第26話 犬猿VS狂犬


 暗い暗い、真っ暗な地下。日の光はもちろん、この世の深淵が集まったかのような場所。


「アニキ、ちぃと第五区で暴れてきます」


 図太い声、毛髪が揺れる感じのないこの男の正体は、デッドファットファングの狂犬漆原 太雅うるしばら たいがで間違いない。

 彼のさらに奥に人が一人いるのはわかるが、あまりの暗さでその容姿ははっきりと認識できない。一つ間違いないのは、漆原とは違い髪は存在している。


「好きにしろ」


「ジョージの野郎から交換条件として、ある有力な情報を持つ隊員をこっちによこすとのことです。アニキに任せますか?」


「お前が決めろ」


 声量はそこまで大きいわけでもない。にもかかわらずこの覇気は一体……。まるで目の前に百獣の王であるライオンでもいるかのような重圧感。オーラが滲み出ている。血と命が同義となった人間の圧だ。


 漆原はアニキからそれ以上の言葉がないことを数秒確認し、その場から動き出す。


「漆原」


 突然百獣の王から制止される。口調からはその感情が読み取りにくい。トーンが一定の普通な感じにも聞こえるが。


「つまらねぇ死に方はするなよ?」


「――感謝します、アニキ」


 二人にそれ以上の会話はなかった。




**********




 避ける、次も避ける。その次も、そのさらに次も。

 当たったら間違いなく内臓が破裂する。これがゲヘナの力なのか? 振りかざされるパンチの全てに紫色の靄が纏ってる。

 空を切る拳を見たらわかる、俺に反撃の余地はない。


「避けるのはウメーな。だがな――」


「っく!?」


 左腕をがっちりと掴まれてしまった。投げか? それとも逆の手で至近距離からの殴打? どっちにしろ左手でよかった、ブレードを握った右腕が生きてる。攻撃が来る前に、


「――こういうのは初めてって訳か」


「ぇ?」


 漆原は終始落ち着いた口調でそう言った。

 一体どういう意味だ。


「軽率だな。俺の見た目からして、肉弾戦好みとでも判断したんだろ?」


 呆気に取られて動けいない。何なんだよコイツの目は。

 全くその通りだ。こんな野蛮そうな見た目の奴に、技術や頭を使った戦いなんてできるはずがない。何をすればいいのか、俺の脳は完全に動力を失った。


 ――一体何が来るんだ?


「ッ!?!?」


「感じるだろ? この違和感」


「ぐうぁぁぁぁ!!! っくっそ! 放せェェェェ!!!」


 突然、掴まれた左腕から大量の白い煙が上がる。そして激しい痛みと強烈な熱さが骨を伝え全身に届く。

 あまりの痛さに全体重を後方に乗せ拘束を解こうと試みる。


「くっそぉぉぉぉぉぉ!!!」


 しかし掴んでいる漆原の右手は、まるで俺の左手と一体化しているかのように離れない。俺の左腕に何が起きているのか確認しようにも、溢れ出す煙のせいで何が起きているのかわからない。


 ――とにかく……。


「熱い熱い熱い熱い熱いィィィィィ!!!」


 だめだ、コイツの右腕を切り落とさなくちゃ。もうそれしかない!


「くそがああああ!」


「冷静になれって」


「うぐっはッ?!」


 冷静さを欠いたことが敗因。ブレードを振りかざす態勢に入る前に、掴まれた左腕を軸に漆原に手繰り寄せられ、腹部に膝蹴りをもらってしまった。


 ――悶絶。


 もはや左腕の痛みも忘れてしまう程の一撃をもらってしまった。腹から口へと、何かが強烈に込み上げてくる感覚がわかる。噴き出す寸前に止めることができたが、今の問題はそんなことではない。このままでは間違いなく殺される。


 もはや俺の脳では処理しきれない事態となっているが、追い打ちをかけるように新たな問題が発生する。


「え……」


「ようやっと気が付いたか――」


 デジタルアラートが激しく何かを知らせる。ちょうど掴まれている左腕に装着された画面を確認すると、


 ――ゲヘナの体内取り込み量が測定不能? まさか……。


「痛みにも慣れてきて思考が回復してる頃だろうからよ、その目で確認してみろや」


「……」


 漆原に拘束されていた左腕が解放される。同時に俺は直立していることが不可能となり、床に倒れた。

 頭を動かすことはできないので、目だけで左腕を確認する。


「ぁ、ぁぁ」


 強烈に情けない声が漏れた。恐怖、痛み、それらからその声が出てしまうのも仕方ないだろう。俺も出したくて出したわけじゃない。


 そう、漆原は俺の身体にゲヘナを送り続けた。俺の左腕を介して。直接触れられ続けた左腕は壊死状態に陥った。左手の指先などは赤紫色に染まり、腕の血管もミミズの様に腫れ上がり、筋肉組織も破壊されてるのがわかる。


 だめだ、呼吸の方法すら思い出せない。徐々に視界が白くなり始め、呼吸が荒くなる。


「はぅッ、はぅっ、ぅっ」


「後は女を殺して終いだ」


 ああ、だめだ。瞼にすら力が入らなくなった。

 ごめんな、泪奈――。




**********




「うがぁぁぁぁ――」


「終わったのね」


 結局下の階には八体も堕者がいた。あとで開智にたっぷりお礼してもらわないと。

 呼吸を整え、ブレードを収める。デジタルアラートを確認すると、ゲヘナの取り込み量は49。これだけの戦いでかなり抑え込めた方ね。


「熱い熱い熱い熱い熱いィィィィィ!!!」


「ッ?」


 上から悲鳴。今の声って、開智……?

 いやそんなわけない。あれだけの動きを見せてた開智が負けるはずがない。けど上の階で何かあったのは間違いない。


 全力疾走で上の階を目指す。仮に私が戦った八体よりも数が多かったとしても、さっきまでの開智の戦い方なら十五体は相手にできるはず。もし敗北していたとするなら、さっきまでの敵とは違う何か?


 階段を昇り切り、あとは中央を目指すだけ。


「開智!」


 床に倒れ、口からは白い泡を吹き出している開智の姿。すぐに駆け付けられないのには理由がある。

 その理由の正体はギロッとこっちに視線を向ける。間違いなく第五区の堕者じゃない。


「よぉ、本物の花嫁さん」


「今すぐにそこを離れるのなら、後は追わない」


 私の言葉を聞いた男は、馬鹿にするように鼻で笑いスキンヘッドの頭に片手を乗せた。


「笑わせんなよお嬢ちゃん。劣勢はお前等だ」


 まだ開智に息はある。作戦は大きく変更することになるけど、開智だけは救える。まさかこんなことになるなんて。穂乃果さんの勘は当たったということになるけど、あまりにも分が悪すぎる。目の前の男と敵対するには隊長が最低でも一人は必要。


 私はアノ男に復讐するまで死ねない。けれど、ここで開智を見殺しにするのは私の理念が許さない。鴨井さん、会ったことはないけど、上官ならばきっと理解してくれる。私達がやっている仕事は死を伴う。なんとしても開智だけ回収して帰還する。


「アナタがその気なら、こっちも刃を向けるまでよ」


「――そうかい。わかってるだろうけどよ、俺は女だろうがガキだろうが容赦しねぇ」


 一気に来る。


「反応早ぇな」


 とんでもない威力の右アッパー。なんとかこれをスウェイバックで避ける。威力というよりも紫の靄、恐らくゲヘナを体外に放出できるタイプの堕者。一瞬でデジタルアラートを確認すると、59%を示していた。


 やっぱり近づくだけで危険。私はすぐにGSAMジーシャムを再起動させる。口と鼻が覆われ、体内に取り込める酸素が急激に減り戦いにくいけど、この男との戦いではGSAMは必須。


「小せぇ身体に酸素が回らねーんじゃ勝ち目はねぇぞ?」


「ご忠告どうも」


「可愛げのねー女だな」


 ブレードを引き抜き、臨戦態勢へと入る。一撃の致命傷でも構わない。今はこの男を殺すことじゃなく、開智と本局に帰ることが目標。


「可愛くないのは、見た目だけじゃないわ」


「ああ?」


 そして何より時間がない。私の持ち味はスピード。恐れずに前に突っ込め。この男が私のスピードを処理しきれる前に畳みかける。


 ――まずはその右腕。初見殺しのスピードに対応しきれるわけもなく、男は後方へと下がろうとする。けれど遅い。両足が地面から離れ、この瞬間それ以上の機動力を得ることはできない。

 右腕に斬りかかろうとしたのはフェイント。男は上体を反らし腕への斬撃を回避しようと試みている。


「残念、狙いは右足」


「チッ、めんどくせーな」


 右上から左下へを斬りかかり、男の左足は両断された。凄まじい精神力ね。片足を失ったというのに気にする素振りすらなく、次の攻撃にカウンターを合わせる準備をしてる。


 だけどここで追撃するようなヘマはしない。男の左足が地面に着けば、片足がない影響で直立できない。私は勢いを殺し一度距離を取る。


「随分と戦い慣れしてんな、女のくせによ」


「ええ、アナタの様に性別でしか物事を計れない男を何人も地面に沈めたわ」


 男は膝立ちの状態で私を睨みつける。まだまだ余裕があるぞとその目で訴えかけてくる。ここで迷う理由は一つもない。片足がない状態じゃ機動力は半分以下、一気に仕留める。


 もう消耗させる必要はない。首を切り落とせばそれでいい。不可能なら残った足、両腕を切り落としてこの場を去る。

 男は睨みを利かせたまま微動だにしない。確かに潔いタイプではありそうだけど、何なのこの違和感。


「――――」


 もう首を目掛けモーションに入ってしまっている。本当にこれでいいのだろうか。


「ハッ?!」


「俺もな、男には脳筋野郎しかいねぇと思ってる女が大キライなんだよ」


 ブレードを右腕で受け止め、固定。

 その目は間違いなく私を殺しに来ている。


「んなっ!」


 すかさず左手で私の胸ぐらを掴み、完全に逃げられなくいなってしまった。

 この状態でゲヘナを放出されてしまったら間違いなく致死量。残ってる選択肢は――、


「……ない」


 呆気ないけど、これが現実。

 ――兄さん、本当にごめんなさい。


「ぐばぁっ」


「ッ!?」


 大量の鮮血が噴き出る。顔面は真っ赤に染まり、本来なら致命的な一撃で間違いない。けれどこの男はゲヘナの力で絶命しない。


 ――背後からブレードを突き刺され、正面まで貫通しているというのに。


「テメェはさっきのでお陀仏だったんだがな」


「か、開智!」


 死の瀬戸際から蘇り、強い意志を持った青空のように輝く眼光を光らせていた。

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