第13話 テスト・ダイブ
他の階層では最低でも五世帯が住んでいるのに、根守家の豪邸はスカイタワーの最上階を丸ごと占拠していた。駄々広い室内は物が少なく、家具のデザインはどれもシンプルだ。壁を走る細いLEDの装飾ラインと、骨董品が陳列されたウォールシェルフが少しばかりの華を添えている。
家政婦はタイキを来客用の接待室に案内した。出された茶菓子は一瞬で無くなり、物足りなさそうな眼差しに耐えかねた彼女はすぐにお代わりを用意した。
程なくして、アキラが不思議な金属箱を抱えて現れた。
「キャサリンさん、ちょっと外してくれるかな。これからは俺が案内する」
「かしこまりました」
キャサリンは礼儀正しく頭を下げ、どこかに行ってしまった。
「俺に着いて来い」
アキラの背中に続けて接待室を出て、細い廊下に入り突き当りまで進むと、分厚い電動ドアの前に立ち止まった。セキュリティーシステムがアキラの虹彩をスキャンし、それからドアが自動で開いた。
「ここが実験室だ」
アキラはタイキを手招きをし、さっさと入れと促した。
研究室とはいえ、真っ白な空間に機材等はほとんどなく、酷く空っぽだ。天井には大きな円盤状の構造体があり、伸び下がる五本のアームの基盤だ。アームはごつごつとしたメカニックなデザインで、先端からケーブルの束が垂れ下がっている。部屋の空虚さが相まって、異様な存在感を放つそれこそが実験用機器であり、これから被験者に起こる超常的なイベントを彷彿させる。それぞれのアームに合わせた位置で、床の上には丸いマークがある。一人の人間がちょうど立てる大きさだ。
アキラは金属箱を開け、一対のリング状のデバイスを取り出した。陶磁で出来たブレスレットのように見えて、硬質な光沢を帯びている。色は部屋に溶け込んでしまうほどの白だった。表面にある小さなボタンを押すと、それらはアキラの手の中で「ぱかっ」と開いた。
「足首に着けておけ」
言われるがまま、タイキはデバイスを受け取って自分の足首に当てた。するとリングは自動的に閉じた。きつくもなく緩くもなく、丁度良いサイズ感だった。
アキラは床にある円状の印を指さした。
「そこに立って」
足を踏み入れて数秒後、足に着けたデバイスが光だし、それと同時に床の印も明るくなった。頭上のアームが動き、タイキの身長に合わせて先端の高さを下げた。それを確認してから、アキラはタイキに近づき、揺らぐケーブルを掴むと手際よく彼の額と側頭部に装着した。吸盤の吸い付く違和感に思わず手で触ろうとしたが、アキラに叱られた。
「触るな! 実験中に剝がしたら脳みそがどうなっても知らんぞ」
「げっ……」タイキはちょっと青ざめた様子で手を引っ込めた。
タイキの周りを一周し、アキラは実験デバイスが問題なくセッティングされていることを確認した。それから怪訝そうにしている実験対象に、口早に説明を始めた。
「俺はこれから操作室に行く。それからブザー音が鳴り、お前の体が数センチ宙に浮く。落ちることはないから、驚いて暴れないように。お前の足首にあるのは反重力デバイスといい、空中に浮いだ状態で自由に体を動かせるようにするものだ。VRに合わせて走り回ったり、思い切りジャンプしても良い。デバイスが作動している限り、床の円から出ることはない」
タイキは思わず目を丸くした。
「ほぅ、これほどの優れものがあるのか」
「物理空間の制限があるようでは、仮想世界も楽しめないだろう。準備はいい?」
「おう。ヒーローになるために俺はここにいるぜ」
上機嫌にガッツポーズを見せるタイキにアキラはため息をつき、暗い顔で実験室を後にした。程なくして、『ブーン』とブーザー音が鳴り、タイキの体が宙に浮いた。不思議なことに全くバランスを崩すことなく、重心も座った状態で直立できる。
「これは良い!」
すっかり興奮したタイキは手足をバタバタさせたり、ムーンウォークしたり、様々なポーズを取って楽しみ始めた。無様な光景を前に、操作室のモニターを睨んでいたアキラが額に手を添えた。
「いいか? JOYの仮想空間を起動する。最初はキャラクター選択だ」
スピーカーから流れるアキラの声に、タイキはいくらか真剣さを取り戻した。
「わかった!」
人工角膜が作動する。真っ白な空間に存在するはずもない、格好いいゲームキャラクター達がずらりと並んだ。全部で四人、セクシーな衣装を着た女性や筋肉質な大男、それからアキラが授業中でこっそり見ていた銀髪のアサシン、そして赤い髪の“呪われしテストキャラクター”、レッドカース。
「まずは動作に慣れるために、ハイパーリンクのないキャラから選んで。レッドカースは絶対に触るな! いいな? 少しでも廃人のリスクを下げるためだ」
タイキは天井の角を見上げ、監視カメラに向かって目を細めた。
「へぇー、俺の心配をしてんのか?」
「違う」すぐさまにアキラが言い返した。「少しでもヒーローの確率を上げるためだ。俺も実験を成功させたいからな」
「まあ、好きに言え」
タイキは肩をすくめ、それからレッドカースから一番遠い、セクシーな女性キャラクターを指さした。
「君に決めた」
女性キャラクターの輪郭がハイライトされた。選択がシステムに承認されたことを表示している。しかし次の瞬間、彼女はふっつりと消えた。
「え、ちょっと?!」
慌てるタイキ、操作室のアキラも同じだった。
他のキャラを選ぼうとすると、それらは次々と消えていった。最後に残ったはレッド・カース一人だけだった。呆然とするタイキの前に、その輪郭がハイライトされた。
『選択完了。テスト・ダイブを開始します』
システムメッセージが流れた。タイキの背中から冷や汗が急に噴き出す。
「ち、違う、お前は選んでないって!!」
そうVRの幻影に叫んでも、何も変わらなかった。タイキは監視カメラに向かって懸命に訴えた。
「これはどういうことだ?! お前が仕組んだのか?!」
「俺は何もしていない! システムが勝手に……」
スピーカーの向こうでアキラが声を荒げた。懸命にインターフェースを操作しているが、全く制御ができない。まるでシステムそのものが乗っ取られてしまったようだった。彼は頭を抱え、ただ茫然と、見えない何かに操られて素早く切り替えている画面を眺めているだけだった
『被験者No.1、ニューロンリンクへの接続を開始します』
視界の中央を埋め尽くす赤いシステムメッセージと同時に、レッドカースがぐっと迫ってくる。無表情で、瞳だけが突き刺すように鋭い。まるで冷たい幽霊のようだ。
タイキは思わず体を縮め、瞼をぎゅっと閉ざした。さっきまでヒーローになるなんて考えていた余裕さが、今は微塵もなく消えていた。
レットカースのVRが彼の体と重なった。次の瞬間、内側から爆ぜそうな激しい頭痛が襲った。続いて視界が暗転し、電流を流したように手足が硬直した。
(やばい、これは30%の廃人かも……)
最悪の予想をする間も無く、タイキは気を失った。
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