些細な至福の思い出

 めったにあるものではないが、この仕事の最中に、どうしようもなく嬉しくて、この上なく幸せな瞬間がある。志望校合格の朗報を受け取ったときではない。もちろんそれも嬉しくはあるが、同じ時期に聞くのは朗報だけでないからである。それに、あくまでその喜びは生徒のものであって、私のものではないから。今回の思い出話は、もっと些細な、もっとくだらない、それでいてまったく色あせない、素晴らしく嬉しい話である。

 数年前、四年生の女の子が新しく通い始めて、私が国語を教えることになった。その子はとても大人しくて、しっかりしていて真面目で、無駄な話は一切しなかった。子供が(正確に言うと“言葉の通じない人間”が)嫌いな私としては、非常に楽でありがたかった。だからこちらも、無理に盛り上げようとかは一切せず、必要なことだけを淡々と教えて、じゃ、また来週、を繰り返した。本当に、ただの一度も、雑談に類することはしなかった。お互いに。

 通い始めて半年ほどが経った、ある日のことだった。

「あのね、先生」

 教室へ向かう階段の途中で、その子が急に声を上げたのだった。そんなこと初めてだったから、何か問題が起きたのかと妙に慌てたのを覚えている。

「なに、どうした?」

「あのね」

「うん」

「今日ね、私ね、給食ぜんぶ食べられたの」

 一瞬、理解が追い付かなかった。だから私の返答はわずかに遅れたと思う。遅れはしたが、しかし確かに理解して、私は過剰なまでに褒めたたえた。「そっか、すごいじゃん、よかったね! 食べきったのか、やるじゃん!」と。

 その子はいつも給食を残していたのだろう。そしてその日、初めて完食できた。それが本当に嬉しくて仕方なかったのだ。たいして仲良くもない無愛想な塾の講師に、わざわざ声をかけて報告をしてしまうほどに。

 私は本当に嬉しかった。彼女にとって大事な――大人からすればごく些細で、冷たくあしらわれてもおかしくない――報告をしようと思うくらいには、彼女の信頼を勝ち得ていたということがわかったから。彼女の嬉しさが伝染したかのように、本当に嬉しくて仕方がなかった。

 私は別にこの仕事を愛しているわけではないが、やめないでいる理由を挙げるとするならば、間違いなくこの思い出がそのうちの一つである。

                   (2024/12/24)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る