三度目の決闘 炎熱の檻
物心ついた頃から「お母様にそっくり」と言われ続けて育った。
紅の髪。紅の瞳。炎を操る魔法の才能。
顔立ちまで似通っていたのだから周りがそう言うのも当然。彼女、フランシーヌは自然と母のようになりたいと思うようになったし、なれると疑わなかった。
歴史。学問。魔法。勉強をすればみんながすごいと褒めてくれた。
『お母様の才能を受け継いだのですね』
『爆炎の魔女に並ぶ偉大な魔女になられるに違いありません』
公爵家の令嬢として不自由することは何もなかったし、高貴なる人間としての自覚を持つことをいつも要求された。
才能ある者、高貴なる者は常に余裕がなくてはならない。
下々の者が自分より「できない」のは当たり前のこと。強者として負けることは許されない。人の上に立つとはそういうことだと信じて疑わなかった。
順風満帆の人生。
──プライドを打ち砕かれたのは、妹が本格的に勉強を始めた頃。
髪も瞳も容姿も大して母に似ていない妹は「本物の天才」だった。
魔力操作をフランシーヌより短期間で覚え、初歩的な魔法もなんなく習得した。一度教えられたことは簡単に忘れず、今までに得た知識から教えられていない部分までも導き出す。あらゆる物事の仕組みを理解するのに優れており、なんでも卒なくこなしてしまう。
母の、そして公爵家の跡継ぎとして育てられるフランシーヌと違いのびのびと育てられたため、明るく心優しい性格まで併せ持つ。
『フランシーヌ様よりも妹様のほうが優秀なのでは?』
自身の使用人が漏らしたその言葉を偶然耳にした瞬間、世界が変わった。
自分が褒められているのは跡継ぎだから。けれど妹が褒められているのは「本当に凄いから」。使用人に慕われているのも愛されているのも妹のほう。
フランシーヌ・フォンタニエは天才ではなく秀才に過ぎなかったのだ。
もちろん、簡単には認められなかった。
気づいてしまったことから目を逸らし、強者として振る舞い続けた。他者を退けるための牙は磨き続けたし、それが通用すると信じた。
平民に強く当たるのは意識的にも無意識的にも勝者としての実感が欲しかったからだ。
なのに。
『僕には、効かない』
平民出身の白リボン、それも通常なら入学できるはずがない「男」なんかに負けた。
殺してしまわないように手加減した。驚かせて負けを認めさせればいい、くらいのつもりだった。そのうえ相手の特異体質が反則級だった。
それでも、負けたのは事実。
その日からクリスの攻略法を探した。その中から今の自分にもできる爆発を選び、再び決闘した。そして、それでも負けた。無意識に相手を侮り続けていたことを指摘されるように負かされ、あまつさ身体に触れられ、母にまで見捨てられて醜態を晒した。
プライドは完全に砕かれた。
リアの母が誰なのか知ったのはその頃だ。
シルヴェール・レルネが「母を負かした相手」だと知ったのも。
母子揃って自分たちに土をつける憎い相手。
だから。
「今度は絶対に負けませんわ。どんな手を使ってでも」
◆ ◆ ◆
フランシーヌ・フォンタニエは女性騎士の制服のようなパンツスーツを纏っていた。
色は黒。
左手の手袋が外され、僕のほうへと投げられる。それは僕のところまで届くことはなかったものの、その代わり地面に落ちるのとほぼ同時に発火して燃え上がった。次いで右も無造作に放り捨てられて炎上。
「早いですけれど、ギャラリーもいることですし始めませんこと?」
今までのフランシーヌとは明らかに違う。
髪はアップに纏められ、腕や足には
宣言通り、本気で勝つ気だ。
これならきっとすべてを出しきってくれる。勝っても負けても少しはすっきりするだろう。それは僕がもともと望んでいたことだけど、
「ごめん、フランシーヌ。今はそれどころじゃないんだ。後にして欲しい」
誘拐されたリアを探しているのだと告げると、令嬢は「そうですか」と頷いて、
「逃げるのですね。では、今ここで負けを認めなさい」
「フランシーヌ・フォンタニエ。横暴が過ぎますよ」
「横暴と言うのであれば、決闘を持ちかけておいてそれをフイにしようとする彼も同じでは? それに、時間通りに始められる保証もないのでしょう?」
確かに、リアがどのくらいで見つかるかはわからない。彼女の状態によっては決闘どころではなくなる可能性も高い。
フランシーヌが決闘のために準備していたのだとすれば「しょうがないね。また後日」で済まされる話じゃない。
「ああ、勝った場合の条件を決めていませんでしたわね。……平民。私が勝ったらこの学園を退学しなさい」
「フランシーヌ・フォンタニエ!」
「嫌なら決闘を無効にすればいいのです。もちろん、その場合は『逃げた』と喧伝させていただきますが」
「……そこまでして戦いたいんだ」
睨みつけると、令嬢はそれ以上の熱量をもって睨み返してきた。
「今の私には時間がないの。身体が熱くて仕方ありません。……この熱を、早く叩きつけたくて疼いているのよ」
発言を裏付けるようにフランシーヌの頬は上気していた。
夜の外気は決して熱くはない。だというのにその状態なのは体温が高すぎるからか。……身体が熱い。それは、他でもないリアの症状じゃないのか。
魔力量に限界のないリアはあの程度で収まっていたけれど。
「まさか。……フランシーヌ様、なんという無茶を」
僕と同じ推測をしたのか、フェリシー先輩が息を呑む。
体内魔力が多すぎる状態。特異体質じゃないフランシーヌがそうなった原因はリアの魔力を流し込まれたからに違いない。手袋はリアが持っていたから供給自体は可能だ。
クローデットと一緒にメイドがいたこと。
このタイミングで誘拐が起こったこと。リアが連れ去られたのが都合よく第二決闘場だったこと。すべてが繋がっているとすれば。
「わかった。やろう」
このままフランシーヌを放っておいたらなにをするかわからない。
彼女にはすっきりしてもらわないといけない。気持ちとしても、魔力としても。
僕は制服を脱いで戦闘着姿になるとフェリシー先輩に脱いだ服を預けた。
「クリス君。十分に気をつけて。……勝利よりも生き残ることを優先してください」
「はい。こんなところで死ぬわけにはいきませんから」
「あなた。この状況で決闘など受ける必要は」
「僕が持ちかけた決闘です。納得してもらわないとこの場は収められないと思います」
決闘を止められないことを悟った教師たちは戦闘区域内から離れて防御結界の外へ。決闘場が使用されている状態では地下へ移動するのも難しいので、彼女たちも僕たちの決闘を見守るしかない。
「フランシーヌ。これがもし時間稼ぎだったら君を絶対に許さない」
「安心しなさい。彼女ならきっと無事ですわ」
やっぱり何か知っているのだ。
この状況で嘘をつくとも思えない。リアに危害を加えているのならそれを明かしたほうが僕を怒らせられる。決闘がしたいのなら好都合だ。
「では、よろしいかしら?」
「いつでも」
フランシーヌが右手をゆらりと持ち上げる。扇子はない。
彼女が落とした扇子はリアが持っているし、貴族の優雅さを誇示するタイミングでもない。
今はただ、決闘に集中する時。
「《劫火よ》」
呪文が紡がれると同時、僕はその影響範囲から逃れるべく地面を蹴った。
◇ ◇ ◇
さっきまで僕がいた場所を炎が走り抜けていく。
初戦で見た炎とは規模が全然違う。草の生えていないまっさらな地面には可燃物が存在しないので炎が残ることはないものの、発生した熱はすぐには消えない。
暑い。
「逃しません」
続けてきた二撃目をかわせば、さらに追撃が来る。そのたびに空気が熱されて辺りの気温が上がっていく。
勝利だけを狙うなら突っ込んでいけばいいけれど、この熱量だと熱気だけで圧倒されかねない。それに今のフランシーヌが二の手を用意していないかどうか。
円を描くように逃げ続けることになった僕は炎に追われ続け、やがて、
「熱の檻。炎をかわしただけで逃げたつもりなら大間違いですわ」
一周してしまった僕は後方──少しでも温度の低い場所へと退避を余儀なくされた。
そこへ追いかけてくる劫火。
ただでさえ熱で体力を奪われているのに動き続ければならない状況では僕が一方的に不利だ。熱量と範囲、連射能力が予想を超えている。
「この炎は」
「彼女には『爆炎』ではなく『劫火』の称号が相応しいかもしれませんね」
遠巻きに観戦している教師の声。彼女たちの肌にもじわりと汗が浮いている。炎は防げても熱は防げないからだ。
なら、その中央にいるフランシーヌは。
「こんな戦い方は危険すぎる!」
「ご心配なく。私は熱に強いの。むしろ身体の熱が下がって快適なくらい」
過剰に蓄積されていた魔力が吐き出されているせいか。
これだけの魔法を連発できるのはリアから受け取った魔力のお陰。大人の魔女ならあの手この手で消耗を抑えるんだろうけど、今のフランシーヌはばんばん魔力を使いつつ熱さに耐えるのが精いっぱい。
おそらく手足の魔道具は炎や熱に耐えるための品か。
「さあ。逃げるだけでは勝てませんわよ!?」
「っ!?」
逃げ続けるうちに足がもつれた。
フランシーヌが小さく舌打ちをする。僕のミスに不満そうにしつつも、彼女は迷うことなく追撃を選んだ。
「貴方になら当てても問題はありませんわよね?」
劫火。
右手を突き出し、魔力で迎撃。範囲を広めに放ったそれは炎を相殺するも、術者に迫る頃には威力の殆どを失っていた。
軽くステップしたフランシーヌは事も無げに魔力をかわし、こんなものかとばかりに僕を見て、
──二発目、凝縮した一撃が令嬢の頬をかすめた。
威力は絞ったから直撃でも死にはしない。胴を狙ったつもりだったけど手元が狂った。
自分の頬にできた軽い擦り傷にフランシーヌは指でそっと触れて、
「そう来なくては!」
歓喜の表情と共に劫火を放ってきた。
足がふらついていて逃げるのは難しい。何度も相殺するのも分のいい勝負とは言えない。
僕は地面に片膝をついた姿勢で左手を突き出し、直撃する炎を吸収する。予想通り、強烈な熱気に頭がくらくらする。
でも、耐えられる。
再び魔力でフランシーヌを狙えば、彼女は魔力攻撃をそれに合わせてきた。相殺されて消滅する互いの魔力。
「初歩の魔力放出が私にできないとでも?」
強い。
接近戦を封じられた今、勝つ方法が見つからない。最善は魔力切れを狙うことか。
リアから毎日魔力を受け取っていたお陰で魔力にはまだまだ余裕がある。相手の魔法を吸収しつつ、耐えきれない分を相殺していけば勝ち目はあるかもしれない。
広範囲かつ高威力の魔力攻撃、という手もあるけれど、これはフランシーヌを殺しかねないので使えない。これは殺し合いじゃなくて決闘なんだから。
でも、
「根くらべなら私に分がありそうですわね……!?」
向こうの魔力とこっちの体力、尽きるのはたぶんこっちだ。
魔力攻撃で炎を相殺し続ければ気温の上昇はある程度防げる。耐えていれば暑さも和らぐだろうけど、果たしてフランシーヌの魔力の底はどの程度深いのか。
せめて、熱さを感じる前に炎を吸収できれば。
僕の能力では魔法の端に触れないといけない。だから炎の熱さを感じざるをえない。
母さんならこういうときどうしたんだろう。
『調律の魔女』は相手の魔法も律することができたのか。それとも正確無比な魔法で戦いを有利に進めていたのか。
魔力のコントロール。
『もっと素早く魔力を抜けないのか』
一人になった僕を拾ってくれたあの人の声がふと頭に浮かんだ。
ガラクタと化した魔道具から魔力を抜く仕事。作業が遅いと理不尽な文句を何度も言われた。住ませてもらってご飯をくれて、魔力放出の訓練までしてくれた人だから感謝はしてるけど本当に理不尽だったと思う。
早くと言われても、物や人から抜くのは時間がかかる。そういう能力なんだからどうしようもない。
『放出くらいできて当たり前だ。お前は人の魔力を吸い取れるんだから』
別の時の声。
そしてさらに別の。
『必死になりゃ人間なんだってできる。お前はまだ本気の本気になってないだけだ』
言いたい放題言ってくれて。
あの人の言い分は今でも無茶苦茶だと思う。だけど、あの指導のお陰で今の僕があるのも事実。
魔力のコントロール。
天才だったという母さんの力が僕にも受け継がれているなら。本当に「本気になればなんでもできる」と言うのなら。
「……そろそろ終わりにしましょうか」
フランシーヌが劫火から爆発へと切り替えた。
両手が届かないギリキリで連発される爆発になんとか耐えながら、僕は拳を握って、
「根比べで勝てば満足?」
「なんですって?」
「作戦勝ちも立派な勝ちだよ。でも、圧倒的な力の差を見せつけずに勝って、それで本当に君は満足できるのかな」
撃ってくればいい。
僕の全身を焼き尽くすような必殺の劫火を。蒸し焼きになるかもしれないけど、僕なら焼死体になることはない。
ようやく少し回復してきた足で立ち上がって右手を差しだすと、令嬢は唇の端を吊り上げて笑った。
「──見え見えの挑発ですわね」
言葉とは裏腹に、その手のひらからは炎が放たれ始める。
今までで最大の炎。これならば『爆炎の魔女』に匹敵するのでは、という大きさのそれが僕に向けられて、
「そんなに喰らいたいのなら、喰らいなさい!」
これがきっと、最大の勝機。
「吸い、取れぇ………!」
僕は生まれて初めて本気で、能力の『先』に挑んだ。
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