神はそれを望まれる ー2024/7/20 Sat 23:59
「どういうつもりだ」
自らが発した声音の低さに驚く。自分は怒っている。ゲームを行い親友を傷つけられ、必死で勝とうとする中で。目の前の悪魔は嘲るように掌で転がす。
「……分からない?」
「ふざけるのも大概に」
「誠也くんがしたことでしょう? デスゲームをして、参加者がどんなに足掻こうとも全て無駄になるイカサマゲームを君は行い勝利した。いや仕組んだんだよ、みんな君の手に落ちた」
――そんなことは分かっている。
「質問のお時間だよ、誠也くん」
「――ゆうなは」
思い返す。榊は俺と同じように誰かに命じられてデスゲームを開催した。けれど、なにか彼女が管理をしている中で彼女だけが持つ自ら手を下さずとも大量殺人を成し遂げるルートがある。
「このデスゲームの、本当の理由を……」
運営。アプリ。バーコード。
お客は楽しませなきゃ。
「知って、いる……?」
榊の顔を見る。口元がニヤリと笑った。
「知ってる。このデスゲームはきっと大きな心理実験なんだよ。再現したい実験は……。誠也くんなら分かるんじゃないかな? ミルグラム実験。それと――人は、役割を与えればどんな残虐なことも犯す」
「フィリップ・ジンバルドーが行った、スタンフォード監獄実験」
――その通り、と榊は頷く。
「そう。簡単に二つの論文を要約すると、ミルグラム実験は別名、アイヒマン実験とも言われていて、人は命令されたことであれば殺人でも犯してしまう、というもの。そして、スタンフォード監獄実験では、役割を与えその役に徹すると格下の相手に非道を行う。……というもの」
デスゲームを開催し、その参加者たちを殺しても構わない。この異空間では殺人は合法であり、どんなことをしても良い。
我々は『主催者』という役割を与えられ、デスゲームを開催するように命じられる。スタンフォード監獄実験では、実験の参加者はそれぞれ『看守役』と『囚人役』という立場を与えられ、看守役は囚人役を管理する役目を与えられた。看守役は囚人役にどんな非道をしても良い、と命じられたわけでもなかったのにも関わらず自主的に囚人役を痛めつけ始めた。結果、実験は急遽取り止められ、囚人役は解放された。
しかし、看守役の中には実験の続行を求めるものもいたのだという。
「私たちは、主催者という権力を手に入れた。参加者をどうしても良い。殺しても良い。殺人は罪に問われず、私たちは裁かれない」
「――なるほど。合法的に殺人が行えるこの場所で、俺たちがどんな行動をするのかを観察……」
「そう。まるで神様のように」
――神、か? 笑わせる。
人間が悪に落ちるその様を観察して楽しむ。ミルグラム実験は、第二次世界大戦のアウシュビッツ収容所の職員がなぜ、目の前にいるユダヤ人が死亡すると分かっているにも関わらず、ガス室のボタンを押し非道な殺人を行えたのかをシュミレーションするために行った実験だ。
デスゲームを行わせ、主催者である俺たちがどんな非道を繰り返すのかを眺めて楽しむ。
――違う、神様なんかじゃない。
「そんなことができるやつは、悪魔に違いない」
その瞬間、榊の笑い声が異空間に響いた。呆気に取られていると榊は腹を抱えて笑い続け過呼吸になってようやく、声を落ち着かせようとパタパタと手のひらで顔を仰ぐ。
「ごめんごめん。誠也くん、その通り」
ふぅと榊は深呼吸をして誠也を笑う。頬は上昇し赤らんでいてふんわりとした髪が汗で張り付いている。
「でも、神はそれを望まれる。きっとこのゲームの運営は見たいんだよ」
「悪趣味だな」
「――そう。悪趣味。でも、デスゲームってさ。結局、追い詰められた人間の極限状態が見たいんでしょ。誰を殺し、誰を生かし。そのために自分が成り上がる。自分が生き残るためには手段を選ばず、善人が悪人になり、人間の本性を剥き出しにしていくのが――見たい」
真っ暗な空間にその場で出会った赤の他人が数人。彼らと時に助け合い、この空間から出ようと葛藤する……そんなドラマが見たい。
けれどデスゲームを見る観客が本当に望んでいるのは、血で血を洗う醜い争いだ。嘘が入り乱れ翻弄される。死にたくない。死にたくない。自分が生き残るために他人を犠牲にしなければならないのなら、他人をあっさりと切り捨てる残虐性を観客は求めている。
「デスゲームという場で、一番残酷なのは主催者である私たち。好きに殺して良いし、この行為は罪に問われない。殺人という権利を手に入れた人間はどんな行動を取り、どう振る舞おうとするのか。それを観察してみたかったのではないか」
悪趣味だ。
「これって社会の縮図みたいだよね」
え? 誠也が思わず顔を上げる。榊は目を伏せていて誠也のことには気づいていない。
「権力を持った人間は格下の人間に横暴な態度を取る……外ではへこへこしているくせに、家に帰ると横暴で暴力を振るって。私が敵わないから反抗してこないから、そんなことができるんだ」
「……ゆうな?」
「あ。ごめん。誠也くん。じゃあこれで質問は終わり。ゲームに勝ったら続きを」
なんだ、今のは。
榊はどんな事情を抱えて……いや、これも全部自分を惑わす罠だ。耳を貸すな。ここで絶対に勝たなければならないんだから。
「引くね」
榊は躊躇うことなくカードを引く。まるでこの場にあるカードが透視できているかのように。
「死神の正位置」
「榊は、俺を手に入れたいと言ったけど。人間って無理やり手に入れたところでそれは」
「それでも良いんだ」
手が止まる。手を伸ばそうとしたカードは右下に折り目がついていた。
「……正義の正位置」
まずは安全牌だ。ほっと胸を撫で下ろす。榊はすぐに山に手を伸ばす。そして二枚目を引く。
「恋人の逆位置。死神が十三、恋人が六。足して十九。私はこれで勝負するよ」
「……俺がトチるとでも?」
「どうだろ。引いてみなくちゃ分からないよね」
含んだ言い方は少々気になる。正位置のカードを引く時に折り目をつけると、カードを裏返しにした左下に触れる。そのため、正位置のカードは左下に折り目がついているが、逆位置の場合は注意が必要だ。逆位置、つまり上下逆になっているため、そのまま捲れば当然逆位置。
折り目を回して右上になるようしてひっくり返せば正位置になる。
「法王の正位置」
これは先ほど自分で引いたカードだった。その時に逆位置だったので、誠也は以上の手順を踏み、逆位置を引かないようにすることができたのだった。
「もう一回引く」
正義が十一、法王が五。足すと十六であり、まだまだ二十一には遠い。二十一になるには五が必要だが、法王は既に引かれている。が、榊よりも二十一に近ければ良い。榊は十九なので、二十。つまり、誠也が四のカードを出せば勝利となる。
――折り目がついているカードは五枚。
榊はいつカードにマークをつけていたのだろうか。折り目がついているカードが五枚ということは、全てのゲームで折り目をつけていたわけではないようだ。前日のゲームではマークはついていなかった。つまり、それより前のゲームにはマークをつけていたが、前日のゲームにはついていない。皇帝は昨日、榊が引いたカードだが、それより前の日付で榊が引いたカードではない。このゲームの場にも出ていない。そのため、おそらく折り目がついていないカードに皇帝があるはずだ。
おそらく折り目がついているカードは、それより前のゲームで榊が引いた、――正義の十一、戦車の七。月の十八、力の八。
誠也はシメタと思った。
致命傷になるカードは、頭部を司る皇帝と首を司る法王、そして心臓を司る力だ。皇帝、法王は既にこの場に出ており、力はおそらく榊が前のゲームで引き折り目がつけているカード。
そのため、折り目がついていないカードに致命傷になるカードは含まれていない。数が大きなカードは太腿や足など、人体が死亡するような致命傷を与えない部位が多い。
――もしハズレを引いてしまっても。
「あれ。……力の……逆位置」
「ありゃ。力。八だから……二十四」
――なんで。力は榊が引いて折り目をつけていたはず、では?
「誠也くんの負け。それに、力の逆位置」
「待って。なんで、ここに力が」
――この場に折り目がついていたカードは五枚。このゲームは四回戦目。榊が全てのカードに折り目をつけていたのなら、榊が引いた、正義、戦車、月、力、悪魔、皇帝の六枚についているはず。先ほど自分で確認した時、折り目がついているカードは五枚だけだった。自分で折り目をつけた法王を足しても足りない。
そのため、三回戦目のゲームで引いたカードに榊は折り目をつけていないと推測し、皇帝のカードには折り目がないはずだと推理した。
その読みが、外れた?
そして引いたこのカード。榊は二回戦で引いた力に、折り目をつけていなかったのか。
「誠也くんがそのカードをこのタイミングで引いちゃうことは予想外だったけど」
榊はテーブルを挟んだ誠也の頬にその冷たい手を添える。クイッと自分の方に向け誠也の手からカードが落ちた。
「神様は、誠也くんが私のものになることを祝福してくれているみたいじゃない?」
榊が反対の手でタロットを全てひっくり返すと、折り目がついていたカードは皇帝。
「運ゲーのこのゲームで、ズルをしようとするから神様が怒っちゃったんだよ。カードの中身を推理しようとしちゃダメ、だよ?」
この異空間では臨めばなんでも手に入れられる。この空間の支配者はこのゲームの主催者、榊優奈だ。――あぁ、そういうことか。物理的に引いたカードに折り目をつけなくても、自分が好きなように操作することができる。
初めから俺に勝ち目などなく。
俺がこう負けるように神様は望んで仕掛けた。
「……さぁ、君の手で大和くんの心臓を潰して」
――殺して。
ヒヤリと冷たい鉄の塊に背筋がゾッと泡立つ。命令に背けるわけがない。初めから俺をこうするためだけにこのゲームを仕組み実行した悪魔は、俺の支配者なのだから。俺の主人。俺だけのご主人様。
「ごめん、ごめん、ごめんなさい。大和」
磔にされ動けない橋本大和の心臓に向かって銃を構える。ごめん、ごめん、俺が大和をゲームに引き込んだから。俺が榊に目をつけられたから。
大和を巻き込んでしまった。
大和はなにも言わなかった。
「……せいや」
いい、いい。なにも言わないで。なにかを喋られれば撃つことができなくなる。
言葉を待つことなく引き金を引いた。
パァン、と弾ける音の後、榊は優しく呟いた。
「酷いなぁ、大和くんなにか言おうとしてたよ」
あ。――俺はこんな場でも自分を優先して、自分が傷つかないように。大和の声を聞けば自分の罪悪感に押しつぶされてしまうから、いいや、大和の声を聞けば冷酷に大和を殺すことが。
――できなくなるから。
「これで私の邪魔者はいなくなった」
そうか。俺ってもう逃れる術がないのか。目の前の榊優奈に従順にしていればなにも考える必要がない。そうか、そうなんだ。
どうして気づかなかったんだろう。
これは、いつもと同じ。親の命に従うのは自分がそうしたいからと言い聞かせて従った。榊優奈に対してもそれで良いじゃん。自分がなに不自由なく生きていけるのなら、それはいつもと変わらない。真綿に包まれるように飼い殺され、自由など初めからない、いつもと同じ。
「ずっと私と一緒にいてね」
見ないフリをしていた。気づいてしまえば心理的不協和に抗えなくなると感じていたからなのだろうか。榊がそうするから、ではなく、榊の支配を受け入れていれば自分はなにも考えなくて済む。衣食住を与えられ従順にしていれば、危害も加えられない。幸せに感じた。
それは、嘘じゃなく本心だった。
「……うん」
俺の人生は飼い殺し。
鎖がなくとも従順に、命じられれば全て受け入れてきた。それを榊にできないはずがないんだ。
だってそれはいつもやっていたことだから。
「じゃあ帰ろうか」
榊は床に広がった誰かの血溜まりを踏みつけて誠也の手を取る。その手は驚くほど冷たくて、上気した体温にちょうど良かった。
「……気持ちい」
――良いんだ、もう。
良いんだよ、大和。
「可愛い。家に帰ったら可愛がってあげるから」
それは、歩こうとする誠也の足を掴んで引っ張る。自らの血溜まりに引きずり込むように。誠也はそれを振り払う。わざとらしく踏みつけると、それは力を無くしたように地面に落ちた。地面を這いつくばる頭陀袋のようなそれを、榊に手を引かれ歩き出した背後に見る。
良いんだよもう。
俺がそうしたいんだ。
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