第一章 パッチ・アップデート

第12話 パパラッチ

 東陵都市国家の中心には、TAKUMiの『演算界』と呼ばれる、とてつもなく巨大なCPUがある。それは数千基もの量子コンピューターが連結してできた機構で、空を突き上げる巨大な塔-『センタータワー』の根本にあり、厳重に守られている。センタータワー全体が演算界の冷却装置であり、辺り一帯の水循環と生態系バランスを創り出している。


 センタータワーの主要部分はパイプで出来ている。演算界を冷却した地下水は水蒸気に変わり、タワーを通って気温の低い遥か上空に放出される。マイナス数十度にもなる成層圏の最下部で、水蒸気は一気に冷やされて雲になり、大地に雨を降らす。雨水は大地にしみこみ、また地下水となって貯蔵施設に集めら、冷却に再利用される。定期的に降らされる雨もまた、人々の生活用水や農耕区画の耕作用水になる。まさにテクノロジーと自然循環を融合させた、大変優れたシステムだ。


 根守一家の豪邸は、センタータワーの足元近くにあった。駐車場に降り立ったタイキは、首がへし折れる勢いで聳え立つ巨塔を仰ぎ見ていた。


 水蒸気を絶えず空中に放出しているタワーの周辺は、いつも渦巻く雲に包まれていて、先端が全く見えない。その荘厳な様子は、青空の屋根を支える巨大な柱のようであり、世界の中心に聳え立つ大樹の幹に似ている。タイキにとって、それはあの幻想的で美しい夢境を作り出した世界樹に重ねて見えた。


「こっち」


 ぼうと見惚れているタイキはアキラの声に気づき、ふっと我に返った。根守家の屋敷は、特権階級の住宅が集まっているスカイタワーの最上階と屋上だった。中心都市においては最大級の建造物だが、それでもセンタータワーに比べたら、おもちゃのようにちっぽけだった。


 ミラは礼儀良く分かれを告げ、自律走行で車庫に向かった。タイキはアキラの後に続いた。ガラスと大理石で出来た豪華なエントランスを潜り、広いエレベータに乗り込むと階数表示が三桁あることに驚く。動き出したエレベータの、ガラス張りの壁から見える外の景色が一気に小さくなった。タイキは鼓膜が膨張して違和感のある耳をさすった。


「お帰りなさいませ、アキラ様」


 玄関先で出迎えてくれたのは、清潔なエプロンを身にまとった家政婦の老女だった。垂れ下がった目尻に笑い皺が沢山集まった、とても優しそうな顔立ちだ。アキラが会釈して家の中に入るのを、気品の良いお辞儀で見送り、それから背筋を伸ばしてタイキに向かった。


「あなたはゲストのタイキ様ですね。こちらへどうぞ」

 キョロキョロしているホームレスの青年に態度を少しも変えることなく、彼女はどこまでも礼儀正しかった。


 アンドロイドのボデーガードたちは玄関の両脇にあるスタンドに立った。「カチッ」と小さな音がして、スタンドのベース部分にある接続部が足の裏に嵌り、充電を始めた。男たちは同じ角度で頭を俯き、置物のようにぴったりと動かなくなった。


 玄関から少し離れたところの天井に、小さなヤモリが張り付いていた。ただし、本物のヤモリではない。本物は、この高い階層で生息できない。ヤモリの瞳は隠しカメラで、小さなレンズには玄関に入る二人の青年がくっきりと映っていた。

 

――

 第三地区の廃ビルにある一室で、二人の人間がモニターを食い入るように見つめていた。一人は初老の男性で、もう一人は若い女性だった。


 荒んだ建物の外見とは異なり、部屋の中は整ったオフィスになっている。本棚が立ち並び、整理整頓された机の上には珍しくペンとノートブックが置かれている。また、旧世界の遺物として“メカオタク”たちの間で大人気な、『パソコン』という名の機器が何機かあり、しっかりと作動している。VRの拡張現実とネットワークに支配された時代において、そこはタイムカプセルに閉じ込められていたかのようにレトロだった。


 モニターの中には、根守家の家に入るアキラとタイキたちの姿が、見下ろした角度で映っていた。

 

「これは、スクープだぞ……」


 剃り残した顎髭を撫でながら男がぼやいた。皺の入ったワイシャスにジーンズとスニーカーの格好で、大きな丸い眼鏡を掛けていた。白髪が混じった前髪が視界を遮り、男は無意識にそれを指で払った。


「チェンさん、彼は!」

 

 今度は女性がモニターの中に写ったアキラを指し、画像を一時停止させた。よく手入れされたマネキュアが艶やかに光った。興奮を抑えきれない様子で、彼女は編集長ジャクソン・チェンに振り向いた。頭が動く共に、天然パーマーの茶髪がふんわりと揺れる。丸顔に小さな鼻、黒目がちな瞳と短い眉。愛嬌たっぷりの笑顔に、誰もがほっこりするだろう。

 しかし見た目に騙されてはいけない。彼女の名前はカナ・レオニダ、鋭い嗅覚と超人的なバイタリティーを持つ凄腕記者だ。これまで様々なスキャンダルを暴き、大物たちを泣かせてきた恐るべき存在なのだ。

 

「根守家のお坊ちゃまだ。間違いない」

 カナの瞳がぎらりと輝いた。

「彼が他人を家に招き入れるなんて珍しいわね」

 チェンは顔をモニターに近づけ、人の姿を拡大した。

「後ろについている男の子、大学の同級生ではなさそうだ」

「そうね。身なりもボロボロだ。第三地区の住民か」

「かも知れない。根守家の令息がスラムの少年にどんな要があるのか……」

「うーん、怪しい……事件の匂いがする。特権階級の住宅マンションにドローンを忍び込ませてひと月経つけど、ようやく大物が狙えそうね!」


 カナはすくと立ち上がり、スーツの上着を整った。それからテーブルに置かれたキャリアバッグを肩に担いだ。ローヒールの革靴がフロアの上を軽やかに回る。オフィスの出口に向かう彼女の背中をチェンが呼び止めた。


「まあ、そう焦るな」

「違うよ、仕事しに行くんじゃない。今日はちょっと早めに帰りたいの。妹の誕生日なので」カナは振り向き、いたずらっぽく答える。

「そういえば、君は妹さんの保護者だったな。自分の家族を作るべき年頃なのに、大変だなあ」

 お年寄りのお節介を思わず口にしたチェンだが、カナは気にならないようだ。

「もう高校生だよ。ちょっと気難しい時期でね……最近はずっと引き籠っている」

「そうか、なら早く行ってあげて」

 チェンは「帰った帰った」と促すように手を振った。分厚いレンズの向こうから暖かい眼差しが漏れ出た。

「お疲れ様!」

 愛想の良い笑顔を残して、カナはオフィスを出た。


 

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