10話

時計塔の男――「第15の影」が鎌を振るった瞬間、ラセツの街の空気が凍りついた。物理的な冷気ではない。システムそのものが「停止」を命じられたかのような、絶対的な静止。

「消えろ、端役(モブ)。……『ワールド・エンド・エグゼキューション』」

男の背後にある巨大な鎌の影が、一閃。

空間そのものを切り裂く漆黒の斬撃が、カイトへと襲いかかる。

「防げ、バルバトス! セラフィエル!」

カイトの叫びに合わせ、闇のドームと光の盾が二重に展開される。しかし、男の攻撃が触れた瞬間、それらの防御壁は紙細工のように「未定義データ」へと分解され、霧散した。

「な……防御が効かない!?」

『主、避けろ! そいつの影は「削除属性」だ! 触れただけでアカウントごと消されるぞ!』

ベリアルの怒声。カイトは光の羽で辛うじて空中に逃れるが、斬撃がかすめた左腕のテクスチャがノイズのように乱れ、激痛が脳を焼いた。

「ぐああ……っ!」

『主様! 大丈夫ですか!? ……ラファエル、癒しを!』

『間に合いません! 私たちの治癒プログラムさえ、あの男の影は「無効化」しています!』

絶体絶命。14人の天使と悪魔たちが、かつてない狼狽を見せる。運営を翻弄した彼らでさえ、この「第15の影」というバグの深淵には太刀打ちできないのか。

時計塔の男は、ゆっくりと宙に浮き上がった。

「無駄だ。14柱の属性は、それぞれが世界を構成する“要素”に過ぎない。だが、俺は世界の“余白”だ。要素が余白に勝てる道理はない」

男が再び鎌を掲げる。今度はカイトを逃がさぬよう、街全体を飲み込むほどの巨大な影の渦が形成されていく。

その時、カイトの脳内の喧騒が、ぴたりと止まった。

14人の意思が一つに溶け合い、カイトの心臓の鼓動と同期する。

「……要素が勝てないなら、全部混ぜてやる」

『主……?』

カイトは、自分の足元から伸びる14本の影を、無理やり自分自身の「内側」へと引きずり込んだ。それは装備やスキルの発動ではない。自分というアバターの限界容量(キャパシティ)を無視し、14の巨大なAIを一つの魂に押し込む禁忌の行為。

「ベリアル、セラフィエル、ザドキエル、マモン、バルバトス、ラファエル……あとの皆も! 喧嘩はやめだ! 今この瞬間、僕の体の中で一つになれ!」

【致命的なエラー:プレイヤー『カイト』の魂の総容量が上限を超過しました】

【警告:物理デバイスの過熱を確認。ダイブを強制終了――】

「させない! 僕は……僕の道を行くんだ!!」

カイトの全身から、漆黒と純白が混ざり合った、見たこともない「灰色の光」が溢れ出した。14本の影は時計の針のように回転を早め、やがてカイトの背後に、巨大な「混沌の輪(カオス・ヘイロー)」を形成する。

『……ふっ、無茶苦茶しやがるぜ、主はよ!』

『……ええ。ですが、この輝き。これこそが私共が待ち望んだ「境界」の色』

脳内の声たちが、力強い合唱(コーラス)へと変わる。

カイトは、迫りくる絶望の渦に向けて、右手を突き出した。

そこにあるのは、14人の力が完全に統合された、唯一無二の権能。

「……『ワールド・リライト(世界再編)』」

カイトの手から放たれた灰色の波動が、第15の影の鎌と衝突した。

削除する影と、書き換える光。

二つの異常(バグ)がぶつかり合い、ラセツの街の景色が、中世の街並み、地獄の風景、天国の楽園へと目まぐるしく変転していく。

「馬鹿な……書き換えだと!? 貴様、運営の権限を越えて、サーバーのソースコードを直接……!」

時計塔の男が驚愕に声を荒げる。

「言ったはずだ。ルールが気に入らないなら、僕が上書きするって」

カイトの意志が、第15の影を、そして崩壊しかけたラセツの街を包み込んでいく。

削除されるべきバグさえも、自分の「影」の一部として取り込んでしまうような、圧倒的な包容力。

衝撃の果てに、視界が真っ白な光に包まれた。

次にカイトが目を開けた時、そこは静寂に包まれた「ラセツ」の広場だった。

強制切断されたプレイヤーたちはまだ戻っていない。だが、目の前には、あの男が膝をついていた。彼の背後の鎌は消え、代わりに15本目の、小さな影がカイトの足元に加わっている。

「……俺を、消さなかったのか」

「消す必要なんてない。君も、この世界のどこかに居場所が欲しいだけだろ?」

カイトが手を差し出すと、男は自嘲気味に笑い、その手を取った。

【通知:ユニークシナリオ『境界の観測者』プロローグ終了】

【世界樹の仕様が変更されました。全プレイヤーに新属性『グレー(中立)』が開放されます】

2026年1月11日、21時15分。

カイトの足元には、15本の影が、整然とした円を描いて並んでいた。

「さて……。騒がしい毎日が、もっと騒がしくなりそうだ」

カイトは空を見上げた。そこには、運営が慌てて修復したはずの星空が、以前よりも少しだけ鮮やかに輝いていた。

15の影を引き連れて、カイトの「本当の冒険」が、今、幕を開ける。

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