第一章 始まりの日
一 始まりの日
ここ、〈
まだひとつの国がなかった
白い木、というのはそのままの意味で、木の幹、根、葉、全てが真っ白な姿を持つ〈
通常ならばあり得ぬ事例である。日の光を
白い木は
火に包まれた中でも白い姿を見せる幹だけが白いまま燃え残り、その中から白い人型が現れた。
白い衣をなびかせて、現れたその人型は、
――我が名はまほら。
息を止めながら事を見守るものらに対して、水面の波紋が広がるように声が響いた。
――この地に祝いを。この地に呪いを。
まほらの手が天を指すと、空は白に満ちた。
――これより産土神よ。争うことまかりならぬ。この日を
まほらが手を
――我が名はまほら。世の
――対の命を
それは静かでありながら、力強い声であった。
――
まほらは更に声をあげた。水面に波紋が広がるように、脳裏を揺るがすように、声は響く。
――
産土神の間から戸惑いの声が広がる。声を一蹴するようにまほらが立ち止まった。墨が紙の上に広がるように、地面がまほらを軸に白く広がっていく。
――汝らの間で言葉を交わすことまかりならぬ。産土神は氏子の為に。氏子は産土神の為に。そうして我が身を焼き尽くした。
まほらは淡々と――真実を述べた。その声は悲憤と慈愛に満ちていた。まほらの感情に呼応するように地面が純白の命を得て、広がっていく。燃え残った白い木の背後にある深緑の木々広がる山までもが白い姿に変異していく様を前に誰も声が出せなかった。この山は後に〈
――言葉交わせぬ苦しみと引き換えに今、此処に安寧を約束せん。代わりに我がまほらが産土神の言祝ぎを伝え賜わん。
唖然とするものらを前にまほらは尚、続けた。
――これは言祝ぎ。我が祝いと呪い。我は対の命を受け入れ生かさん。
水が弾けるような音と共にここに自生する生き物全てが純白に染まり姿を変えていく。
――祝え、呪え。我が万世を。弥終のないまほらの世を!
さあ――とまほらは手を叩いた。軽やかに鳴る音は鐘のように重々しい響きを伴いながら国中に届いた。途端、産土神とその氏子は言葉を交わせなくなった。
以来、産土神と氏子が言葉を交わす時はまほらが間を取り成した。
そうして、まほらは自らへの呪いとして産土神の土地を自分のものとすることはなく、自らの土地のみを治めることを全ての産土神と氏子に約束した。まほらの氏子となった人々はまほらの住まう土地を国と改め、まほらの真名を取って〈白幹ノ国〉とした。
ここに自生する植物は白い姿をして生まれてくる。その植物は他の土地では育つことなく枯れ、〈白幹ノ国〉のみに自生する。
このことはまほらの威光を示すものとなり、今日まで伝えられている。
――『
十時を告げる
それもそのはず、教官階の執務室は人の出入りが激しかったからだ。黒い軍装を
教官階だけではない。今日はどこもかしこも慌ただしい気配を見せていた。
普段は静かな執務室は今、書類を手にあちこちを動き回る軍人で溢れている。珍しいのは他の課の出入りも絶えないことだ。
〈白幹ノ帝国軍〉の軍装は軍曹から大佐までは黒一色、
その中にあっても目立つ軍装がある。
〈
男は時折、書類と本を交互に確認しては、万年筆で書類に署名するのを繰り返した。
襟章は〈白幹ノ国〉の国花である〈
〈白守〉とは〈白山〉に自生する〈白樹〉と総称される木のひとつである。
小さな白い花もまた、榊に似ているが、榊の花は春頃に咲くのに対して〈白守〉の花は冬に咲く。
大きさの違う〈白守〉の花を二つと葉を三つあしらった襟章は、花と葉の数によって男が軍曹階級であることを示していた。
「相変わらず鬼のような顔をしている」
鬼のような顔をしていると言われた男、
高久より一つ年上である当真は、たれ目の柔和な顔つきのせいか、年齢よりも幼く見える顔をしている。軍帽の下でも分かる癖毛の茶色い髪も当真を年齢よりも幼く見せていた。そんな同期に呆れた眼差しを向けた高久は顔色を変えずに言った。
「規定違反だ」
間髪入れずに指摘した高久を気にすることなく、当真は近くにあった椅子を引き寄せて腰かけた。
「軍務は滞りなく。街の中で軍人が普段と変わりなく買い物をするのも、軍務のひとつだ。そうだろう。高久君」
演技臭い言葉を連ねる当真を高久は一刀両断した。
「規定通りにしたら買えないからだろう」
当真はくぐもった声を上げて、苦々しそうな顔を高久に向けた。
〈まめや〉は〈白幹ノ国〉で一番人気の和菓子屋であり、中でも十時、三時、六時の決まった時刻に売られる豆大福は五分と待たずに売り切れる。十時を告げる喇叭の音と同時に外に出ては、とてもではないが、買えることはない。
「だが――」
高久は呆れた笑みを向けながらも当真を見た。当真も分かって高久に笑みを向けている。
「たまには良いだろう」
「そう来なくては」
当真は言いながら紙袋を開いている。当真が紙袋の中に手を入れる前に高久は言った。
「それでも私は結構だ」
高久は純白の分厚い本を閉じた。銀の箔押しで『白幹万世記』と書かれた本を見た当真はぽつり、と呟いた。
「何度も読まされた本だ」
その言い方がどこか苦々しかったので高久は失笑してしまった。
「そうだな。何度も読まされた本だ」
「そうそう。何度も読まされたよ。俺は士官学校からだけど、幼年学校の奴らは士官学校と
高久は『白幹万世記』を読んだ学生時代の日々を思い出した。
——祝い呪いは氏子のみ。
何度も繰り返し読まされた一節の、重なる声が瞬時に浮かぶ。懐かしさを滲ませながら高久は言った。
「ああ。嫌でも覚えているよ」
すると、当真が『白幹万世記』の一節をそらで呟いた。
「――
当真に楽しそうな視線を向けられて、高久は続けた。
「……対の氏子を祝う勿れ。呪う勿れ」
そうして顔を見合わせた二人は互いに苦笑した。
「……それでも、たまに頭がこんがらかる。神様の理っていうのは、俺達にとっては理不尽極まりないよな」
そう言った当真に高久は純白の本を見た。純白の本は装丁が
純白の本の面に触れながら、高久は言った。
「……理は、理解しようと思って出来るものではない。それでも、理不尽なようで規則性はある」
当真はそれでも納得出来ないような表情を浮かべて、紙袋を開こうとした。
「ああ、そうだ。当真。私は今から出るんだ。用件があるなら手短に話してくれ」
高久に言われて、当真は紙袋を開く手を止めて、口早に言った。
「用件は五つ。一つ。〈
「分かった。後は任せた」
高久は椅子から立ち上がると、当真が目を丸くした。
「ちょっと、待って。待って。四つはともかく、食べてから行けよ。せっかく、手に入れたのに」
せっかくを強調して、見せつけるように紙袋を持ち上げた当真に高久は呆れた眼差しを向けた。
「今日は所用があると言っただろう」
高久は机の脇に置いた黒一色の軍帽を手に取ると着帽した。
「ああ、ひらせの子の見送りか」
ひらせの子、という言葉が出た途端に賑やかだった執務室の中が波打つように静かになった。中には静かになったことに困惑している様子の新人軍曹が居たが、他の軍曹が「〈秘級〉の……」と耳打ちした。当真は自分の失言に慌てることなく立ち上がり、静かになった執務室を見回した。
「――諸君。言いたいことがあるなら言え」
当真は表情を消して、声をあげた。その声には感情はない。ただ、淡々としたものだった。いつもは調子の良い笑顔を周囲に向ける当真の表情の変貌に当惑の表情を浮かべて
「当真」
高久は首を振って一言、良い、と言った。当真は何か言いたそうな表情を浮かべていたが、無言で椅子に座った。静けさは徐々に和らいで、いつもの賑やかさが戻ってきた。
「当真」
気まずそうに顔を背けている当真に高久は声をかけた。
「ありがとう」
高久の故郷である村は〈
中でも〈秘級〉は中将以上しか知ることの出来ない特別案件で、村人全員が一夜にして消滅する危険性のある国、町、村である。
高久はそのことを妹の
以来、高久の村は様々な要因も相まって触れてはいけぬ火種であることが糺の死と共に有名になってしまった。
当真は
しかし当真は気まずそうな笑みを作ると、片手で顔を覆って、紙袋まるごと、高久に突き出した。
「やるよ」
高久は当真の気遣いに苦笑しつつも、丁重に断った。しかし、当真は頑として紙袋を自分の手元に戻さなかった。
「従弟達と、……
「では、いただこう」
高久は紙袋の中を開き見た。ひとつずつ薄紙に包まれた豆大福が八個、入っている。八個入っている意図が分かってしまった高久は思わず、微笑んでいた。
その中から二個、取ると当真の前に差し出した。
「六個は遠慮なく頂こう」
生真面目な表情で豆大福を差し出す高久だが、当真は手を出さなかった。
「一人二個だ」
「だから、私の分をお前にやる。八代と食べたらいい」
当真は目を丸くして次の瞬間には
「じゃあ、いただきますか」
当真が手を差し出すと、高久はその手のひらに薄紙に包まれた豆大福を二つのせた。
「戻るのは昼過ぎになる」
高久は頷いた当真に背を向けると、軍靴の音行き交う廊下に向かって歩き出した。
**
歩道では軍人と民間人が絶えず行き交い、店先で
(
桐ケ谷と令人は戦死した高久の父、高久
白幹ノ中央幼年学校の試験手続きや住民票の準備である。来春、桐ケ谷と令人は十四を迎える。その日までに二人は村を出なければならなかった。
当初は同郷である高久に白羽の矢が立ったのだが、高久は死ぬまで故郷に帰らない決心をしていた。桐ケ谷大将はそんな高久を説得していたが、当人の決意が揺るがなかった為、高久の同期である
二人にとっては従兄にあたる高久よりも羽坂と澄人の方が共に過ごした年月が長いだろう。
「高久軍曹。つきましたよ」
「代金はこちらに」
「かしこまりました」
御者は帽子を取り胸に当て、恭しく頭を下げると帽子を被り直して他の客を待つ為に辻馬車乗場へと移動していった。
高久は自分が今しがた辻馬車で通った道を見た。白い煉瓦造りの街並みの眩しさに思わず目を細めると、遙か遠方の〈
〈白山〉はまほらが生まれたと伝わる山だ。あの山では自生するもの全てが白い命を得て育つ。木も、植物も、動物も全て白い姿としてこの世に生まれ落ちる。そして、地面さえも。その
〈白山〉を背景に白に満ちた煉瓦造りの街並みを黒光りの自動車と辻馬車が行き交い、その脇を軍人と民間人が歩いている。
当たり前のように白に満ちた風景が広がる。それが高久の住む〈白幹ノ国〉だった。
目に痛い程に鮮やかな白から目を逸らすように高久は振り返って、〈
〈白幹ノ国〉から全ての国、町、村へと繋がる〈白幹ノ帝国駅〉は建物の真ん中の上部に時計が配置された白い煉瓦造りの立派な面構えをしており、半円状の緩やかな曲線を描いた構造をしている玄関口が駅構内へと続く入り口である。
駅の中に入ると緩やかな曲線を描いた開放感のある高い天井が真っ先に目に入る。〈白山〉の木を使い、格子状に組まれた天井だ。そこから木漏れ日のように光が落ちて、敢えて無機質にした白い床が光の玉の重なりで自然に飾られる。
その上を忙しなく人と
高久は白い格子状の天井を透かし見た。〈白山〉の木は水に強い為に腐らず、燃え落ちることがない。更には軽いことから、多くの人が行き交う駅などの広大な天井にも使用される。
駅が出来てから二百年経つと言うが、時に蒸気機関車の黒煙に燻られるにも関わらず、白い木は
駅が閉まる夜に掃除していると聞くが、それでも〈白山〉の木は真新しい姿を残したまま、他の木のように味わいのある年を重ねることはない。
天井から駅の構内図に目線を移すと、構内は更に複雑に、一見して理解しづらい仕様になっていた。
軍の報告で分かっていても、膨大な線路数に目を見張る。近年、汽車を望む国、町、村が増えたこともあり、更に蒸気機関車の数を増やし、線路も増やしたのだ。その為に構内は迷路のように複雑化してしまった。専属の駅員があちこちに控えているのだが、人が多いこともあり追い付いていないようで、慌てた声が聞こえて来る。
忙しない声が上下左右を飛び交う中、高久は構内にある三階の純喫茶〈
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