第4話

「……ったく、どこのどいつもこいつも、人の影を珍しそうにジロジロ見やがって」

路地裏の湿った空気の中、僕は壁に背中を預けて荒い息を吐き出した。

視界の端では、システムアラートが依然として「Unknown Unique Skill Detected」という警告を点滅させている。2026年最新のVRエンジンを搭載した『EBO』の運営チームは、今頃サーバーログをひっくり返して大騒ぎしているに違いない。

『文句を言うな。この俺様が直々に力を貸してやってんだ。本来なら拝まれるレベルなんだぜ?』

右側の地面から、獰猛な牙を剥き出しにした狼のような影が首をもたげる。自らを「ベリアル」と名乗った、第1の悪魔だ。

『粗野な振る舞いはおやめなさい。主様、まずは一度ステータスを確認し、ログオフの可否を確かめるべきです。この世界は今、少しばかり“不安定”になっています』

左側で優雅に翼を広げるのは、第1の天使「セラフィエル」。彼女の言葉通り、僕の周囲だけ空気のテクスチャが微かに歪んでいる。

「分かってる。まずは状況整理だ……メニューオープン」

僕が空中に手を通わせると、半透明のウィンドウが展開した。しかし、そこに表示された僕のステータスは、もはやログインした時のそれとは別物だった。

プレイヤー名:カイト

レベル:1(era-)

職業:¿¿¿

保有スキル:

【境界を歩む者(ワールド・ブレンダー)】:光と闇の属性値を統合。14柱の影を「外部メモリスロット」として使用。

【???(未開放)】

【???(未開放)】

現在のアクティブなシャドウ

第1位階・悪魔「ベリアル」(身体能力強化・闇属性攻撃付与)

第1位階・天使「セラフィエル」(精神耐性強化・光属性障壁)

「レベル1の横にera-って……。それにこの『境界の観測者』って何だよ。僕はただ、普通にファンタジー生活を楽しみたくてこの最新VRSNS型ゲームを買っただけなのに」

『普通の生活、か。あいにくだが、お前がさっきあの境界線で「自分の道を行く」なんて言っちまったせいで、このゲームのメインプログラム……「天使と悪魔の最終戦争(アルマゲドン)」のシナリオがぶっ壊れちまったんだよ』

ベリアルがケラケラと低く笑う。

『左様です。本来、プレイヤーはどちらかの陣営に属し、相手を滅ぼすことでエンディングを迎えるはずでした。しかし、主様が両方を引き連れたことで、この世界の“勝ち筋”が消失した。私たちは今、運営の用意したシナリオの外側――未実装エリアの住人のようなものです』

セラフィエルの言葉に、背筋が寒くなった。

つまり、僕は意図せずゲームのバグ……いや、隠しすぎて誰も辿り着けないはずだった「デバッグルート」に突っ込んでしまったということか。

その時、路地裏の入り口から複数の足音が聞こえてきた。

「いたぞ! 漆黒のカーソルを持つプレイヤーだ!」

「あいつだろ? 運営の掲示板で『14本の影を持つバグキャラ』って晒されてたのは」

現れたのは、3人のプレイヤーだった。

重厚な鎧を纏った戦士、輝く杖を持った魔導師、そして弓を構えたスカウト。彼らの頭上には、共通して白い「秩序(ホワイト)」のマークが浮かんでいる。

「おい、君。変なスキルを持ってるみたいだけど、それはチートじゃないのか? 悪いけど、検証のために一度デスペナルティを受けてもらうよ」

戦士が剣を抜く。どうやら彼らは、自分たちを正義の側だと思い込んでいる「運営自警団」を気取っているプレイヤーのようだ。

「待ってくれ、僕は争うつもりはないんだ。これはただのユニークスキルで――」

『主様、無駄ですよ。彼らにとって、理解できないものは排除の対象でしかありません』

セラフィエルの声が冷静に響く。

『へっ、ちょうどいいぜ。主、こいつらで試し斬りといこうぜ。俺の影を右腕に纏わせてみろ。運営が作ったヤワな装甲ごと、データの塵にしてやるよ!』

「……やるしかないのか」

僕は覚悟を決め、右足元のベリアルの影に手を伸ばした。

瞬間、どろりとした黒い液体のような影が僕の右腕に吸い込まれ、禍々しい漆黒の籠手へと変貌する。同時に、左側のセラフィエルの影が僕の背後に回り、淡い光の羽となって僕の身体を浮かび上がらせた。

「なっ……なんだその装備!? 見たことないぞ!」

「行け! 拘束しろ!」

スカウトが放った3本の矢が、加速の魔法を纏って僕の眉間に迫る。

だが、僕の視界には、その矢の軌道がスローモーションのように見えていた。

「遅い……」

僕は一歩踏み出し、右手の籠手を一閃させた。

物理的な接触はない。ただ影の刃が空を裂いただけで、放たれた矢は空中で粒子へと分解され、背後の壁には深々と爪痕が刻まれた。

「ひっ……!?」

『おいおい、加減しすぎだろ主! 首を撥ねりゃ一発だろうが!』

ベリアルが脳内で叫ぶ。

「殺す必要はない。無力化できれば十分だ!」

僕は光の羽で一気に距離を詰め、驚愕に目を見開く戦士の懐に入り込んだ。

左手の掌を彼の胸当てにかざす。

「セラフィエル、衝撃波(ショックウェーブ)!」

『承知いたしました』

柔らかな光が爆発し、重装備の戦士が木の葉のように吹き飛んで路地の奥のゴミ溜めに突っ込んだ。

残った二人は、もはや戦意を喪失して座り込んでいる。

「バケモノ……なんだよ、あのスキル……。GMに通報してやる! 絶対に垢バンだぞ!」

逃げていく彼らの背中を見送った後、僕は重い溜息をつき、変身を解除した。

右腕の籠手と背中の羽が、再び足元の14本の影へと戻っていく。

「……これから毎日、こんな風に追われることになるのか?」

『ふふ、それどころではありませんよ。今の一戦で、主様の動画はSNSを通じて世界中に拡散されたはずです。天使の軍勢も、悪魔の軍勢も、そしてこの世界を管理する「運営(神)」も、黙ってはいないでしょう』

セラフィエルが静かに告げる。

ふと見上げると、街の中心にある時計塔の針が狂ったように逆回転を始めていた。

空の色が、夕焼けから紫色の不気味な夜へと塗り替えられていく。

『面白いじゃねぇか。世界を敵に回して、俺たち14人と主だけで歩む「第3の道」。これこそがリアルな冒険ってやつだろ?』

ベリアルの野性味あふれる笑い声が、街に鳴り響く鐘の音に混ざる。

僕は、自分の手のひらを見つめた。

VRMMOの常識、ゲームバランス、シナリオの強制力。

その全てを、この14の影が塗り替えていく。

「……いいだろう。望むところだ。どうせなら、このゲームのエンディングを僕が書き換えてやる」

僕は14の影を引き連れ、ログイン地点である始まりの街の門をくぐった。

行き先は決まっていない。

だが、僕が歩く場所が、新しい「道」になる。

その足元には、14方向へと伸びる黒い針。

それは、世界の終焉か、あるいは新しい神話の始まりを刻む時計のようだった。

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