷物具合にため息も出ない。いつのまにか炎塊は消えていた。
「まあ、、頑張るよ。一応」
「ん?」
「精一杯頑張らせていただきます………」
「その意気です、お兄様!」
睨みつけてくる母に、純粋ぶりながらも逃げ場を無くしてくる妹。女って怖い。
「ふん。まあ、私の名を汚さぬよう精々頑張るんだな。」
─────その点、男は底が浅くて助かる。あ、俺も男だった。
これ以上変に盛り上がられても困るので、俺は親父のセリフを無視して中庭を後にする。
「あら、どこにいくのかしら?」
「お花を摘んできます」
「お花ならここにいっぱいありますよ、お兄様」
「中々の天然ぶりだな、妹よ」
「お兄様はひねくれ過ぎですよ」
「………あ、やばい。漏れる」
にこやかに微笑む妹が怖い。笑顔の裏で舌打ちでもしてそうだ。母親の上品さと父親の外面の良さを兼ね備えてる時点で上部の表情など信用できないのである。俺はやばいやばいと呟きつつ、今度こそ中庭を後にした。
♢♢
「──で、今度は何をやらかしたの。顔に“ダメ息子”って書いてあるけど」
メイド用の作業部屋に入るなり、そんな第一声を浴びせられた。
昼下がりの光が小窓から斜めに差し込み、床に積まれた洗濯籠の影を長く伸ばしている。湿った布と石鹸が混じった匂いが鼻をついた。
声の主、リビアは作業台にもたれかかり、腕を組んでこちらを見ていた。
濃い茶色の髪は後ろで一つにまとめられていて、作業用の簡素なメイド服は飾り気がない。細身で背は平均的だが、姿勢がいいせいか妙に存在感がある。切れ長の目が常に半眼気味なのは、たぶんデフォルトだ。
「やらかしてない。逃げてきただけ」
「同義語でしょ、それ」
「今日は不可抗力なんだよ。庭で妹が炎出してさ」
「流石天才」
「親父が燃え上がってさ」
「情緒が?」
「違う。テンションが」
「地獄ね」
俺は作業部屋の椅子に座り、深く息を吐いた。椅子が軋むと、リビアが一瞬だけ嫌そうに眉を動かす。
「静かに座りなさい。あんたが壊すと、なぜか私の責任になるんだから」
「俺、もう存在が罪なのか」
「今さら気づいた?」
リビアは洗濯物を畳み始める。布を揃える指の動きが無駄に綺麗で、見ていると逆に落ち着かない。すごい邪魔をしている気分になる。
「で?今日は誰に何言われたの。母親?父親?それとも妹の無自覚攻撃?」
「全部」
「フルコンボ達成おめでとう」
祝われることじゃない。
「学院の話になったんだよ」
「ふーん……」
露骨に含みのある声を出すのはやめてほしい。
「言うなよ」
「Cクラス」
「言うなって言った!」
俺が抗議すると、リビアはちらっとこちらを見ただけで、何も悪いと思ってなさそうな顔に戻った。
「だって事実でしょ。避けて通れると思ってたの?」
「今は避けたい」
「無理」
「即断!」
俺は背もたれに寄りかかり、天井を見上げる。
「なあ、同じ家に生まれて、なんであんな性能差出るんだと思う?」
「仕様」
「ひどくない?」
「貴族社会は残酷なの」
「お前、庶民側のはずだよな?」
「だからこそ言えるのよ」
リビアは畳んだ布を積み上げ、湯を沸かし始めた。
「学院行ったら、また比べられるんだろうな。『妹はAなのに兄はC』とか」
「言われるでしょうね」
「フォローは?」
「なし」
「即答二連続やめろ」
カップにお茶が注がれ、湯気がふわっと立ち上る。
「ていうか、あんた今まで比べられなかったことあった?」
「……ない」
「じゃあ慣れてるでしょ」
「慣れたくて慣れてるわけじゃねぇ!」
「人生ってそういうものよ」
雑に真理を投げるな。
「今日はここでちょっと休ませてくれ」
「だめ」
「間髪入れず!」
「仕事の邪魔だから」
「じゃあなんでいつも入れてるんだよ」
「追い返すのも面倒だから」
理由が一貫している。
「じゃあどれくらいいていい?」
「10分」
「短い!」
「それ以上いると、あんたの存在感が空気を圧迫する」
「存在感あるって言われたの初めてだぞ」
「悪い意味でね」
俺は椅子から立ち、部屋の隅に移動する。
「じゃあ10分間、何も考えずに座ってる」
「それ、絶対考えてるでしょ」
「考えない努力をする」
「無駄な努力」
リビアはお茶を置きながら、ちらっとこちらを見る。
「学院、逃げないだけ偉いんじゃない」
「それ、慰め?」
「事実の指摘」
「ギリギリ慰め未満だな」
「そこを狙ってるの」
意味が分からない。
しばらく、布を畳む音と外から聞こえる鳥の声だけが流れる。
「……なあ」
「まだ何か用?」
「いや、特にない」
「じゃあ静かにして」
「冷たいな」
「通常運転よ」
俺はため息をつき、椅子に深く座り直す。
こうして、特に何かが解決するわけでもなく、
今日も俺はこの作業部屋で時間を潰す。
別に意味はない。
ただ、ここに来ると少しだけ騒音が減る。それだけだ。
「……で」
洗濯物を畳む音と、窓の外から聞こえる鳥の声だけが支配していた作業部屋に、嫌な予感が混じった。
「……ねえ」
この声。
俺は椅子に沈んだまま、視線だけを扉の方へ向ける。
「お兄様?」
ああ、来た。
避難所に騒音が侵入してきた瞬間である。
扉の向こうから姿を現したのは、妹――エリスだった。
淡い金色の髪は丁寧に編み込まれ、肩口で揺れている。光を反射するような澄んだ碧眼に、整った顔立ち。母親譲りの気品を纏いながらも、年相応の柔らかさを残した表情は、誰がどう見ても「絵になる令嬢」だ。
なお、兄からすると厄介さも最大級である。
「……もう来たよ」
俺は天井を見たまま、低く呟いた。
「お兄様、こんなところにいらしたんですね。お探ししました」
柔らかい声。丁寧な物腰。
外面は完璧だ。
リビアは一瞬こちらを見てから、すっと姿勢を正し、表情を切り替えた。
「エリス様。お疲れ様でございます」
声色まで別人のように落ち着いている。
さっきまで俺をバカ貴族扱いしていた女と同一人物とは思えない。
「リビア、作業中に失礼します。兄がお邪魔していませんか?」
「いえ。少々、空気を占拠されている程度でございます」
「占拠って言い方!」
妹はくすりと笑い、俺の方を見る。
「お兄様、お父様とお母様がお呼びです。そろそろ戻りましょう」
「……今、すごくどうでもいい時間を過ごしてたところなんだけど」
「それは後でも出来ます」
「俺は今がいいの!」
俺は必死にリビアを見る。
助けろ、という視線を全力で送る。
リビアはそれに気づいた。
確実に、気づいた。
――そして、何事もなかったように洗濯物に戻った。
無視!?
おい!目合っただろ!
今こそ毒吐くところだろ!
しかしリビアは一切反応しない。
塩対応どころか、完全放置である。
「……お兄様?」
妹が首を傾げる。
「いや、なんでもない」
俺は観念して立ち上がった。
「すぐ戻るからな、リビア!」
「ごゆっくり」
冷たい。
心まで洗濯された気分だ。
♢♢
廊下を歩きながら、妹は隣を自然な距離で歩く。
ドレスの裾が床をなぞる音が、規則正しく響いていた。
「……なあ」
「はい、お兄様」
「さっきのメイド部屋、俺の避難所なんだけど」
「存じています」
即答だった。
「知ってて連れ出したのか」
「はい」
容赦がない。
「……エリス」
「なんでしょう?」
「お前、俺のこと嫌い?」
「いいえ。好きですよ」
即答その二。
「即答が怖い」
「兄妹ですから」
そう言って微笑むが、どこか揺るがない芯を感じさせる。
「ところで」
妹は歩きながら、何気ない調子で言った。
「先ほどのメイド、リビアのことですが」
嫌な予感。
「な、なんだ」
「お兄様、彼女のことがお好きなのですか?」
――は?
「なっ!?」
思わず足が止まりかけた。
「な、ななな、なに言ってんだ急に!」
「落ち着いてください。ただの確認です」
「そんなわけあるか!」
声が裏返った。
「彼女は口も悪いし、態度も悪いし、俺をバカ貴族扱いするし!」
「……随分と細かく観察していますね」
「してねぇ!」
妹は少しだけ目を細めた。
「お兄様」
「な、なんだよ」
「お兄様はいずれ成長し、立派な貴族にならなければなりません」
急にトーンが変わった。
「そして、身分に相応しい、きちんとした貴族の娘と結婚する必要があります」
胃が重くなる。
「……そのために」
妹はまっすぐ前を見たまま続ける。
「双子の妹として、私はお兄様を支えます。一生懸命、です」
真面目すぎる。
重い。
「……ありがとう」
俺は素直にそう言った。
「でもさ」
「はい?」
「期待、ちょっと重い」
妹は一瞬だけ目を丸くし、それから少し困ったように笑った。
「そうですか。でも、私は諦めませんよ」
やめてほしい。
♢♢
両親のいる応接室に入ると、空気が一段階引き締まった。
「来たか」
父親が腕を組んでこちらを見る。
「今夜は、学院入学者が集まるパーティーがある」
「聞いてる……」
「聞いているだけでは足りん」
母親が扇子を閉じ、俺を見る。
「仲良くすべき貴族、距離を置くべき貴族を覚えなさい」
「もう始まってるのかそれ」
「始まっているのよ」
母は続ける。
「まず、今年同じ学年になる王族が一人。粗相は論外よ」
「Cクラスに引き篭っとくから大丈夫」
「何言ってるの。ちゃんと聞きなさい。次に、公爵家の娘が二人。特に一人は気位が高いから注意なさい」
「覚えきれない」
「覚えなさい」
妹が横でうんうんと頷いている。
「……エリス」
「はい?」
「味方だよな?」
「もちろんです、お兄様」
その笑顔が、一番信用できない。
そう確信した瞬間、父親が小さく咳払いをした。
「……まあ、エリスについては心配していない」
腕を組み、視線を妹へ向ける。その目には迷いがない。
出来の良い娘を見る親の顔、というやつだ。
「問題は」
父の視線が、ゆっくりこちらへスライドする。
「お前だ、息子」
「ですよね」
分かってた。分かってたから反論もしない。
「今夜は学院入学者の顔合わせも兼ねたパーティーだ。余計なことは言うな、余計なことはするな、余計な目立ち方もするな」
「全部“余計”じゃないか」
「理解が早くて助かる」
助ける気は一切ないらしい。
母が扇子を軽く開き、穏やかな声で続ける。
「では、ちゃんと説明するわね。まず王族の方から。第三王子、レオニス殿下。」
「王族……」
胃の辺りがひくりと引きつる。
「温厚で礼儀正しいと評判だけれど、立場には非常に敏感な方よ。無礼は論外、距離を詰めすぎるのも避けなさい」
「話しかけるなってこと?」
「話しかけられたら、きちんと返しなさい」
難易度が高い。
「次に、公爵家のご令嬢」
母は淡々と名前を並べる。
「セシリア・フォン・グランディア様。非常に優秀で、誇り高い方。才能を鼻にかけるところがあるとも聞くわ」
「……関わらない方向で」
「向こうが関わってきたら逃げられないわよ」
母はにこやかに地獄を告げる。
「もう一人が、ミレーヌ・フォン・アルバレス様」
少しだけ、母の声が低くなった。
「気性が荒く、派閥争いにも積極的。噂話をそのまま信じるのは危険だけれど……正直、面倒な相手ね」
「面倒って言った」
「ええ」
母はあっさり頷いた。
「しかも」
扇子を軽く振りながら、追撃が来る。
「その方、入学するクラスはCクラスだそうよ」
「……は?」
思考が一瞬止まった。
「公爵家で?」
「ええ。珍しいわね」
珍しいで済ませるな。
「つまり……」
俺は天井を見上げる。
「同じクラスに、公爵家の令嬢がいて、しかも派閥争い好きで、気性が荒い?」
「まとめるとそうね」
終わった。
(もう学院行かずに、メイド部屋に引きこもるか……)
頭の中で、完全に冗談のはずの案がじわじわ現実味を帯びる。
妹が俺の表情を見て、そっと声をかける。
「お兄様、大丈夫です。無理に関わる必要はありません」
「……エリス」
「必要な時は、私が間に入りますから」
優しさが重い。
それを聞いて、母が満足そうに頷いた。
「エリス、兄を頼んだわよ」
「はい、お母様」
即答。
この連携の良さ、俺抜きで完成している。
父が俺を見る。
「……聞いたな。しっかりしろよ」
「はい……」
渋々頷く。
「次だ」
まだあるのか。
「同じ勢力の貴族についてだ。特に親しくしておくべき者が三人いる」
父は指を折りながら説明する。
「まず、ラウル・フォン・ベルク。お前と同い年で、昔から顔見知りだ」
「ああ……あいつか」
「剣術馬鹿だが、義理堅い。無駄な敵は作らん」
「脳筋だけどいい奴だ」
「言い方」
「事実だろ」
「次が、マルクス・フォン・リーデル」
「……あいつか」
「頭が切れる。口も達者だが、お前を見下すタイプではない」
「代わりに弄る」
「それも含めてだ」
「最後が、リーナ・フォン・クラウス」
妹が少しだけ嬉しそうに頷く。
「私とも親しい方です」
「社交的で、人を繋ぐのが上手い。派閥内では重要な存在だ」
父はきっぱり言った。
「この三人とは、当たり障りなく、だが疎遠にもならぬ距離を保て」
「高度なバランス感覚を要求されてない?」
「貴族社会とはそういうものだ」
なんか聞いているだけで疲れてきた。早くこの場から離れたくて仕方ない。早くリビアの淹れたお茶でも飲みながらダラダラしたいよ。
「……で」
父は声を落とす。
「次が、少し距離を置くべき勢力だ」
なんかすごく面倒臭そうなのが来た。
「アルバレス家を中心とした派閥。保守的で、力による支配を好む」
「さっきの公爵令嬢のところ?」
「そうだ」
母が補足する。
「表立って敵対しているわけではないけれど、価値観が合わないの。深入りは避けなさい」
「当たり障りないコミュニケーション、だな」
「理解が早い」
俺は大きく息を吐いた。
「……父さん」
「なんだ」
「俺、貴族やめようかな」
「却下だ」
一瞬だった。
「さて」
父の声が少し柔らぐ。
「……昔の話だがな」
母がちらりと父を見る。
「私も若い頃は、そこまで優秀ではなかった」
「そうなの?」
「何度も恥をかき、失敗もした。それでも必死に這い上がった」
父は母を見る。
「その結果、お前たちの母と結婚できた」
母が扇子で口元を隠す。
「まあ……あなた」
空気が甘くなった。
「……」
俺は妹を見る。
「……逃げよう」
「はい」
二人で同時に立ち上がった。
「それでは、準備がありますので」
妹が丁寧に頭を下げ、俺もそれに倣う。
2人の世界へ旅立った両親は無反応だったが、気にせず逃げることにする。
廊下に出た瞬間、俺は大きく息を吐いた。
「助かった……」
「まだです」
「え?」
妹がこちらを見る。
「今夜のパーティーで着るドレス、決めてほしいんです」
「……俺が?」
「はい」
いきなりで戸惑ったが、断る理由が見当たらなかった。
「いいけど。なんで?」
試着する部屋まで向かう廊下を歩きながら聞くと、妹は少し視線を逸らす。
「私……服のセンスがないみたいで」
「……」
意外すぎる弱点に、少し安心した。
「分かった。行こう」
そうしてドレスの保管室へ向かう。
ドレスの保管室へ向かう途中、一瞬だけメイド部屋の方向が視界に入った。
(……戻るのは、なんか恥ずいな)
妹にあんなこと聞かれた後では、尚更だ。
扉を開けると、そこには
「……あ」
リビアがいた。
パーティー用のドレスを丁寧に整えながら。
こちらに気づいた瞬間、彼女の視線が俺と妹を行き来する。
なにこれなんか気まずい。
変なこと考えてたせいでちょっと周りの景色に視線を逸らしてしまう。我ながら思春期すぎてやばい。落ち着こうと久しぶりに入った部屋を観察する。
壁一面に並ぶ衣装棚。淡い色から濃い色まで、布の層が幾重にも重なり、空気にはかすかに花の香りが混じっている。
パーティー用の部屋だけあって、どのドレスも一目で高価だと分かる佇まいだ。
その中央で、リビアは淡々と作業をしていた。
濃い色のメイド服に、揺れない姿勢。
長い髪はきっちりまとめられ、指先だけが器用に動いている。
いつも通り冷静で、無駄がなくて、いつのまにか視線は逸らされ、こちらの存在なんて最初から視界に入っていないかのようだ。
……無視されてるよな、これ
俺が勝手に気まずくなっているだけなのに、相手が動じなさすぎると、それはそれで心が削られる。
妹が一歩前に出た。
「リビア、お仕事中すみません」
その声に、リビアがようやく顔を上げる。
「いえ。支度の最中ですので問題ありません」
相変わらず、畏まった態度。
視線は妹へ、丁寧に。
俺には一切向かない。なにこれ。ご主人様差別とかあるの?普通逆じゃない?
俺が内心突っ込んでいると、妹が微笑む。
「今夜のパーティー用のドレスを選びたくて」
「承知しました。ですが……」
リビアは一瞬だけ、こちらを見た。
ほんの一瞬。
氷点下のような視線。
「なぜ、お兄様が?」
「妹に頼まれたからだよ!」
即答すると、妹が横で小さく頷いた。
「私、服のセンスがなくて……」
「……そうでしたか」
リビアは納得したように視線を戻す。
納得するポイント、そこかよ
俺の存在理由が妹の一言で完全に処理された。
「では、候補をいくつか出します」
リビアは棚へ向かい、次々とドレスを取り出していく。
淡い水色。
柔らかなクリーム色。
少し大人びた深緑。
その他、違いのわからないドレスがゾロゾロと。
「……多くない?」
思わず言うと、リビアは真顔で答えた。
「どれも候補です」
「候補多すぎじゃない?」
「可能性を狭めるのは得策ではありません」
「妹の体力は?」
「着替えは三分で可能です」
妹が小さく手を挙げる。
「私、そんなに速くありません」
「……失礼しました」
わずかに間が空いた。
今、謝ったな?
リビアが人に対して謝るのは珍しい。
しかし相手は妹。俺じゃない。
なんだこの差は。
「ロイド様は、どのようなものがお好みですか」
唐突に振られる。
「え?」
「エリス様に似合うドレスです」
「いや、俺は……」
妹が期待の眼差しで見てくる。
「お兄様の意見、聞きたいです」
「……」
逃げ場がない。
俺は並べられたドレスを眺める。
(全部高そうだな……)
色も形も違う。
どれも悪くない。
むしろ、全部似合いそうで困る。
「……これとか?」
指差したのは、淡い青のドレスだった。
「理由は?」
リビアが即座に聞く。
「え、理由いる?」
「当然です」
「……なんとなく?」
「却下です」
「早い!」
妹がくすっと笑う。
「じゃあ、これはどうでしょう」
今度は妹が、白に近いクリーム色を持ち上げる。
「可愛らしいですが、場に埋もれる恐れがあります」
「埋もれる……」
聞き馴染みのなさすぎる評価につい反復してしまう。
「他家の令嬢と並んだ際、印象が薄くなります」
こわ……
現実的すぎる。なんで貴族じゃないのに俺より貴族らしい思考をしているんだ。
「じゃあ、これ!」
俺は深く考えても無駄なので、直感で深緑のドレスを持ち上げた。
「……理由」
勢いを殺すかのような視線も無視する。
「落ち着いて見える」
「具体的には」
「……俺が安心する」
沈黙。
リビアが俺を見る。
妹も見る。
(あ、これダメなやつだ)
「お兄様?」
妹が首を傾げる。
「いえ、却下です」
リビアが淡々と告げる。
「えっ」
「正直に申して、今回のお食事会ではエリス様の社交の場を広げるのが目的です。お兄様の精神安定は考慮外です」
「冷たくない!?」
妹が笑いを堪えながら言う。
「でも……少し気になります」
「?」
「そのドレス、着てみてもいいですか?」
リビアは一瞬考え、頷いた。
「分かりました。では、こちらへ」
着替えのため、妹は奥の仕切りへ消えていく。
残された俺とリビア。
(……気まずい)
沈黙が重い。
「……」
「……」
何か言おうとして、やめる。
(今、何話せばいいんだ)
様子を伺うようにちらりとリビアを見るが、彼女はドレスの状態を確認することに集中していて、視線すら向けない。
無視だ……完全に……
俺は空虚な時間を過ごす。しばらくして、布の擦れる音が止んだ。
「……お兄様」
仕切りの向こうから、妹の声。
「見せても、いいですか?」
「……ああ」
カーテンが、そっと開く。
そこに立っていたのは――
深緑のドレスを纏った妹だった。
落ち着いた色合いが、彼女の白い肌を引き立てている。
胸元は控えめで、腰から下にかけて流れるようなライン。
普段より少し背筋を伸ばした姿が、どこか大人びて見えた。
髪はまだ結い上げていない。
その分、表情がはっきり分かる。
少し緊張したような、でも期待を隠しきれない瞳。
唇が、わずかに弧を描く。
「……どう、でしょうか」
声が、いつもより小さい。
一瞬、言葉を失った。
(……あ)
普通に、綺麗だった。
「……似合ってる」
絞り出すように言う。
妹の顔が、ぱっと明るくなる。
「本当ですか?」
「ああ。……普通に」
「普通、とは?」
リビアの声が横から飛んできた。
「語彙が死んでいます」
「うるさいな!さっきまで静かだったくせに」
妹がくすくす笑う。
「でも、お兄様がそう言うなら……」
すると、リビアは妹の周りを一周し、裾を直し、肩の位置を確認する。
「……問題ありません」
「それは、合格ってこと?」
「はい。今夜はこちらで行きましょう」
妹が嬉しそうに頷く。
「ありがとうございます」
「当然の職務です」
淡々とした声。
俺への扱いとの差を感じる。
でも、妹が嬉しそうだから、まあいいか。
俺は小さく息を吐いた。
魔法学院の落ちこぼれ〜何もできない俺が事件に巻き込まれるだけの話〜 @morukaaa37
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